痴漢を捕まえたら女の子だったので、好きに触らせてみた結果、私が百合にハマった話。

木立 花音

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最終章「幸せは長続きしないようにできている」

【幸せは長続きしないようにできている】

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 人は「幸せ」に慣れると「幸せ」が長続きしないようにできているのだそうだ。
 現状に満足すると、段々とその状況に慣れていき、次第に違う刺激を求めるようになる。幸せな状況を当たり前なのだと感じ、さらに上質な幸せを渇望するようになり、それが不満に変わっていくのだ。
 勝手なものだなと思うが、それでいいのだそうだ。人が「あること」に満足し、その満足が永遠に続くとしたら、そこで歩みを止めてしまう。現在のように、人類が進歩向上することはなかっただろうから。
 そういった、哲学的な話はさておき、なんでもない毎日がどれほど貴重なのかを、その幸せが決して長続きしないことを私はきちんと理解していた。
 ただ、失われるのが、予想より早かっただけのことで。

   *

 いよいよ、詩さんと会える最後の日を迎えた。
 今日、着ていく服は、あらかじめ決めておいた。初めて詩さんとデートをした日に着ていた紺色のワンピースに、秋用の白いカーディガンを羽織る。母のお下がりの銀色のイヤリングをして、その上からキャスケットを被る。ネックレスは、私の好きな色であるターコイズブルーを選んだ。
 玄関の姿見で全身を確認する。私の髪の毛は絹糸のように細く、そのわりに癖毛でまとまりが悪いので、広がらないよう毛先を内巻きにしておいた。厄介な髪の毛。
 姿見に映った自分の姿は、まるで別人のように大人びていた。

「行ってきます」

 児童相談所の職員に声をかけて、玄関を出る。空は青く澄んでいて、九月も半ばを過ぎたというのに日差しが強い。それでも吹く風は涼しくて、本格的な秋の訪れが近いと感じた。
 バスと電車を乗り継いで最寄り駅で下車する。何度も通い詰めたことで、この駅の景観はすっかり見慣れてしまった。朝早い時間のせいか、電車の中も駅のホームも空いている。総武線もいつもこうだったらいいのになあ……と考えて、満員電車に不満を覚えるのも、あと少しなのか、と名残惜しくなる。
 山形の電車がどうかは知らないけれど、東京みたいに混雑することはないだろう。もしかしたら、乗客は私だけかもしれないし。それは少し言い過ぎかしら?

「ふう」

 ため息が一つ落ちる。
 私は明日この街を離れるのだから、詩さんと会えるのは今日でいったん終わりだ。この先しばらく会えなくなるかと思うと、覚悟はできていたはずなのに胸がぎゅっと押しつぶされそうになる。自分で決めたことなのだから、揺らいではダメだ。
 告白したら、今度は成功する気がしていた。詩さんも、同じ気持ちで応えてくれるだろうと。それでも私は、想いを胸に閉じ込めたままで別れる道を選んだ。
 今の私は彼女に相応しくない。自分が、詩さんと釣り合う人間になるために、やらなくてはならないことがあった。
 大丈夫。胸の奥にある寂しさが溢れ出してしまわないように、深く息を吸い込んで留める。
 どうか、留まっていてほしい。
 アパートの建物が見えてくると、自然に歩調が上がる。
 外部階段を登っているとき、少しだけ違和感があった。詩さんの部屋のカーテンが閉まっている。昨日電話したときは普通だったのに……と思うが、嫌な予感は消えてくれない。
 呼び鈴を押す。
 応答はない。
 私の胸にざわめきが広がる。
 まさか、そんなはずはないと自分に言い聞かせるが、心臓は私の意思を超えて暴れ出す。もう一度呼び鈴を鳴らしてみるが、やはり応答はない。意を決してドアノブに手をかけてみた。
 鍵がかかっていた。

「詩さん!」

 ドンドンとドアを叩いていると、「あら」と真横から声をかけられる。朝早くから近所迷惑だった。
 恐縮しながら声の方に顔を向けると、黒髪ロングの女性が立っていた。知らない顔だったが、なぜだろう、どこかで会ったような気がしていた。

「あなた、このアパートの人?」
「あ、いえ……」と私はしどろもどろに答える。

 そう、と興味なさげに頷いたあとで、女性が思い出したように私に言った。

「そう言えばここの人、近々引っ越すとか言っていたわね」
「えっ?」
「私もよく知らないけどね。昨日のうちに出て行っちゃったのかもね」
「……そんなはずは……」

 ないとは言い切れない。私と詩さんとの関係が、順風満帆ではなかったのも、気苦労が絶えなかったのも事実だ。
 それが、私に何も言わずに引っ越した理由? でも……と私の心がざわついた。
 詩さんは、「明日が最後の日だね」と私に言ってくれたのに、黙って出て行くなんてありえない。
 いや、とそこで考え直す。だからこそなのか?

