ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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馬車のあと

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 大きな鐘の音が響く空間に、白い彫刻像が手を広げて見下ろしている。名を呼ばれたような気がして振り向けば、白い衣装を着たエリックが手招いていた。なぜか嫌悪感が沸いて行きたくなかった。 

「どうして祝いの言葉をくれないのかしら?」 

 どこから聞こえるのかチュリナの声が責めるように尋ねた。 

「言おうとしたわ。でも頂が気になって…ごめんなさい」 

 ごめんなさい…私はよく二人に謝っていた。廊下ですれ違う度に罵声を浴びるか、ため息をつかれていた。私はそれに謝ることしかできなかった。 

「なにを謝る?お前は無視していいんだぞ。公爵夫人だぞ」 

 やけに鮮明に聞こえる声に疑問より安堵が沸き上がり、頬が緩んだ。 

「乳首のせいで悪夢が再発したのか?感度上げは断念」 

 ディオルド様の声に目蓋を開けると寝室の天井が見えた。 

「起きたか」 

 書類を置く音が聞こえ、視線を向けると椅子に座るディオルド様が立ち上がろうと腰を上げた。 

「喉が渇いたろ?」 

 寝台脇にある棚の上から水差しを手に持ち近づくディオルド様はグラスを使わず、直接口をつけて飲んでいる。 

 私に喉が渇いたか聞いたように思っていたけど寝ぼけて聞き間違えたみたい。屈んだディオルド様が私に口づけをしながら水を飲み込んだけれど、体勢のせいで口から漏れて私の顔を濡らした。 

「あ…すまん…ロシェル…今度こそ…ロシェル…お前も協力してくれ…口を開けるんだ」 

 ディオルド様はまた水を口に含んだ。 

「…水を…私に?」 

 口から…?濡れた顔を拭いたくても腕が重いわ。まるで閨をした後のよう…あ…私たち…馬車で… 

 ディオルド様の指が口に入れられ、されるがまま開くとまた口を覆った。勢いよく流れ来る水が口から溢れてしまう。

「ん…く…」 

 飲める分はなんとか飲んだけれど、また枕を濡らしてしまった。 

「こんな…寝ながら飲むなんて…ふふ…ディオルド様…私…とても濡れてしまいました」 

「ああ…お前はとても濡れた…俺の衣装は洗濯に出せないほど濡れたぞ…ロシェル」 

 会話が噛み合っていないような気がする。 

「もっと飲むか?」 

「いえ…口から…飲ませる必要が?」

 ディオルド様も飲みたかったのかしら?手間を省くために… 

「口移しだ…ロシェル…俺の口に入れたものをお前に……わ…忘れろ…」 

 赤い耳に触れたくて手を伸ばすとディオルド様は頬を寄せた。硬い頬を手のひらに感じ、指先で耳に触れる。 

「口移し…また…してください」 

「…ああ」 

「ふふ…顔を拭いましたの?」 

 私の紅で汚れていたのにきれいになっている。 

「ああ。俺一人で女の世話などしたことがなくてな。お前を着替えさせるのに手間取った」 

「ありがとうございます」 

「俺が我慢できなかったからだ。俺のせいだ。いくらお前が頂に触れろと誘惑しても、待てと言える忍耐力がなかった。俺の未熟さが」 

 私はディオルド様の唇に触れ、開いた口にゆっくりと指を入れる。 

「…りょしぇりゅ」 

「ふふ、私は頂が痛かゆいから留め具を緩めてと言いました…ふふ…面白いディオルド様…」 

「…ふきだ…りょしぇりゅ…」 

「私も…好き…」 

 ディオルド様は険しい顔をして私の指を噛んだ。痛くない刺激に微笑む。手を掴んだディオルド様はそのまま重ね、満足そうに頬に擦り付けている。触れたい、触れていたいと言っているようで鼓動が速まる。 

