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第三章 確執
四郎頼賢(三)
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「それはそうと…」
通清は、にやにや笑って頼賢の顔を見た。
「御曹司こそ、そろそろ、身を固める意中の姫のお一人やお二人は見つけられましたか? 良い年頃の若殿ばらがご公務がお休みの折、父上のもとしか訪れる場所がないなど、ちと寂しゅうございまするぞ」
からかうように言われて頼賢は、むっとして睨み返した。
「いらぬ世話だ。通い所ぐらい幾らでもあるわ。ただ、俺は義朝の兄上とは違って、暇さえあれば女の尻ばかり追いかけて、その機嫌を伺ってばかりいるよいうな軟弱者ではないだけだ!」
「これは手厳しい」
通清は苦笑した。
頼賢は、今年で二十三になる。
定まった正室こそ、いまだ迎えていないものの、夜ごと枕をかわす相手に不自由はしていなかった。
ただ、今後のことを考えれば、正室となる女をおいそれとその辺りの市井の女や女房あがりから拾い上げてくるわけにはいかない。
兄・義朝のように妻の縁に縋って権力の在り処を求めて擦り寄り、父に反目するようなやり口は言語道断だが。
かといって、源氏の御曹司である自分が正室として迎えるからには、一門にとってなんらかの利益をもたらす存在でなくてはならなかった。
父・為義もそのあたりのことは考えていて、かねてより、摂関家やその周辺の貴族に伝手を頼んで、しかるべき相手を探してもらってはいるようなのだが今のところ、捗々しい話もないらしい。
東国で山賊まがいの暮らしを続けていた義朝が、熱田の大宮司などという貴種の姫君をあっさりと射止め、そのうえ、衣通姫の再来とまで謳われる洛中随一の美女との呼び声も高い常盤御前まで愛妾にしていることを思えば、なんとも腹立たしい話ではある。
その時である。
「父上」
小さな鈴を振るような軽やかな声がした。
振り向くと、さらさらという衣擦れの音もさやかに一人の女房が、簀子縁をこちらに歩いてくるところだった。
「かほ!」
無邪気な歓声をあげて、3歳の天王が転がるようにそちらへ駆けてゆく。
階を這い登るようにしてあがってくる小さな御曹司を見て、女はその場に膝をつき、袖を広げて飛びついてくる天王を抱きとめた。
「鶴若さまも天王さまも。母君さまがお呼びでございますよ。夕方は風が冷とうなりますゆえ、水遊びはそれくらいにして、そろそろお戻りあそばしますようにとの仰せです」
「いやだよ」
鶴若の方は、まだ諦めきれないように網を持って、ぐるぐると池のなかを浚っている。
「そのようになされましては、ますます魚が潜ってしまうと申しておりますに」
通清が苦笑する。
「だって……」
未練げに池を覗き込む鶴若に、女房が微笑んでいった。
「大殿が左大臣さまのお邸よりご下賜になられた唐果物がおやつにございますよ。はようお戻りになられないと、乙若の兄君や亀若の兄君がみな召し上がられてしまいますわよ」
「それを早く言ってよ! すぐに戻らなきゃ」
鶴若は現金に網を放り出すと、慌てて駆け出そうとする。
「早く!佳穂!早くったら!!」
「はいはい」
袖を引かれて立ちかける女房に通清が声をかける。
「佳穂」
「はい」
振り向いて、そこで初めて頼賢の存在に気がついたらしい。
「こちらは、当家の四郎君。頼賢御曹司じゃ。ご挨拶せぬか」
言われて女は、目をきょとんと丸くして頼賢を見て、慌ててその場に手をついて平伏した。
「これはとんだ失礼を致しました」
深々と頭を下げる。
「いや、よい。ちょうど通清の大きな図体の陰に隠れて見えなかったのであろう。この通り、父ににて小男なものでな」
「いえ、そんな滅相もない」
「まったく、そなたは相変わらずぼんやりとしておるのう」
通清がおかしげに笑って言う。
「若君。こちらはわしの新しい妻で佳穂と申します。とんだ粗忽な未熟者ではありますが、なにとぞお見知りおきのほどを……」
「またそのような」
