ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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始末

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「出してちょうだい!急いで!」 

「承知しました」 

 女が不快な声を上げながら馬車に乗り込んだ。 

「あああ!!」 

 悲嘆の叫びは馬車音さえ凌ぎ、馬まで耳を動かしたほど大きいものだった。 

「なんなの!?なんなのよ!?」 

 使用人の囁きに、日も明るいうちから夫の執務室へ顔を出せば、股間を膨らませ紅潮した愛しい男がいた。それに飛びついただろう夫人は、馬車の揺れに勝るほど暴れ、わめいている。 

「ウェイン!ウェイン!わたくしを…わたくしを…叩くなんて!!ウェイン!あああ!!」 

 体の制御は難しくとも理性は残す媚薬を盛られた伯は誰の仕業か想像し、拒絶したなど報告を聞かずとも理解できる。 

「わたくしのおかげで豊かな暮らしができたのよ!!わたくしのおかげで!わたくしのおかげで!惨めな思いをせずにすんだのよぉ!!」 

 私は御者台の近くにある窓を女に聞こえるまで叩く。 

「なによ!?」 

「奥様、どちらに行かれますか?」 

「……貧民街の手前で…目立たない場所で停めて」 

「承知しました」 

 シモンズ子爵家の便箋はアイザック・シモンズの提供によるもの。旦那様はどんな対価を用意しているのか… 

「バロン…バロン…わたくしを助けて…バロン…許さないわ…許さないわ…セレーナ…いつまでもウェインに取り憑く生意気な女…か弱いことを武器にしてウェインの関心をいつまでもいつまでもいつまでも…セレーナ…邪魔なセレーナ…あの時…もっと強い毒を…与えておけば…あああ!!」 

 私の頭にはロシェル様の顔が浮かんだ。どんな悪意を向けられても、恐怖を味わっても、襲撃の黒幕がわかってもロシェル様は怒りを見せなかった。そうなのかと受け入れるだけで感情を止めていた。過激になれない性格は母親から受け継がれたものなのか、虐待のせいなのか私にはわからない。 

 ファミナ・アラント、お前はロシェル様の母に毒を盛ったと自白したのだ。この事実をロシェル様が知る必要はないと私は思う。ロシェル様はただ受け入れ、あの純真な心におりを重ねるだけだ。 

 私が操る馬車は女の指示通り、貧民街に向かっている。だが、手前までではない、深部まで送ろう。 


「奥様、着きました」 

 停車した馬車の扉を開けると、ファミナ・アラントは乱れた髪をそのままに暴れ疲れたのか、壁にもたれて呆然としていた。 

「奥様」 

「…ああ…ええ…」 

 頬を赤くさせるほどアラント伯は殴ったようだ。もう少し経てば腫れるだろう。だが、その時私はこの女のそばにはいない。 

 ゆっくりと馬車内に入り、扉を閉めると女はやっと怪訝な顔をした。 

「…なにをしているの…?出な」 

 女が怒りをあらわにする前に喉を突く。 

「ぐ!!かっは…」 

 あまりの痛みに声も上げられず、混乱する女の髪を掴み顔を上げさせ、声にならない声を上げようと必死な口に薬液を流し入れる。 

「んぐぅ!があ!ああ!」 

 髪を放すと女は座面から転がり落ち、床でのたうち回るようにもがき始めた。 

「死ぬ毒ではありません。安心してください」 

 ここで死なせるわけがない。お前には恐怖と痛みと絶望を死ぬ瞬間まで味わわせろと指示を受けている。 

「声帯が焼けただけです」 

 もう声を出せないかもしれない。出せても獣のような声だろう。 

「…ドジェ…」 

 ロシェル様の名を口にしたのだろうか? 

「愛しい甥っ子にはもう会えません」 

 バロン・シモンズに呼び出され、ここまで来たつもりだろうがお前はもう、今までのように生きられない。 

「ロシェル様の未来に喜べとは言いません。称えよとも傅けとも彼女は思いもしていない、純粋な方です。あなたはただ放っておけばよかった…そうしていれば長生きができたかもしれません」 

 喉を掻きむしりながら私を睨む瞳には未だに怒りがあった。恐怖より怒りが勝るこの女の性質に、頬を緩めてみたい心地がした。 

「ファミナ・アラント、死ぬな…長く生き…世の中に貢献せよ…ディオルド・ブリアール公爵閣下からの言葉です」 

 女は私を掴もうと手を振り上げた。だが、口周りの痛みに耐えられず顔を覆い、体を丸めてうずくまる姿がまるでなにかを乞うように見えた。 

「…喉を焼いた薬液が唇に着いてしまったようです…爛れたまま治らないでしょう」 

 女の腕を背に回し縄で縛っていく。

 その間も女は言葉にならない声で多分、触るな、下賎な、こんなことをしてと言っているのだろう。殺意のこもった眼差しで私を見ている。

 その瞳を見つめながら馬車の一面を蹴るとその部分が反転し、アラント家の家紋が内側に現れる。

 女は痛みと苦しみのあまり気づいていない。

 この女を行方不明にするため、多少改造した馬車の存在は邸の主である伯爵さえ知らないだろう。 


「出してくれ」 

 私は御者台にいるゼノに指示を出し、両足も縛る。動き出した馬車に女はさらに暴れた。 

「生きた献体はとても貴重だそうです…特に…貴族は遺体すら手に入らないので…」 

 この女がなにを飲まされ、入れられ、切られ、開かれるのか、私は知らないが医学のために身を捧げたあとは邸内にある大きな焼却炉で骨も残らぬほど燃やさせると聞いている。 

「甥っ子は無事に保護されました。今は十分な治療を受け回復するまで休息を取らねばならないので、叔母のことまで心配する余裕はないでしょう」 

 女は私の言葉を理解しているのかどうなのか、未だに怒りを見せている。ここまで怯えないところに若干感心し、離邸にいる主を思い浮かべ、仕事を終わらせ早く戻らねばと座面に深く腰かける。 




