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第12話 飯を炊ける男
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第12話 飯を炊ける男
朝の台所は、まだ冷たい。
流し台の金属が、指先にひんやりと触れる。
窓の外は曇り空。
遠くでトラックのエンジン音が唸っている。
恒一はボウルに米を入れ、水を注いだ。
白い粒が水の中で揺れる。
「……最初は、こんなのも知らなかったんだよな」
手を入れて、米を研ぐ。
しゃり、しゃり。
指の腹に小さな粒が当たる感触。
水はすぐ白く濁る。
恒一はそれを流す。
ジャーッ。
冷たい水が流れ、手の甲を滑る。
二回、三回。
「こんなもんか」
炊飯器に入れる。
ボタンを押す。
**ピッ**
それだけで、米が炊ける。
昔は、その音すら聞いたことがなかった。
志保がいつもやっていたからだ。
恒一はふと苦笑する。
「便利な世の中だな」
炊飯器が静かに働き始める。
コト……コト……。
---
味噌汁も作る。
鍋に水を入れ、昆布を入れる。
火をつける。
ガスの匂い。
小さな青い炎。
「出汁って、こんな匂いだったんだな」
昆布を取り出し、鰹節を入れる。
ふわりと、だしの香りが広がる。
柔らかくて、温かい匂い。
恒一は目を細める。
「……いい匂いだ」
味噌を溶く。
スプーンでゆっくり混ぜる。
味見。
「……うん」
少ししょっぱい。
だが、最初の頃よりずっとまともだ。
最初は鍋を焦がした。
味噌を入れすぎて、飲めないほど塩辛くなったこともある。
それでも、少しずつ覚えた。
米を炊くこと。
味噌汁を作ること。
生活すること。
---
その日の夕方。
アパートの廊下で、ドン、と音がした。
恒一はドアを開ける。
隣の部屋の前。
小学生の男の子が、工具箱を抱えて困っていた。
「どうした」
男の子が振り向く。
「あ、おじさん」
汗ばんだ額。
ランドセルが床に置いてある。
「棚が壊れた」
「棚?」
部屋の中を見る。
安い木の棚が、ぐらぐらしている。
「お母さん?」
「仕事」
恒一はしゃがむ。
棚を押してみる。
ネジが外れている。
「……ドライバーあるか」
男の子が差し出す。
「これ」
恒一は工具を受け取る。
ネジを締める。
ギギッ。
木の軋む音。
少し力を入れる。
カチッ。
棚がまっすぐになる。
恒一は立ち上がる。
「直った」
男の子が目を輝かせる。
「すごい!」
恒一は笑う。
「大したことない」
男の子は言う。
「おじさん、なんでも屋さんみたい」
恒一は首を振る。
「なんでもはできないよ」
男の子は少し考える。
それから言う。
「でも」
「ん?」
「前より笑うようになった」
恒一は、そこで止まる。
「……そうか?」
男の子は頷く。
「うん」
廊下の窓から夕方の光が差し込む。
橙色の光。
恒一は何も言えない。
自分が最近、少し息をしていることに気づいた。
---
数日後。
夜。
恒一が帰ると、隣の部屋のドアが開いていた。
男の子——晴斗が立っている。
「おじさん」
「どうした」
「お母さん、熱」
恒一は驚く。
部屋の中。
真由が布団に横になっている。
顔が赤い。
「すみません……」
かすれた声。
「大丈夫です」
恒一は言う。
「何か食べた?」
真由は首を振る。
晴斗が小さく言う。
「お腹すいた」
恒一は少し考える。
それから言う。
「うち来い」
---
六畳の台所。
フライパンが火にかかる。
ジュッ。
油の匂い。
卵を割る。
カラン、と殻が落ちる。
恒一は慌てて拾う。
「……失敗」
晴斗が椅子に座って見ている。
「おじさん料理できるの?」
「最近な」
卵を混ぜる。
ネギを少し入れる。
フライパンに流す。
ジュッ。
いい匂い。
だが、少し焦げる。
黒い線が出る。
「……悪いな」
皿に乗せる。
米と味噌汁。
晴斗が箸を持つ。
一口食べる。
もぐもぐ。
恒一は少し緊張する。
晴斗が言う。
「おいしい」
その二文字で、胸が熱くなる。
湯気が目にしみる。
恒一は言う。
「……ほんとか」
晴斗は頷く。
「うん」
米をもう一口食べる。
「お母さんの味と違うけど」
「違うけど?」
「おいしい」
恒一は笑う。
その笑いは、どこか照れていた。
人生で初めてだった。
誰かのために作った飯が、感謝される。
恒一は味噌汁をすする。
だしの匂い。
温かい湯気。
胸の奥がじんわり熱い。
恒一は小さく言う。
「……飯を炊ける男になったな」
晴斗が笑う。
「うん」
