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第3話 既読 1:12
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第3話 既読 1:12
眠れなかった。
圭吾の寝息は規則正しく、静かに、私の横で生きている音を立てている。
部屋は暗い。加湿器の小さなランプだけが青く光っている。
私は横向きのまま、目を開けていた。
1:12。
通知音は鳴らなかった。
バイブもなかった。
けれど、私は目を開けた。
どうしてか分からない。
胸がざわついていた。
圭吾のスマホが、ベッド脇の棚にある。
画面が、一瞬、光った。
見てはいけない。
でも、見る。
足の裏が冷たい床に触れる。
冬のフローリングは、薄く濡れた氷みたいだ。
私はスマホを手に取った。
指が震える。
パスコードは、知っている。
私の誕生日。
それを入力する自分が、急に惨めになる。
画面が開く。
LINE。
由奈。
トーク履歴。
最新。
《由奈ちゃん、今日も可愛かった》
送信時刻:1:12
既読。
私は、しばらくその文字を読めなかった。
“由奈ちゃん”
“今日も”
“可愛かった”
“かった”
過去形。
今日。
今日のドレス。
今日の笑顔。
今日の、腕。
私は立ったまま、息が浅くなる。
喉が乾く。
由奈からの返信。
《えーっ笑 お義兄さん酔ってるでしょ》
笑。
笑。
その一文字が、刃物みたいに光る。
圭吾が寝返りを打つ。
「……真帆?」
私はとっさにスマホを元に戻した。
「……トイレ」
「寒いから、ちゃんと布団入れよ」
優しい声。
優しい声。
優しい声。
トイレのドアを閉めた瞬間、鍵をかける音がやけに大きく響いた。
便座に座る。
手が冷たい。
吐き気が、ゆっくりと込み上げてくる。
「……冗談」
圭吾は、そう言うだろう。
「ただの冗談だって」
きっと、そう言う。
“真帆は考えすぎ”
“由奈ちゃんは妹だろ?”
“本気なわけないじゃん”
私は便器に手をかける。
喉の奥が焼ける。
胃が縮む。
夕食に食べた鯛の刺身の味が、酸っぱく変わって戻ってくる。
えずく。
涙が勝手に出る。
嗚咽は、音にならない。
便器の白い縁に、爪が食い込む。
「……怒らない」
怒らない。
怒ったら、みっともない。
怒ったら、嫉妬。
怒ったら、負け。
私は姉。
私は妻。
私は、しっかりしている。
もう一度、吐く。
胃の中が空になるまで。
水を流す音が、やけに大きい。
顔を上げる。
鏡。
泣いた顔。
目の下が赤い。
口の端に、わずかに吐瀉物の跡。
水で洗う。
冷たい。
冷たい。
「……大丈夫」
誰に言っているのか分からない。
ドアを開ける。
廊下は暗い。
寝室のドアを少し開ける。
圭吾は、眠っている。
背中。
あの背中。
私は布団に戻る。
横になる。
背中を見つめる。
この人は、今も、私の夫だ。
でも。
あのメッセージ。
あの1:12。
あの“可愛かった”。
私に向けたことは、ある?
いつ?
最後に?
「圭吾」
小さく呼ぶ。
「ん……?」
「……なんでもない」
言わない。
言えない。
喉が痛い。
涙が、静かに耳の方へ流れていく。
怒りは、ない。
ただ、穴。
胸の真ん中に、ぽっかりと。
底が見えない。
ここが、底。
怒鳴ることもできない。
責めることもできない。
由奈を嫌いにもなれない。
圭吾を憎めない。
ただ、自分が薄くなる。
透ける。
消える。
私は天井を見つめる。
暗闇の中で、数字のように光る。
1:12。
あの時間。
世界のどこかで、何かが壊れた時間。
私の中で、静かに。
音もなく。
壊れた。
眠れなかった。
圭吾の寝息は規則正しく、静かに、私の横で生きている音を立てている。
部屋は暗い。加湿器の小さなランプだけが青く光っている。
私は横向きのまま、目を開けていた。
1:12。
通知音は鳴らなかった。
バイブもなかった。
けれど、私は目を開けた。
どうしてか分からない。
胸がざわついていた。
圭吾のスマホが、ベッド脇の棚にある。
画面が、一瞬、光った。
見てはいけない。
でも、見る。
足の裏が冷たい床に触れる。
冬のフローリングは、薄く濡れた氷みたいだ。
私はスマホを手に取った。
指が震える。
パスコードは、知っている。
私の誕生日。
それを入力する自分が、急に惨めになる。
画面が開く。
LINE。
由奈。
トーク履歴。
最新。
《由奈ちゃん、今日も可愛かった》
送信時刻:1:12
既読。
私は、しばらくその文字を読めなかった。
“由奈ちゃん”
“今日も”
“可愛かった”
“かった”
過去形。
今日。
今日のドレス。
今日の笑顔。
今日の、腕。
私は立ったまま、息が浅くなる。
喉が乾く。
由奈からの返信。
《えーっ笑 お義兄さん酔ってるでしょ》
笑。
笑。
その一文字が、刃物みたいに光る。
圭吾が寝返りを打つ。
「……真帆?」
私はとっさにスマホを元に戻した。
「……トイレ」
「寒いから、ちゃんと布団入れよ」
優しい声。
優しい声。
優しい声。
トイレのドアを閉めた瞬間、鍵をかける音がやけに大きく響いた。
便座に座る。
手が冷たい。
吐き気が、ゆっくりと込み上げてくる。
「……冗談」
圭吾は、そう言うだろう。
「ただの冗談だって」
きっと、そう言う。
“真帆は考えすぎ”
“由奈ちゃんは妹だろ?”
“本気なわけないじゃん”
私は便器に手をかける。
喉の奥が焼ける。
胃が縮む。
夕食に食べた鯛の刺身の味が、酸っぱく変わって戻ってくる。
えずく。
涙が勝手に出る。
嗚咽は、音にならない。
便器の白い縁に、爪が食い込む。
「……怒らない」
怒らない。
怒ったら、みっともない。
怒ったら、嫉妬。
怒ったら、負け。
私は姉。
私は妻。
私は、しっかりしている。
もう一度、吐く。
胃の中が空になるまで。
水を流す音が、やけに大きい。
顔を上げる。
鏡。
泣いた顔。
目の下が赤い。
口の端に、わずかに吐瀉物の跡。
水で洗う。
冷たい。
冷たい。
「……大丈夫」
誰に言っているのか分からない。
ドアを開ける。
廊下は暗い。
寝室のドアを少し開ける。
圭吾は、眠っている。
背中。
あの背中。
私は布団に戻る。
横になる。
背中を見つめる。
この人は、今も、私の夫だ。
でも。
あのメッセージ。
あの1:12。
あの“可愛かった”。
私に向けたことは、ある?
いつ?
最後に?
「圭吾」
小さく呼ぶ。
「ん……?」
「……なんでもない」
言わない。
言えない。
喉が痛い。
涙が、静かに耳の方へ流れていく。
怒りは、ない。
ただ、穴。
胸の真ん中に、ぽっかりと。
底が見えない。
ここが、底。
怒鳴ることもできない。
責めることもできない。
由奈を嫌いにもなれない。
圭吾を憎めない。
ただ、自分が薄くなる。
透ける。
消える。
私は天井を見つめる。
暗闇の中で、数字のように光る。
1:12。
あの時間。
世界のどこかで、何かが壊れた時間。
私の中で、静かに。
音もなく。
壊れた。
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