ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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真夜中の来客

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 この場にそぐわない、不快な匂いに起こされ目蓋を開ける。 

「エコー」 

 名を呼ぶと外から靴音が一回聞こえ、俺はあくびをしながら巻き付けていた腕を放す。

 俺の腕に乗っていた銀色の頭はいつの間にか寝相を変え、体を丸めるような体勢になっていた。 

 寒い思いをさせぬよう素早く抜け出し、ロシェルに毛布をかけ、離れる。

 置いてあったガウンに腕を通しながら寝室を離れ、テラスへ向かう。暗闇に灯された燭台がガラス戸の向こうにいるエコーの背を見せた。 

「真夜中だぞ」 

 扉を開けながら呟くと、エコーが振り返り視線をテラスの端に向けた。 

「…上がれ」 

 俺の言葉に不気味な顔の男が、ぬっと姿を見せ、片腕だけで体を持ち上げ欄干に乗った。足を曲げてバランスを取り上体を屈めて両手を広げる姿はアメンボウのようだった。 

「なんの用だ」 

 冷たい風が体温を奪っていく。 

「貴族様って…毎晩媚薬香をたくのぉ~…好き者だねぇ~ガウンのひも…縛ってよぉ…立派なモノがぁ~」 

 眠る前に体は拭ったが、俺の体に染み込んでいるのか? 

「あ…勃っちゃったよぉ~」 

「殺せ」 

 俺の言葉に従ったエコーが小剣を投げたが男はそれを素手で受けて止めた。 

「…せっかちぃ~…」 

 男は剣を投げ捨て、背負っていた荷物を投げ、それを受け取ったエコーはゆっくりと紐をゆるめ中を覗いた。

  「誰だ?」 

 血の匂いが濃くなった。中年の男の血の匂いが鼻に届く。 

「見ないのぉ~?お土産なのにぃ…すん…」 

 涙を払う仕草をする男を睨むと、諦めたように口を開いた。 

「頭だよぉ~…殺しちゃったぁ」 

「…理由は?」 

 こいつがここまで持ってくるんだ。なにかあったんだろ。 

「…ブリアールに恨みを抱いちゃってさぁ~それに…バロちゃんに付きっきりの俺にうるさくてさぁ~」 

「バロン・シモンズの容態は?悪かったと聞いているが」 

「…足をやられたぁ~…衰弱しているがぁ~それは回復してきたよぉ~」 

「トールボットはいくら払った?」 

 男は満面の笑みを見せた。俺は激情のまま五十万を要求してみろと言ったが、元奴隷の悪党には未知な額に怯むとも想像した。 

「金貨二十万~」 

 二十万…なかなかな額だ…俺は奴が脅迫状を受け取れば、私兵を動員し抹殺に動くことも考えていたが…トラヴィス…払うのか…バクスターをどうするつもりだ?

 未だに姿を見せず、トラヴィス自身、周りに尋ねられても誤魔化すように、放蕩息子が…遊び好きで困る…と倶楽部で話しているとは聞いている。 

「…頭を殺した理由はそれだな」 

 俺の言葉に口を尖らせる顔はガガにまったく似ていなかった。 

 金貨二十万は仲間割れをするには十分な額だ。ガガを動かすのに百などと言っていたんだ。山のような金貨に組織は荒れたなど想像が容易い。 

「…ブリアールに殺された仲間の弔いってんでぇ~…戦力集めに動こうとしてたのはぁ~本当~よぉ」 

「礼でも欲しいのか?悪党め」 

「…実はねぇ…お願いがあってきたんだよぉ~」 

「断る」 

「聞けってぇ~」 

「金貨二十万の保管場所に困っているんだろ?」 

 どうしてわかったと言うように瞳を見開く男は気色悪く笑った。 

「ケケケ…当たりぃ~さすがだなぁ…おっさん」 

 貴様も若くはないだろうがと言いたくなったが止める。金貨数十数百の取り引き額が常だった裏組織がいきなり二十万だ。誰を見張りに立たせても信用などできないだろう。かなりの阿呆でなければ、金貨を袋に詰めて逃走し新しい人生を送る。 

