『65歳、延長雇用を終えた日、妻に離婚届を渡された ― 未婚男性の死亡中央値67.2歳から始まる、僕の再就職人生 ―』

かおるこ

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第17話 苺と練乳

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第17話 苺と練乳

朝の空気は、まだ冬の匂いが残っていた。

アパートの階段を降りると、コンクリートがひんやりしている。
息を吐くと、白く曇った。

恒一はポケットの中で指をこすった。

「……風邪には」

小さく呟く。

「ビタミンCだろ」

誰に言うでもない。

病院へ行く前に、スーパーに立ち寄ることにした。

---

自動ドアが開く。

野菜売り場の冷たい空気。
水の霧が細かく漂っている。

苺のコーナーが赤く光っていた。

パックに並ぶ、小さな赤い粒。

「……お」

恒一は手に取る。

つやつやした苺。
指先にひんやりした感触。

甘い香りがほんのり漂う。

「志保、苺好きだったな」

ぽつりと言う。

志保はよく練乳をかけて食べていた。

皿に並べて、
「贅沢ね」なんて笑っていた。

恒一は苺をじっと見る。

「……ビタミンC」

言い訳みたいに呟く。

隣に練乳のチューブが並んでいる。

白いチューブ。

赤いキャップ。

恒一はそれを持ち上げる。

「……これもいるな」

カゴに入れる。

カタン。

その音が妙に軽かった。

---

レジの前。

店員が苺をスキャンする。

ピッ。

「いちご、598円です」

恒一は少し目を丸くする。

「……高いな」

店員が笑う。

「旬ですから」

恒一は苦笑する。

「そうか」

袋に入れる。

ビニールがカサカサ鳴る。

苺の甘い匂いが袋の中から漂う。

恒一は袋を持ち上げる。

「……よし」

---

病院へ向かう途中、コンビニに寄る。

ドアのチャイム。

**「いらっしゃいませー」**

店内のコーヒーの匂い。
揚げ物の油の匂い。

恒一は棚を見る。

紙皿。

プラスチックフォーク。

「……いるな」

紙皿のパックを手に取る。

軽い。

カサッ。

フォークも取る。

レジに持っていく。

店員の青年が聞く。

「温めますか?」

恒一は笑う。

「紙皿温めたら燃えるだろ」

青年が苦笑する。

「ですよね」

レジの機械が鳴る。

ピッ。

「302円です」

恒一は財布を出す。

硬貨の音。

チャリン。

袋を受け取る。

「どうも」

外に出る。

風が少し冷たい。

だが、袋の中の苺が重く感じる。

---

病院の廊下。

白い壁。

消毒液の匂い。

恒一は袋を持って歩く。

足音がコツ、コツと響く。

病室の前で立ち止まる。

「……苺か」

小さく笑う。

ノックする。

コンコン。

「どうぞ」

志保の声。

カーテンを開ける。

志保がベッドに座っている。

グレーのカーディガン。

昨日買ったやつだ。

恒一が言う。

「土産」

袋を持ち上げる。

志保が首をかしげる。

「また?」

恒一は袋から苺を出す。

赤いパック。

志保が笑う。

「苺?」

「ビタミンC」

恒一は得意げに言う。

志保は笑う。

「誰に聞いたの」

「俺の常識」

袋から練乳も出す。

志保は目を丸くする。

「……練乳まで?」

恒一は紙皿を出す。

「コンビニ」

志保は吹き出す。

「あなた」

「ん?」

「準備いいわね」

恒一は言う。

「昔は何もしてなかったからな」

紙皿に苺を並べる。

赤い粒。

白い練乳。

甘い匂いが広がる。

志保がフォークを取る。

一口食べる。

もぐもぐ。

「……甘い」

恒一は聞く。

「うまいか」

志保は頷く。

「うん」

それから言う。

「久しぶり」

恒一は苺を一つ取る。

口に入れる。

酸味。

甘み。

「……うまいな」

志保が笑う。

「でしょ」

病室の窓から光が差し込む。

苺が赤く光る。

志保が言う。

「ねえ」

「ん?」

「あなた」

少し考える。

「こういうこと、前は絶対しなかった」

恒一は笑う。

「そうだな」

志保はフォークを置く。

「でも」

恒一を見る。

「悪くない」

恒一は苺をもう一つ食べる。

甘い。

胸の奥が少し温かい。

恒一は小さく言う。

「……風邪には」

志保が笑う。

「ビタミンC?」

恒一は頷く。

「そう」

二人で苺を食べる。

白い病室。

赤い苺。

甘い匂い。

その時間は、静かで、
少しだけ優しかった。

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