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乙女ゲーム以前

初めての手料理 -side Cー

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「……はあ」
「おい、食事だぞ」
紙でできた黄色い鳥を手に、ぼんやりしている僕にエヴラールが声をかけた。邸の侍女がスープとパンを乗せたトレイを持って近づいてきた。
「食べられそうか?」
「少しなら。……今朝は調子がいいよ」
「今朝は、な」
そこを強調されると、いたたまれない気持ちになる。
昨晩の僕は酷い有様だった。熱が上がったせいか、酷い悪寒に苦しめられた。エヴラールをベッドに引きずり込んで、言い方は悪いけれど熱源に利用したのだ。彼の裸を見た侍女達が騒ぎ立てていたのは微かに記憶がある。
「顔色も少しはマシになったな。食べないと元気が出ないぞ。ほら、食え!」
パンをそのまま渡される。ちぎらないと喉を通らなそうだ。
「あ、ありがとう。……何か飲み物はないかな」
「水。それと、さっき聞いたんだけど、そのスープさ」
何でもずけずけものを言うエヴラールが言いにくそうにしている。何だろう、物凄く嫌な予感がする。
「なんでも、ありがたぁい薬草が入っているらしい。イルデフォンソに聞いて、エレナが薬草園から取って来たとか」
「え?」
僕は耳までおかしくなったのだろうか。
エレナが取って来た、と聞いたような気がした。
「ごめん、よく聞こえなかった。えっと、もう一回言ってもらっていい?」
「聞こえただろ?」
「聞こえたけど、信じられなくて」
「ああ、そうだろうな。俺も聞き返したくらいだし。イルデフォンソが話の流れで邸の敷地内に薬草園があるって言ったんだと。で、エレナが侍女に聞いて、庭師に案内させて薬草を選んだんだと」
嘘じゃないんだ……。
胸がいっぱいで、スプーンを持つ手が震える。
「嬉しい……」
つい、本音が漏れてしまう。
あのエレナが。
僕を蛇蝎の如く嫌っているエレナが。
僕のために紙で鳥を作り、僕のために薬草を摘んでくれた。
「どうしよう、エヴラール。幸せすぎて……僕は一生分の幸せをもらった気がする。明日にでも死ぬのかもしれない」
「は?馬鹿なこと言うなよ。身体が弱ってる時に、死ぬとか言うな。だいたい、お前は幸せの尺度がおかしいだろ?」
「そうかな。……うん、そうかもしれない」
「いいからとっとと食え。体力つけて俺と手合せするくらいになれ」
スプーンで一口掬ってみた。薬草が入っているというスープは、成程、不気味な緑色をしている。ところどころ紫がかった何かが入っている。これも変わった色の薬草なのだろう。それが液体になってほわほわと湯気を立てている。湯気も何となく黄緑色をしている。
家で出されたら、絶対に口にしないと思う。
でも。
エレナの心が籠められたスープなのだから……。
思い切って口に入れた。
スープの熱、鼻に抜けるむせ返るような草の香り、舌を痺れさせる苦味と辛さ。
「……!!!」
「クラウディオ!?」
ごくり。
飲んだ。
飲んでやったぞ――。

   ◆◆◆

次に僕が見たのは、悪人顔の下に怒りと不安を閉じ込め、僕を見つめる父の顔だった。
「……気が付いたか」
呼びかけるべきなのか迷い、虚ろな瞳で父を見る。常日頃、堂々とした父の姿しか見ていないから、こうしていると何だか落ち着かない。
「僕は、何を……?寝ていたのですか?」
「怪しい薬草スープを飲んで気を失っていたんだ」
「スープ……?あっ!」
声を上げると、向こうでエヴラールが笑っていた。
「よく飲んだな、アレ」
「エレナが作ってくれたから……」
にやにや笑いを叱り飛ばすように、父上が咳払いをした。
「その、エレナだが……先に帰らせたよ」
どういうことだろう。風邪で寝込んだのは僕なのに。
疑問に思ったのが顔に出たらしく、父上は深く溜息をついた。
「今回のことで、エレナはかなり衝撃を受けたようでな。スープに薬草を入れようと言い出したのが自分ではなくても、結果的にお前を危篤……寸前のところまで追いつめたのだから当然だろう。薬草の知識が十分でないエレナにいい加減なことを吹き込んだ責任は、リエラ家の娘にある」
リエラ家……ああ、アレハンドリナのことか。
確かに、彼女は植物について詳しくはなさそうだし、植物図鑑を読むようなタイプにも見えない。庭師に聞いて、何となく身体によさそうなものを選んだらこうなったとか、そんなところなのだろう。
「お前が小舟から落ちたのも、一歩間違えば……」
父上は声を震わせた。
本気で心配して、こうして駆け付けてくれたのだ。
「心配をかけてごめんなさい」
「いや……。今回のことでは、アレセス侯爵ともよく話し合った。アレセス家としても、当家との関係を悪化させるのは本意ではない。子供同士の付き合いを控えようということになった」
付き合いを、控える?
あの恐ろしいイルデフォンソと距離を置くのは別に問題はない。ただ、エレナが……。
「エレナはアレハンドリナと仲良くしています。イルデフォンソと僕はどうしても会う機会が多くな……」
「問題ない。リエラ家の娘とエレナの付き合いを禁じることにした。事の元凶はあの娘だ。関係を絶った方がエレナのためにもなるだろう」
「それは……」
父上が決めたことは絶対だ。魔王のように恐ろしい見た目の父上に、僕は反論する力もなかった。でも、エレナが可哀想だ。
「エレナが可哀想です。エレナはアレハンドリナと仲がよ……」
「何であろうと、距離を置いてもらう。年齢も離れているし、エレナには他にも友人がいる。ビビアナとも仲が良い。問題はあるまい」
問題がないと決めた父上は、梃子でも動かないだろう。
「お前の意識が戻り、自分で歩けるまでに回復したら、すぐにもここを発つ。いいな」
そんな、父上。無茶苦茶だ。
「父う……」
「まったく。こんなことをしている暇はないのだろう?お前は次の留学の準備がある」
そうだった。
自分磨きの旅と称して、僕は二回目の留学に行くんだった。すっかり忘れていたけど。
「留学?クラウディオ、またアスタシフォンに来るのか?大歓迎だぜ」
「いや、アスタシフォンではないよ、エヴラール。残念だが」
父上は少し言うのを迷った。それもそのはずだ。
「次の留学先はノイムフェーダ。君の国の隣国だね」
「はあ?あんなチャラチャラした国、どこがいいんだよ?クラウディオ、今からでも遅くないから、行き先変えな?」
「ははは……」
笑うしかない。
軍人一家のエヴラールにとって、ノイムフェーダは憎むべき相手なのだ。川を挟んで隣り合っているアスタシフォンとは小競り合いが絶えない。元は一つの国だったのだが、片や無骨な戦士の国、片や華やかな文化と技術の国になっている。ノイムフェーダは芸術に造詣が深い貴族が多く、その一人と父上が知り合いで、留学中はお世話になる予定だ。自分を美しく見せることにかけては右に出る者がいない方のところらしい。
「嫌になったらいつでも俺ん家に来いよ?絶対、ノイムフェーダなんか退屈すると思う」
「そう、かなあ?」
「ま、それは置いておいて。クラウディオが留学することは、エレナにも伝えてある」
父上、仕事が早すぎます。
「はあ……」
エレナが僕がいなくなったらせいせいするに違いない。
ほんの少しでいいから、寂しいと思ってくれないだろうか。……うん。無理だな。
ベッドサイドに置いた鳥の紙細工を見ながら、僕は毛布を被って自嘲した。
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