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後始末
しおりを挟む風と共に焦げた臭いが濃さを増して流れてくる。わずかな明るさだったが今は強みを増し、消火活動の喧騒が聞こえてくるような気がした。
テラスにはすでにガガの弟の姿はなく、俺とエコーだけがいる。
「…ロシェル様に母親のことは話しますか?」
エコーの問いに視線を移し、星を見つめる。
「…知らなくていい」
俺はそう思う。知ってなにになる?ロシェルはセレーナ・アラントの記憶がないと言っていた。思い入れも恋しさもなさそうに見えた。
アラント家で育ったロシェルにとって、ファミナ・アラントが母親の立場にいた。虐げ罵り、時には暴力まで加える女が母親だった。だから、自分が母親になることに不安を覚えたのかもしれん。
「知っても…ロシェルは受け入れるだけと思うからな…あの女の悪行の事実がロシェルのなかで増えるだけだ」
話せることは話すが、話さなくていいことは話さん。
「…ウェイン・アラントにも…」
「ああ…話す必要はない」
俺は伯などどうでもいい。
「いつ…盛ったのかは口走らなかったか…」
「はい」
「…ビアデットが…セレーナ・アラントは学園に通っていた頃、体調を崩したと言っていた。疑われぬ弱毒を与えれば、体は弱くなり、両家は跡継ぎの問題を考え婚約を考え直す…それが筋のようなものだが、伯の想いはそれでも変わらなかった」
「拷問のような実験が始まったようです」
「ああ…ビアデットは嬉々として薬の投与から始め、観察し記録し…麻酔薬があるならば…」
生きたまま切り開くような気がしている。
「死の瞬間まであの女の意識があるといい」
さらに強さを増した赤い空に視線を移す。
「火事か…」
「王国騎士が動いているでしょう」
「だな」
炎がここまで届くとは思わないが、火事はよくある事故だ。
「何事も…始末は…必要だな」
焦げ臭い風がガウンをはためかせ、全身を撫でていった。
「エコー、教国の奴らがブリアールに近づく」
「…王家の血を求めて…ですか?」
察しのいいエコーに頬が緩む。
「それは最終目的だが、こちらの様子を探る…一家でもてなさなければならない」
そう、一家でだ。ブリアールを名乗るロシェルも共に迎え共に食事し歓談しなければならない。
「…ロシェルは話を聞いていたかもしれん」
陛下の城で会話を拾っていた可能性は高いが、何も聞いてこない。
「…ロシェル様が嫌がると?」
「お前も知っているだろ?ロシェルは外と関わりが少ない。不安を与えたくないだけだ」
「旦那様」
「なんだ」
「ロシェル様はか弱くないとおっしゃっていました」
「…ああ」
「過保護です」
「知ってる」
陛下を恐れぬロシェルが教国の教主相手に醜態をさらすとは思っていないが、あの心に不安をわずかにも感じてほしくないだけだ。
「無難にこなし、きっと演奏をします」
「…ああ」
貴族社会ではロシェルの演奏が話題の一つになっている。ステイシーは他家の茶会や夜会でそれとなく乞われているようだが、得意のほほほで誤魔化している。
教国の奴らはロシェルの演奏の噂を耳にしているだろう。
「教国の奴らがベルザイオ王国に入る話は次の臨時貴族会議で報告される。だが、ブリアールには触れないだろう」
だから俺たちも教主を招く準備に動けない。俺たちは何も知らないと振る舞わねばならない。
「グラン教国の教主が、帰国するマトリス殿下と共に入国します。ベルザイオ王国の教会の視察が目的のようです」
近衛の報告に場がざわつく。
「教主は突然の申し入れに詫びの印として輸入予定の香辛料、半年分を持参するとのことです」
ベルザイオ王国が輸入している半年分を無料で寄越すなどと言われてしまってはマトリスも断れないだろう。ただの視察と言っているんだ。
「ふむ…王宮は賓客の受け入れ準備を始める…トールボット公爵…は…欠席だったな…コモンドール公爵、王宮内の装飾品の見直しを頼む」
「承知しました」
「王国騎士団長…はマトリスに同行していたな…クランバー伯」
「はい、陛下」
「近衛隊長に手を貸してやってくれ。王宮の警備の強化、使用人の配置を…」
陛下が淡々と指示を出していく。 教主の来訪に、王宮では夜会も開く。
グラン教国の教主は華美は好まぬと聞く。バートラムは奴らが見る場所、過ごす場所、夜会会場など装飾を考えねばならんな。
「ブリアール公爵」
俺は名を呼ばれ、陛下に視線を向ける。
「マトリスの帰国調整で慌ただしいなか、平民街での火災…悪いが復旧の指揮を頼めるか?」
「承知しました」
「…皆…忙しくなるが頼むぞ」
陛下の言葉に皆が一様に頭を下げた。