「えっと……ここに住んでいた人はどこへ行きましたか?」

 無駄な質問だとの自覚はあった。
 女性が値踏みするみたいに私の全身を見た。どういった関係だろうと詮索しているのだろうか。

「さぁ? わからないわ。あなた、ここの住人と知り合いなんじゃないの? 彼女から何も聞いてないの?」
「知り合いです。でも、何も聞いていないんです」

 知り合いだけど、逆に言えば知り合いでしかなかったのだ。

「すみません。ありがとうございます」

 頭を下げ、逃げるようにその場を離れた。行き先を告げられなかった人間が、これ以上ここに留まっているのは惨めでしかなかった。
 アパートの階段を駆け下りて道路へ出る。緩やかな坂を下りながら、心の中に波紋が広がっていくのを感じる。スマホを取り出してから、連絡を取るのが不可能なのだと今さらのように気付く。
 一人で、部屋で荷造りをしながら、彼女は何を考えていたのだろう。
 私に別れを告げなかったのはなぜか。私の別れの言葉を聞きたくなかったから? それとも?
 私と一緒にいることが、詩さんにとっての幸せだったとして、だからこそ、私の前から姿を消すのが彼女なりのケジメになるのだとしても、なぜ一言言ってくれなかったのだろう。
 今日、会えたら……せめて笑顔でさよならを。
 そう思っていたのに。彼女を困らせたくなくて強がっていたけれど、本当は一言だけでいい。彼女と言葉を交わしたかったのだ。
 駅に着いて電車に乗る。車窓の景色が移り変わっていく。いつ電車に乗ったんだっけ? と少し前の自分の行動が思い出せない。
 涙がじわりと溢れそうになって、ぐっと下唇を噛んで我慢した。泣いてはいけない。一度泣いたら止められなくなってしまう。電車を降りるまでは、せめて我慢しなくちゃとそう思う。思うのに、涙は瞳の端から零れて、電車のシートに丸い染みを作った。一度零れると、そこからとめどなくなった。
 自分で決めた道なのに、泣いてしまう自分がひどくみっともなくて。みっともないとわかっているのに、涙は止まらないのだから手に負えない。
 なぜ。なぜ待っていてくれなかったの。心が叫ぶ。
 涙を拭ったそのとき、「ああ、だからか」と唐突に気付いた。
 詩さんの笑顔を思い出した。柔らかな瞳。優しい声。もし今、彼女がここにいたら、別れの瞬間がもっと耐えがたいものになっていたに違いない。
 彼女も、きっと私と同じだったのだ。彼女は私よりずっと大人で、欲望を自制してきたからこそ、溜め込んでいた熱が私より多かったかもしれない。
 会えば抱きしめたくなる。言葉にしたくなる。離れたくなくなる。だから、彼女はいなくなった。私の心を守るために、彼女自身も傷付くことを選んだ。
 それがきっと、詩さんが選んだ「最後」なのだ。
 唇を噛んで涙を堪えた。いつまでも泣いてばかりはいられない。もう、子どもではないのだから。

 駅を出て歩きだす。駅に至る道路沿いにある桜並木は、すっかり桜紅葉に変わっていた。
 季節が移ろっていく。後ろを向いてはいけないよ。前だけを見据えて歩んでいくのだと、そう言われているようだった。
 多くの人とすれ違う。スーツを着た男性と、談笑しながら歩いている女性たちと、くたびれた雰囲気を身にまとっているご老人と。すれ違う人波の中から、私は一瞬でその姿を見付けだす。

「詩さん?」

 声を上げてから、それが人違いだと気付く。
 風が吹き、女性の髪がなびいて一筋の軌跡を作った。似ていて違うその立ち姿が、より一層私に現実を直視させる。私たちの関係は終わったのだと、告げられているようだった。

「……さようなら」

 届くはずはない。それでも、届きますようにと願いながら口ずさむ。
 総武線の電車が警笛を上げる。すべての始まりはここだったなと、電車の中で交わした触れ合いのルールを思い出す。この想いは、どこに行っても消えない。新しい街で、いつかまた、別の形で会えるかもしれないじゃないかとそう思う。彼我の距離は開いてしまっても、この空は繋がっているのだから。
 私の心は雲一つない空みたいに空虚だったけれど、赤く染まった桜の葉が風にそよぐのを見ていると、どうしてか少しだけ胸が軽くなった。
 世界も電車も、走り続ける。一日早くスタートを切れたぶんだけ、私がゴールテープを切るのが一日だけ早くなるかもしれない。
 悪くない、と微笑んで、私は、前を見据えた。
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