佳穂が顔をあげて困ったように通清を睨む。
「お戯れになるのもいい加減になされませ」
通清のそういう性分をよく知り抜いている頼賢は笑った。
「先ほど『父上』と呼ばれておったのを聞いておったぞ、通清」
「なんと。それはつまらぬ」
悪びれぬ風もなく肩を竦める通清に、娘が呆れたように溜息をつく。
頼賢は改めて娘の顔を見た。
(なかなか、可愛いじゃないか…)
とりたてて人目を惹く華やかな美人というわけではないのだが、白い肌に潤んだような黒目がちの瞳と、長い睫毛が、仄かな色香を隠しているようで。
今はまだ、どことなく垢抜けない素朴な感じがしているが、これであと一年ほども京の水に磨かれればいっぱしの美人として家中の若者たちを騒がせるようになるであろう。
(これが、この岩のような通清の娘で、あの正清の妹だというのだから、分からぬものだな)
頼賢の視線に気がついたのか、佳穂がふと顔をあげ、視線が合うと、ぱっと頬を染めて慌てて俯いた。
じろじろと値踏みするような目つきで見過ぎたかと気まずくなり、
「い、いや。それにしても通清にこんな年頃の娘がおったとは知らなかった。なんだ。最近、東国からあがってきたのか?」
わざと明るい声で言う。すると、通清がたちまち相好を崩した。
「はい。自慢の一人娘でございます。この父にも、あの兄にも似ずに、我が娘ながらこの通りなかなかの器量良しで。そんじょそこいらの田舎侍の女房にするのは忍びないと思い、こうして上洛させた次第で。もし、よろしければ頼賢さまの御お膝下にでも差し上げたく……」
「え?」
「いい加減になされませ!」
佳穂が真っ赤になって声をあげた。
そのまま、改めて居住まいを正して頼賢に向き直る。
「頼賢さま。ご挨拶が大変遅くなり申し訳もござりませぬ。鎌田次郎正清の妻で佳穂と申します。お初にお目通りを賜ります。今度のお節句の宴のお手伝いに上がらせて頂いております」
深々と頭を下げるのを、頼賢は虚をつかれたような面持ちで眺めていた。
「正清の?」
「はい」
佳穂はこくりと頷いた。
「年齢は、いくつになる?」
「今年で十七になります」
すでに三十に近い齢の筈の義朝と同い年の正清の、正室である妻としては随分と年若い。
そして…。
正室はいまだ迎えていないとはいえ、頼賢にも年齢相応に通いどころは幾つかある。
癪にさわることに、そのどの女よりもこの佳穂という女は、頼賢の男としての食指をそそる外見をしていた。
先ほど、通清が戯れに「御曹司に差し上げようかと……」と、言ったときは内心、身を乗り出したほどだ。
(まったく。女子の姿かたちになどろくに関心もなさそうなあの朴念仁になどもったいない。持ち腐れも良いところだ)
腹立ちまぎれにそんなことを思っているうちに。
「佳穂。何してるの、早く!早くったら!!」
鶴若に袖を引かれるようにてせがまれ、佳穂はもう一度、深々とこちらに頭を下げると、両手に鶴若と天王の手を引いて、渡殿を去っていった。
あとには頼賢と通清の二人が残された。
「どこの出だ?」
ぼそりと尋ねる。
「は?」
通清が軽く眉をあげた。
「どちらの生まれなのだと聞いておる」
「は……あの、佳穂でございますか?」
「他に誰がいる」
「尾張の国、野間内海の庄でございます」
「尾張……」
「はい。そちらの庄司にてご当家重代の家臣であります長田忠致の娘にございます」
(野間内海庄か……)
頼賢は口の中で呟いた。
確か知多の半島の先端の方であった。
伊勢の海を臨むその地に館を構え、海上の交易権を利用して富を得ている長者であるという噂は聞いたことがある。
成る程。正清はそこの娘を得たか。
悪くはない手である。
それどころか、この京と、源氏の本拠である東国を繋ぐ要所のひとつにあたる尾張の地で、財をなしている長田家と縁を結んでいることは、のちのち、鎌田の家にも少なからぬ利益をもたらすことであろう。
直情的で無思慮に見えながら、自身は皇室にも縁の深い熱田の宮の宮司の姫を娶り、その乳兄弟にも、東国と京との橋渡し的な役割を果たせる土地の有力者の娘を娶らせ、地盤固めに余念のない、兄・義朝に対して、頼賢は改めて警戒する思いを強くした。
