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第三章 確執
軋轢
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その日、私は六条堀河のお邸に参上していた。
初めは針仕事のお手伝いを、というお話だったのだけれど、お邸は今本当に人手が足りないようで、結局なんだかんだとお邸の方に上がって御用をつとめることになってしまっていた。
その日も鶴若さま、天王さまのおともで、朝から、鬼ごっこ、隠れ鬼、石蹴りなど、さんざん遊びに付きあわされ。
昼下がりの今は、若君がたがお昼寝に入られたので、ちょっと休憩をいただいて、こうして寝殿の簀子縁に腰を下ろして、義父上とお話などしているところだった。
若君がたにせがまれるまま、一緒になって邸内を駆け回っているうちは良かったのだけれど、こうして少し静かな時間が訪れると、たちまち気持ちが沈んできてしまう。
私がこちらへやって来てからはや五日。正清さまからは何のご消息もない。
もともと、私が野間の実家にいた頃でさえごくたまにしかお便りを下さらなかった方だもの。
同じ京の四条と六条に数日離れているくらいで何か言って来られるはずもないのだけれど。
それでも最後にお会いした日の顛末が顛末だっただけに、それ以来、何日もお顔を見ない日が続いていると余計なことばかり考えてしまう。
そんなに気になるのだったら、自分の方から便りを出せばいいと思うのだが、いざ筆をとろうとするとあの夜の、「そなたさえ、妻としてのつとめを……」という殿のお声が耳に甦ってきて、手が止まってしまう。
「どうした?浮かない顔をして」
義父上が尋ねられた。
「いえ、別に……」
「こうしている間にも正清がよその女子のもとへ転がり込んでおらぬかそんなに心配なのか」
「そうではありませぬ」
「なに。多少うろうろしたところで結局のところ、あやつはそなたのところへ帰って来る。そう気に病まずに大きく構えておれば良い」
「ええ」
私は唇を噛んだ。
そうなのだ。
なんだかんだ言って正清さまは私にお優しい。
義父上の仰る通り、多少あちらこちらへ行かれるくらいで、例えば義朝さまが常盤の君をよそに囲われているように公にお側女を持たれるようなことは、今後もなさらないのではないかと思う。
長田の実家への遠慮もあるとは思う。
どちらにせよ、今後も私が子供を産めないのなら、跡継ぎをもうける為には私の方からお側女を持たれることをお勧めしなければいけないのではないだろうか。
それは勿論、辛いことではあるけれど……。
けれど、このまま正清さまのお優しさに甘えてばかりいるのはやはり武家の正室として失格だと思う。
と、なれば考えようによっては今は良い機会である。
ことは御家の跡継ぎに関わること。
私が正清さまに直接お話するより、義父上に相談させていただいて、そちらからしかるべく計らっていただく方が良いのではないだろうか。
「あの、義父上……」
意を決して切り出そうとしたその時。
「ですから父上のお考えをはっきりと郎党たちの前で明らかにしていただきたいと申し上げているのです!!」
奥の間から怒鳴り声が聞こえてきた。
私と義父上は思わず顔を見合わせた。
「うるさい!わしにはわしの考えがある! 差し出た口を利くでない!!」
追って聞こえてきたのは大殿の為義さまのお声であった。
義父上が、さっと腰を浮かせた。
今、為義さまのもとへは、私も先日少しお目にかかった四郎頼賢さまがいらしているはずだった。
「その、父上なりのお考えというものを、そろそろはっきりと表沙汰にする時期に来ておると申し上げているのです!」
「うるさいと云うておろう! わしは今から左大臣さまのお邸へ行かねばならぬ。出掛けにどうしても時間をとれ、などというから何かと思えば……」
お二人のお声は言い争いながらこちらへ近づいてくる。
義父上が、さっと脇に退いて、膝をついて控えられたので私も急いでその背後に、両手を床について控えた。
やがて、妻戸が開いて為義さまのお姿が見えた。
そのすぐ後ろを頼賢さまが追って出てこられる。
「お待ちください!父上!!」
「急いでおるというておろう!」
