あの日見た空の色も青かった

木立 花音

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第二章:彼女と別れるまでの十数日間

再会②

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 渋滞を抜け、国道106号線に入ると、途端に車の流れは良くなる。杉林や田園風景、森に囲まれた峠道など様々な景観のなか車を飛ばし、約二時間で盛岡市に入った。
 国道沿いのハンバーガーショップで昼食を済ませると、茶封筒の裏に書かれた住所を帆夏が確認して、道案内をして貰いながら交差点を何度か曲がる。中学時代に住んでいた街とは言え、十年もの歳月は街の景観を変え、彼の記憶を風化させていた。高崎美奈子の実家を訪問した経験が無い彼にしてみれば、大半が初めて見る風景だった。
 
 彼女の案内で車を走らせること約三十分。ようやく、高崎家の前に到着する。
 水色の壁の、子綺麗な二階建ての一軒家だった。レンガ調の塀の向こうに見える庭には、手入れの行き届いた芝生が植えられ、屋根つきのブランコが置かれていた。入り口の真っ白な鉄柵の脇には赤いポストが置かれ、柵の下には色とりどりの花が植えられた小さな花壇があった。
 誰の目から見ても明白であろう、幸せそうな家の姿。
 嫌な予感がしていた。ゆえに、高崎家から少し離れた場所に路上駐車させた車の中で、逢坂部は身動きが出来なくなってしまった。
 表札だけでも確認しないと。
 呼び鈴を鳴らして、とりあえずは用件だけでも告げないと。
 せめて美奈子の顔を一目見たい。 
 様々な思考が脳裏を駆け巡ると同時に、この場所に到達するまでの間に考えていたプランが、砂上の城のように全て崩れ去っていくのを認識していた。何分経っても彼の足は、動く気配を見せなかった。

 だが寧ろ、足が竦んで動けなくなったことは、逢坂部にとって幸いだったのかもしれない。
 しばらくして、家の横に備えられてあったシャッターが電動で開くと、白い大型セダンが姿を現した。その車はゆっくりとした速度でこちらに向かって来ると、やがてすれ違う。
 すれ違い様に、車内を確認してみた。
 運転席に座るのは清潔そうな印象の男性。歳は二十代後半から三十代ほどだろうか。そして、彼の隣で喜色を湛える女性。十年の歳月が、その容姿をより洗練したものに変えてこそいたが、間違いなく彼女――高崎美奈子だった。スモークガラスで顔は確認出来なかったが、後部座席には子供の人影も見えた。

 綺麗な一軒家。
 高そうな車。
 仲睦まじい夫婦。
 誰の目から見てもわかる、非の打ちどころのない幸せな家族の姿。
 とてもじゃないが、疎遠になっていたクラスメイトが話し掛けられる状況じゃない。そして同時に、自分の淡い初恋が完全に終わったという事実を、逢坂部は認識する。
 言葉もなく俯いてしまった彼の左手を、帆夏がそっと握った。一瞬身を震わせた後に顔を上げると、蚊のなくような声を搾り出した。

「時間の浪費になる、思い出が台無しになる、折角君が、警告までしてくれたのにな。強がりを言ってここまでやって来たはずなのに、俺は、人並みに傷ついているらしい。実に滑稽な話だろう?」
「傷つくことは、悪いことではないのですよ」と彼女は優しく言った。「誰でも傷つくことは怖いです。でも、それを恐れていては、先には進めません。どうせ、人は傷つくんです。どうせ何かに失敗して、そしてつまづくんです。でも、良いじゃないですか。そこから皆立ち直って、強くなるんだから。笑って帰りましょう。約束したじゃないですか」

 何処か人生を悟ったような帆夏の言葉に、逢坂部の胸が詰まる。齢十九の少女に慰められている自分が恥ずかしくもあり、もの悲しくもあった。込みあげてくる感情が溢れ出し彼が啜り泣きを始めると、帆夏は左手を握ったまま、無言で見守り続けた。
 あらためて彼は思う。
 今日、一人で来なくて良かったと。帆夏が傍らに居てくれて、本当に救われていると。
 
 そのまま十分ほど俯いたままだった逢坂部だが、やがて目元を拭うと、鬱々とした感情を振り払うように軽く頭を振った。「じゃあ、帰ろうか」
 自分でも、引きつった笑顔になっているだろうなと思った。それでも彼女は、努めて自然な笑顔で返してくれた。「帰りは少しゆっくりと行きましょうか」

 ゆっくりと、車を発進させた。
 帰り道は、帆夏の提案を汲み取って、来るときよりペースを落として車を走らせた。帰りはたっぷりと一時間以上掛けて宮古市に入る。お腹も空いた頃合に、丁度目に付いたラーメン店で、少し早い夕食を済ませた。店を出る頃合には、とっぷりと日が暮れていた。街灯の幾つかは点灯を始め、カーテンの隙間から光が漏れる民家の様子に、暖かい団欒の光景を想像する。
 不意に、耐え難い息苦しさを感じた。胸につかえるものを吐き出すように咳払いをしたのち、逃れる様に車の中に滑り込む。ドアを閉め、エンジンを掛けようとした時の事だ。前後の脈絡もなく、帆夏がこんなことを言った。

「これから、花火をしましょうよ?」
 逢坂部は思わず、真顔で問い返した。
「──花火、だって?」
「そうだよ」と彼女は首肯する。「だって、車は明日まで返さなくても良いんでしょう? だったら、このまま帰るのは勿体無いじゃないですか? だから、もう少し私と遊んでくださいよ?」

 相変わらず、突飛なことを言い出す少女だと彼は思う。だが同時に、それも悪くないだろう、とも。彼女の提案に笑顔で同意を示すと、近場のホームセンターを目指して車を発進させた。
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