『境界線の濁流』

かおるこ

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第6話「金縛り」

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第6話「金縛り」

夜は、静かすぎた。

時計の秒針が鳴る。

**カチ。
カチ。
カチ。**

まるで部屋のどこかで小さなハンマーが打たれているみたいに、乾いた音が響く。

「……うるさいな」

蓮は天井を見ながら呟いた。

消したはずの蛍光灯の残像が、まぶたの裏に焼き付いている。
目を閉じても白い輪がちらつく。

眠りたい。
眠れば、全部止まる。

そう思って薬を口に放り込んだ。

錠剤は苦い。
水で流し込むと、喉の奥にざらつきが残る。

「効けよ……頼むから」

誰に言うでもなく言う。

布団に潜り込む。
部屋の匂いが鼻につく。

腐った水の匂い。
泥の匂い。

金魚の水槽は片付けたのに、まだ消えない。

「……気のせいだ」

目を閉じる。

時計の音が遠くなる。

体が沈む。

眠りが、ゆっくり降りてくる。

---

どれくらい経ったのかわからない。

ふっと、目が覚めた。

部屋は暗い。

カーテンの隙間から街灯の橙色が細く差し込んでいる。

「……」

体が重い。

いや、

**動かない。**

「……え?」

指を動かそうとする。

動かない。

腕も、足も、首も。

まぶたと呼吸だけが動く。

「……うそだろ」

喉から空気だけが漏れる。

声にならない。

胸の上が重かった。

何かが、乗っている。

布団越しに、はっきりわかる。

重さ。

人の体重に近い。

「……誰だ」

もちろん返事はない。

心臓が速くなる。

どくん。

どくん。

耳の奥で血の音が鳴る。

そのとき、

ふ、と。

耳元で空気が動いた。

「……っ」

誰かの息。

温かい。

すぐ横。

顔のすぐそば。

「だれ……」

声にならない。

その代わり、

**声が聞こえた。**

囁き。

低い。

濁った音。

「……ァ……」

意味がわからない。

言葉ではない。

それでも、

耳の奥にまとわりつく。

「……やめろ」

蓮の喉が震える。

囁きは続く。

「……ゥ……ラ……」

舌が絡んだような音。

水の中で話しているみたいに、ぐちゃぐちゃだ。

でも、

**怒りの響き**があった。

呪いみたいに。

蓮の胸の上の重みが、わずかに動く。

ぎし、と布団が沈む。

「……っ」

息が苦しい。

肺が押される。

吸っても、空気が入らない。

「やめろ……」

涙が滲む。

そのとき。

顔に、

何かが触れた。

「……!」

冷たい。

ぬるい。

皮膚ではない。

ぬめった感触。

ゆっくり、

頬をなぞる。

「……触るな」

指だった。

長い。

細い。

影みたいに黒い。

街灯の薄い光の中で、

それが

**輪郭を持っていた。**

「……お前……」

蓮の視線が、ゆっくり動く。

胸の上。

そこに、

何かがいる。

暗い塊。

人の形。

でも、顔がない。

煙みたいに揺れている。

「……来るな」

指が、頬から唇へ移る。

冷たい。

ぞわ、と鳥肌が立つ。

影の声が、また囁く。

「……ァ……ァ……」

耳元。

近すぎる。

吐息が頬に当たる。

湿っている。

泥の匂いがした。

「……なんなんだよ」

涙がこぼれる。

「なんなんだよ、お前……」

影は答えない。

ただ、

**笑った気がした。**

声ではない。

空気の揺れ。

震え。

それが笑いに聞こえる。

影の指が、蓮の目の下をなぞる。

涙をすくうみたいに。

「……やめろ」

そのとき、

時計が鳴った。

**カチ。**

その瞬間。

体が動いた。

蓮は勢いよく起き上がる。

「はぁッ!」

空気を吸う。

肺が痛い。

胸が焼ける。

「はぁ……はぁ……」

部屋は静かだった。

誰もいない。

布団の上にも、

何もない。

「……夢?」

呟く。

でも、

頬が冷たい。

触る。

指先が震える。

そこに、

濡れた跡があった。

泥のような匂い。

「……違う」

蓮はゆっくり部屋を見渡す。

暗い。

静か。

ゴミ袋。

机。

壁。

何もいない。

「……いないよな」

言いながら、壁の隅を見る。

そこ。

影が一番濃い場所。

そこに、

何かがある気がする。

「……いるのか」

沈黙。

そのとき、

パキ。

壁の奥で音がした。

木が割れるみたいな乾いた音。

蓮の背筋が凍る。

「……やめろよ」

声が震える。

パキ。

また鳴る。

まるで、

**誰かが中から叩いているみたいに。**

蓮は毛布を握りしめた。

そして気づく。

さっき見た影。

あれは、

煙みたいだったのに。

今は違う。

はっきり思い出せる。

腕。

肩。

指。

形がある。

「……なんで」

喉が乾く。

「なんで、はっきりしてきてるんだよ」

部屋の隅。

暗闇が、わずかに揺れた気がした。

蓮は目を逸らせない。

もし、あそこに

**もう一度立っていたら。**

そう思うと、

まばたきすら怖かった。

時計が鳴る。

**カチ。**

その音のたび、

影が少しずつ

**近づいている気がした。**

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