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ディオルドと話したい姉弟
しおりを挟む「ディオルド」
「マトリス」
俺は今、誰かと話す気分ではないが。
「…戻ってすぐに父上の所へ行ってくれたんだな…礼を言う」
「ロシェルが行くと言った」
「ロシェル夫人にも礼を」
「伝えておく」
「ディオルド、父上の意思を…聞いたか?」
「ああ…お前を助けてやれと言われて断った」
マトリスは静かに近づき、テラスの手すりを握った。
「…僕は嫌だよ」
「は…いつかは国王になるんだ…諦めろ」
「父上との賭けは途中だ」
「なんの話だ?」
「アイザック・シモンズが娘を見つけられるか」
「その賭けは意味がない」
マトリスは顔を傾け俺を見上げた。
「シモンズは生きている限り諦めない。賭けの結果は奴が死ぬまで待て」
「父上が賭けを放棄するなんて今までなかった」
「それだけ…辛いんだろう」
無気力、今の陛下はそんな風に見える。
「それだけ…ジェイデン・ブリアールは大きな存在だった…陛下は…他にそんな存在を持てなかった」
俺と同じだ。ただ一人だけが生きる理由なんだ。
「マトリス」
「…うん」
「お前が着いたときには教主がいたのか?」
「…いた」
なるほどな。陛下がそう仕向けたのか、それとも向こうも間者を潜り込ませているのか。
「マトリス」
「ん?」
「今後トラヴィス・トールボットの誘いに乗るな」
「…わかった」
「素直だな?どうした?」
「仲違いしたなんて…さっきのを見ていたらわかる。人の目がある場でお前が感情を見せた…珍しいし…トラヴィスはそれだけのことをしたんだろう?」
「ああ…モラン・ゲッティを雇っていた」
「モラン…あの…」
「ああ…あの下衆だ」
女の首を絞めながら犯し、殺して更に興奮を覚えるような糞野郎だ。
「あの…変態を…」
マトリスは聞き捨てならない言葉を吐いた。
「マトリス」
「ん?」
「奴を変態と言うな…変態の方が崇高だ」
マトリスは間抜けな顔をして首をかしげた。
「変態など褒め言葉を奴に使うな…わかったな?」
「う…うん…」
「外道と言え」
「わ…わかった」
「マトリス」
「ん?」
「教主がトールボットを訪れる日、お前も共に行け」
「いいけど…トールボットと関わるなって」
「誘いに乗るなと言ったんだ。一線を引いて付き合えばいい。ないとは思うがトラヴィスが教主に呑み込まれんよう見張れ」
「僕が…?できるかな…」
「お前は王太子だ…無茶も我が儘も言える…立場を上手く使え」
「わかった…父上は教会を気にしていた…それは僕も同じだ…グランルーツのようになりたくないから」
「ああ」
「…お前のことを聞かれたよ」
「教主か?」
「うん。長い旅路中に時々同じ馬車に乗りたい話したいと言って近づいてきた。その時、どんな人物なのかと」
「なんて答えた?」
「…顔は怖いけど…王家に忠誠を誓い責任感のある強い男と」
顔面の話をする必要があるのか?
「誓ったことがあったか?」
マトリスが微笑み、それから空を見上げた。
「教国のやつらはずっと微笑んでいたんだ。騎士も牧師も怖かった」
「ああ…奇妙だ」
「ディオルド」
「なんだ」
「お前は変わったよ」
「…そうか?」
「優しくなった…顔が動くようになった…前はずっと眉間にしわを寄せて口を曲げたまま止まっていたのに…今は小さく笑うこともある」
「俺が笑う?いつだ?」
「街道で」
「ああ…ロシェルがいたからだ」
「そう…ロシェル夫人…彼女がお前をここまで変えるなんて…大事そうに身を寄せ合って…女性を嫌っていたお前が…だから少し心配だよ」
「溺れすぎと言いたいか」
「うん」
「自覚している、マトリス。俺のこの感情は…危険だと理解している。ロシェルが一言、お前を殺せと口にしたら…秒で殺す」
マトリスは泣きそうな顔でしゃっくりを我慢しているのか呼吸を止めた。
「冗談だ」
「っく……冗談を…真剣な顔で言うなよ」
「だが、ロシェルのためになんでもやることは確かだ。マトリス、ロシェルは俺の弱点だが…攻撃されたら俺は外道以下に落ちようとも復讐する。ブリアールの名を汚すことも躊躇なくやる」
「だからトールボットを」
「奴は一線を越えたんだ」
俺の言葉にマトリスは目蓋を閉じ、静かに息を吐いた。
「お前と長く話せてよかった。僕を避けているだろう?」
「父上と陛下の仲をよく思わない者が多かった。俺たちは距離を置いた方がいいだろ」
ただ単にお前と付き合うのが面倒なだけだ。
