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安堵
しおりを挟む「昔の閣下も好きでしたけど、今の閣下はもっと好き」
「やめろ…気色の悪い」
「本当のことですもん」
もんはやめろ…阿呆…
「…全てを投げ出してしまいたくなる」
ロシェルと離れていることが苦痛だ。こんなことを考えるまでに至った。前の俺なら馬鹿馬鹿しいと吐き捨てていただろう。
「閣下は忙しいっすもんね」
「ああ」
「時間が足りん」
「ずーとロシェル様といちゃむんしたいんっすね」
いちゃ…むん…なに言ってる…
「もう…寝たか?」
「どうっすかね」
無性にロシェルに会いたくなったぞ。きっとあいつも俺の贈ったネックレスを見ながらそう思っているはずだ。
「贈ることも喜びになるとはな」
「わぁ…閣下…マジ別人」
…俺もそう思う…
俺は結局、夜会を途中で抜け、暗い街道を馬で駆けた。 白と黄色が闇のなかで浮かぶようにおぼろげに見えるのは小さな燭台が置かれているせいだろう。
幻想的に見える光景をロシェルに見せたい、ロシェルは喜ぶだろうか?そんなことを考える自分に驚きつつ頬が緩む。
前方にブリアールの馬車が見え、ゼノの顔も確認した。
俺たちの蹄の音が聞こえ、念のため馬車を停止させたんだろう。俺は減速せず、そのまま馬車の横を走り抜けた。
離邸の近くまで馬で向かい、飛び降りる。巡回の騎士に馬を託し、息を切らせながら扉を数回叩く。扉の向こうに人の気配を感じ、声を出せば閂を外す音と鍵を開ける音が静寂のなか響いた。
「…おかえりなさいませ」
燭台の灯りを受けて眼鏡を光らせたアプソを通りすぎ上階へ向かう。
不快な臭いを纏っている体を洗ってから会おうと思っていた。そう考えながら駆けていたのに、心も体も急いて向かっていた。
静かな廊下を足早に進み、扉を開ければエコーが立っていた。
「先ほど眠られました」
ここで冷静になれない俺はすでに感情を制御できないでいた。分厚いコートも身につけている宝飾品も首を締めるボタンもクラバットもそのままに寝室へ入った。
その瞬間、時が止まったような感覚になった。
寝台から離れた場所に置かれた小さな燭台が照らす部屋と匂い、雰囲気になぜか安堵を覚えた。静かに閉まった扉の音を合図にしたように一歩足を踏み出し、寝台の盛り上りへ近づく。
呼吸も止め、足音も消し近づくと銀色が見え、寝息まで届いた。その姿に再び安堵が沸いてきた。
俺は靴も脱がず寝台に乗り、横たわるロシェルの隣に寝そべる。背を向けているロシェルの頭に鼻を埋めて思い切り吸い込むと理解しがたい胸の痛みを感じた。
恋い焦がれる…それはこんなにも抗いがたい感情なんだと、母の気持ちを理解した。想い想われる奇跡は手離せない。
「会いたかった」
想いが溢れて声になっていた。昼間も共に出かけたし、離れたのは数時間だというのにこんなことになっている。
「ん…ディ…」
「ああ…俺だ」
寝たままでいい。お前は寝ていていい。
俺たちの間にある毛布ごと抱きしめ、銀色の柔らかい髪に何度も口づける。
「ん…ふふ…おかえり…なさ…」
「起こしたな」
「ん…」
「寝ていろ」
「ふふ…ん…ディオルド…さま」
お前に名を呼ばれると嬉しい。それだけでなんでもしてやろうと思う。
「すまん…臭うか…?」
「ん…外の匂いと…少し…香水」
「ああ…人が多かった…頭が痛くなったが…もう治った…治ったんだ」
俺は不快のなかを生きていたと、お前と過ごしてわかった。あれが常だと生きていたが、これが常となってからはあれが苦痛だったんだと理解したんだ。 安らぎを知ってしまったから痛みが…不快が顕著になった。
「…寝ま…しょう…?」
ロシェルが抱きしめる腕のなかで体を傾け、俺と向かいあった。眠そうな水色が何度と目蓋を落としては開け、俺を映す姿に叫びそうになるのを、こんな美しい光景があるのかと感動さえしながらこらえている。
「疲れたお顔…ディ…オ…」
連日忙しかった。でもお前を抱きたくて、一回だけと自分に言い聞かせては結局数回吐き出していた。
「…このまま寝ていいか?」
「ええ…」
水色の瞳はとうとう隠れてしまった。生暖かい吐息が顔をくすぐるがそれに喜びを感じた。
ロシェルの眉間に口づけをして目蓋を閉じる。暗い闇へ落ちていく感覚が心地よいと思った。
「やってみろ」
「…怒んないで」