苛立ったお声で言われる為義さまの前に回りこんで、頼賢さまが行く手を遮るように立ち塞がられる。
「お逃げになられるのですか!?」
「逃げるじゃと」
為義さまのお顔にさっと朱がのぼられる。
「もう一度申してみよ!」
頼賢さまは、怯まずにまっすぐに父君を見返して言われた。
「何度でも申し上げます。父上は逃げておられる。武家として決して揺るがせには出来ない跡継ぎの問題から! 父上とても、もうとっくにお分かりになっておられるはずだ! 義朝の兄上が、ご自身の道を曲げ、我らのもとへと歩み寄ってこられる日など、決してこないことを!!」
「頼賢さま!」
義父上がたまりかねたように、お二人の間に割って入られる。
「もう、およしなさいませ!」
頼賢さまはそれに構わず叫ぶようにして続けられた。
「そうであるならば、我らももう覚悟を決めるべき時だ! 義朝の兄上は父親であり、当家の棟梁である父上のご意志に逆らう不忠不孝の者である、と! そのようなものが源家の後嗣、次代の棟梁としてたつことなど金輪際ありえないのだと! 次の棟梁は、次兄である義賢の兄上であると! 皆々もそのつもりでおるように、と! はっきり父上の口から家中の者たちに言い渡していただきたい!! 必ずそうすると! 『父上なりのお考え』とはそういうことであると! この場でご約定をいただけるまでは頼賢はここを動きませぬ!!」
火を吹くような熱情に満ちた訴えに為義さまもさすがに気を呑まれたように、声もなく、四男の君のお顔をみつめられた。
「頼賢さま、そのような重大事を今この場ですぐにご決断なされよとはあまりに……」
義父上が、なだめるようにお腕にかけられた手を、頼賢さまは荒々しく振り払われた。
「この場で決断せよ…だと? 今、この時にその決断がすでに為されていないと考えること事態が異なことだ。父上のご胸中はすでにお決まりのはずだ! いや。義朝の兄上の最近の御所業を見る限り、それ以外の決断などありえない事ではないか。それとも何か? 通清。そなたにはそれに不服があると申すか?」
「何を仰せになります」
ぎらぎらと光るお目で睨みつけられて、義父上はすっと表情を改められた。
「そなたの息子、正清は義朝の兄上の乳兄弟であったな。もし、義朝の兄上が次代の源氏の棟梁になることがあらば、その一番の側近として家中でも有数の発言力をもつことは間違いない。今のそなたがそうであるように、だ」
「何が仰りたいのです」
義父上のお声はいつになく静かで。
それだけに心がすっと冷えるような迫力があった。
頼賢さまは吐き捨てるように言われた。
「義朝の兄上が棟梁の座についてくれた方が、そなたと鎌田の家には何かと都合が良いのであろうということだ! いくら表面上は反目してみせていても、所詮は乳父と養い君の仲。義朝の兄上もそなたのことを疎かには扱うまい! 案外、裏では義朝の兄上ともよろしく連絡を取り合っておるのではないか! こんな時勢になってまで、正清の妻がのうのうと我が邸に出入りしておるのが良い証拠だ!!」
突然、視線を向けられて私がびくっと身を縮めたその時。
「頼賢!」
決して大きくはない。
けれど、鞭のように鋭いお声が飛んだ。
鈍い音がして、次の瞬間、頼賢の君はその場に膝をつかれていた。
それまで黙ってお二人のやりとりを聞いておられた為義さまが、静かに一歩踏み出されたかと思うと、いきなり頼賢さまを殴りつけられたのだ。
「通清に対する侮辱は、この父に対する侮辱と同様と心得よ! これが、そのような人間ではないことは、そなたとてよく知っておるはずだ!」
「殿……」
義父上が目を瞠られる。
「たとえ、すべての郎党、家臣たちがわしに愛想をつかして義朝のもとへと走ることがあったとしても、最後の一人になってもわしの側に残ってくれるのがこの通清ぞ。わしはそれをただの一瞬たりとも、かけらも疑ったことなどない。私心を捨て、親子の情愛よりも忠義を優先させて、陰日なたなく仕えてくれておる重代の郎党の真心の見極めすら出来ぬとは、情けない」
為義さまのお言葉に、頼賢さまが跪いたまま顔を歪ませる。
「この話はもうしまいだ。半人前の分際で小賢しい口を叩く暇があったら、鍛錬に精を出せ!」
そう言って、為義さまは頼賢さまの脇をすり抜けて、歩み去ってゆかれてしまった。