平民街の火事、火元は娼館の一室だった。その炎は平民が集まる歓楽街の端で始まり、娼館とそこを挟む飲み屋、安宿、小さな賭場を全焼させた。真夜中のことで飲み屋や賭場に人はいなかったが、娼館と宿には人がいた。宿の客らは火元の娼館から離れていたこともあり逃げ出せたが、娼館の娼婦と客、従業員の合計二十名が焼死体で発見された。
その焼死体の中にバクスター・トールボットがいたことが、後に判明し大騒ぎとなった。
バクスターは確かに数日、姿を消していた。トールボット邸の犬の報告も奴の姿を見ていないとあった。どこにいるか探り始めるかと思った矢先に焼死体となって見つかった。だが、その焼死体がバクスターのものだったのか俺にはわからない。俺が知る頃には遺体はすでにトールボットに運ばれ、棺は開けられない状態だと聞いた。
バクスターの従者と御者の証言と遺体の指に嵌められたトールボット家紋が彫られた指輪、そして体格からバクスターだと父親であるトラヴィスが認めた。
公爵家次期当主がなぜ平民街の娼館にいたのか、よく賭場で見かけた、負けが続いているようだったと噂が出回り始め、俺はバロン・シモンズを疑ったが、バクスターが姿を消した時期と合わないと考え、その可能性は消した。
金貨二十万の制裁でトラヴィスに殺されたのか、本当に不幸にも火事に居合わせたのか、実は焼死体は偽者なのかと考えたがトラヴィスが認めた以上、バクスターはもう二度と日の当たる場所には立てないと様子を見ることにした。
トールボット公爵家は今、混乱しているだろう。焼死体ゆえに臭いが強烈で礼拝堂に置いておけず、すぐさまトールボット領地へ運ばれた。公爵家の葬儀は死者不在のまま、数日後に執り行われる予定だ。
「シモンズ子爵」
会議が終わり、当主らと話しているシモンズに声をかける。
「ブリアール公爵閣下」
「少しいいか?」
首を傾げれば、シモンズは頷き俺の隣を歩き始めた。
「貴殿が?」
人の気配が遠ざかった時、シモンズが呟いた。
「…俺の殺り方に見えるか?」
シモンズはバクスターの死は俺の仕業かと聞いていた。
「…いや…ならば…偽者ですね」
「わからんぞ。生かしておくには危険と思う者の犯行かもしれん」
一時、身を隠していても、贅沢に慣れた男はその座を取り戻したいと願う未来を考えれば消した方が手っ取り早い。
「…約束のものだ」
懐に手を入れ、紙を取り差し出すと、シモンズは歩みをゆるめ、手に取った。
ファミナ・アラントを呼び出すのに必要なものを貰った礼だ。
「どうだ…本人か?」
シモンズは立ち止まり、破れた短い手紙を見つめたまま動かなくなった。
『カイナへ 私たちは無事、着いたわ。肌寒さに慣れないけれど、とても素敵なところよ。彼は誰かに追われている?捜索の規模はどれくらいかしら?すぐに諦めてくれるといいけれど。あなたは無事に暮らしている……』
ガガがガダードの部屋から盗んだエルマリア・シモンズの手紙だ。
偽物だったらガガを半殺しにしようと考えていたが、シモンズの様子を見るに本物のようだ。
「…生きているぞ…安心したか?」
文字に触れているシモンズの指が止まる。
「…死んでいる…可能性も…そうですね…安心しました」
「貸し借りなしだ」
「…これは…妹の命より価値が高いものです」
一通の手紙より価値が下だと言われたぞ、ファミナ・アラント。
「阿呆…夫人は失踪…駆け落ちだぞ…どこかで幸せに暮らしている」
「ああ…そうでしたね」
シモンズはゆっくりと手紙を畳み、懐に仕舞った。
エルマリア・シモンズは父親を警戒してか、ガダードに手紙を送ったが内容は雇っていた下女にあてたものだった。万が一、途中で誰かに読まれても不審に思われぬようにと考えたんだろう。破られた部分はシモンズに知られたくないところだ。どこで手に入れたのか聞かれるか?
「…カイナという下女も行方不明のはずですが」
ここでアプソの記憶が役に立った。カイナという下女はエルマリア・シモンズの元で働くようになり、治安のいい場所に引っ越していた。シモンズはそれを知らなかったはずだ。
「その下女の住んでいた家に送られたものを手に入れたんだ。家にはすでに違う家族が住んでいてな。高級な紙の手紙は重要なものかと残していたんだ。時間が経ち、破れてしまったがな」
納得しないだろうな、シモンズ。貴様の瞳がそう言っている。万を越える金貨を使い探っている貴様ではなく、なぜ俺が手に入れられたのか、下女は字を読めるのか、本当はどこに送られたものかと思うよな。だが、俺を追求してもそれは良い結果にはならないと理解している。なにか対価がなければ知りたいものを得られないとすぐに悟れる貴様が嫌いじゃない。
「シモンズ」
険しく睨む紫の瞳に口角が上がってしまった。
「娘の母親はなぜ死んだ?」
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