ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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ジェイデンとジェレマイア

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 離邸の上階から馬車が遠ざかる様子を眺め、ロシェルの唇の触れた手の甲に自身の唇を合わせる。 

「ジェイデン様」 

 エコーの声に視線を動かすと手のひらが見えた。私は握っていたハンカチを載せる。 

「ディオルドは気づいた」 

 咳に血が混ざっていた。ロシェルが刺繍したハンカチを汚したくはなく、エコーのものを借りたが。 

「痛みはありますか?」 

 私は自身の胸に手をあてる。 

「…思ったよりも…早いかもしれないな」 

 胸痛から始まり、息切れが気になり診てもらったが着実に悪い方向へ向かっている。 

「流行り病でなくて幸いだ」 

 流行り病ならロシェルのそばにいられなかった。 

「侍医を呼びましょう」 

「…薬が増えるな」 

 ロシェル、不安な思いをしているだろうか? ディオルドは寡黙でつまらない男だが、アプソがいるなら気も紛れる…と願う。

 公爵夫人となった義娘に手を上げることはないだろうが、ファミナ・アラントは私と違う意味でロシェルに執着している。 

「ジェイデン様」 

 エコーのいつもより緊張を含んだ声音に振り返ると同時に離邸の外から声が聞こえた。 

「使用人が止めているが押し入ろうとしているな」 

 わずかに聞こえる声に状況を理解した。 

「ロシェルはいない。会ってもいいだろう」 

 この機会を狙っていたんだろう。 


 声のする方へ向かうと、使用人たちの困ったような声と、それを諌める声が聞こえた。 

「使用人を困らせるな」 

「…お祖父様」 

 ジェレマイアの後ろには本邸を任せているスタンもいる。スタンの唇が謝罪をしているが、いつかこうなると予想はしていた。 

「来なさい」 

 私はジェレマイアに背を向け、ディオルドの執務室へ向かう。孫の足音を聞きながらロシェルを考える。 

「二月…父上が僕らと食事をしていません」 

 後ろから聞こえる声は届いているが、そのまま足を進める。 

「…どれだけ!……彼女を気に入ったか知らないが…ブリアール公爵家当主の行動としてふさわしくない」 

 ジェレマイアはアリステリアの怒りを受けている。それが限界に達したのかもしれないな。 

「外の声が気になるか?」

 私は歩きながら尋ねる。 

「外と中…両方です」 

「本邸のことは報告を受けている。ステイシーが連れてきた…灰色の髪の女は…未だ…滞在しているようだな」 

 ステイシーというよりトールボットが送り込んだんだろうな。 

「母上は父上が女性に…快楽に目覚めたと思っています」 

「ふ…知恵の浅い」 

「…お祖父様…母上を悪く言わないでくれ」 

 ジェレマイアの言葉に振り返る。私とディオルドと同じ色を持つ孫を見つめる。 

「お前は少し冷酷さを持った方がいい。ディオルドほどとは言わないが、そうでなければブリアールを背負えない」 

 母親を思いやることは大切なことと思うが、私に話すことじゃない。周りに弱点を教えているようなものだ。 

「私の知る限り、ステイシーはお前を可愛がっていたが…わずかな世話もしなかったのに、こうも慕うか。子供というのは面白い…」 

 ジェレマイアは私を睨むように見ている。 

「ディオルドに本邸で過ごせと私に諭すよう頼みに来たのか?出掛けるまで待ったか」 

 執務室へ向かうことが億劫になり、壁にもたれる。 

「お祖父様が彼女を気に入っていると聞きました。お祖父様が誰かを…他人の誰かを気にかける…今までなかったことです」 

「…不憫だった。そして話せば心優しい女性だった」 

「彼女のように不憫な令嬢は多いでしょう? 母親を亡くした子供は父親が目をかけなければ不遇な扱いを受ける。貴族家とはそういうものです。不憫だと言って助け始めれば父上の妻が増えます」 

 私はそれを想像していまい、笑い出しそうになったが耐えた。 

「確かに…ロシェルと同じ境遇の令嬢はいる。第二夫人やその子供と対立している令嬢、令息は昔からいる。お前に言われなくても私は世間を知っている」 

 ジェレマイアは私がそんなことも知らないと? 私が年老いて、心まで弱くなったと思ったか。 

「ディオルドに会っていないと言うが、あれが戦場へ行っていたときは何年も会わなかったろう? アリステリアがディオルドに会いたいと泣きついたか?」 

 あの子がそんなことを言うわけないとわかっている。 

「それとも茶会や学園でロシェルのことを尋ねられることに耐えられないか?」 

 そんなことで癇癪を起こすようでは、嫁ぎ先でうまく立ち回れない。 ジェレマイアの顔を見るに、私の言葉は正しかったようだ。 

「ディオルドがロシェルに夢中になり第一夫人や息子、娘など眼中にない、とでも言われたんだろう?」 

「…アリスはロシェル嬢が子を産んでしまえばそちらを優遇すると言われ、茶会の席を立ったそうです」 

 いつまでも最高位権力に守られているとおごっていたろうな。褒められ媚びられ不快な思いを感じなかった会話に変化があれば子供ならば狼狽えるだろうが、アリステリアはデビューを終えた年だ。もう少し落ち着いてほしい。 

