ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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『あなたが恋しい』

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 美しい旋律が優しく体を撫でるようにくすぐりながら耳に届く。俺の知らない曲に領地で買った楽譜を読んだなと頭に浮かぶ。 

「…あれはいやらしいにまじゃない…ほんわかにま…だな」 

「黙れ、ガガ…旦那様」 

「ああ…いいぞ…報告」 

「バロン・シモンズの左足を金槌かなづちで砕きました」 

 書類をめくりながらゼノの報告を聞く。 

「名医にみせても無理なほどか?」 

「走ることはできません。歩くにも杖が必要です」 

「…痛いだろうな」 

「はい。痛みで気絶しました。バロン・シモンズは組織の根城を吐くつもりのようでしたが」 

「ガガ」 

「はい。こほん……私は侵入者ギギに尋ねました…ブリアール公爵閣下がお前の入れないような場所を探してくれるそうだ……俺に貴族に頼めってぇ~?そこまで落ちぶれちゃいな~い……でもバロン・シモンズを探してるんだろ?知り合い…友達なんだろう?…ここで私は優しくギギの頭を撫でました」 

 ガガは撫でる仕草をした。 

「…バロちゃんって言ってたぞ、ギギ……俺がぁ~?違うバロって奴のことだよぉ~…血を失くしすぎたなぁ~今も体に力が入んねぇよぉ~……それは縄でぐるぐる巻きだからな、ギギ……強くなったんだなぁここまでしないと」 

「ガガ、余計な部分は省け」 

 ガガは不満そうな顔をしたが、ゼノの険しい視線に気づき咳払いをした。 

「閣下ならすぐに探し出せる。俺を信じろ、ギギ…貴族のことは貴族に任せろよ…とこれが効いたらしく、閣下の要求を飲み、根城も教えると」 

 なぜかガガは拳を突き上げた。 

「組織に足を引きずる男がいると?」 

 ガガは腕を下ろし頷いた。 

「何人かいると」 

「右足が悪く、貧相な身なりではない者だ」 

「組織に出入りしている奴は~多すぎてなぁ~俺の記憶にはいねぇよぉ~……って」 

 スモークが見た男の特定はできずか… 

「そうか。ブリアールに関する依頼の報告、及び組織の根城の確認…とりあえず、奴の言葉が正しいか裏を取れ」 

「ギギは頭の右腕だそうです」 

「想像より上の立場だったな。ゼノ、ダートを向かわせろ。裏が取れ次第、ガガの弟を解放。その二日後にバロン・シモンズを根城の近くに置け」 

「は…」 

「エコーにもう一度トラヴィスになれと指示を出す。奴が死なぬよう水と流動食を与えろ」 

「承知しました」 

「…バロちゃん…糞尿垂れ流しでひどい有り様だろうなぁ」 

 ガガの言葉にゼノが頷いた。 

「解放するときは水でもかけて汚れを流してやれ」 

 加虐性が強い男ならば苦しみと屈辱を怒りと憎しみに変えるだろう。 

「トールボットはどうなるか…俺は知らん…関係ない…ん?…ピアノが止まったぞ…途中じゃないか?」 

 中途半端に終わる曲なのか? 

「新たな使用人と顔合わせをする時間っすよ」 

「やはり俺も…」 

 腰を上げかけたが、思い止まり再び座る。 

「…俺はいない方がいい…」 

 アドラーが精査し、それをスタンが精査したんだ。変な奴はいないだろう。俺だって使用人の資料を読んだ。五十から三十に減ったなかから俺が二十まで絞った。男は若すぎず年寄り過ぎず、貴族家の縁故の薄い者を男五人と女十五人。 

「新しく入る使用人が閣下狙いじゃないといいっすけどね」 

 ガガの言葉に視線を向ける。 

「俺か?」 

「そうっすよ…だってロシェル様を娶ってもシーツの汚れが少ないなぁから、おやおや…?ありゃりゃ…?旦那様って…?…え!?今夜も!?毎晩!?こんなに!むふふんの機会が!お目に止まらなくっちゃって状態っすよ…洗濯場の下女から話を聞いた使用人はね。閣下の子種の価値は高いんっすよん」 

 俺はガガの話し方に苛つきを覚えたが、確かに洗濯場の下人らはそんな話をしていたんだろ。やつらは毎日シーツやらカバーを洗う。

 父上が生きている間はエコーが時折、騎士棟の洗濯物を盗んでいたらしい。それを離邸のものに混ぜた。だが、ここ最近は連日、洗濯物はかなり増えた。俺は出すしロシェルも濡らす…いかん…今は触れられんのだぞ…思い出すな… 




