酸いも甘いも噛み分けて

篠原 皐月

文字の大きさ
上 下
67 / 225
第3章 陰謀の余波

(2)広がる疑惑ととばっちり

しおりを挟む
 薫が持ち込んだ話のせいで、悶々と悩む事数日。
 沙織は偶然再会した大学時代の友人と、イタリアンレストランで夕食を共にしていた。

「本当に久しぶりね。須藤君と顔を合わせるのは卒業以来?」
「そうだな。まさか商談先で関本と出くわすとは思ってもいなかったぞ。それにしても、このタイミングで会えるとはラッキーだった」
 その台詞を聞いた沙織は、不思議そうに首を傾げた。

「再会するのに、何か時期が関係あるの?」
「実は俺、もうすぐ結婚するんだ」
「あら、おめでとう。良かったらご祝儀代わりに、ここの支払いは奢る?」
「こら。別に結婚間近だから、奢って貰おうと思ったわけじゃないぞ? ここの支払いは割り勘だ」
「それじゃあ、どういう事?」
 益々訳が分からなくなった沙織に、須藤が笑いながら答える。

「そりゃあ、結婚してから仕事上の付き合いもない女と会って飲んだりしたら、俺の結婚相手が面白く無いだろう? 俺も気を遣うし」
「そんな物かしら? 須藤君とは本当に同級生ってだけなんだけど」
「俺だってそうだが、そんな事は彼女には分からないだろう?」
「それはそうかもしれないけど……。須藤君って思ったより真面目なのね」
「何だよ、思ったよりって」
 そう軽口を叩きながら食べ進めた相手に、沙織はちょっと考えてから問いを発した。

「……ちょっと変な事を気いても良い?」
「何だ?」
「例えば須藤君が、上司の奥さんと不倫関係になったとするわよね?」
「……は?」
 いきなり予想外、かつ不穏な仮定話を持ち出されて、須藤は動揺のあまりナイフを派手に滑らせ、皿が耳障りな音を立てた。しかしそんな彼には構わず、沙織は淡々と話を続ける。

「それで一人で盛り上がっていたら、実はその奥さんが他の男ともデキてて、そっちと駆け落ちしちゃったとするわよ?」
「お、おい……、関本?」
「そのまま何年も音信不通だったと思ったら、いつの間にか病に倒れた上司の所に奥さんが戻って来ていたのが分かったの。その場合須藤君は、その奥さんとよりを戻そうと思う?」
 大真面目に意見を求めた沙織だったが、須藤は両手からナイフとフォークを離し、血相を変えて問い質してきた。

「ちょっと待て、関本。何だそのあまりにも荒唐無稽過ぎて、逆に具体例を挙げているようにしか聞こえない、物騒極まりないシチュエーションは? お前まさか保険金殺人とかに、巻き込まれているんじゃないだろうな!?」
 それを聞いて、今度は沙織が目を丸くした。

「え? 保険金殺人? どうしてそんな物騒な話になるの?」
「だって、あり得ないだろう!? 自分をコケにした上に、あっさり捨てた女だぞ? 相当良い女だって、余程の理由が無ければ近付かないだろうが。だからその女と組んで病気の夫に保険金をかけた上で、病死に見せかけて殺して、保険金を手に入れる算段じゃないのか?」
 真剣にそう訴えられて、沙織は思わず反射的に答えてしまった。

「その可能性は無いんじゃない? その人、別にお金に困って無いし」
「やっぱり実話なのか!?」
「あ、いや、そうじゃなくて……、本当にたとえ話だから。何にも巻き込まれたりしてないって。変な事を言って悪かったわ」
 慌てて誤魔化しつつ謝った沙織だったが、須藤はまだ納得しかねる顔付きで念を押してくる。

「本当に、本当に大丈夫なんだろうな!?」
「勿論よ。驚かせてごめん。やっぱりここの支払いは、私がするから。結婚したら今までのように、自由にお金を使えないでしょうしね」
「嫌な事を思い出させるなよ……」
「ほら、気持ち良く飲んで帰りなさいって! さっさとグラス出して!」
 さり気なく既婚男性の懐事情を口にしてみると、須藤もそれは懸念していたらしくがっくりと項垂れた。それに苦笑しながら沙織がワインのボトルを持ち上げつつ、明るく声をかける。それで気を取り直したのか、須藤が苦笑いしながらワイングラスを持ち上げ、沙織に向かって差し出した。

「分かった。就職してからどれだけ酒が飲めるようになったのか、証明してやろうじゃないか。サークルの飲み会で酒を強要させられた時、飲めない俺の分まで飲んで先輩三人を返り討ちにした、あの時のお前の男ぶりにはマジで惚れた。本当に懐かしいぞ」
「……同じ事を桐島君と安達君にも言われたわ。お願いだから、あまり思い出させないで」
 今度は沙織が項垂れ、須藤が楽し気に笑い声を上げた。

