バレンタイン・デイ(ズ)

木立 花音

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第二章:楠恭子の日記(サイドB)

20**/12/23(火)お見舞い

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◆20**年12月23日 (火曜日)

 玲と面会できるようになったのは、彼女が緊急入院した日から数えて三日目のことだった。
 学校が終ると家には戻らず、真っすぐに宇都宮総合病院を目指した。受付で見舞い客用のバッジを受け取り、彼女が入院している556号室へと向かう。
 入口のプレートに書かれた【立花玲】の名前と、【面会謝絶】の貼り紙がなくなっているのを確認してから、控えめに扉をノックした。すぐに中から返事があり、一つ深呼吸をしてから扉を開いた。
 病室にはベッドが一つと、清潔そうな白いキャビネットぐらいしか物が置かれてなかった。さほど広い病室ではなかったが、窓からはたっぷりと日差しが入り込んでいる。光射す眩しい空間は、昨日までの沈んだ気持ちを、笑い飛ばすかのように明るかった。
 予想外の部屋の明るさに圧倒され、視界と足元がぐらりと傾いた。怯える心を叱咤すると、部屋の中に足を踏み入れる。
 玲はベッドの上に身体を起こし、特に驚いた様子もなく出迎えてくれた。昨日、晃君が見舞いに訪れたようだったので、近いうちにあたしが見舞いに来るであろう事。病気のことを伝えた事なんかも、やんわりと話してくれたのだろう。
 彼女が着ていたのは、前を掻き合わせるかたちの水色の病衣。左の手首からは点滴の管が一本延びていた。容赦なく突きつけられる現実に、彼女の病は夢でも幻でもなかったんだと落胆しそうになる心は、空調が効いた温かい空間が丁度いい具合に薄めてくれるだろうか。

「身体を起こしていても、大丈夫なの?」

 見舞いの花を備え付けの花瓶に移しながら訊ねると、ベッドサイドに置かれてた丸椅子をあたしに勧めてから、彼女は答えた。

「特に問題はないわ」

 差し出された丸椅子に腰を下ろすと、彼女の顔を見た。

「口に食べ物を入れられるかわからなかったから、花にしておいた。でも思ったよりは元気そうで、ちょっとだけ安心してる」
「ええ、ありがとう。私の病気の事は、晃から聞かされているのよね?」

 遠慮がちに話す彼女の声は、トーンが少しだけ下がった。

「うん、口止めされてる事を断った上で、包み隠さず教えてくれた。正直なことを言うと……凄くびっくりしてる」
 
 夜に晃君から連絡をもらったこと。その日の夜は、玲の母親の車で送ってもらったことなどを伝えると、「そっか、だいぶ振り回しちゃったね」と玲は肩を竦めてみせた。
 やがて彼女は、何度か指を組み替えて逡巡する仕草を見せたあと、悪戯をした過去でも告白するように、穏やかな口調で話し始めた。

「私ね。中学一年の夏頃から、何度か腸に腫瘍が出来ていたの。特に寒い時期になってくるとお腹が強く痛んで、その度に入退院を繰り返しては、何度も手術をした。それで、今までにないくらい強い痛みを感じたのが一年前の冬。冬休みの時期だったかしら? 緊急入院して腫瘍の病理検査を受けた結果、大腸にちいさな癌ができてるって宣告されたの。その時にはもう、リンパ節へも転移してた。何時かは癌に変化する日が来るかもって医者からも脅されてたけど、遂に来たかって感じがした」

 玲の話し方は、普段通りの口調だと感じた。途中で言葉を切ったり、痛みに耐えているような表情にも見えない。それを確認してようやくあたしは、凝り固まっていた背中の力を抜いた。
 思えば玲の病気のことを知っていたから、晃君は時々、どこか遠くを見るような眼差しをしていたのかもしれない。彼もまた、彼女と一緒に病と戦っていたんだ。

「それから抗がん剤を使用したり再手術をして、ようやく退院出来たのが五月の末。でもね、完全に根治できてた訳じゃなかった。主治医からは、このまま治療を進めるべきだと言われてたんだけど、抗がん剤治療をどんなに続けたところで、完治するかは正直わかんなかったの。だから、このまま卒業を迎えるのは嫌だし、元気なうちにちゃんと学校に通いたいって両親に頼み込んで、通院しながらの治療に切り替えちゃった。もう一度だけ、自分の足で、目で、校舎の中を見て回りたかった。文化祭にも、参加したかった」

 うん、と頷いたとき、急に視界が滲んで涙が頬を伝うのがわかった。辛いのは玲のほうなのに、なんであたしが泣いているんだろう。ヤダな……と思いながら、指先で涙を拭う。

「そこから後の話は、恭子も知っているとおり。寒い日が続くようになったら、去年と同じようにお腹が痛くなって、精密検査を受けたら、案の定腫瘍が大きくなってた。今は、十二指腸にも転移が進んでる」