「ロシェル様、準備が終わりました」 

 ブルーンのピアノを一時間近く弾いたところでエコーに声をかけられ、指を止める。新しい楽譜を畳み、鍵盤蓋を落とす。

「体調はどうですか?」 

 差し出された手を掴み、椅子から立ち上がる。 

「昨夜は温めてくれたから痛みは少なかったの。大人しくしていれば痛みは強くならないわ」 

「ですが、椅子を用意しましょう」 

 過保護なエコーに微笑む。 

「離邸で働く使用人にちゃんと挨拶をしたいの」 

 座ったままは…なんだか嫌なの。 

「辛かったらちゃんと言うわ。エコー、ありがとう。痛みが落ち着いたら散歩に付き合ってくれる?」 

「はい」 

 本邸の庭は広くて目新しくて、花の種類も多くて楽しかったわ。 

「他国のものは曲調が面白いの。ディオルド様は好きかしら?」 

 好みのものを弾きたいわ。 

「今夜、尋ねてみては?」 

「ふふ、そうするわ」 

「では、始めましょう。アプソ」 

 エコーに名を呼ばれたアプソが廊下に向かって手を振った。 

 ディオルド様までアプソと話し合い、精査した使用人たちに会う。私が印象の悪いと感じた人は領地へ帰すと言っていた。 

 ブリアール公爵家のお仕着せを着た女性の使用人と庭師の格好をした男性、雑用を任されるような簡素な服装の男性が私の前に並ぶ。 

「こんにちは、首都に着いて早々に来てくださってありがとう」 

「旦那様とロシェル夫人に仕えること、使用人一同まことに光栄です。」 

 庭師の格好をした男性が胸に手をあて頭を軽く下げた。 

「ふふ、ありがとう」 

 私は並ぶ人たちを一人一人、ゆっくりと見つめる。皆が穏やかな表情で視線のなかに探るようなものは感じなかった。 

「あなたたちの主な仕事はロシェル様と旦那様の世話全般です。もちろん寝室、居室、浴室の清掃及び、浴槽へ湯を運び、主が不在の時でも迅速に行動せねばなりません。決して前に出ることなく、ロシェル様と旦那様の邪魔をしないよう心がけてください。」 

 アプソの言葉に皆が小さく頷いた。 

「本邸の使用人、もしくは邸に出入りする部外者が離邸で働くという理由であなたたちに近づき、なにかを尋ねるかもしれません。その見返りに金貨を渡されることもあります」 

 アプソの言葉に使用人たちは真剣な顔つきになる。 

「主の生活は金貨に変わるほど重要だと重々承知し、尋ねてきた相手の人相、提示された額、それらを必ず私に報告してください」 

 強い口調のアプソに部屋のなかは緊張した雰囲気になった。 

「しつこい相手から報酬を受け取った場合も必ず報告を。受け取ったからと言って罰することはありません。離邸で起こることを話さなければいい…ただそれだけですが、困ったことがあれば私に相談を」 


 使用人たちが部屋を出ていったあと、部屋は静寂が戻り、私はピアノの椅子に腰かける。 

「アプソ」 

「はい、ロシェル様」 

「ありがとう」 

「なんの感謝かわかりませんが」 

 使用人たちに向けていた厳しい表情から、私の知るアプソに変わっていた。

 アプソが伝えたことは、ここに来るまで彼らは何度も聞いたと思う。公爵家で働くのだからある程度の教育は終えているはず。それでも言い聞かせるように念を押してくれた。 アプソは陛下の犬…いつ陛下の指示で他家へ、ブリアールから離れるかわからないわ。そんな日が来るとわかっていると寂しい思いが湧く。

「…皆…いい顔をしていたわ」 

 ここで働くことに対して不満だと思われたくなかった。本邸に比べれば華やかでもなく広さもない。ブリアール公爵家の本邸で働くということは使用人にとって誉れであり目指すところ。いつか、本邸に移りたいと思う人もいるかもしれないわね。 

「それは当然です。本邸の下級使用人の倍の賃金を払いますから」 

「ば…倍…?」 

 ディオルド様に管理を任されたから賃金は理解しているけれど… 

「上級使用人とは貴族籍、貴族家系の者が多く、旦那様はそれを避け平民の彼らを選びました。彼らにとっては離邸の賃金は破格。領地に送れば家族は十分な生活ができるほどです」 

 あらゆる問題を起こる前に消してしまおうと考えてくれるディオルド様に無性に会いたくなる。

 今朝も共に過ごしたのに、もう会いたい。ああ…私はとてもわがままになってしまったわ。私のことで起こる仕事も始末も、忙しいディオルド様をさらに忙しくさせているのに… 

「ディオルド様は…私の演奏を聞くと心穏やかになるかしら…」 

「…はい…ぴりぴりとした雰囲気の執務室が和やかになります」 

 私は並べられた楽譜を手に取り、題名を読んではこれじゃないと思いながら探す。 エコーが紅茶を入れる音を聞きながら、半分まで目を通したとき見つけた。 

「これを弾くわ」 

「ロシェル様、その前に紅茶を」 

「ふふ、エコー。ありがとう」 

 一度弾き始めると集中してしまうと私を心配してくれる優しいエコーに微笑む。 

「…ベルザイオ王国の楽譜ではありませんね」 

 エコーの視線が私の持っている楽譜にある。 

「ええ」 

 他国から輸入された楽譜や本にはその国の紋章印が押されている。 

『あなたが恋しい』 

 私はその文字をなぞり、彫りが深く鋭い眼差しの青黒い隈がある大きな人を思い浮かべる。






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