「フランシスが恋しようがされようがどうでもいい…バートラム…俺を怒らせるな」 

 逸る気持ちに加え、今の俺は欲求不満なんだぞ。ビアデットの薬で勃起までしないが、ロシェルを腕に抱けば腰が疼き始めそわそわするんだ。足の間に挟んでいいか?と変態じみた言葉を何度、飲み込んだことか… 

「あのさ…僕が君に話すんだから君に関係あるんだよ…もう…せっかちだなぁ」 

 俺に関係あるだと?そんなのは一人だけしかいないだろうが… 

「…おい…フランシスの阿呆はロシェルを」 

「ディオルド、違う。そんな怖い顔で睨まないでよぉ…目が怖いぃ…」 

 俺は瞳を最大限に開き睨んでいるからな。 

「シャンティ・チェサピーク」 

 バートラムが口にした名に怒りは消え、呆れる思いが込み上がる。 

「…関係を持ったのか?」 

「いや……でも…フランシスの気持ちは…とても固い」 

 シャンティ・チェサピーク…背景が少しだが複雑な令嬢だな。確かに俺に、ブリアールに関係している。ジェレマイアの婚約者、メアリア・チェサピークの叔母だからな。 

「…愛人なら問題なかろう」 

 フランシスがどこかの令嬢と結婚し、その後、愛人として迎えるならば、なんら問題はない。ブリアール配下であるチェサピークにとっても喜ばしいことだが、バートラムがここまで変な顔をするならば… 

「第一夫人にすると」 

「…言い張ってる」 

 バートラムはうなだれ、ため息をついた。ブリアール公爵家とコモンドール公爵家の第一夫人の生家がチェサピークとはよくない。同時期ならばなおさらだ。 

「バートラム、フランシスを説き伏せろ」 

 ジェレマイアの婚約者を代えることはできん。何年も婚約者として過ごしてきたうえに、見方によってはブリアールがコモンドールに屈したと思われる。 

「したに決まっているだろう?カサンドラだって何度も…けど…彼女しかいないと」 

「フランシスは廃嫡しろ。コモンドールの血筋ならどこか他にいるだろ。ほら解決したぞ」 

 次期公爵が我が儘を貫けると思うな。 

「とっとと婚約者を決めなかったお前らの責任でもあるぞ」 

「婚約相手は慎重になるさ…僕とカサンドラの愛の結晶だよ…」 

「その結晶を他にも作っておけばよかったものを」 

 俺の言葉にバートラムは視線をそらした。バートラムとカサンドラにはなかなか子供ができなかった。バートラムは気にしていなかったがカサンドラはそうじゃなく、第二夫人を拒むバートラムに半ば無理矢理受け入れさせた。だがその途端、カサンドラが孕んだ。結婚して五年、やっと授かった子は難産で生まれた。出産後、カサンドラが長く床につき、不安定な体調に陥った時はバートラム自身も痩せていき、周りは動向を注視していた。 

 今ならバートラムの気持ちが理解できる。愛する相手を失う、それはとてつもなく恐怖だ。 

「僕が…第二夫人にでも産ませておけばよかったけどさ…フランシスは健康だし…カサンドラとの子供以外は愛せないなってさ」 

「子供を愛する必要はないだろ」 

 子供とは家を存続するに必要な存在だ。そこに愛は要らんだろ。 

「ふ…ディオルドらしい発言だな…僕はフランシスを愛しているよ…カサンドラがとても愛しているフランシスを…」 

 こんなことは言いたくないが、フランシスの存在がカサンドラを弱らせた。俺ならばロシェルを弱らせる一因となった子供を憎むかもしれん。 

「僕の子供を宿したカサンドラを今でも思い出せる…日が経つにつれ腹が膨らんで…体型も変化して…嬉しそうに腹を撫でるカサンドラは本当に美しくて…」 

 ロシェルの腹が膨らんで…嬉しそうに腹を撫でながら…ディオルド様の子供がいる…嬉しいと呟き…微笑み…なんて美しい光景だ…俺を愛していると…言い…待て…それはまだ聞いてないだろ。 

「ロシェル夫人が子を宿したらディオルドもまた変わるさ」 

 俺は孕ません、とはお前に報告する必要はない。いつか、石女だと噂が上がるだろうがロシェルは気にしないだろう。だが、もし願われたら…その時俺はなにを思うか… 

「バートラム」 

「廃嫡はしたくない」 

「…手紙を送る…俺がフランシスに話してやる」 

 面倒だが、フランシスに両親の言葉が効かんなら他から言い聞かせる。

 俺はもう帰りたい。





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