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学院編 12 悪役令嬢は時空を超える 

364 悪役令嬢は調子はずれの鼻歌を歌う

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「……お待たせ」
待ち合わせ場所、すなわちスタンリーが用意した王都中央劇場の一室に現れたエミリーは、三人の姉から見ても明らかに上機嫌だった。
「ん、ふー、ふふん」
アレックスが彫像のように固まり、ジュリアの袖を引いた。
「お、おい。何があったんだ?あのエミリーが歌ってるぞ」
「嬉しいことでもあったんじゃない?」
微笑して楽しそうに歌っている鼻歌が調子はずれであることに、その場にいた全員が気づいていた。スタンリーは何度も瞳を瞬かせて興味深く彼女を観察した。魔法に関しては無敵のエミリーが、歌が弱点だとは知らなかったのである。
「遅かったのね」
「ちょっと、予定外のところに転移しちゃって」
「エミリーちゃんが魔法を失敗するなんて珍しいね」
「失敗……ううん、あれでいいの」
アメジストの瞳を細め、エミリーはまさにご満悦といった表情だ。
「……何としても、頑張りたくなった」

「ほう。それは心強いな。エスティアまでどうやって行こうかと悩んでいたところだ」
「エスティア……義兄の故郷か」
「うん。すっごい山奥で、馬車でも何日もかかるんだよ。ほら、前にお父様がハリー兄様を連れてきた時、なっかなか帰ってこなかったじゃん」
「そこでだ。俺は君に転移魔法を使って欲しいと考えている」
レイモンドは椅子に座ったまま、エミリーの返事を待った。どんなときでも不遜な態度を崩さない彼に、エミリーは少し苛立った。同時に、少し意地悪してやりたくなった。
「それがヒトに物を頼む態度?」
「エミリーちゃん!」
「俺は提案をしただけだ」
「提案ね。私はマシューのためには何でもするけれど、誰かの指示で動くのは気に食わないの。アリッサみたいに、何でもあなたの話に同意するわけじゃない」
「君以外の三人は、俺達の作戦に同意したが……君の魔法がなければ、計画が成り立たないんだ」
エミリーはレイモンドににっこり微笑んだ。が、姉妹以外の四人には表情の変化が分からなかった。
「お願いして」
「……何だと?」
「やって当然みたいに扱われるのは嫌なの。きちんと、お願いしてくれる?」
椅子に座ったレイモンドを見下ろし、エミリーは黒いローブの腕を振り上げた。
「ね?」
「お願い……」
様子を見守っていたアリッサが駆け寄ろうとし、ジュリアに羽交い絞めにされた。
「レイ様がお願いなんて……」
「するわけないよねー。……って、ええっ?」
レイモンドはエミリーの前に跪いた。驚いて目を丸くしている彼女の手を取り、
「どうか、俺達に力を貸してくれ。頼む、お願いだ」
と絞り出すように呟いた。
――こいつ、本気なんだ……。
自分達を助けたいという彼らの気持ちを半ば疑ってかかっていたエミリーだったが、レイモンドの真摯な姿勢に心を打たれた。
「俺からも、頼むよ、エミリー」
レイモンドの隣にアレックスが跪く。
「……分かった。頑張る」
「よかった。……それと、もう一つだけ頼みたいことがある」
「何?」
「スタンリーがセドリックの影武者をすることになった。危険かつ難しい任務だからな。無報酬というわけにはいくまい」
「……で?」
「無事、セドリックが戻り、入れ替わりが完了したら、スタンリーに君のガーターベルトを渡すことになっている」
「なっているって、はあ?勝手に決めないで!」
即座に発生させた緑色の魔法球がレイモンド目がけて飛び、咄嗟に避けた彼の後ろの椅子が部屋の隅へ弾け飛んだ。

   ◆◆◆

その夜。
ジュリアは執事のジョンと共に父の書斎にいた。老人は朝が早い。ジョンは目をショボショボさせている。
「お嬢様……そろそろお休みになりませんと、恐ろしい魔物がやってきますよ」
四姉妹が幼い頃から、ジョンはお嬢様を早く寝かせようとあの手この手を使ってきた。『魔物が来る』は彼の常套手段だった。
「もうちょっと。約束の日までに、調べておかなきゃないの」
エミリーが話し合いに合流する前に、皆で現在の調査状況を発表しあった。そこで、ハーリオン侯爵邸の調査が不十分ではないかという話になり、マリナはハロルドの部屋を、ジュリアは父の書斎を、アリッサは侯爵邸にある領地の報告書を調べることとなった。エミリーは遠出に備えて魔法薬を作っている。

ハーリオン侯爵の書斎は、美しい猫のような脚の机と、後ろの書棚の置物がインテリアの見本のような部屋だ。書棚にある本は、父の趣味である美術品や骨董品について書かれたもので、ジュリアが探そうとしている『無実の証拠』などはなさそうである。
「どこに何があるのかなあ。全っ然見当がつかないよ」
まずは机の引き出しを開けて、中の物を全部出して見る。書きかけのメモもある。
「ええと……アスタシフォンへの貿易船の日程表みたい。ビルクール海運の船の運航は……」

父のメモによると、ビルクール海運が所有する大型船四隻――マリナⅡ号、ジュリア号、アリッサ号、エミリー号――は、毎週同じ曜日の同じ時刻にビルクールから出港する。月曜日に出たマリナⅡ号は火曜日にアスタシフォンのロディスに到着する。水曜日はロディス港に停泊し、木曜日に出航して金曜日にビルクールに帰る。船は週末ビルクールにある。観光船の役割もあるアリッサ号は、木曜日に出航して金曜日にロディスに着き、土曜日は停泊し、日曜日の午後に出航して月曜日に帰る。ジュリア号は高速船であり、月曜日から金曜日の午前中にビルクールを出発して、午後の早い時間にロディスに着き、滞在時間一時間足らずでロディスを出て、その日のうちにビルクールに帰る。エミリー号は火曜日に出て水曜日にロディスに着き、木曜日は停泊して金曜日に出航、土曜日にビルクールに帰る。どの定期便でも、日曜日はどちらかの港に船が停泊しており、乗組員は休養を取ることができる。家族サービス第一のハーリオン侯爵は、必ず船員を休ませるようにと、ビルクール海運本社に当てて指示を出そうとしていたようだ。

「ねえ、ジョン。これ何?」
ジュリアからメモを受けとり、ジョンは丸眼鏡を上げて眠い目を凝らした。
「旦那様の筆跡ですね。……ああ、これは現在の運航表と同じです」
「運航表はいつからこうなったの?」
「お嬢様方のお名前をつけた船が建造された頃ですから……六、七年にはなります」
「この表に書いてある以外に、うちの船が行くことってあるの?」
ジョンは首を振った。
「乗組員の休日は必ず確保するように、旦那様は口を酸っぱくしてビルクール海運本社に指令を出していらっしゃいました。急な配送の依頼があったら、他の海運会社の船に空きを探して積んでもらうようにと」
――問題の積荷がいつアスタシフォンに陸揚げしたか確認できれば、ビルクール海運が扱っていないと証明できる?
「……よく分かんないけど、アスタシフォンに関係ありそうだから、持ってくかな」
ジュリアはメモを机の上に置いた。書棚に目を向けると、背表紙が傷んでいる本が気になった。
「何だろう……へそくりの隠し場所かな」
誰も見ていないことを確かめて、ジュリアは本に手を伸ばした。
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