あの時の答えあわせを

江藤 香琳

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3章

今日のおわりに。

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ウソだ… 
こんなことがあっていいのか。

郁は宿泊先のベッドの上で大の字になりながら、ぼう然としていた。

ラースとホテル前で別れてチェックインし、部屋に入るやいなや、ベッドにダイブした。

それから、かれこれ30分が経とうとしている。

長旅の後だから、さっさとシャワーを浴びよう、着慣れた部屋着になろうと思っていても、身体は動いてくれない。

ただでさえ、時差ボケで体内時計がくるっているから、しっかり休みたいのに。

間接照明で照らされた天井をぼんやり眺めて、今日の出来事を振り返る。

えーと、俺の旧姓を知ってるってことは、正真正銘本人ってことだろうし…。

でもなんで、最初から俺のこと知ってるって言わなかったの?

まぁ、俺も、これが初対面だってしれっと言ったけど。

仕事相手として関わっているはずなのに、どうしてもいまは、私情が心の中にドクドクと流れ込んでくる。

(恥ずかしい…。
これからどんな顔して、会えばいいんだ?)

郁はベッドの枕を抱き寄せて身体を丸め、ぎゅっと目をつむった。



郁の母親が再婚したのは、いまから7年前の21歳のときだった。

大学1年のころに両親が離婚し、それまでは母親の姓である『尾上』を名乗っていたが、母の再婚をきっかけに『伊原』となった。

学生時代、ラースとともに、今日あった面白い出来事や好きなアートなど、無邪気に話していたころが懐かしい。

その後に勝手に失恋して、自分にとっては黒歴史になるんだけど…。

郁はふと我にかえり、スマホで時刻を確認する。時刻は、もうすぐ22時になろうとしている。

いい加減、寝る準備をしようと、郁はむくりと立ち上がり、シャワールームにむかった。



郁は手短にシャワーを浴び終えて、着慣れた部屋着に着替えながら、今日を振り返る。

思い出すのは、やっぱり8年ぶりに会ったラースの姿だ。

薄緑の瞳は、昔と変わらずキラキラと輝いていた。ラースの瞳を見れば、喜怒哀楽がわかるから、ついかわいいと思ってしまう。
にっこり笑うと目尻にしわができるのも変わっていなかった。

レセプションの場やマスコミの前に登場するラースは、穏和そうだが、淡々としていて、どこか冷めているようにも見える。

けれど、今日のラースは楽しげで、そんな様子に自分も嬉しくなった。

それと、色気が増していて、ますますかっこよくなっていた。

認めたくはないが、また惚れ直してしまった。

こんな機会があるまでは、もう会うことのない遠い存在だと思っていて、我ながら未練がましいが、ようやく割り切りつつあったのに。

郁はベッドの端に浅く座り、スマホをひらく。

「ラース・ニールセン」と調べると、作品写真やレセプションに参加したときの動画やインタビュー記事のみならず、ゴシップ記事もたくさんヒットする。

ラースは、週刊誌でそれはそれは綺麗な女性と写真を撮られまくりだ。

それに、いまも途切れずにパートナーがいるみたいだし…。

この前は、デンマークの超有名女優と結婚間近か!?  と書かれていた。

週刊誌やネットニュースの情報をまるきり信じている訳ではないが、それほど魅力的でモテているのは間違いないのだろう。

郁はスマホでゴシップ記事を読みながらベッドにもぐり込み、ひと息つく。

リネンがひんやりと冷たい。

叶わないと知っていながら、ほんの僅かでも希望はないかと、何度も空想してきた。

けれど、彼の性的指向は女性だ。
つまり、俺は最初から恋愛対象外。

今までもそうだが、これからもありえない。

俺に告白してくれた人をちゃんと好きになれたらいいのにって何度も思ってきたが、ラース以上に好きになることはなかった。

ラースに失恋したあとは自暴自棄になって、誘いがあれば、来る人拒まず関係をもった。

それまで、恋愛に潔癖気味であった郁とは、ずいぶん大きな変化だった。

初めてのセックスも成りゆきで済ませた。
その翌日は身体の節々が痛んで辛かったが、感想は『こんなもんか』だった。

行為後は幸福感を感じるのかと思っていたが、次の日もその次の日も、世界は変わってみえなかった。

自分は、ロマンチストだったようだ。

自棄になって成り行きに任せ遊んだが、それは自分をさらに傷つけるだけだった。

誰かを深く愛しても、自分がつらいだけ。
誰かを好きになるのは、感情を消耗するだけ。

両想いって奇跡じゃないか?
街ゆくカップルは、本当に両想いなのか?

恋愛ごとになると、ネガティブ感情がふつふつとわいてくる。

心の傷はいまだに癒えておらず、それに気づいていながらも、自分と向き合わないようにしてきた。

(夜は嫌な記憶を思い出す。それより、いまは仕事に集中するのみ!さあ、明日からやることはたくさんあるんだ。この企画、絶対成功させてみせる!)