 一度にたくさん話をしたことで疲れたのだろう。布団に足を入れたまま、ヘッドボードに背中を預けるように座りなおすと、そっと右手を差し伸べてきた。

「恭子。私の手、握ってみて」

 頷いて握り返すと、玲はゆっくりと目蓋を閉じた。彼女の指先は、驚くほどに細くて小さかった。凍えるように小刻みに震える手を握りながら、彼女の手、こんな感じだったろうかと心細くなる。

「私の手、まだ暖かいかな?」
「玲は生きてるんだから、そんなの当たり前じゃない。そんなに悲しいこと、言わないで」
「そっか……少しだけ安心したわ。ねえ、恭子」
「ん? 今度はどうしたの?」
「恭子さ……言いたいことは、ちゃんと言わないとダメだよ」
「どうしたの、突然?」

 改まった言い方が可笑しくて、笑い飛ばそうと一瞬思った。でも、彼女の瞳は真剣そのものだったので、ゆっくりと笑みを引き取った。

「そうだね、玲の言うとおりだよ。あたしのそういう所が自分の欠点だと、ちゃんとわかってるから」

 力強い輝きを湛える双眸が、逸らされることなく向けられる。彼女が言いたい本音、透けて見えた気がした。だから、伝えるなら今しかないと思った。いつもと同じように喉元でつかえそうになった台詞を、一度咀嚼したうえで必死に声を絞り出す。

『ねえ』

 勇気を出して発した一言は、二人同時に重なった。「ゴメン。玲から先に言ってもいいよ」と彼女に先に話すよう促した。

「私からで良いの……? あ~……でも、先に言われてしまったら、私の決心も鈍ってしまいそう。じゃあ申し訳ないけど、恭子の好意に甘えておくわね」
「うん、どうぞ」

 次に発せられるであろう玲の一言に集中することで、彼女の唇が、思った以上に血の巡りが悪くなっているのに気が付いた。薄い紫色に変色している唇が微かに震えると、一度大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出すように言葉を紡いだ。

「私、晃の事が好き、それも結構前から。今まで隠していてごめん」

 遂に言われたな、とあたしは思う。ずっと前から予測はしてたけど、聞きたくなくて、知りたくなくて、目を逸らし続けてた現実。

「うん、知ってたよ」

 表情を変えることなく答える。ちゃんと伝えてくれてありがとう、という意思をこめて。それでも玲は、驚いた顔ひとつ見せなかった。
「なんだ。やっぱりバレてたか」と彼女は弱々しく微笑んだ。「鈍感な恭子にしては、上出来だわね」

「鈍感は、余計」

 あたしが笑うと、玲も釣られて声を出して笑った。

「私の宣言は、これでお終い。今度は恭子から話して」

 彼女の瞳が再びこちらに向いた。あたしが次に発するであろう言葉を、恐れてる感じは微塵もない。何時もと同じ。優しく包み込んでくれる慈愛に満ちた、それでいて自分の意思は決して曲げない強い瞳。

「あたしね、二月十四日に告白するって決めた。こんなタイミングで玲に伝えることになっちゃった事、なんかごめん」
「ううん、私のことなら、気にしなくても良いよ。恭子は恭子でちゃんと頑張らないと。ようやくここまで辿り着いたんだから、最後の最後に、怖気づいちゃダメだらね?」

 念押しするような言葉。何を口にしても玲にはバレてしまうのだろう。

「分かってるよ」

 だから、こう答える。玲は満足そうに頷くと、カーテンの隙間から見える景色に視線を移した。

「これで恭子と私は、正式にライバルってことだね。何度も言うようだけど、遠慮なんかしちゃダメだよ。私そういうの、一番嫌いなんだから」
「なんだか、玲らしいね」

 病院では静かにしなくちゃとわかっていながらも、堪えきれずに大声で笑ってしまう。本当にその通りだ。どんな時でも真っすぐにぶつかってくる玲らしい宣言。言葉を選んでばかりの自分もようやく本音で言えて、今更のように彼女と親友になれた気がした。

「あたし、頑張るからね。もうこれ以上、後悔したくないんだ。だから玲も、病気に負けたりしたら、許さないんだからね」
「当たり前じゃない。まだ死ぬと決まったわけじゃないんだから……私は癌にも打ち勝って、必ず恭子のところに戻ってくるわよ」

 玲の声は存外に明るい。だからこそあたしは、何と声を掛けてよいのか、分からなくなってしまう。それでも今は、玲のことを抱きしめてあげたいと思った。乱暴されそうになったあの日。彼女がしてくれたように。

「ずっと、待ってる」

 ベッドの方に椅子を近づけると、彼女の細っこい首に腕を回して抱き寄せた。華奢で、儚くて、強く抱きしめていないと消えてしまいそうな程に、その身体は頼りなく感じられた。
 彼女は少し驚いたような表情を見せたけど、そのままの姿勢で体重を預けてきた。寄り掛かってくる彼女の体が思いの外軽くて、あたしの心が鋭く抉られる。
 カーテンの隙間からはいりこむ光がオレンジ色に染まっていくなか、玲は静かに涙を流した。

 それは、あたしが見た――最初で最後の、彼女の涙だった。
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