「二十万が入る金庫は貴様には買えんな」 

 特注品は受注生産になる。どこの店がこんな怪しい男に大きな金庫を作るか。犯罪の匂いしかしない顔をした男の注文は受けないだろうな。信用が必要だ。 

「…金貨は…守らなきゃならねぇ…金庫にかかる代金は払うよぉ~…いいだろぉ~」 

「…貴様の頼みを聞く義理が俺にあると思うか?悪党」 

「ひでえなぁ~ガガ~ブリアールのおっさんはつめてぇなぁ~!優しいってぇ~言ったじゃねぇ~かぁ~!」 

 こんな真夜中に大声を出した男に苛立ち、エコーの剣帯から素早く剣を抜き、不安定に揺れる男に向かって投げる。予想していなかったのか、剣を掴む動作を見せず、背後の暗闇へ体を倒してかわしたが、そのまま落ちていった。 

「…死体はビアデットに送れ」 

 奴は欲しがるだろ。 

「ひでぇなぁ~…」 

 足下から聞こえる声と奴の匂いにどこにいるのか察する。 

「…特大の金庫を注文してやろう」 

「ほんとぉ~…?」 

 テラスの床下を移動した男は、先とは反対側から顔を出した。 

「ファミナ・アラント」 

 その名を告げれば、痩けた顔は一瞬だが嫌悪を見せた。そして再び欄干に乗り、あの変な体勢をしながら首をかしげた。 

「バロちゃん叔母ねぇ~…死体でも始末しろってぇ…こと?」 

 ファミナ・アラント失踪の話は知っているよな。だが、なぜバロン・シモンズの愛する叔母にそんな顔をした? 

「ファミナ・アラントは死んだのか?貴様はなにを知っている?」 

 俺の言葉に探るような視線を向けるギョロ目を睨み続ける。 

「…おっさんの…女のぉ…継母ってやつだろぉ~…貧民街が最後の目撃場所ってんでぇ…騎士隊の奴らがぁ…探していたんだよぉ~」 

「女の行方を知らんか?妻が気にしていてな」 

 ロシェルにはまだ話していないが。 

「…おっさんの仕業じゃないわけ?」 

 真面目な話し方に変わった男を見つめる。 

「ああ」 

「組織が関係してると聞いてない…頭が勝手になにかしたのか…?」 

 俺はあの女に身代わりの死体さえ用意せず、行方不明のまま貴族社会から消すつもりだ。

 ビアデットに送った馬車は回収し、首都の関門近くの目立たぬ場所に放置してある。そろそろ騎士隊が見つけるだろう。荒らされた様子のない馬車のなかにはファミナ・アラントが着ていたドレスが脱ぎ捨ててあり、座面にはガガが娼婦を抱いた痕跡が数多残っている。匂いと様子に騎士隊の奴らが導き出す答えは駆け落ちだろう。 

 ファミナ・アラントはバロン・シモンズに会うために何度も貧民街近くで目撃されていた。騎士隊はそこらの住民に話を聞いて回るだろう。その証言の中に、ファミナ・アラントが見目のいい男と共にいた、それが甥ではない容姿の者だと聞けば、自ずと想像する。 

 夫に相手にされない女は、邸では厳粛な妻を演じ、外で欲を発散していた。伯の拒絶は使用人から騎士隊に伝わり、傷心の夫人が間男の手を取り云々…夫人の部屋から貴金属が消えていればなおのことそういうことになる。 

「ブリアールは関わっていないが、バロン・シモンズは疑うかもしれん。そうなったとき、報せろ。やってもいないことで疑われても困るからな」 

「それが対価?」 

「ああ…そうだ」 

「取り引き成立ぅ~ケケ」 

 気色悪い笑いのあと、俺の鼻が焦げ臭さを拾った。流れてきた方向へ視線を向ければ、平民街の空がわずかに赤みを帯びていた。 

「火事だ」 

「えぇ~…」 

 俺の言葉に男は視線を追い、顔を傾けた。 

「本当だぁ~…平民街かよぉ…被害が大きいぞぉ~…くっそぉ…近いなぁ~」 

 平民街の奥が貧民街だ。延焼されたら金貨が危うい。 

「エコー…」 

 俺が名を呼べばエコーは持っていた袋を男に投げた。 

「…頭の頭…いらないぃ~?」 

「持って帰れ。金庫が出来上がるまで一月は必要だ」 

「あいよぉ」 

「お前が仕切るのか?」 

 こいつは頭の右腕だったと聞いた。 

「そうだよぉ…」 

「…ほどほどにな」 

 こいつをここで殺せば、傷つく者も減る。だが、すぐに新たな悪党が生まれ、新たな被害が生まれるだけだ。

 俺はもう、騎士団長ではないし、守るものはただ一つだけだ。




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