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晩餐会
しおりを挟む「予定されていた晩餐会ではないので、あまりかしこまらず」
「着飾らなくていいのね…なら…このネックレスでも?」
「はい」
アプソの返事に頷く。
「イヤリングも無色のダイヤにしましょうか?」
ダフネが持っている宝飾品のなかから小ぶりのものを選び、つけてもらう。
「ロシェル様の雰囲気に合っていますよ」
「ふふ、ありがとう」
青よりも薄い色のドレスを身に付け、食事の邪魔にならないよう編み込んで後ろでまとめている。
「では行きましょう」
「ええ」
腕を曲げるアプソに手を添えて、部屋から出るとディオルド様が寝室の窓辺に立っていた。
「ディオルド様」
「ロシェル」
少し高さのある靴を履いているせいで駆け寄れない。
ディオルド様も正装姿で、髪も整えている。胸には私の瞳の色のスカーフが入っていた。
「綺麗だな」
近づく手のひらが頬に触れる寸前で止まり、下へ向かい手を掴まれた。
「緊張してないか?」
「少しだけ」
「微笑んで…はいといいえで乗り越えろ」
「ふふ、はい」
「そうだ…その顔だ」
夜会の夜をおぼろげに覚えている。
私の寝入りばなに帰ってきたディオルド様は湯も浴びずに寝室へ来た。どんな話をしたのかは記憶にないけれど、巻き付く腕は感じていた。幸せと思う瞬間だったわ。
「ディオルド様、素敵です」
「…そうか?」
私はアプソの腕から手を離し、言われる前にたくましい顎をかく。
「ふふ、こそばゆいのでしょう?」
「ははっ、ああ…その通りだ」
声を上げて笑うこの人が愛しい。
久しぶりに本邸に足を踏み入れた。
離邸と違い使用人の数がとても多く、私たちが歩く廊下の端に立ち頭を下げている。離邸にいると公爵家だということを忘れてしまう時があるけれど、公爵家とは本来こういう雰囲気を持っている。
「ステイシーは体調が優れなくてな」
「そうなのですか?」
ステイシー様も共にもてなすと思っていたわ。
「医師には…」
「診てもらったが、疲れだろうと。流行り病じゃない」
王宮の夜会で疲れてしまったのかしら…
「すぐに回復するだろう」
「…はい」
それならいいのだけれど…ディオルド様がそう言うなら深刻ではないのね。
アラント家から公爵邸に越した日から本邸の食堂には入っていなかった。あれからもう一年が経とうとしている。
あの日、ジェイデン様に会うまでとても不安だった。ディオルド様がいてくれたけれど… 私が見上げると臙脂の瞳が気づいて視線が合った。わずかに垂れた瞳があの日とは違っていることに微笑む。
『はじめて訪れた日を思い出しました』
私は声を出さず、唇を動かして伝える。
『懐かしいです』
ディオルド様は握っていた私の手を持ち上げ、甲に口づけをしてから曲げた腕に乗せた。 ぶっきらぼうなあの時のディオルド様とは別人のような甘い仕草に胸が高鳴ってしまった。
愛されている、求められている、思いやってくれている、そんなディオルド様の想いと、私だけに見せる表情や私に見せる弱さに、言葉にできないほど満たされた思いが湧いてくる。
変わらないでほしい、私を愛し続けてほしい。私はとても欲張りになってしまった。
食堂の扉が開かれ、使用人が並んで待っている。私は触れている腕を指先で撫でる。
「どうした?」
「いえ…」
私がディオルド様から逃げたいと、ブリアールから逃げたいと思う日は来ません…ジェイデン様。
「ブリアール公爵閣下」
「パルース教主、貴殿の来訪、光栄だ」
「いえいえ。こちらこそ光栄です。ブリアール公爵閣下は我が国に縁のあるお方だ…いつかお会いしたいと神に祈っていたのですよ」
シモンズより濃い金毛は見事なほどに長くまっすぐと床に向かい、顔を傾ける度に輝きながら揺れている。
