29 / 211
コモンドール公爵家2
浮かせる?
「不安定なのは一瞬だ。怖がるな」
ディオルド様の言葉に頷くと、屈めていた上体を直して背筋を伸ばし組んでいた腕を離され、腰に腕が巻かれた。 太い腕に引き寄せられ体が密着した瞬間、爪先が浮いた。 不快な視線を気にする余裕などなく、少し近づいた臙脂色の瞳を見つめる。
「ディオルド様…」
「任せろ」
私は回り始めた。浮かせていることを誤魔化すためか、私を左へ右へと傾け、微妙に上下に揺らしている。
「ふふふ!」
「…なんだ? おかしいことはないだろ」
きっとおかしいわ。ディオルド様は周りに知られていないと思っているようだけど、回る視界に見える人たちは驚いた顔をしているもの。
「重くないですか?」
ディオルド様は片腕だけで私を持ち上げ、器用に動かしている。
「…少し増えたようだな」
増えた? 体重…なぜ知っているのかしら…ジェイデン様から贈られたドレスが少しきつくなっているのよね。
「申し訳ありません」
「なぜ謝る? 前は軽くて驚いた。もっと食べろ。今でも適正体重とは言えん」
適正体重…貴族令嬢の適正は…細すぎず太りすぎずと食事の管理は他家でも当たり前と思うわ。
「…食べます」
ジェイデン様にも肉を食べなさいと言われている。
「ああ」
ディオルド様は踊るというより、曲に合わせて見よう見まねで動いている、そんな感じだったけれど、なぜか私には違和感なく見えた。
胸を張り、顔を上げて堂々としている…そんな様子がおかしいという雰囲気を消している。私にはできなかったことだわ。
「ステイシー様ともこうすれば踊れたのではありませんか?」
王宮の夜会ではジェレマイア様がデビューしてからステイシー様のダンスのパートナーをされて、ディオルド様は会場に参加するだけだった。 そのこともディオルド様は踊れないと言われる原因の一つだった。
パートナーの足を踏むことは、決してない訳じゃない。一度の過ちで…
「ガガがひらめいてな」
ひらめ……私と踊るために策を練ってくれた?
「奴がメイド相手に踊って見せた」
「ふふ、ディオルド様も練習をなさったのですか?」
今夜のために時間を割いてくれたことにお礼を言いたいわ。
「奴の説明は細かくてな。それを聞けば実践できる」
メイドを相手に練習せずにこれだけ器用に…
「ありがとうございます」
私は唇の動きを最小限にして礼をする。
「…父上…の相手をしている。お前が来て…よく笑うようになった」
ジェイデン様が笑うように…私の前では常に微笑んでいるか、時には声を上げて笑っている。
「自然な笑み…俺は見たことがない」
貴族の親子関係は希薄なもの。ディオルド様を育てたのは乳母や使用人、そこはアラントと変わらないわ。
ディオルド様の臙脂色の瞳がわずかに動いた。
「…アラント夫妻が見ている」
ダンスが始まるまで二人を見かけなかった。予定を変えたのかと安心していたのに。
「不安か」
「…震えていましたか?」
ディオルド様に揺らされて、私の震えなんて伝わらないと思っていた。
「瞳が…若干…潤んだ」
耐えなくてもいい日々は私を弱くしたわ。ファミナとチュリナのいない生活、存在を感じずに信頼できる人がいる生活は想像以上に快適で、二月前を思い出せば恐怖が沸き上がった。
「…情けないのですが…怖くて」
ブリアール公爵家の一員になった私に声を上げることはないだろうし、叩くこともない。
けれど、記憶のなかには目尻をつり上げて高い声で罵るファミナがいる。なかなか消えてくれない。
「過去の記憶に囚われていては前に進めん」
「はい」
曲が終わりに近づいたとき、ディオルド様は腕に力を込めて私を抱き上げた。完全に浮いた状態になり、周りの人たちが驚いている。
「だが…そう思っても…ままならないこともある…過去はお前の一部だ…忘れることなどできんな」