マトリスがテラスから去り、そろそろ会場に戻るかと思っていたとき、テラスに近づく人影が見えた。 それが誰なのか理解したとき、ガガに扉を開けるよう合図を送る。
「カサンドラ」
「…ディオルド」
カサンドラは女の使用人と共に扉を過ぎ、テラスに立った。ガガとその使用人は端に立ち、カサンドラは俺に近づく。
「礼はもう要らんぞ」
「わたくしはロシェル夫人に直接伝えたかったわ」
「フランシスは満足か?」
「ええ。毎日笑顔よ。彼女に送る手紙の便箋を吟味しているわ…美しい紙を用意するのだと」
「フランシスの熱が冷めても彼女は理解する」
「聡明な令嬢だわ」
「ああ」
「トラヴィスに話したのね」
唇を読んでいたか。お前なら意味を理解するよな。
「奴にはもうロシェルを攻撃する暇はない」
「ええ…聞いているわ。事業が傾き始めていると」
トールボットは公爵家の領地収入だけでは今までの生活を賄えない。人脈と信用で事業を起こし、莫大な富を得ていたが、それよりも大きな富を持つ家がなりふり構わず攻撃してくる恐怖は図り知れん。
「お前の持っている証人は俺にとってはもう要らぬものだ。好きにしろ」
「トラヴィスに会わせてみようかしら?」
意地の悪いことを言ったカサンドラに口の端が上がる。
「…あなた…本当に…愛しているのね」
「ああ」
「わたくしは…以前のあなたを知っているから…今のあなたが怖いわ」
「怖くて構わん」
「ステイシーを」
どうするのかと聞いているのか?
「俺がいるうちはあれは手を出せん。それくらいの策は講じている」
女に溺れて第一夫人に手を掛ける、そんな愚かなことはしない。たぶん。
「…わたくし…ステイシーに少し同情しているの」
カサンドラは姿勢正しく立ち、ピクリとも動かず俺を見ている。
「真実をどう知ったのか、彼女の話を聞いて震えたわ」
真剣なカサンドラの表情と会場から流れ来る音楽が合わない。
「ステイシーの母親は病んでいたのよ」
その言葉を聞いてだいたいを察する。
マトリスと話しカサンドラと話した後、会場に戻ろうと思えず、まだテラスにいる。
第二夫人とは当主に願われ求められて嫁いでくる。第一夫人とは閨の回数も相当違い、毎夜抱かれると言える。だが、どれだけ注がれてもステイシーの母親は孕まなかった。その事に夫だった男は苛立ち、第一夫人は浮き立って嫌味を口にする。そんな生活は第二夫人を病ませ、懐いた子供を誘惑するまで追いつめた。
二人の関係は少年が青年になる手前まで続き、母親はそれをステイシーに話した。なぜ話したのか、それに興味はない。
「閣下」
ガガの声に頷く。わずかに届く音楽の合間に聞こえる足音に振り返ると険しい表情のジェレマイアがいた。
ガガに合図を送り扉が開いてもジェレマイアはテラスに出なかった。
「どうした?」
「…母上が先に戻りました」
ステイシーはトラヴィスから逃げたか。
「わかった」
俺は馬で帰るか。その方が気が楽だな。
「トールボットの従兄弟らが助けを求めても耳を貸すな」
「…はい」
俺は手を振り扉を閉めさせる。
「…ガガ」
「はい?」
「俺は弱くなったか?」
「…そっすね」
「だよな」
ロシェルを愛し、俺は弱くなったように思う。以前の俺ならば人の目がある場でトラヴィスに対してあんなことを言わなかった。過去のことがあったにせよ、感情を抑えられたろうと思う。愛を知る前の俺の方が、誰に対しても完全無欠だった。公爵家当主として今の弱さはどうだ?
「閣下は生きているんっすよ」
ガガはにこやかに笑っていた。
「…俺は死んでいないぞ…当たり前だろ」
「ロシェル様と出会って、生き始めたんっすよ」
「は…なんだ…それは」
「人ってのはもともと弱い生き物ですよ。辛いことがあれば泣くし、傷つくし落ち込むし悲しいし…でも閣下はそこら辺が欠けていたように見えました。閣下は常に怒りを抱えていました」
「よく話すやつだな」
「…以前の閣下ならば俺の話をここまで静かに聞いておりません。マトリス殿下がおっしゃっていましたが…優しくなりましたよ」
怒りを抱えていた覚えはない。俺の周りには不愉快なことが多かっただけだ。
「閣下、今楽しいでしょ?」
「ああ。ロシェルと共にいると歩いているだけで楽しい」
「素晴らしいことっすよ」
「弱くてもか?」
「前の閣下が恐ろし過ぎたんっすよ。俺は弱いと言いましたが、別に困る弱さではないっす。現にトールボットなんて閣下が介入しただけで苦境じゃないっすか」
「ああ」
「ロシェル様に出会って後悔を?」
「それはない」
断言できる。
「生き始めたか…そうかもな…」
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