「殿!お待ち下さい。殿!」
義父上もすぐさまあとを追ってゆかれる。
あとには頼賢さまと、その場で為す術もなく座り込んでいた私だけが残された
初めは針仕事のお手伝いを、というお話だったのだけれど、お邸は今本当に人手が足りないようで、結局なんだかんだとお邸の方に上がって御用をつとめることになってしまっていた。
その日も鶴若さま、天王さまのおともで、朝から、鬼ごっこ、隠れ鬼、石蹴りなど、さんざん遊びに付きあわされ。
昼下がりの今は、若君がたがお昼寝に入られたので、ちょっと休憩をいただいて、こうして寝殿の簀子縁に腰を下ろして、義父上とお話などしているところだった。
若君がたにせがまれるまま、一緒になって邸内を駆け回っているうちは良かったのだけれど、こうして少し静かな時間が訪れると、たちまち気持ちが沈んできてしまう。
私がこちらへやって来てからはや五日。正清さまからは何のご消息もない。
もともと、私が野間の実家にいた頃でさえごくたまにしかお便りを下さらなかった方だもの。
同じ京の四条と六条に数日離れているくらいで何か言って来られるはずもないのだけれど。
それでも最後にお会いした日の顛末が顛末だっただけに、それ以来、何日もお顔を見ない日が続いていると余計なことばかり考えてしまう。
そんなに気になるのだったら、自分の方から便りを出せばいいと思うのだが、いざ筆をとろうとするとあの夜の、「そなたさえ、妻としてのつとめを……」という殿のお声が耳に甦ってきて、手が止まってしまう。
「どうした?浮かない顔をして」
義父上が尋ねられた。
「いえ、別に……」
「こうしている間にも正清がよその女子のもとへ転がり込んでおらぬかそんなに心配なのか」
「そうではありませぬ」
「なに。多少うろうろしたところで結局のところ、あやつはそなたのところへ帰って来る。そう気に病まずに大きく構えておれば良い」
「ええ」
私は唇を噛んだ。
そうなのだ。
なんだかんだ言って正清さまは私にお優しい。
義父上の仰る通り、多少あちらこちらへ行かれるくらいで、例えば義朝さまが常盤の君をよそに囲われているように公にお側女を持たれるようなことは、今後もなさらないのではないかと思う。
長田の実家への遠慮もあるとは思う。
どちらにせよ、今後も私が子供を産めないのなら、跡継ぎをもうける為には私の方からお側女を持たれることをお勧めしなければいけないのではないだろうか。
それは勿論、辛いことではあるけれど……。
けれど、このまま正清さまのお優しさに甘えてばかりいるのはやはり武家の正室として失格だと思う。
と、なれば考えようによっては今は良い機会である。
ことは御家の跡継ぎに関わること。
私が正清さまに直接お話するより、義父上に相談させていただいて、そちらからしかるべく計らっていただく方が良いのではないだろうか。
「あの、義父上……」
意を決して切り出そうとしたその時。
「ですから父上のお考えをはっきりと郎党たちの前で明らかにしていただきたいと申し上げているのです!!」
奥の間から怒鳴り声が聞こえてきた。
私と義父上は思わず顔を見合わせた。
「うるさい!わしにはわしの考えがある! 差し出た口を利くでない!!」
追って聞こえてきたのは大殿の為義さまのお声であった。
義父上が、さっと腰を浮かせた。
今、為義さまのもとへは、私も先日少しお目にかかった四郎頼賢さまがいらしているはずだった。
「その、父上なりのお考えというものを、そろそろはっきりと表沙汰にする時期に来ておると申し上げているのです!」
「うるさいと云うておろう! わしは今から左大臣さまのお邸へ行かねばならぬ。出掛けにどうしても時間をとれ、などというから何かと思えば……」
お二人のお声は言い争いながらこちらへ近づいてくる。
義父上が、さっと脇に退いて、膝をついて控えられたので私も急いでその背後に、両手を床について控えた。
やがて、妻戸が開いて為義さまのお姿が見えた。
そのすぐ後ろを頼賢さまが追って出てこられる。
「お待ちください!父上!!」
「急いでおるというておろう!」
苛立ったお声で言われる為義さまの前に回りこんで、頼賢さまが行く手を遮るように立ち塞がられる。
「お逃げになられるのですか!?」