「吐息だぞ」
「へいへい」
ガガは俺の前に立ち、ゆっくりと息を吐いたがなぜか寒気がして両手で押し退けていた。
「わっ…と…怒んないでって言ったっすよ。閣下がやれって言ったのになんなの?」
「ロシェルが特別なんだな…お前の吐息は許せん」
「許せんって…酷いっすよ…」
「ロシェルの吐息に幸せを感じたんだ」
「あっそ」
俺はジャケットに腕を通し、ガガの差し出すクラバットを身につける。
香油を手のひらに塗り髪をかき上げ固定し、濡れタオルで手を拭う。
王宮の夜会から数日が経った今夜、我が家にパルースが訪れる。
あの夜、俺は本当にそのまま寝た。朝陽に目覚めたとき、靴だけは脱がされていた。エコーがやったんだろうがそれに気づかず眠り続けた自分に驚いた。
「食事がたくさん余るといいなぁ~」
ガガは願いを口にしながら俺の胸にスカーフを入れた。
「ガガ、今なら聞くぞ」
「お…やっと興味を…ではでは」
「普通に話せ。お前が聞いたわけではなかろう」
俺はゼノの報告を聞く気になれず今まで避けていた…面倒だったが正しいか。あの二人の会話は俺にとっては重要なことじゃない。
「え…俺の頭の中でちゃんと作り上げて」
「報告」
「…あいつの言っていたことは本当か?ステイシー、なぜお前が知っているんだ?ステイシー……わたしだって知りたくなかったわ…けれどわたしの目の前で二人が…お兄様はわたしがいることに気づかずお母様と!……それは…いつの……わたしが五つの時よ!お母様は…お母様はわたしにかくれんぼと言って…わざと聞かせたの!…それから乱れた姿でわたしに言ったわ…トラヴィスがあなたのお父様よ……ステイシー…私は…お前を心から愛している……なら…贈り物を続けて…わたしがそう感じるように!触らないで!」
ガガは身振り手振りを加えて一人で演じた。最後の手を払った部分など躍動的だった。
「ゼノは盗み聞いたと言っていたが…それはお前の即興か?」
「へへ、そうっす」
「下らん内容だったな」
後回しで十分なものだったか。
「触らないでか」
「男と女の情事を聞かされたんっすよ。五つで。閨を忌み嫌う理由っすね」
忌み嫌っていたなら苦痛だったろうな。
「ついでに、トールボットからは夜会の翌日に宝飾品が贈られましたよ」
「…家にあったものだろうな」
今は散財している暇はないはずだ。トールボットの使用人が数名、バロン・シモンズに寝返っているとアプソから聞いた。内から崩れる可能性もあるわけだ。
「またまたついでに……あなた!待って!あなた!」
ガガは拳で宙を叩く真似をしている。まるで見えない壁を叩いているようだった。
「なんだそれは?」
「あの夜、馬車を通り越す俺たちに向かって奥様が叫んだそうです」
「どうでもいいな」
「バロちゃん、麻薬にどっぷり」
「足の痛みは相当だな」
「精神が不安定と…ギギが嬉しそうに話してましたよ」
俺は髪に櫛を入れながらガガを見つめる。
「会っているのか?」
「邸内には入れてないっす。金庫の搬入予定を伝えたときに」
「…バロン・シモンズはトールボットを一通り攻撃し終わったら…来るぞ」
「バロちゃんは簡単に殺せます」
「お前の弟が厄介だ」
金貨二十万を持つ悪党だぞ。どんなものでも手に入る。恨まれたら面倒なんだ。
「ブリアールを攻撃したら即効で消すヨンって言ったら、ハイヨォ~ですって」
意味がわからん。
「両方殺せばいい」
「っすね。ギギは俺が手首を刺してから握力が半減したらしいっす。雑魚雑魚」
握力半減でもテラスの床下を這えるのか…
「…お前の父親はどんな男だった?」
「ああ…どんな…体格は俺並みで…兄弟のなかでは顔はザザが一番似ましたね…髪色とか瞳とか。閣下は汚れても金持ち大男って感じだけど父ちゃんは…風呂に入っても薄汚い大男」
…なに言ってる…
「戦闘能力だ」
「強いっすよ!拳で丸太を貫くっす」
「冗談はよせ」
「見たときはチビっちゃって」
嘘だろ…
「視力も聴力も群を抜いてましたね。たまに誰もいないとこ見てたり…五感が凄まじい父ちゃんでした」
「生きているのか?」
「ガダードを裏切って去勢されて国を追い出されたっす。どこに売られたのか俺は聞いてないっすね。死んでるかも」
去勢…何をしたかは…どうでもいいな…
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