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第一章 初恋は婚約破棄から
1.それは婚約破棄から始まった
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「今、なんと仰いました?」
クレヴィング公爵家の令嬢、アマーリアは大きく目をみはって婚約者である王太子アドリアンに問い返した。
「だから今言った通りだ。私はそなたとの婚約を本日をもって解消する!」
広間にざわめきが広がった。
場所は王宮の西側にある琥珀宮。非公式のパーティーや若い貴族たちの社交の場として主に使われているそこでは、今夜はバランド公爵家の子息クレイグとエイベル公爵家の令嬢アンジェリカ嬢との婚約披露のパーティーが華々しく開かれていた……のだったが。
出席者たちの視線は今は主役の二人を通り越して、突然、高らかに婚約破棄をつきつけたアドリアンと、突き付けられた側のアマーリアに集中していた。
アマーリアは、信じられないといったようにゆっくりと首を振った。
「月の光を集めたようだ」と称えられる淡い金色の髪がふわりと揺れて頬にかかる。
「理由はそなたが一番よく知っているだろう。自分がマリエッタにしたことをよく思い出してみるがいい」
そう言って振り返ったアドリアンの視線の先には、栗色の髪をした小柄な令嬢がおどおどと、今にも泣きだしそうな顔で立っている。
「殿下……私なら良いのです。こんな場所で、やめて差し上げて」
「君は黙っていろ。ここは私が話をつける」
マリエッタと呼ばれた令嬢に優しく微笑みかけたアドリアンは、アマーリアに向き直ると一転して憎々しげに彼女を睨みつけた。
「そなたがマリエッタに対して行った嫌がらせ……と呼ぶにはあまりにも悪質な悪行の数々についてはすべて報告を受けている。それでも、最初は私のことを想うゆえの嫉妬がさせたことと大目に見ようとしてきたが、先日そなたがマリエッタに対して投げかけた言葉を聞いて我慢の限界を超えた! もう金輪際……」
広間じゅうの人々がいっせいに息をのんだ。
当のアマーリア嬢が両手で口をおさえ、その場に屈みこんだからだ
肩が小刻みに震えている。
泣いている、と誰もが思った。
ほっそりとして華奢なその姿は痛々しく、見ている者は誰もが同情した。
ただ一人、アドリアン王太子を除いては。
アドリアンは勝ち誇ったようにアマーリアに指をつきつけた。
「泣いても無駄だ! おまえのような悪女にかける情けはすでに尽きた。本来ならば公に罪に問うても良いところを公爵令嬢だというそなたの立場を慮って、こうして内々に婚約を破棄するにとどめた私の恩情に感謝……」
「……いたします」
「ん、何だ?」
「感謝いたしますわ!」
アマーリアがぱっと顔を上げて立ち上がった。
泣いているとばかり思われたその顔は、これ以上ないほどの笑顔だった。
「殿下。今仰られたことは本当ですのね。私たちの婚約は破棄だと」
「あ、ああ」
「本当ですわね? 王太子殿下ともあろう御方に二言はありませんわねっ」
きらきらと輝いた目で詰め寄られ、たじろぐアドリアン。
だが、呆気にとられている周囲の目。
すがりつくようなマリエッタ嬢の視線にぶつかった瞬間、我に返った。
「しつこいぞ! 何度も言わせるな。そなたとの婚約は破棄だ! 金輪際、私とマリエッタに近づくな」
「ありがとうございます! ああ、殿下はやっぱりお優しいわ。先日、お会いしたい時に近々驚かせたいことがあると仰っていたのはこのことでしたのね?」
「ああ……そうだが……。その、アマーリア。そなた本当に分かっているのか?」
「ええ、もちろんですわ。殿下の御恩情は胸に刻み、未来永劫忘れませんわ」
アマーリアは両手を祈るように組み合わせて喜びに輝く瞳でアドリアンを見上げた。
「ああ。こうしてはいられませんわ。せっかく殿下にいただいた千載一遇の機会ですもの。勇気を出さなくちゃ」
アマーリアはドレスの裾をつまみ、まわりが見惚れるほどに優雅な仕草でアドリアンに一礼してから、くるりとあたりを見回した。
視線が広間の隅で、友人たちと成り行きを見守っているらしい、一人の青年貴族の上で止まる。
「クルーガーさま!」
アマーリアは、駆け寄ってくる自分を驚きの表情でみている彼の前で立ち止まると、とびきりの笑顔を浮かべて言った。
「ラルフ・クルーガーさま。お慕いしています。私と結婚を前提にお付き合いして下さい……っ」
頬を染めて、ぺこりとお辞儀しながら言い切ったアマーリアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、広間は
「ええええっ」
