七星姫は後宮で輝く~凶星と疎まれた少女は皇帝陛下に溺愛される~

橘 ゆず

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6.情欲の罠

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 屋台で、珍しい焼き菓子と可愛らしい鳥の形の置物をみつけた藍珠は翠蓮のためにそれを買った。

 東風ドンフォンは、自分で申し出た通り荷物を持ってくれたが、屋台を覗いているときや人ごみを歩くときに、やたらと藍珠の手や肩に触れて、ぴったりと体を寄せてくるのには閉口した。

「あの……」
 と抗議しかけると、
「なんだよ。おまえみたいな田舎者、この人ごみじゃ、こうしてないとはぐれちまうだろ」
 と言われてそれ以上何も言えなくなった。

 持てないほどの荷物ではないし、藍珠としてはいっそはぐれてくれた方が気楽なぐらいだったが親切心で言ってくれているのをむげに断るのも申し訳ない。

 実際、体格のいい東風と歩いているとまわりの方が避けてくれるので、人にぶつかられることもなく歩きやすいことは確かだった。

 東風は、何度か皇都に来たことがあるらしく、勝手知ったる足取りで悠々と歩いていく。

「ほら、こっち」
 なかば無理矢理に手をつながれて歩くうち、いつの間にか屋台の並ぶ場所から外れて人気のないところに来てしまっていた。

「ねえ、宿舎への道はこっちじゃないんじゃない?」

 声をかけたが東風はかまわず歩いていく。
 ついには倉庫みたいな建物がならぶ、うら寂しい場所に来てしまった。

(何よ。人を田舎者扱いしておいて、自分だって道に迷ってるんじゃない)

 腹立たしく思いながら、
「ねえ、戻りましょう。私早く帰らないと」
 と踵を返しかけた途端、いきなり東風が抱きついてきた。

「ちょっと、何するのっ?」
 ふりほどこうとするが、抱きしめる腕の力は強くてびくともしない。

「ちょっと、東風……っ」
「暴れるなって。まあ、ちょっとこっちへ来いよ」

 そう言って引きずるように狭い路地に連れ込まれる。

「やっと二人っきりになれたな。ずっとこの時を待ってたんだ」
 東風は藍珠を抱きしめたまま言った。

「何言ってるの? 冗談はやめてよ」

「冗談なもんか。俺はずっとおまえを狙ってたんだ。集落にいる時は涼雲の野郎がぴったりくっついてるから手が出せなかったけど、ここなら邪魔は入らないもんな」

(狙ってたって……)
 まるで、狩りの獲物の話でもするような言い方に、藍珠はぞっと鳥肌立った。

「離して。触らないでよ」
「なんだよ。つれないじゃないか。俺だって涼雲と同じ幼馴染だろう。あいつにばっかり媚売りやがって。もう接吻キスはしたのかよ」

「いやらしいこと言わないで! 何よ、あなたなんて、ずっと私のこと不吉な凶星だって言って苛めてたじゃない。今頃、何言ってるのよ。私なんかに触ったら不吉なんじゃなかったの!?」

「あっちではそう言わないと玲氏さまやその取り巻きの婆連中がうるさいだろ。若い男どもは誰もそんなもの気にしちゃいない。おまえのこの、絹糸みたいな黒髪や、黒曜石みたいな目、すべすべの白い肌のことしか頭にないやつばっかりさ。実際、翠蓮さまは可愛らしいことは可愛らしいけど、女としてはおまえの方がずっと美味そうだもんな」

 言いながら東風は、片腕で藍珠の細い腰を抱えこんで身動きを封じ、もう片方の手で忙しく藍珠のからだをまさぐってくる。

 耳元に熱い息がかかり、ぞっとした藍珠は渾身の力で東風の腕のなかから抜け出した。

「いやっ! 触らないで、汚らわしい!」

「なんだよ。ご令嬢みたいなことを言うじゃないか。淫婦の娘のくせに。おまえの母親が色気で首長を誑かしたのは皆が知ってるぜ」

「母さまはそんなんじゃない! 誇り高いラン族の首長の娘だったのよ。侮辱したら許さない!」
「別に侮辱してやしないさ。むしろ褒めてるんだ。玲氏さまを死ぬほど怖がってる首長が、我慢できずに手を出して、ほんの一時とはいえ夢中になったなんて、いったい、おまえの母親はどれだけ『いい』んだろうなってな。部族の男たちは皆、言ってるよ」
「何を……」

 東風の言葉のなかにある淫靡な響きを感じ取って藍珠は後ずさった。
 東風の目は、ぎらぎらと暗い光を放ち舐めまわすように藍珠の全身を見ている。

(いやだ。怖い、気持ち悪い……)

 東風の視線がさらに熱を帯びたのを感じた藍珠は、視線を落とし小さく悲鳴を上げた。
 帯がゆるみ、胸元のあわせがはだけかかっている。

 そこからわずかに白い肌が覗いているのに気づいて藍珠は慌てて胸元を掻き合わせた。

「隠すなよ。もっと見せてみろ。その真っ白い肌で、俺を誘ってみろよ。おまえの母親がそうしたみたいに。誑かして夢中にさせてみろ。そうしたら、死ぬほど可愛がってやるよ」

 東風は、にやにやと笑って言った。
 藍珠を腕の中から逃しても慌てる風もない。

 その時になって藍珠は気がついた。
 こんな人気のない場所では、泣いても叫んでも誰にも聞こえない。

 東風はそれが分かっているから、こんなに余裕ぶっているのだ。
 どんなに泣いても足掻いても、もう藍珠は自分のものだと分かっているから。

(そんなの絶対に嫌!!)

 地面に張り付いたように竦んでいた足を引きはがすようにして、藍珠は東風に背を向けて走り出した。

 それが引き金になったように東風のなかで燻ぶっていた情欲に火がついた。
 
 懸命に逃げる藍珠にやすやすと追いつくと、その華奢な体に背後から飛びかかり押し倒す。

「いやっ、やめて、離して! 助けて、涼雲!!」

 泣きながら恋人の名前を呼ぶ声を聞いた瞬間、全身の血がカッと燃え上がるような高揚感と、征服感が込み上げてきた。

「いくら叫んでも涼雲はここにはいねえよ。観念して俺のものになりな」

「いや! いやよ! 助けて! 誰か助けて!!」

 東風の大きな手が全身をまさぐり、引きちぎるように帯を解こうとする。

 藍珠は夢中で、自分の胸に顔を埋めてくる東風の耳をつかみ、力まかせに引っ張った。

「痛っ!」
 一瞬、ひるんだ隙に体を捻り、おぞましい腕のなかから抜け出す。


「おい、こら待て!」

 背後から追いかけてくる声に、振り向く余裕もなく転がるように駆けだし、路地を曲がった藍珠は次の瞬間、何かにぶつかり、その場に転がった。

(痛……何?)

 痛みをこらえながら顔をあげた藍珠の目に飛び込んできたのは、驚いたような顔でこちらを見下ろしている鮮やかな紺青色の長衣を着た青年の姿だった。
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