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学院編 12 悪役令嬢は時空を超える 

347 公爵令息は適当男を追い払う

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【レイモンド視点】

「終業式が終わり次第、邸に帰れ」
と父の乱れた筆跡で手紙が届いたのは、銀雪祭のパーティーが終わってすぐのことだった。フローラの一件は、学院側からすぐに父に伝わったようで、魔法陣の中に捕らわれた俺を発見したのがセドリックで本当によかったと書いてある。今のところ、ギーノ伯爵家からオードファン公爵家に何か言ってきてはおらず、フローラは自宅謹慎させるらしい。

「いやあ、災難でしたね、坊ちゃん」
手紙を持参した執事見習いのエイブラハムは、整っていない茶色い髪をわしわしと掻いて、よれよれのシャツの襟元を弛めた。歳は俺より五つ六つ上だったか、若いのに仕事はできる男だ。将来有望で俺が当主になる頃には執事頭になるだろうに、兎に角風貌が執事らしくない。肩につきそうなくせ毛の髪も、生えるがままになっている無精ひげも、公爵家の執事とは思えない。話し方も常にくだけていて、他の貴族の邸では務められないだろう。癖のある彼を使いに寄越すほど、父上は忙しくしているのか。

「ま、気を取り直して、お茶でもいかがです?」
慣れた手つきで紅茶を淹れる。シャツのカフスボタンが留められていないのに気づき、俺は目を眇めた。
「どうして来たんだ」
「おや。それを俺にお尋ねになる?……さあて、どうでしょうね。旦那様の気まぐれってやつですかね」
飄々とした調子で言い、無精ひげがある顎を触り、それから俺に渡すマフィンに手を伸ばす。
「おい」
髭を触った手で触れるな。
「うぁっと、これで挟むんでしたね」
全く、父上も物好きだ。こんな適当な執事を雇うなど。

   ◆◆◆

エイブラハムが邸に来たのは何年前だっただろう。丁度、彼が今の俺くらいの年齢の頃だったと記憶している。まだ表情にあどけなさが残る少年なのに、時々妙に大人びた物言いをするなと思った。
若い男の使用人だから、従僕か庭師になるのだろうと思っていた。父は彼に様々な職種を体験させ、向き不向きを調べていたようだ。ある日、庭師の手伝いをしていたエイブラハムを呼び止めて、俺は花束を作りたいと言った。
「アリッサに渡すんだ。可愛らしく、優しい色の花がいい」
「へえ、坊ちゃんの恋人ですか。確か、まだご婚約はされていなかったような」
「そのうち婚約者になるんだ!……いいから、花を」
作業の手を休めることなく、エイブラハムはにやりと笑って俺に話しかけてきた。
「好きなんですね、その子のこと」
「その子なんて言うな。アリッサは侯爵令嬢だぞ」
「へいへい。一介の使用人の俺が、軽々しく呼んではいけないお名前ですね」
エイブラハムの瞳が笑っていないことに気づき、俺は彼の顔を見上げた。
「……何ですか、坊ちゃん」
「お前、貴族が嫌いだろう」
「……はっ、何を言い出すのやら。俺は旦那様に心から感謝しているんですよ?こんな俺を拾って雇ってくださったんですから。勿論、奥様も素晴らしい方ですし、坊ちゃんは利発で……」
「そんなことを聞いているのではない。この間も、父上の客人が来た時、お前は使用人部屋から出なかった。あれは父上の指示なのだろう?お前を貴族に会わせまいと」
「……はあ。鋭いですね、坊ちゃんは」
鋏を持った彼の手を掴んだ。
「では……」
「鋭いですが、秘密ですんで。俺の私生活はヒ・ミ・ツ。少し謎があった方が、女の子は惹かれるものでしょ?」
茶化すように言ってエイブラハムは軽くウインクをした。何か間に壁を建てられたようで、俺はそれ以上何も問いかけられなかった。

   ◆◆◆

「父上の気まぐれ、だけではないだろう?」
再びエイブラハムをじっと見つめた。
「はあ……何でもお見通しってやつですか」
「お前が受けた密命は何だ?」
「密命?そんな大それたもんじゃありません。俺はただ、坊ちゃんのお傍で、安全を確保するように言われただけですよ」
「安全……」
「こう言っちゃなんですがね、今回の事件は、坊ちゃんが得意としていないもの――魔法で襲われたわけで。剣で襲われても、同じように坊ちゃんは太刀打ちできないでしょう。誰にでも得意不得意はありますし、仕方がないことですよ」

「魔法でも剣でも、お前が盾となって俺を守るのか?」
「身体だけは丈夫ですんで、自信はありますよ」
力こぶを作り、白い歯を見せて笑った執事に、俺はふと疑問を感じた。
「俺の護衛なら……まさかとは思うが、四六時中ついてくるのか?」
「いけませんか?旦那様はそれはもう、レイモンド坊ちゃんを心配されて」
「父上が心配性なのは前からだろう。校舎までついてくるなよ」
こいつに付きまとわれて、アリッサと親密な時間を過ごせなくなるのは困る。早めに釘を刺しておくに限る。
「はい。校舎の手前で失礼しますから」
「そうじゃない!」