通清は、にやにや笑って頼賢の顔を見た。
「御曹司こそ、そろそろ、身を固める意中の姫のお一人やお二人は見つけられましたか? 良い年頃の若殿ばらがご公務がお休みの折、父上のもとしか訪れる場所がないなど、ちと寂しゅうございまするぞ」
からかうように言われて頼賢は、むっとして睨み返した。
「いらぬ世話だ。通い所ぐらい幾らでもあるわ。ただ、俺は義朝の兄上とは違って、暇さえあれば女の尻ばかり追いかけて、その機嫌を伺ってばかりいるよいうな軟弱者ではないだけだ!」
「これは手厳しい」
通清は苦笑した。
頼賢は、今年で二十三になる。
定まった正室こそ、いまだ迎えていないものの、夜ごと枕をかわす相手に不自由はしていなかった。
ただ、今後のことを考えれば、正室となる女をおいそれとその辺りの市井の女や女房あがりから拾い上げてくるわけにはいかない。
兄・義朝のように妻の縁に縋って権力の在り処を求めて擦り寄り、父に反目するようなやり口は言語道断だが。
かといって、源氏の御曹司である自分が正室として迎えるからには、一門にとってなんらかの利益をもたらす存在でなくてはならなかった。
父・為義もそのあたりのことは考えていて、かねてより、摂関家やその周辺の貴族に伝手を頼んで、しかるべき相手を探してもらってはいるようなのだが今のところ、捗々しい話もないらしい。
東国で山賊まがいの暮らしを続けていた義朝が、熱田の大宮司などという貴種の姫君をあっさりと射止め、そのうえ、衣通姫の再来とまで謳われる洛中随一の美女との呼び声も高い常盤御前まで愛妾にしていることを思えば、なんとも腹立たしい話ではある。
その時である。
「父上」
小さな鈴を振るような軽やかな声がした。
振り向くと、さらさらという衣擦れの音もさやかに一人の女房が、簀子縁をこちらに歩いてくるところだった。
「かほ!」
無邪気な歓声をあげて、3歳の天王が転がるようにそちらへ駆けてゆく。
階を這い登るようにしてあがってくる小さな御曹司を見て、女はその場に膝をつき、袖を広げて飛びついてくる天王を抱きとめた。
「鶴若さまも天王さまも。母君さまがお呼びでございますよ。夕方は風が冷とうなりますゆえ、水遊びはそれくらいにして、そろそろお戻りあそばしますようにとの仰せです」
「いやだよ」
鶴若の方は、まだ諦めきれないように網を持って、ぐるぐると池のなかを浚っている。
「そのようになされましては、ますます魚が潜ってしまうと申しておりますに」
通清が苦笑する。
「だって……」
未練げに池を覗き込む鶴若に、女房が微笑んでいった。
「大殿が左大臣さまのお邸よりご下賜になられた唐果物がおやつにございますよ。はようお戻りになられないと、乙若の兄君や亀若の兄君がみな召し上がられてしまいますわよ」
「それを早く言ってよ! すぐに戻らなきゃ」
鶴若は現金に網を放り出すと、慌てて駆け出そうとする。
「早く!佳穂!早くったら!!」
「はいはい」
袖を引かれて立ちかける女房に通清が声をかける。
「佳穂」
「はい」
振り向いて、そこで初めて頼賢の存在に気がついたらしい。
「こちらは、当家の四郎君。頼賢御曹司じゃ。ご挨拶せぬか」
言われて女は、目をきょとんと丸くして頼賢を見て、慌ててその場に手をついて平伏した。
「これはとんだ失礼を致しました」
深々と頭を下げる。
「いや、よい。ちょうど通清の大きな図体の陰に隠れて見えなかったのであろう。この通り、父ににて小男なものでな」
「いえ、そんな滅相もない」
「まったく、そなたは相変わらずぼんやりとしておるのう」
通清がおかしげに笑って言う。
「若君。こちらはわしの新しい妻で佳穂と申します。とんだ粗忽な未熟者ではありますが、なにとぞお見知りおきのほどを……」
「またそのような」
佳穂が顔をあげて困ったように通清を睨む。
「お戯れになるのもいい加減になされませ」
通清のそういう性分をよく知り抜いている頼賢は笑った。
「先ほど『父上』と呼ばれておったのを聞いておったぞ、通清」