郁はネガティブな気持ちを振り切るように、眠りについた。




一方そのころ。ラースの自宅ではー


「やぁ、ノア!オリヴァ! 来てくれてありがとう。ちゃんとしたお酒が飲みたくて、うずうずしてたんだよ。話したいこともあるんだ」

「やけに上機嫌だな、ラース」

「うん。僕はいま、気分がいいんだ。はやく部屋に入ってくれ。ピンチョスとお酒を用意してるよ」

ラースは郁と別れたあと、悪友たちを自宅に招いていた。

今日は郁と8年ぶりに会い、最高の1日だった。
なんてったって、郁がとてつもなく可愛かったのだ。

郁がお互いに初対面だと貫こうとしているのも面白くて愛らしくて、思わずニヤニヤしてしまった。郁にはバレていなかったが。

この嬉しさは友人と共有しないと!  と思い立ち、いまに至る。

郁との食事の場では、自分はアルコールフリーワインを飲んでいた。

郁は緊張もあったのか、お酒に弱いのに白ワインをグイグイ飲んで、顔を赤らめていた。

それもまた愛らしくて、思わず襲いたくなったが、ぐっとこらえた自分を褒めてあげたい。

終始、浮かれる気持ちを抑えつつ、紳士にホテルまで送り届けたのだが、正直不完全燃焼だった。

「浮名を流しているキミが、何ごともなくホテルに送り届けただけなんて、すごいな」

 ノアはそう言いながら、カウンターキッチンのスツールに腰かけ、サーモンとクリームチーズのピンチョスを頬張る。

「そうだろう?自分でもえらいなって思った」

「褒めてない。皮肉ったんだよ。浮かれているキミに何言っても、響きやしないだろうけど」

ノアはあきれ顔で、キンキンに冷えたビールに口をつけた。

ラースとノアは、大学生からの付き合いだ。
かれこれ、10年以上になる。

ノアは当時、室内デザインを専攻していて、現在では空間デザイナーをしている。

過去にひらいた自分の個展では、照明含め空間デザインをノアにお願いした。

ノアは、自分の作品のコンセプトを理解した上で、作品の邪魔をしない空間づくりをしてくれるのだ。

いつも、自分の想像以上の出来で。

デンマークで人気のデザイナーのひとりであり、信頼の置ける友人だ。

ノアはクール系美人で、言い方もキツいときがあるが、心根は優しいと知っている。

なんだかんだ、いいヤツだ。

「ノア、そう言ってやるな。やっと、念願の郁くんに会えたんだろ。ラースが浮かれるのも仕方がない」

笑いながらそうたしなめたのは、オリヴァだ。

ラースとオリヴァは、高校生からの古い友人だ。彼は、世界的なホテルグループの経営者一族のもとに生まれ、経営学を学び、自社の次期社長になる立場である。

ビジネスの場では辣腕をふるい、業績好調の立役者のようだが、友人としてはとても優しく、良き相談相手でもある。

オリヴァは非の打ち所がなく、爽やかでかっこいいと男女ともに評判だ。

そんなオリヴァとノアは、恋人同士だ。
今日みたいに、ふたりそろって自分のもとを訪ねてきては、なにかと気にかけてくれるのだ。

「そうだ、そうだ。オリヴァの言うとおりだ。浮かれたっていいじゃないか」

そう言いながら、ラースは上機嫌でビールをあおる。やっぱりノンアルコールと違って、格別に美味しい。

「そうはいっても、キミの愛しの郁くんは、仕事相手でしょ? プライベートのことなら、長く付き合ってる恋人がいそうだね。諦めな」

「ふふん。それが、いまはフリーなんだって。オーレから情報を仕入れたんだ。間違いない」

「まじかよ。オーレさんにも聞いてるのか。キミって、何ごとも外堀から埋めていくのが好きだし、郁くんの誕生花をせっせとお世話してて、なかなかに気持ちわるいよね。彼を好きすぎてしてる奇行を、本人が知っちゃったらかわいそうだ。郁くんのためにも、仕事だけの付き合いにしてあげなよ」

「ああ、誕生花のカランコエ・ブロスフェルディアナは郁みたいに可愛いんだ。すくすく成長していて、もうすぐ赤い綺麗な花を咲かせるところだよ。新しい食器のシリーズのデザインは、カランコエにするつもりなんだ」

「はぁ?俺の話聞いてた?いつにもまして頭がお花畑で、会話がトンチンカンになってやがる」

「今さらだよ、ノア。郁くんのことになると、いつものことじゃないか」

ラースお手製のピンチョスをつまみながら、オリヴァもにこやかに冷たいひと言を放つ。

「ノアもオリヴァも、つれないこと言うなあ。この僕が、こんな、またとないチャンスを逃すと思う?」

ラースは頬杖をつきながら、こくんと首を傾げてほほえんだ。

「いいや、ラースは仕事もプライベートもいいとこ取りするつもりなんだろう。他人ごととしては、見ていて面白いよ。せいぜい頑張れ」

「はぁぁ。郁くんがフリーといえども、キミがタイプじゃないかもしれないし、他にいい人がいるかもね! いまは仕事仲間なんだから、気持ちわるい生態は隠して、かっこいいとこ見せなよ。これから、僕と郁くんは接点がありそうだし、彼にはいろいろと忠告してあげるから!」

「ふたりとも、応援ありがとう。何を言われたって、最高の個展にしてみせるし、郁の心も手に入れるんだ。絶対ね。明日が楽しみだよ。さあさあ、もっと食べていってくれ」

「はいはい。どうもありがとう」

ノアはつまみを頬張り、オリヴァはラースとともにシャンパンを開けはじめた。



それぞれの夜が更けていく。


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