(やっぱり課長が例の女に接近してるのって、何か思惑がありそうよね。さて、どうしたものかしら? やっぱり下手に騒ぐと、それを邪魔しかねないし)
 何とか話を逸らして誤魔化す事に成功し、友人と昔話に花を咲かせて楽しくひと時を過ごしながらも、沙織は困惑しながら密かに考えを巡らせていた。
 しかし動揺していたのは沙織一人ではなく、偶々友之を誘って同じ店で食事をしていた正彦は、向かい側に座っている従兄弟が、先程から表情を消して黙々と食べ進めているのを見て、生きた心地がしていなかった。

「ええと……、友之? 一応確認させて貰うが、あれって、お前の部下だよな?」
「……ああ」
 離れたテーブルで、須藤と一緒に良い雰囲気で食べている沙織を目線で示しながら正彦が問いかけると、友之が素っ気なく答える。その声の低さにひやりとしながらも、正彦は問いを重ねた。

「確か以前に見かけた時、部下には女性が一人しかいないって言っていて、少し前に修から、『友之さんが店に、部下の女性を連れてきた』とか言っていたんだが……」
「……そうだな。それが?」
 自分と視線を合わせないまま告げてきた友之に、正彦は本気で頭を下げた。

「すまん。よりによって今日、この店に連れて来て。気分悪いよな? 彼女が他の男と、仲良さげに食事をしていたら」
「別に、彼女じゃないから。今は付き合っていないし」
「……え?」
 淡々と告げられた内容を耳にした正彦は絶句してから、いつの間にか友之の眉間にシワがくっきりと刻まれているのを認めて、再び勢い良く頭を下げた。

「本当に、二重の意味ですまん!」
「だから……、お前が謝る筋合いはない」
 もう外面を取り繕う気も無くした友之は、それ以降は仏頂面のまま無言で食べ続けた。


「おはようございます、関本先輩! 須藤さんとの食事はどうでしたか?」
 翌朝、出社するなり佐々木が元気よく尋ねてきた為、沙織は笑顔で返した。

「おはよう、佐々木君。昨日は懐かしい話で、随分盛り上がったわ」
「そうですか。でも取引先で偶然出くわすなんて、運命ですよね!? 俺もその場に出くわして、驚きましたけど」
「おい、佐々木。一体何の話だ?」
 二人が声高に話していると、周りから不思議そうに尋ねられた為、佐々木が笑顔のまま説明した。

「少し前に商談先で、先輩の同級生の方と遭遇しまして。卒業以来音信不通だったそうですが、連絡先を交換したんですよ」
「へえ? 案外、在学中に付き合ってた男とか?」
「違いますよ。確かに、かなりつるんでいた相手ですが」
 茶化すように口を挟んできた同僚に、沙織が笑って手を振る。しかしハイテンションの佐々木は、上機嫌に話を続けた。

「でも田崎技工にお勤めですし、真面目そうな方ですよね! ああいう人だったら安心できるし、もうこの際、須藤さんとお付き合いしてみても良いんじゃありませんか!?」
「だから佐々木君。須藤君は」
 そこで「もうじき結婚予定だから」と続けようとした沙織の台詞を、友之の怒声が遮った。

「佐々木! まだ就業時間前だが、今日まで提出期限を遅らせた販売計画書はできているのか? 完成しているなら、さっさと持って来い!」
「はっ、はいっ! 今お持ちします!」
 瞬時に顔色を変え、慌ただしく作っておいた資料を手にして課長席に向かった佐々木を見送りながら、先程常には見せない剣幕で怒鳴った友之について、同僚達が囁き合った。

「……何だ? 課長、朝から機嫌が悪くないか?」
「年度末で決算日も控えてるし、色々揃える書類が多くて大変なんだろう?」
「来期の事業計画とかで、上から何か言われている可能性もあるしな」
「業務が落ち着くまで、あまり課長を怒らせないようにしようぜ?」
「そうですね」
 そう結論付けた彼らは、些か釈然としないものを抱えながらもおとなしくそれぞれの席に戻り、各自の業務に取り組み始めた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

首筋に 歪な、苦い噛み痕

BL / 連載中 24h.ポイント:973pt お気に入り:19

俺の魔力は甘いらしい

BL / 完結 24h.ポイント:802pt お気に入り:162

強面な騎士様は異世界から来た少女にぞっこんです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:646pt お気に入り:35

【本編完結】捨てられ聖女は契約結婚を満喫中。後悔してる?だから何?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,207pt お気に入り:8,002

異種族キャンプで全力スローライフを執行する……予定!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:3,734pt お気に入り:4,744

氷の公爵はお人形がお気に入り~少女は公爵の溺愛に気づかない~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:816pt お気に入り:1,596

処理中です...