「なんと。それはつまらぬ」
悪びれぬ風もなく肩を竦める通清に、娘が呆れたように溜息をつく。
頼賢は改めて娘の顔を見た。
(なかなか、可愛いじゃないか…)
とりたてて人目を惹く華やかな美人というわけではないのだが、白い肌に潤んだような黒目がちの瞳と、長い睫毛が、仄かな色香を隠しているようで。
今はまだ、どことなく垢抜けない素朴な感じがしているが、これであと一年ほども京の水に磨かれればいっぱしの美人として家中の若者たちを騒がせるようになるであろう。
(これが、この岩のような通清の娘で、あの正清の妹だというのだから、分からぬものだな)
頼賢の視線に気がついたのか、佳穂がふと顔をあげ、視線が合うと、ぱっと頬を染めて慌てて俯いた。
じろじろと値踏みするような目つきで見過ぎたかと気まずくなり、
「い、いや。それにしても通清にこんな年頃の娘がおったとは知らなかった。なんだ。最近、東国からあがってきたのか?」
わざと明るい声で言う。すると、通清がたちまち相好を崩した。
「はい。自慢の一人娘でございます。この父にも、あの兄にも似ずに、我が娘ながらこの通りなかなかの器量良しで。そんじょそこいらの田舎侍の女房にするのは忍びないと思い、こうして上洛させた次第で。もし、よろしければ頼賢さまの御お膝下にでも差し上げたく……」
「え?」
「いい加減になされませ!」
佳穂が真っ赤になって声をあげた。
そのまま、改めて居住まいを正して頼賢に向き直る。
「頼賢さま。ご挨拶が大変遅くなり申し訳もござりませぬ。鎌田次郎正清の妻で佳穂と申します。お初にお目通りを賜ります。今度のお節句の宴のお手伝いに上がらせて頂いております」
深々と頭を下げるのを、頼賢は虚をつかれたような面持ちで眺めていた。
「正清の?」
「はい」
佳穂はこくりと頷いた。
「年齢は、いくつになる?」
「今年で十七になります」
すでに三十に近い齢の筈の義朝と同い年の正清の、正室である妻としては随分と年若い。
そして…。
正室はいまだ迎えていないとはいえ、頼賢にも年齢相応に通いどころは幾つかある。
癪にさわることに、そのどの女よりもこの佳穂という女は、頼賢の男としての食指をそそる外見をしていた。
先ほど、通清が戯れに「御曹司に差し上げようかと……」と、言ったときは内心、身を乗り出したほどだ。
(まったく。女子の姿かたちになどろくに関心もなさそうなあの朴念仁になどもったいない。持ち腐れも良いところだ)
腹立ちまぎれにそんなことを思っているうちに。
「佳穂。何してるの、早く!早くったら!!」
鶴若に袖を引かれるようにてせがまれ、佳穂はもう一度、深々とこちらに頭を下げると、両手に鶴若と天王の手を引いて、渡殿を去っていった。
あとには頼賢と通清の二人が残された。
「どこの出だ?」
ぼそりと尋ねる。
「は?」
通清が軽く眉をあげた。
「どちらの生まれなのだと聞いておる」
「は……あの、佳穂でございますか?」
「他に誰がいる」
「尾張の国、野間内海の庄でございます」
「尾張……」
「はい。そちらの庄司にてご当家重代の家臣であります長田忠致の娘にございます」
(野間内海庄か……)
頼賢は口の中で呟いた。
確か知多の半島の先端の方であった。
伊勢の海を臨むその地に館を構え、海上の交易権を利用して富を得ている長者であるという噂は聞いたことがある。
成る程。正清はそこの娘を得たか。
悪くはない手である。
それどころか、この京と、源氏の本拠である東国を繋ぐ要所のひとつにあたる尾張の地で、財をなしている長田家と縁を結んでいることは、のちのち、鎌田の家にも少なからぬ利益をもたらすことであろう。
直情的で無思慮に見えながら、自身は皇室にも縁の深い熱田の宮の宮司の姫を娶り、その乳兄弟にも、東国と京との橋渡し的な役割を果たせる土地の有力者の娘を娶らせ、地盤固めに余念のない、兄・義朝に対して、頼賢は改めて警戒する思いを強くした。
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