というまわりの驚きの声で埋め尽くされた。
一番、大きな声で驚いていたのは、他ならぬ王太子アドリアンだった。
クレヴィング公爵家の令嬢、アマーリアは大きく目をみはって婚約者である王太子アドリアンに問い返した。
「だから今言った通りだ。私はそなたとの婚約を本日をもって解消する!」
広間にざわめきが広がった。
場所は王宮の西側にある琥珀宮。非公式のパーティーや若い貴族たちの社交の場として主に使われているそこでは、今夜はバランド公爵家の子息クレイグとエイベル公爵家の令嬢アンジェリカ嬢との婚約披露のパーティーが華々しく開かれていた……のだったが。
出席者たちの視線は今は主役の二人を通り越して、突然、高らかに婚約破棄をつきつけたアドリアンと、突き付けられた側のアマーリアに集中していた。
アマーリアは、信じられないといったようにゆっくりと首を振った。
「月の光を集めたようだ」と称えられる淡い金色の髪がふわりと揺れて頬にかかる。
「理由はそなたが一番よく知っているだろう。自分がマリエッタにしたことをよく思い出してみるがいい」
そう言って振り返ったアドリアンの視線の先には、栗色の髪をした小柄な令嬢がおどおどと、今にも泣きだしそうな顔で立っている。
「殿下……私なら良いのです。こんな場所で、やめて差し上げて」
「君は黙っていろ。ここは私が話をつける」
マリエッタと呼ばれた令嬢に優しく微笑みかけたアドリアンは、アマーリアに向き直ると一転して憎々しげに彼女を睨みつけた。
「そなたがマリエッタに対して行った嫌がらせ……と呼ぶにはあまりにも悪質な悪行の数々についてはすべて報告を受けている。それでも、最初は私のことを想うゆえの嫉妬がさせたことと大目に見ようとしてきたが、先日そなたがマリエッタに対して投げかけた言葉を聞いて我慢の限界を超えた! もう金輪際……」
広間じゅうの人々がいっせいに息をのんだ。
当のアマーリア嬢が両手で口をおさえ、その場に屈みこんだからだ
肩が小刻みに震えている。
泣いている、と誰もが思った。
ほっそりとして華奢なその姿は痛々しく、見ている者は誰もが同情した。
ただ一人、アドリアン王太子を除いては。
アドリアンは勝ち誇ったようにアマーリアに指をつきつけた。
「泣いても無駄だ! おまえのような悪女にかける情けはすでに尽きた。本来ならば公に罪に問うても良いところを公爵令嬢だというそなたの立場を慮って、こうして内々に婚約を破棄するにとどめた私の恩情に感謝……」
「……いたします」
「ん、何だ?」
「感謝いたしますわ!」
アマーリアがぱっと顔を上げて立ち上がった。
泣いているとばかり思われたその顔は、これ以上ないほどの笑顔だった。
「殿下。今仰られたことは本当ですのね。私たちの婚約は破棄だと」
「あ、ああ」
「本当ですわね? 王太子殿下ともあろう御方に二言はありませんわねっ」
きらきらと輝いた目で詰め寄られ、たじろぐアドリアン。
だが、呆気にとられている周囲の目。
すがりつくようなマリエッタ嬢の視線にぶつかった瞬間、我に返った。
「しつこいぞ! 何度も言わせるな。そなたとの婚約は破棄だ! 金輪際、私とマリエッタに近づくな」
「ありがとうございます! ああ、殿下はやっぱりお優しいわ。先日、お会いしたい時に近々驚かせたいことがあると仰っていたのはこのことでしたのね?」
「ああ……そうだが……。その、アマーリア。そなた本当に分かっているのか?」
「ええ、もちろんですわ。殿下の御恩情は胸に刻み、未来永劫忘れませんわ」
アマーリアは両手を祈るように組み合わせて喜びに輝く瞳でアドリアンを見上げた。
「ああ。こうしてはいられませんわ。せっかく殿下にいただいた千載一遇の機会ですもの。勇気を出さなくちゃ」
アマーリアはドレスの裾をつまみ、まわりが見惚れるほどに優雅な仕草でアドリアンに一礼してから、くるりとあたりを見回した。
視線が広間の隅で、友人たちと成り行きを見守っているらしい、一人の青年貴族の上で止まる。
「クルーガーさま!」
アマーリアは、駆け寄ってくる自分を驚きの表情でみている彼の前で立ち止まると、とびきりの笑顔を浮かべて言った。
「ラルフ・クルーガーさま。お慕いしています。私と結婚を前提にお付き合いして下さい……っ」
頬を染めて、ぺこりとお辞儀しながら言い切ったアマーリアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、広間は
「ええええっ」
というまわりの驚きの声で埋め尽くされた。
一番、大きな声で驚いていたのは、他ならぬ王太子アドリアンだった。
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