『65歳、延長雇用を終えた日、妻に離婚届を渡された ― 未婚男性の死亡中央値67.2歳から始まる、僕の再就職人生 ―』

かおるこ

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第11話 仕事の終わり、値札のついた男

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第11話 仕事の終わり、値札のついた男

朝の空気は、まだ少し冷たかった。

ハローワークの前の歩道には、同じような年齢の男たちが立っている。
誰もあまり目を合わせない。

恒一はスーツの襟を整える。

「……久しぶりだな」

就職活動という言葉を、口に出すと少し苦かった。

自動ドアが開く。

中は暖房が効いていて、少し古いカーペットの匂いがした。
番号札を取る。

**42番**

電子掲示板の数字がゆっくり変わる。

「……41番の方」

恒一は呼ばれる。

窓口の若い職員がパソコンを見ながら言う。

「希望職種は?」

「営業です」

「営業経験は?」

「四十年」

職員が顔を上げる。

「……管理職ですか」

「はい。営業部長でした」

職員は少し考える。

キーボードを打つ音。

カタカタ。

「ただ……」

恒一は眉を上げる。

「この年齢だと」

言葉を選ぶ。

「管理職求人は、ほぼありません」

恒一は笑う。

「そうですか」

「現場職なら」

「現場?」

「はい」

恒一は小さく頷く。

「……わかりました」

---

一週間後。

面接。

小さな会議室。

蛍光灯の白い光。

向かいに座る男が履歴書を見る。

「営業部長」

「はい」

男は聞く。

「現場作業はできますか?」

恒一は答える。

「できます」

「パソコンは?」

「基本操作なら」

男は頷く。

「周囲に指示される立場でも大丈夫ですか?」

恒一は一瞬だけ止まる。

かつて自分が部下に言っていた言葉。

**「指示に従ってください」**

その言葉が、今は自分に向けられている。

恒一は言う。

「大丈夫です」

男は履歴書を閉じる。

「検討します」

その言葉の意味を、恒一は知っていた。

---

三回目の面接。

四回目。

五回目。

結果は同じだった。

帰り道、コンビニのガラスに映る自分を見る。

スーツ。

だが肩は少し落ちている。

「……歳か」

小さく言う。

---

ある日、電話が鳴る。

「立石さん?」

「はい」

「マンション管理会社です」

恒一は背筋を伸ばす。

「管理員の仕事ですが」

少し間。

「よろしければ」

恒一はすぐ言う。

「やります」

電話を切る。

部屋は静かだった。

恒一は窓を見る。

「……決まった」

その声は、少しだけ軽かった。

---

初日。

制服を渡される。

グレーのジャケット。

帽子。

恒一は更衣室の鏡を見る。

「……きついな」

腹が少し出ている。

袖も短い。

鏡の中の男は、思ったより老けていた。

六十五歳。

恒一は帽子を被る。

「まあ」

肩を回す。

「仕事だ」

---

マンションのエントランス。

朝の光がガラスに反射する。

掃除用具の匂い。

モップ。

雑巾。

恒一は床を拭く。

水の音。

シャッシャッ。

通り過ぎる住民。

一人が言う。

「ああ、管理人さん」

恒一は頭を下げる。

「おはようございます」

男は軽く頷くだけ。

恒一は少し苦笑する。

かつては

**「立石部長」**

今は

**「管理人さん」**

名前も知られない。

---

午後。

エントランスの電灯が切れている。

住民の女が言う。

「これ、つかないんですけど」

恒一は脚立を持ってくる。

「見てみます」

ネジを外す。

金属の匂い。

新しい電球を入れる。

パチン。

光がつく。

女が言う。

「助かりました」

その言葉は短かった。

だが、少し温かい。

恒一は言う。

「いえ」

脚立を畳む。

---

夕方。

小さな子どもがエントランスで泣いている。

「お母さん……」

恒一はしゃがむ。

「どうした」

子どもは涙を拭く。

「迷った」

「何号室?」

「……わかんない」

恒一は笑う。

「おじいちゃんと探すか」

子どもが聞く。

「おじいちゃん?」

恒一は少し笑う。

「まあ、似たようなもんだ」

一緒にエレベーターに乗る。

ドアが閉まる。

静かな箱の中。

子どもが言う。

「ありがとう」

その言葉が、少し胸に響く。

---

仕事が終わる。

外に出る。

夕焼けが空を赤く染めている。

空気が少し冷たい。

恒一は歩く。

ポケットに手を入れる。

マンションの灯りが後ろで点く。

ふと立ち止まる。

夕焼けの光が目に入る。

恒一は小さく言う。

「……肩書がなくても」

風が吹く。

街の匂い。

遠くで電車の音。

恒一は続ける。

「仕事ってあるんだな」

その言葉は、夕焼けの空に溶けていった。

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