『65歳、延長雇用を終えた日、妻に離婚届を渡された ― 未婚男性の死亡中央値67.2歳から始まる、僕の再就職人生 ―』

かおるこ

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第15話 カーディガン

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第15話 カーディガン

朝の空気は、少し冷たかった。

アパートの階段を降りると、金属の手すりがひんやりしている。
空は薄い雲で覆われていて、冬の匂いがする。

恒一はポケットに手を入れる。

「……寒いな」

息が少し白い。

病院へ行く前に、駅前のショッピングモールに立ち寄った。

自動ドアが開く。

ふわっと暖房の空気が顔に当たる。
店内には柔らかい音楽。

白い照明。
整然と並んだ服。

恒一は立ち止まる。

「……ユニクロか」

服屋に来るのは、いつ以来だろう。

志保と一緒に来ていた頃は、ただ後ろをついて歩くだけだった。

「これどう?」と聞かれても、
「いいんじゃないか」としか答えなかった。

恒一は苦笑する。

「自分で選ぶのか」

店内を歩く。

ニットの棚。
マネキンが着ているカーディガン。

柔らかいウールの匂い。

恒一は一枚手に取る。

グレーのカーディガン。

指先で触る。

ふわっとした感触。

「……軽いな」

サイズ表記を見る。

M。

「志保、Mだったよな」

小さく呟く。

それから、少し迷う。

店員の若い女性が近づく。

「何かお探しですか?」

恒一は少し照れる。

「ああ……」

カーディガンを見せる。

「これ、女性用?」

店員が笑う。

「はい」

「入院してる人に」

「お見舞いですか?」

「まあ」

店員は頷く。

「病院だと、前開きの方が便利ですよ」

「そうなのか」

「羽織れるので」

恒一はカーディガンを見る。

「じゃあ、これ」

店員が聞く。

「サイズは?」

恒一は少し考える。

志保の姿を思い出す。

台所。
エプロン。
少し細い肩。

「……Mで」

店員が言う。

「プレゼント用にします?」

恒一は首を振る。

「袋でいい」

レジの音。

ピッ。

袋がカサカサ鳴る。

恒一はそれを受け取る。

「どうも」

店員が微笑む。

「お大事に」

恒一は軽く頭を下げる。

店を出る。

外の空気は少し冷たい。

ビニール袋の中で、カーディガンが柔らかく揺れている。

恒一は歩きながら言う。

「……服なんて」

少し笑う。

「初めて買ったかもな」

---

病院。

白い廊下。
消毒液の匂い。

エレベーターの金属の壁に、自分の姿が映る。

帽子。
ジャンパー。
少し猫背。

「……管理人だな」

苦笑する。

四階。

カーテンを開ける。

志保がベッドに座っている。

「おはよう」

志保が少し驚く。

「また来たの?」

恒一は袋を持ち上げる。

「土産」

志保は眉を上げる。

「何?」

恒一は袋を渡す。

カサッ。

志保が中を見る。

グレーのカーディガン。

志保が言う。

「……ユニクロ?」

恒一は笑う。

「そう」

志保が笑う。

「あなたが?」

「悪いか」

志保は首を振る。

「びっくりしただけ」

カーディガンを広げる。

柔らかい布。

志保が腕を通す。

「……あったかい」

恒一は少し安心する。

「サイズ、大丈夫か」

志保は頷く。

「ぴったり」

袖を触る。

「こういうの、昔は買わなかったのに」

恒一は椅子に座る。

「昔は」

少し考える。

「俺、何もしてなかった」

志保は静かに笑う。

「今さら反省?」

恒一は言う。

「今さらだな」

志保は窓を見る。

冬の光。

白い雲。

「でも」

志保が言う。

「悪くない」

カーディガンの袖を引く。

「軽いし」

恒一は言う。

「店員が言ってた」

「病院は前開きがいいって」

志保は笑う。

「ちゃんと聞いてるのね」

恒一は肩をすくめる。

「接客されたからな」

二人で笑う。

静かな病室。

遠くでナースコールが鳴る。

ピンポーン。

志保が言う。

「ねえ」

「ん?」

「ありがとう」

恒一は頷く。

「どういたしまして」

窓の外に冬の空。

恒一はカーディガンを見る。

柔らかいグレー。

それは、派手でも特別でもない。

でも。

今の自分には、ちょうどいい贈り物だった。

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