『65歳、延長雇用を終えた日、妻に離婚届を渡された ― 未婚男性の死亡中央値67.2歳から始まる、僕の再就職人生 ―』

かおるこ

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第14話 再会は赦しではない

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第14話 再会は赦しではない

電話が鳴ったのは、夜の九時だった。

六畳の部屋。
机の上のスタンドライトだけが点いている。
テキストのページは「給排水設備」で止まったままだ。

恒一はペンを置く。

スマホを見る。

**娘**

胸の奥が少しざわつく。

「もしもし」

電話の向こうで、娘の声がする。

「お父さん?」

「どうした」

少し間。

「お母さん、入院した」

恒一は椅子から立ち上がる。

「……何?」

「大した病気じゃないって」

娘が言う。

「でも、熱と咳が続いてて」

恒一は黙る。

窓の外で風が鳴る。

娘が続ける。

「お父さんに言うか迷ったんだけど」

「……どこの病院だ」

娘は小さく息を吐く。

「やっぱり来るんだ」

「……場所」

---

病院の廊下は、白かった。

蛍光灯の光。
床はワックスの匂い。

消毒液の匂いが鼻に刺さる。

恒一は受付で名前を書く。

「付き添いです」

その言葉を口にするのが、少し不思議だった。

エレベーターが開く。

チン。

四階。

廊下には白いカーテンが並んでいる。

乾いた咳の音。

カーテンを開ける。

志保がベッドに座っていた。

少し痩せている。

顔色は悪くないが、前より小さく見える。

志保は驚いた顔をする。

「……来なくてよかったのに」

恒一は少し笑う。

「そう言うなよ」

椅子を引く。

ギシ、と音がする。

二人とも少し黙る。

窓の外で救急車のサイレンが遠く鳴る。

志保が言う。

「娘が呼んだの?」

「まあな」

「大げさなのよ」

恒一は聞く。

「医者はなんて」

「風邪」

志保は苦笑する。

「歳とると長引くって」

恒一は頷く。

「そうだろうな」

沈黙。

志保が咳をする。

コン、コン。

恒一は立ち上がる。

「水あるか」

棚を見る。

空のコップ。

恒一は廊下へ出る。

自販機で水を買う。

冷たいペットボトル。

手に冷たさが伝わる。

戻る。

「ほら」

志保が受け取る。

「ありがとう」

少し飲む。

喉が鳴る。

ゴク。

志保は言う。

「あなた」

「ん?」

「こういうの、前はしなかった」

恒一は苦笑する。

「そうだな」

---

その夜。

恒一は受付へ行く。

「付き添い手続きです」

書類を書く。

住所。

名前。

電話番号。

ペンが紙を擦る音。

そのあと、コンビニへ行く。

果物。
ヨーグルト。
歯ブラシ。

ビニール袋がカサカサ鳴る。

病室へ戻る。

志保が言う。

「買い物?」

「足りないもんあるだろ」

袋を置く。

志保は中を見る。

「……こんなに」

恒一は肩をすくめる。

「管理人やってると」

「こういうの慣れる」

志保が少し笑う。

「管理人」

「そう」

「似合ってる?」

恒一は言う。

「たぶんな」

志保はしばらく黙る。

それから言う。

「あなた」

「ん?」

「変わったのね」

恒一は少し笑う。

「遅すぎたけどな」

窓の外で夜の風が鳴る。

カーテンが少し揺れる。

志保は恒一を見る。

その目には、怒りも恨みもない。

ただ、少し遠い時間がある。

志保が言う。

「でも」

「なに」

「今のあなた」

少し微笑む。

「嫌いじゃない」

恒一は笑う。

「それは光栄だ」

二人で小さく笑う。

---

面会時間が終わる。

廊下に出る。

蛍光灯が白い。

志保が言う。

「もう帰っていい」

「そうか」

恒一は頷く。

ドアの前で立ち止まる。

志保が言う。

「ねえ」

「ん?」

「復縁とか」

少し笑う。

「そういうの、考えてないから」

恒一は答える。

「俺も」

二人は少し笑う。

志保が言う。

「でも」

「なに」

「こうやって話せるのは」

少し目を細める。

「悪くない」

恒一は頷く。

「そうだな」

別れ際。

志保が言う。

「恒一」

「ん?」

「あなた」

少し間。

「やっと自分の人生を生き始めた顔してる」

その言葉は、静かだった。

だが温かかった。

恒一は何も言わない。

ただ、少しだけ頭を下げる。

廊下を歩く。

白い光。

足音がコツ、コツと響く。

胸の奥に、志保の言葉が残る。

それは赦しではない。

復縁でもない。

だが。

静かな祝福だった。

外に出る。

夜の空気が冷たい。

恒一は空を見る。

そして、小さく呟く。

「……ありがとう」

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