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パルース
しおりを挟む「ロシェル夫人」
「パルース教主様」
「素晴らしい演奏でした。これほどの弾き手を私は見たことがありません」
本当かしら?私の演奏よりディオルド様を気にしていたわ。
「ベルザイオにもいないぞ」
微笑みはなくても臙脂の瞳がわずかに垂れた様子に私は微笑みで返事をする。
「いつか、我が国へいらしてくださると大変嬉しいです」
パルース教主の言葉は返事がしにくいものだった。
「ロシェルが行くなら俺も行くぞ。それでもいいのか?」
ディオルド様の言葉にほんの少しだけパルース教主の表情が力んだように見えた。
「ロシェル、俺はパルース教主と話がある。先に離邸に戻っていてくれ。疲れたろう?休め」
「はい」
絡めている指先を離したくなかった。けれど、あの話をするのなら私たちはいない方がいいわ。
「ロシェル様」
エコーが近くに立ち腕を曲げた。私はそれに手を添えて歓談室から離れる。
ジェレマイア様もアリステリア様と共に出てきた。
廊下に出ると肩の力が抜けたような気がして、小さくため息をついてしまった。
「教主様から演奏を褒められて舞い上がっていますの?公爵夫人に対して褒める以外の言葉がありまして?」
後ろから聞こえた声に顔を傾ける。
「お父様の関心が続いているようで安心なさっているのでしょうね。今夜はお母様がいないのだから調子に乗るのも仕方がないとは思いますけど」
ステイシー様の面差しを強めにしたアリステリア様の険しい眼差しが私を見ている。
「アリステリア、止めなさい」
私たちが立っている廊下には教国の騎士とブリアールの騎士がいる。全て聞かれている。それを意識してジェレマイア様は小声で諌めている。
「…伯父様を困らせているのはお父様でしょう?あなたから一言あればお父様も満足するわ。気を遣われている感謝と…堅物と言われたお父様を骨抜きにしたその若い体で甘えて落ち着かせてくださらない?」
私はジェレマイア様に視線を向ける。ここで話していいのか、年上の私が威厳を損なわないよう穏便に済ますために無視をしたほうがいいのか、尋ねたかったけれど小さな臙脂はなにも伝えていなかった。好きにしていい、私はそう捉えた。
「いやらしいわ…またお兄様…?お父様を夢中にさせて次は次期当主のお兄様…ロシェル夫人、少し態度を隠した方がよろしいのではなくて?」
なんの話をしているのかわからず、ただ首を傾げれば、アリステリア様は顔を歪めた。
「フランセー侯爵領邸でピアノを弾いたあと、具合悪そうに見せてお兄様の名を呼んでいたでしょう?それにあなたが熱を出して出立が遅れた日も部屋からお兄様を覗いていたわ…私…知っているのよ…気を引きたくて小賢しい真似ばかり」
得意気に話すアリステリア様に数ヵ月前を思い出す。私がジェレマイア様を呼んだ?覗いた?
「…とぼけるのかしら?お父様がそれに気付いたら傷つくわ…あなた…そろそろ飽きられるのではなくて?第二夫人は大変ね…過剰に美しく着飾らなければならず…生家の力が小さいと肩身が狭くて…可哀想だわ」
「ロシェル様」
エコーに呼ばれたとき、鮮やかな記憶が甦り悲しみが少し沸き上がった。
ジェレマイアではなくジェイデン、そして熱を出したせいで残らなければならなくて棺を乗せた馬車を見送ったわ。確かにアリステリア様の言う通りだったけれど…
「アリステリア様の勘違いですわ」
「…とぼけて…あなたが来てから私は過ごしにくくなったわ…お父様に見初められてあなたは幸運よね…お祖父様にも気に入れられていたなんて周りが知れば一目を置かれる…調子にも乗るわ…無力だったのに突然……お母様が部屋から出てこないのもあなたのせいかもしれないわ」
「…体調が優れないと聞いています」
「閉じ籠っているのよ…気に入っている使用人と画家しか部屋に入れないわ」
画家…支援している人を招けるなら心配するほどではないのかしら?
