狂気の缶詰

zerozero

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第2話

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 実際、彼は学生時代、演劇にかぶれていたことがある。
 なかなか見栄えのするご面相めんそうと、長身のせいで、いつも良い役をもらっていたように思う。時々、彼の出演する舞台を見に行った。

 しかし演劇のことは、からきし僕にはわからない。
 舞台の上にいるときも、そうでない時も、彼は全然変わらないように見えた。
 全く演技していないのか、それとも、常に演技をしている男なのかだ。

「どういう意味だい?」

 ふざけているのかと、僕は思って、いぶかる口調でたずねた。

「そのままの意味だ。俺は狂い始めている。このままでは、何もかもお終いだ。だが、その缶詰の中に、俺の狂気を閉じ込めることに成功した」

 矢継ぎ早に彼は言った。缶詰を見据みすえる目が真剣だった。
 僕はぼんやりと、それを聞いた。
 缶詰には、それを開封するための、プルトップがついていて、引っ張れば簡単に開きそうに見えた。

「お前が持っていてくれ。俺は恐ろしい。これを預けることができる人間は、お前しかいないんだ」

 返事をする代わりに、僕は鼻をすすった。
 少しの間、考えた。それとも、月を見ていただけかもしれない。
 やがて僕は酒を飲み、肩をすくめた。

「いいよ」

 微笑んで言うと、親友は心底、ほっとしたような顔をした。爛々らんらんとしていた目の光が、少し和らぎ、肩の力が抜けたようだった。

「ありがとう」

 そう言って、彼は立ち上がった。

「もう帰るのか」

 十年ぶりなのに。何も話していかないんだな。
 重そうなカバンを肩からげ直し、親友は、さようならとも言わずに、去っていった。

 手付かずのグラスと、黒い缶詰が後に残った。
 彼は、どこへ行くのだろう。

 最後の酒を飲み干して、僕は狂気の缶詰を手にとった。
 少しの間、それを手のひらで転がしてみる。
 軽かった。とても。

 少し笑って、僕はプルトップを引いた。
 パカンと軽い音がした。

 中には何も入っていない。微かに薄暗い何かが、飛び去ったような気もしたが、それはきっと錯覚さっかくだろう。
 空っぽの缶詰をさかなに、僕は客に出したつもりのグラスから、もう一杯の酒を呑んだ。
 カランと氷が鳴った。

 さようなら。
 僕は声に出して、そう言った。誰もいない、月明かりのす部屋で。

 翌朝の新聞に、彼のことが載っていた。
 朝一番の列車に飛び込み、細切れになって死んだと。

 雨の降っている朝だった。
 そういえば、昨日の月にはおぼろな、傘がかかっていたなと、僕は思った。


END
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