「逃げるじゃと」
為義さまのお顔にさっと朱がのぼられる。
「もう一度申してみよ!」
頼賢さまは、怯まずにまっすぐに父君を見返して言われた。
「何度でも申し上げます。父上は逃げておられる。武家として決して揺るがせには出来ない跡継ぎの問題から! 父上とても、もうとっくにお分かりになっておられるはずだ! 義朝の兄上が、ご自身の道を曲げ、我らのもとへと歩み寄ってこられる日など、決してこないことを!!」
「頼賢さま!」
義父上がたまりかねたように、お二人の間に割って入られる。
「もう、およしなさいませ!」
頼賢さまはそれに構わず叫ぶようにして続けられた。
「そうであるならば、我らももう覚悟を決めるべき時だ! 義朝の兄上は父親であり、当家の棟梁である父上のご意志に逆らう不忠不孝の者である、と! そのようなものが源家の後嗣、次代の棟梁としてたつことなど金輪際ありえないのだと! 次の棟梁は、次兄である義賢の兄上であると! 皆々もそのつもりでおるように、と! はっきり父上の口から家中の者たちに言い渡していただきたい!! 必ずそうすると! 『父上なりのお考え』とはそういうことであると! この場でご約定をいただけるまでは頼賢はここを動きませぬ!!」
火を吹くような熱情に満ちた訴えに為義さまもさすがに気を呑まれたように、声もなく、四男の君のお顔をみつめられた。
「頼賢さま、そのような重大事を今この場ですぐにご決断なされよとはあまりに……」
義父上が、なだめるようにお腕にかけられた手を、頼賢さまは荒々しく振り払われた。
「この場で決断せよ…だと? 今、この時にその決断がすでに為されていないと考えること事態が異なことだ。父上のご胸中はすでにお決まりのはずだ! いや。義朝の兄上の最近の御所業を見る限り、それ以外の決断などありえない事ではないか。それとも何か? 通清。そなたにはそれに不服があると申すか?」
「何を仰せになります」
ぎらぎらと光るお目で睨みつけられて、義父上はすっと表情を改められた。
「そなたの息子、正清は義朝の兄上の乳兄弟であったな。もし、義朝の兄上が次代の源氏の棟梁になることがあらば、その一番の側近として家中でも有数の発言力をもつことは間違いない。今のそなたがそうであるように、だ」
「何が仰りたいのです」
義父上のお声はいつになく静かで。
それだけに心がすっと冷えるような迫力があった。
頼賢さまは吐き捨てるように言われた。
「義朝の兄上が棟梁の座についてくれた方が、そなたと鎌田の家には何かと都合が良いのであろうということだ! いくら表面上は反目してみせていても、所詮は乳父と養い君の仲。義朝の兄上もそなたのことを疎かには扱うまい! 案外、裏では義朝の兄上ともよろしく連絡を取り合っておるのではないか! こんな時勢になってまで、正清の妻がのうのうと我が邸に出入りしておるのが良い証拠だ!!」
突然、視線を向けられて私がびくっと身を縮めたその時。
「頼賢!」
決して大きくはない。
けれど、鞭のように鋭いお声が飛んだ。
鈍い音がして、次の瞬間、頼賢の君はその場に膝をつかれていた。
それまで黙ってお二人のやりとりを聞いておられた為義さまが、静かに一歩踏み出されたかと思うと、いきなり頼賢さまを殴りつけられたのだ。
「通清に対する侮辱は、この父に対する侮辱と同様と心得よ! これが、そのような人間ではないことは、そなたとてよく知っておるはずだ!」
「殿……」
義父上が目を瞠られる。
「たとえ、すべての郎党、家臣たちがわしに愛想をつかして義朝のもとへと走ることがあったとしても、最後の一人になってもわしの側に残ってくれるのがこの通清ぞ。わしはそれをただの一瞬たりとも、かけらも疑ったことなどない。私心を捨て、親子の情愛よりも忠義を優先させて、陰日なたなく仕えてくれておる重代の郎党の真心の見極めすら出来ぬとは、情けない」
為義さまのお言葉に、頼賢さまが跪いたまま顔を歪ませる。
「この話はもうしまいだ。半人前の分際で小賢しい口を叩く暇があったら、鍛錬に精を出せ!」
そう言って、為義さまは頼賢さまの脇をすり抜けて、歩み去ってゆかれてしまった。
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