   ◆◆◆

「……あ、あの……」
背が高くがっしりした体つきのエイブラハムを前に、アリッサは少し怯えた表情を見せた。家族と俺以外、大人の男性には恐怖心を抱いているのだと、以前彼女の口から聞いたことがある。初めて会う人間ならなおさらだ。
「こいつのことは気にするな。後ろをついてくる影だとでも思えばいい」
「でも……レイ様」
視界に入ってくるな、しっしっ。
手を振って追い払う。にやにやしながら引き下がるのが気に食わない。
「アリッサ。中庭を通って登校しようか」
「は、はいっ」
頬を仄かに赤く染め、アリッサは口元を綻ばせる。なんて可愛らしいんだ。
「うわぉ、すっげえ可愛いっすね、アリッサ様。さっきから気になってたんですが、いい香りの香水使ってますよね」
「おい」
「何ですか、レイモンド様」
「アリッサに馴れ馴れしくするな。近づくな、見るな、嗅ぐな!」
エイブラハムとの間に立ち、アリッサを見せないようにする。こんな可愛い顔を見ていいのは俺だけだ。
「分かりましたよ。近づきませんし、見ませんよ。……嗅ぐのはいいっすよね?」
「ダメに決まっているだろう。……全く、父上もどうしてこんな奴を……」
「あっ、旦那様に告げ口するのはなしですよ!俺、無職になるのだけは勘弁してほしいっす。死んだばあちゃんの遺言で、仕事してこそ一人前の男だぞって言われてるんで」
「お前の祖母の遺言など知ったことか。告げ口はしない。だがな、余計なことをしたら、辺境の領地の狩猟小屋管理人にしてやる」

   ◆◆◆

薔薇園の辺りで後ろを窺うと、エイブラハムはかなり離れて俺達をつけてきている。アリッサは慣れない状況に戸惑っているのか、いつもより口数が少ない。
「どうかしたのか?」
「い、いいえ……」
銀雪祭の夜から、アリッサはどことなく様子がおかしい。講堂でダンスを踊れなかったことを気にしているのだろうか。キスを拒んだのは、放って置かれたことへの意趣返しなのか。可愛い反抗に口元が緩むが、原因はそれではないだろう。

「フローラのことが気にかかるのか」
「……!」
図星か。
アリッサは友人の裏切りをまだ信じられないらしい。学院に入る前から、互いの家を行き来して親交を深めた間柄なのだから、フローラが俺を罠にかけたと知っても半信半疑なのだ。
「……フローラちゃんは、学校をやめてしまうんですよね?」
「そうなるな。自宅謹慎だそうだ」
「……そうですか」
酷く考え込む様子に、俺は彼女の背中から手を回し、自分の側に引き寄せた。
「君はフローラに悪いことをしていない。彼女が暴走しただけだ」
「私は気づかなかったんです。フローラちゃんがレイ様を好きだって知らなくて、何度も相談してたんです。……きっと、フローラちゃんは苦しかったと思う。好きな人の彼女から惚気られて……」
アリッサのアメジストの瞳が濡れた。小さな唇を噛みしめる。
「気に病むな、アリッサ。君がどう足掻いても、俺はフローラを友人以上に思うことはないし、俺達三人の関係は変わらない。君が考えるべきなのは、自分の幸せだ」
俺の言葉にアリッサは納得していないようだった。何度か頭を振り「でも」と呟いている。
「フローラちゃんがあんなことをしたのは、私が追い詰めたからなんです……」
目を真っ赤にして言い、校舎に着くまでアリッサは俯いたままだった。

   ◆◆◆

「坊ちゃんも隅に置けませんね」
「何だ、唐突に」
寮に帰るとエイブラハムが肘で俺を突いてきた。
「今朝、アリッサ様を泣かしてましたよね」
「あれは偶々、話の流れでそうなっただけだ。彼女は悩んでいるんだ」
「またまたぁ、ついつい嗜虐心に火がついちゃったんじゃないですか」
馬鹿なことを言うな。アリッサを守りたいと思っているのに、泣かせるなど……いや、泣かせていいのは俺だけだとも思っているが。

軽く睨んでやっても、エイブラハムは楽しそうに話し続ける。
「アリッサ様、お顔立ちはちょっと年齢より幼くて、頼りなげなところがありますよね。大きな瞳を常にウルウルさせてて、泣かせたくなるっていうか」
「……それ以上言ったら、辺境送りだからな」
「言いませんよ。……はあ、しかし、あれですね」
相槌を打たず、俺は紅茶のカップに口をつけた。
「レイモンド様と俺って、全然方向性が真逆のようでいて、気が合うんですね」
「どこがだ」
「お可愛らしいですよね、アリッサ様。美女を見慣れてる俺も、虜になっちゃいましたよ」

ガチャン。
苛立つ気持ちが手に伝わり、大きな音を立ててカップを置く。エイブラハムは目を丸くし、
「嫌ですよ、社交辞令に決まってるじゃないですか」
とあっけらかんと言い放った。
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