「ジェレマイア、お前もそう思うのか?」 

「私は思っていません。次期当主は私だと日々、精進しています」 

「だが、ロシェルが男児を授かればお前を差し置いて後継にとディオルドが言い出す…とは考えたか?」 

 ジェレマイアの顔は面白いほど歪んだ。 

「他家では幼い子供が物心ついた時から後継について悩む。父親は若く美しい妻を増やし、子も増えるからな。そんなことはお前も知っていると思うが、ディオルドの妻が一人だったことがお前たちを弱くさせた」 

 言葉がわかるようになれば異母兄姉弟妹たちと敵対していることを母親の態度から理解し、その環境のなか育つ。そんな彼らの精神は強靭になり歪むか、打たれ過ぎて弱くなり病むか。 

「弱くなどありません」 

 ジェレマイアの真剣な眼差しに微笑む。 

「ロシェルの存在を気にしている時点で弱いと思うが」 

「気にしているのはアリスと…」 

 ジェレマイアは言葉を止めた。私が代わりに続ける。 

「ステイシーか? 城の茶会のあとから画家の部屋に入り浸っていることは知っているよ」 

 貴族夫人とは日々の生活にどれほど金を使い、他家の夫人よりも優雅に贅沢に楽しむことが生きる意味となっている。中には家政に勤しむ夫人もいるが大抵は執事に任せ、暇な時間に茶会や買い物、そして気に入った画家や彫刻家のパトロンになる。 

 ステイシーも他家の夫人と変わらず、見目のよい画家を見つけ、ブリアール公爵邸に部屋を与えて制作を支援している。 

「母上が連れてきた女が…邸を自由に歩くことも父上が本邸にいないせいでは?」 

 ジェレマイアは母親の男のことは考えたくないようだ。 

「父上が出ていけと言えば彼女は出ていくしかない」 

「その女はお前に近づいたのか?」 

 ジェレマイアの険しい眼差しに答えを聞いた。 

「その女はトールボット公爵が用意した」 

「伯父上が…」 

「トールボット公爵がステイシーを可愛がっていることは知っているだろう? 気に入らないブリアール公爵家に嫁がせたが、ディオルドがステイシー以外娶らなかったことに満足そうだった。だが、ロシェルが現れた。腹が立ったか知らないが、奴は息のかかった者を送った」 

「それがあの女…?」 

「ステイシーが自ら娼婦のような女を探せるか?」 

 ステイシーが付きあう令嬢や夫人は高位貴族だけだ。あれは男爵家の養女と調べはついている。 

「…ジェレマイア、女は出ていかせる。私の指示だとスタンに言いなさい」 

「わかりました」 

「アリステリアに離邸に近づくなと伝えなさい」 

 今日、ジェレマイアが離邸に足を運ぶまで、アリステリアのメイドが何度か忍び込もうとしていたことは報告を受けている。そしてアリステリア本人が離邸に入れろと使用人を困らせたことも知っている。 

「馴染みの教師を変えられ、学園では避けたい話題をふられ腹が立っても、それはロシェルのせいではない。あの子が幼稚なだけだ。本来ならステイシーが諌めるべきだがそうはしていないらしいな」 

 ステイシーは他と変わらぬ貴族夫人だ。自身の子を可愛いと思っているだろうが、面倒なことは乳母や使用人に押し付ける。それが普通だが、いずれ他家に嫁ぐ娘の教育に口を出さないなど子に興味がないとわかるだろうにジェレマイアはなぜか慕う。 

「母上は突然、現れたロシェル嬢に不安を覚えてしまったのです。だから…癒される場所へ行く…」 

 ジェレマイアの言葉は小さくなっていった。若い男のもとへ癒されにいく母親になにか思うことはあれど、その気持ちも理解できる。そんな感じだ。 

「ステイシーはトールボットでは甘やかされて育った。それを弱いと、守らねばと思っているようだが要らぬ心配だと私は思う」 

 現に逃げ場所で若い男の甘い言葉に酔いしれているのだから。





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