「…もう…いいでしょうか?」
来賓と共にとる夕食は緊張したわ。なにか変なことを言ってはいなかったかエコーに確認したいし…
「あなたのせいで…居心地が悪いの…お父様に変なことを吹き込むことはもう止めてくださらない?」
「行きましょう、エコー」
私は体を傾け、アリステリア様に背を向ける。
「ロシェル夫人!……本当にあなたは自分勝手ね…ブリアール公爵家のことを考えてほしいものだわ…男性の寵愛なんて短いものと決まっているのに…ふてぶてしい」
寵愛が短い…確かにそんな話をファミナの茶会で聞いたわ。男性の気持ちは持続しない。飽き性が多い。生家に強みもなく、相手にされなくなった第二夫人はとても惨めな思いをしながら過ごすと笑いながら話していたわ。
「それでも…かまわないわ」
私の小さな呟きはアリステリア様に届いていないけれどエコーには届いたのか視線を感じた。
ジェイデン様の想いがいつ冷めていくのか不安を感じたように、ディオルド様の重く熱い想いが永遠に続くなんて無理だと、冷静な自分が囁く時もある。そう囁かれた時、ジェイデン様の言葉を思い出すようにしている。
『思うように生きなさい』
アラントの私では叶わなかった生き方を与えてくれたジェイデン様…無性に会いたい…
「今さら王家の血を望むのか?」
琥珀色の酒を揺らしながら尋ねると、パルースはグラスを持ち、口に含んだ。そして薄く微笑み、また口に含んだ。飲み干したグラスにスタンが素早く近づき、オルダージを注いだ。
「滅ぼしたくせに厚かましいと思わんか?」
「ブリアール公爵、パルース教主様に対してそのような言葉遣いは無礼と思いませんか?」
影のようにパルースの後ろに立つ側近が苛立ちを隠すことなく言った。
「ジュード、止めなさい」
「ですが…」
「…今は歓談しているだけだろう?パルース教主、建前の会話が望みか?」
「いえ…ふふ…あなたは…他の公爵らとは違う…面白い人」
急に柔らかな雰囲気になった男を見ると、黄金の長い髪を指に巻き付けながら俺を見ていた。
「確かに厚かましいですね。あなたの祖父、祖母、叔父と…血縁を惨殺したのは教会ですが、それは強硬派の所業。それを止める立場にいたのが先代の教主です」
王家を惨殺したあと、それを主導した強硬派を穏健派の信徒が罰したのは知っている。
「ただ教会の意見が国政に届かないという不満…それが火種となってじわじわと…王家は国民の汗と命を軽んじ、贅沢をしていると扇動する者が生まれ……城を血濡れにし…歓喜し…結局…最後は試練の崖に向かいました」
試練の崖、グラン教国で罪を告発された者が向かう場所だ。自分は無実だと、罪を犯したつもりはないと反論、認めない者に行われる試練。
その崖はいくつかあり、神の選択により選ばれた場所を登りきれば、無実と証明されるという、俺やガガならどんな崖でも登れるのだからなにをしても否定さえすれば無実を証明できる非合理的な罰し方だ。
「王家に認められたいという集団心理が狂気に代わり、倫理に反する行為とわかっているだろうに正義とみなし、鉄槌と宣ったのよ」
…のよ…?…俺の聞き間違いか…?
「穏健派の我々は永遠に神に許しを乞い続けなければならないわ」
わ…
「グランルーツの血筋はグラン教国にもいます…でも彼らの血は薄い…アスクレピア・グランルーツ姫のご子息であるディオルド・ブリアール様、あなたに」
「謝罪など不要だ。内乱など起こり得る事案。王家はそれを察し対処しなければならなかったができなかった。それだけのことだ」
「謝罪など意味のないことですのね」
…のね…?
「ああ」
「次の教主は私の息子ではありません。グラン教国の教主は世襲制ではないの」
の…
「…次期教主は選び出したのか?」
「ええ…アリステリア様が気に入ってくだされば嬉しいわ」
「私はアリステリアを嫁がせるとは言っていないが」
「我が国から輸出される貿易品の関税緩和。現在の二割にしましょう」
「太っ腹だな」
「ふふ…私のお腹は薄っぺらいですけれどね」
パルースは妖艶に笑い、自身の腹を撫でた。俺は鳥肌が立った。
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