「これが誘っていると言うんだ」 

 低い声が凄んでいるように睨むけれど… 

「私…なにも言えなくなります」 

「言うなと言ってないだろ…いくらでも誘え…俺の忍耐力を試せ」 

「ふふ!本当に…ディオルド様は楽しい人……私…寝言を?」 

 硬い頬を何度も撫でていると、腕を上げているのは疲れるだろとディオルド様は寝台の端に寝転んだ。私の手のひらは寝台と頬に挟まれて撫でられない。 

「頂が気になって…とな」 

 チュリナに謝っていたところは口にしなかったのね。 

「悪夢と言うより…記憶に近いものでした」 

「…嫌な思いはしなかったか?」 

「はい」 

 ファミナの言葉も、見知らぬ人の好奇な視線も言葉も、チュリナにもなにか感じることはなかった。 

「…祝いの言葉は伝えるつもりでした…チュリナ本人に」 

「そのときはもう痛かゆかったか?」 

「ふふ、そうなのです。心のなかは背中の留め具のことでいっぱい」 

「ははっ、そうか」 

「教会でファミナ夫人は私に対して罵倒するような言葉を…私…責めるべきか…でも結婚式を滞りなく終わらせたくて」 

 私のほうが立場は上だから、ファミナの言葉に怒るべきだったのかもしれない。 

「お前は責める言葉など言わんような気がする。無視したほうが楽だろ」 

 その通りだわ。楽だから無視をする。それはブリアールにとって… 

「いいんだ、ロシェル。楽を取れ。悩むことはない。ブリアールだからとお前が尊大な態度を取る…そんなこと…無理はするな」 

 この人は私の悩みを即座に解決してくれる。 

「はい…ディオルド様の声は…夢の中でも私を…私に安心をくれます…あなたの声が聞こえて…喜びを感じました」 

 ディオルド様は嬉しそうに、そしてとても優しく微笑んでいる。 

「もう夜ですのね」 

 外は暗いわ。私はずいぶん寝てしまった。 

「腹が空いたろ?」 

「はい」 

「そろそろエコーが運ぶ」 

 私たちの狭い世界にいつまでも浸っていたい。誰にも壊されたくない。 




「閉ざしたか?」 

「扉はすべて」 

 抱かない夜もあるが毎日施錠すると決めた。 

「エコー、ロシェルは寝てる。心配するな。ダフネがそばにいる」 

 父上の命令を全うするため、そばを離れることを厭うエコーに仕事を任せた。相手が相手だからか、断ることはなかったが。 

「暗殺者か」 

「いつ来るかってことっすよ」 

「それは奴にもわからんのだろう?」 

「そう言ってましたね。エコー、バロン・シモンズの真似して報告しろよぉ」 

 ガガが体をくねくねさせている。その理由がわからんが。 

「バロン・シモンズは裏組織と繋がっています」 

 裏組織か。腕の立つ私兵を持たない金持ちが使う集団だ。襲撃、強盗、強姦、殺人、誘拐、違法薬物、競売と金さえ払えばなんでも引き受ける。だが、組織を使うにはそれ相応のリスクも伴う。多額の支払いと共に依頼主の証明書を組織に掴まれる。後ろ暗い依頼は証拠を残され、裏切れば依頼主も道連れにする構図ができている。 

「もしかしてシモンズ息子が幹部?」 

 ガガの言葉に首を振る。 

「シモンズには優秀な私兵が多い。危ない橋を渡らずとも解決できる金もある。組織に属しているとは思えん、が…」 

「知り合いはいます」 

「だな」 

 どこで知り合ったかは知らんが、奴の言葉を信じるなら幹部は知り合いだな。 

「厳重警戒?発動?」 

 ガガの言葉に一考する。厳重警戒、ブリアールの騎士総動員を意味する。 

「…いや…離邸に騎士を近づけたくない」 

「それは閣下、当分むんむんは我慢して」 

「いや、無理だ」 

「無理…て……そんなこと言ってられないっすよ」 

「ロシェルが不安がるだろ?俺が触れないとあいつは寂しいと言うんだ」 

 ガガはエコーを見るが、無視をされている。 

「…言ったの…?妄想…閣下…幻聴って知ってます?」 

「幻聴?ロシェルの顔がそう言ってる」 

 ガガは天井を仰いだ。

「マジ…お花畑閣下じゃんかぁ…」 

「ガガ、俺たちはいつものように過ごす。過剰に警戒することはない」 

「余裕っすね」 

「敵は少数だ」 

「…確かに…数で攻め込むことは考えられないっすよね」 

 ここは首都だ。王宮も近く、王国騎士団が駆けつけられる位置にある。敵は闇夜に紛れて静かに襲う。 

「ガガ」 

「はい?」 

「…スモーク、ダート、ゼノ…お前たち四人が迎えてやれ」 

「敵はどうなっても?」 

 残骸のことを言っているんだろうな。 

「ああ…離邸の庭が赤く染まれば悲しむかもしれんが、すぐに元に戻せる」 

 敵の強さがわからんから、こっちははじめから全力で迎え撃たねばならん。 

「離邸に入られる前に必ず仕留めろ。一匹は生け捕れ」





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