その声が、部屋の中で静かに響いた。
朝の台所は、まだ冷たい。
流し台の金属が、指先にひんやりと触れる。
窓の外は曇り空。
遠くでトラックのエンジン音が唸っている。
恒一はボウルに米を入れ、水を注いだ。
白い粒が水の中で揺れる。
「……最初は、こんなのも知らなかったんだよな」
手を入れて、米を研ぐ。
しゃり、しゃり。
指の腹に小さな粒が当たる感触。
水はすぐ白く濁る。
恒一はそれを流す。
ジャーッ。
冷たい水が流れ、手の甲を滑る。
二回、三回。
「こんなもんか」
炊飯器に入れる。
ボタンを押す。
**ピッ**
それだけで、米が炊ける。
昔は、その音すら聞いたことがなかった。
志保がいつもやっていたからだ。
恒一はふと苦笑する。
「便利な世の中だな」
炊飯器が静かに働き始める。
コト……コト……。
---
味噌汁も作る。
鍋に水を入れ、昆布を入れる。
火をつける。
ガスの匂い。
小さな青い炎。
「出汁って、こんな匂いだったんだな」
昆布を取り出し、鰹節を入れる。
ふわりと、だしの香りが広がる。
柔らかくて、温かい匂い。
恒一は目を細める。
「……いい匂いだ」
味噌を溶く。
スプーンでゆっくり混ぜる。
味見。
「……うん」
少ししょっぱい。
だが、最初の頃よりずっとまともだ。
最初は鍋を焦がした。
味噌を入れすぎて、飲めないほど塩辛くなったこともある。
それでも、少しずつ覚えた。
米を炊くこと。
味噌汁を作ること。
生活すること。
---
その日の夕方。
アパートの廊下で、ドン、と音がした。
恒一はドアを開ける。
隣の部屋の前。
小学生の男の子が、工具箱を抱えて困っていた。
「どうした」
男の子が振り向く。
「あ、おじさん」
汗ばんだ額。
ランドセルが床に置いてある。
「棚が壊れた」
「棚?」
部屋の中を見る。
安い木の棚が、ぐらぐらしている。
「お母さん?」
「仕事」
恒一はしゃがむ。
棚を押してみる。
ネジが外れている。
「……ドライバーあるか」
男の子が差し出す。
「これ」
恒一は工具を受け取る。
ネジを締める。
ギギッ。
木の軋む音。
少し力を入れる。
カチッ。
棚がまっすぐになる。
恒一は立ち上がる。
「直った」
男の子が目を輝かせる。
「すごい!」
恒一は笑う。
「大したことない」
男の子は言う。
「おじさん、なんでも屋さんみたい」
恒一は首を振る。
「なんでもはできないよ」
男の子は少し考える。
それから言う。
「でも」
「ん?」
「前より笑うようになった」
恒一は、そこで止まる。
「……そうか?」
男の子は頷く。
「うん」
廊下の窓から夕方の光が差し込む。
橙色の光。
恒一は何も言えない。
自分が最近、少し息をしていることに気づいた。
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数日後。
夜。
恒一が帰ると、隣の部屋のドアが開いていた。
男の子——晴斗が立っている。
「おじさん」
「どうした」
「お母さん、熱」
恒一は驚く。
部屋の中。
真由が布団に横になっている。
顔が赤い。
「すみません……」
かすれた声。
「大丈夫です」
恒一は言う。
「何か食べた?」
真由は首を振る。
晴斗が小さく言う。
「お腹すいた」
恒一は少し考える。
それから言う。
「うち来い」
---
六畳の台所。
フライパンが火にかかる。
ジュッ。
油の匂い。
卵を割る。
カラン、と殻が落ちる。
恒一は慌てて拾う。
「……失敗」
晴斗が椅子に座って見ている。
「おじさん料理できるの?」
「最近な」
卵を混ぜる。
ネギを少し入れる。
フライパンに流す。
ジュッ。
いい匂い。
だが、少し焦げる。
黒い線が出る。
「……悪いな」
皿に乗せる。
米と味噌汁。
晴斗が箸を持つ。
一口食べる。
もぐもぐ。
恒一は少し緊張する。
晴斗が言う。
「おいしい」
その二文字で、胸が熱くなる。
湯気が目にしみる。
恒一は言う。
「……ほんとか」
晴斗は頷く。
「うん」
米をもう一口食べる。
「お母さんの味と違うけど」
「違うけど?」
「おいしい」
恒一は笑う。
その笑いは、どこか照れていた。
人生で初めてだった。
誰かのために作った飯が、感謝される。
恒一は味噌汁をすする。
だしの匂い。
温かい湯気。
胸の奥がじんわり熱い。
恒一は小さく言う。
「……飯を炊ける男になったな」
晴斗が笑う。
「うん」
その声が、部屋の中で静かに響いた。
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