「客を待たせてしまったな、すまない」
俺とロシェルが入った食堂にはジェレマイアとアリステリア、パルース教主に加え、奴の側近らしい男が椅子に座っていた。
「長い旅路で疲れているだろうに休まず動いていると聞いた」
俺が手を振ると食事が運ばれ始める。ロシェルの前に置かれたグラスに嗅覚を集中させ、異変なしと確認する。さすがにこの場で毒見はできん。
「グラン教国がベルザイオ王国を訪れる機会が今までありませんでした。滞在中はでき得る限り皆様と親しくしたいと思っております」
教主はテーブルに座る一人一人に顔を傾け微笑んだ。
「公爵夫人にもお目にかかりたかったのですが、残念です」
「ああ…悪いな…無理はさせられん」
パルースは俺の言葉に微笑むだけだった。
この男はトールボットからコモンドール、ビアデットと渡り歩き、今夜はブリアールにいる。ビアデットでの会話は知らんがトールボットではずいぶん夫人らと親しくなったと聞いた。特にバクスターの母親は心酔する域らしい。
食事が並べられ、フォークとナイフを手にしながら教主の隣に座る男に視線を向けるとパルースが声を出した。
「彼の紹介がまだでしたね。私の補佐をしているジュードです」
その男は微笑んだまま小さく頷いた。
「私たち信徒は食事の前に祈りを捧げます。公爵閣下、よろしいですか?」
「ああ」
パルースは目蓋を下ろし手を組み祈り始めたが、俺は食事を始める。
グラン教国のこの習慣は知っていたが、俺たちが合わせる必要はない。俺にならい、ロシェルもジェレマイアも食べ始めた音にパルースとジュードと紹介された男はわずかだが眉を動かした。他の家では祈りを待ってから食事をしたと察する。
「無理して食べるな。多かったら残せよ?」
隣に座るロシェルに話しかければ、微笑んで頷いた。
本邸の食事の量は多い。足りないよりはいいと多めに作る習慣があるからだが。
アリステリアがやけに大人しいと思っていたが、視界に入っているガガの唇が頬を染めていると教えた。教主パルースに見惚れているらしい。俺はロシェルに視線を向けるが、水色の瞳は食べることに集中していた。 シモンズよりも美麗な顔は珍しい。この顔で話術が得意となれば、夫人らの支持は受けやすい。
「では、いただきましょうか、ジュード」
「はい。パルース様」
パルースよりも年上に見える男はちらと俺に視線を向けてから食べ始めた。侮蔑の視線と感じたが放っておく。
「アリステリア様」
「は!はい」
パルースがアリステリアに声をかけた。
「ベルザイオ王国の学園では楽しく学ばれていますか?我が教国には神の学園はありますが、それは牧師になるための…」
パルースの意識は目的のアリステリアにあるなか、ジュードと呼ばれた男は微笑みながら食事を続けていた。食堂の壁の近くには神騎士が数名立ち、パルースを見つめて微笑んでいる。
和やかな雰囲気のなか食事は進んでいくが、離邸でとるロシェルと二人きりの食事と比べればなんとも居心地が悪く、口の中の肉さえ味気なかった。
「グラン教国は一夫一妻です。天に向かうその日までただ一人を伴侶とする」
どちらかが死ねば新たな伴侶を得ることができる。だからか、仲違いした夫婦は互いを警戒しながら生活をしていく。いつ毒を盛られるか、事故を装い殺されるかわからない。 そんなグラン教国に娼館は一つもない。かといって娼婦がいないわけではない。
男は好色で欲望は果てしない。それは俺もこの年で理解したが、グラン教国の男たちは制限のなか策を練り女と遊ぶ。人の目を盗み、金をちらつかせ、密告を恐れながらも欲を吐き出す。教会はそれを上手く利用している。見て見ぬふりをする者、見せしめに捕らえる者を選別し、不満が湧けど抑えられる程度を吟味し操っている。
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