「…はい」
「お前は弱くていい。守る者がいる」
弱い私でいいと言われて胸が熱くなる。ジェイデン様も私の思うようにと言ってくれた。
「ディオルド」
かけられた声に我に返る。
ダンスの曲は終わっていた。コモンドール公爵がライラ様と共に近づいていた。
「仲睦まじいとはこのことだな」
「…放っておけ」
ディオルド様はゆっくりと私を下ろして腕を曲げた。私はその腕に手を添える。
「微笑ましいですわ。揃いの衣装も映えていました」
「ありがとうございます」
ディオルド様はライラ様をちらとも見ずに歩き始め、私はそれに合わせ軽く会釈してから進む。
グラスを両手に持つアプソ様とガガ様が前方に見えた。ガガ様は胸の前で拍手をしている。
「ロシェル様」
「アプソ様、どうでした?」
私が小さく尋ねるとアプソ様がグラスを差し出した。それを受け取り、口に含む。ディオルド様は一気に飲み干し、ガガ様に空のグラスを渡していた。
「周りとは違う動きをしていましたがさほど目立ちませんでしたよ。最後のところは派手でしたが」
離れた場所から見ておかしくなかったか気になっていた。
「そうですか。ディオルド様が気を遣ってくださったのです」
ダンスは得意じゃない者同士、うまくできたと思うわ。
「ロシェル!ロシェル!」
大きな声で名を呼ばれ、つい視線を向けてもガガ様の大きな体しか見えなかった。
「そこを退いてくださる?」
ファミナの声が聞こえる。
「ブリアール公爵閣下」
「アラント伯、珍しいな。この夜会に参加したことはないだろ」
「娘に会いたい一心で…」
お父様の言葉のあと、ガガ様がわずかに体を傾けた。
二月ぶりに会うお父様が見え、少し窶れたように感じた。
「お父様」
「ロシェル」
私の知る優しい眼差しがもう懐かしい。
「ブリアール公爵閣下、親子水入らずで話したいのですけど、よろしいかしら?」
未だにガガ様の体で遮られているファミナの言葉に添えていた手に力が入ってしまった。
「よろしいかだと? 私にどこかに行けと言うのか?」
ディオルド様はさっきより低い声を発した。
「手紙の返事もなく心配していましたのよ。娘の嫁ぎ先と縁戚関係になったはずですのに訪問の許可も頂けず困惑しております」
「ロシェル…体調はどうだ?」
ファミナの抗議と言えるような言葉を聞き流し、お父様に向かって頷く。
「体調とはなんだ? ロシェルは風邪など引いていない。よく食べよく寝て、太ったくらいだ」
女性に対して無神経なことを言ったディオルド様に、対象の私よりガガ様が表情険しく睨んだ。
「閣下、時と場所を考えて発言を」
「事実だろ。ロシェルは越してから顔色も良くなり…笑うからな」
私はディオルド様を仰ぎ見る。臙脂の瞳が私を見下ろしていた。 私はブリアール公爵家に越してからディオルド様と会話はなかったし、見ることもなかった。ジェイデン様から話を聞いていたのかもしれない。
「…そんな言い方をされては…また世間が誤解しますわ。わたくしどもは困惑していますの」
ファミナの言葉に少し驚くわ。公爵家相手に文句を言っているように聞こえる。
「やめなさい、ファミナ。そんなことを言うためにここに来たわけじゃない。私はロシェルと話したくて来た」
お父様が珍しくファミナを諌めた。ファミナも驚いたようにお父様を見ている。
「ロシェル、元気なんだね?」
お父様は頷く私を見たあと、ディオルド様に視線を移した。
「娘になにかあれば…すぐに報せてください」
公の場で私を気遣うお父様は初めてだった。
「…手紙は送る」
「ありがとうございます」
お父様はディオルド様に頭を下げた。
「あなた! アラント伯爵家はブリアール公爵家と縁戚になったのよ? もっと付き合いを深くしなければならないわ。公爵閣下、後日、邸に伺ってもよろしいかしら? ステイシー公爵夫人の催す茶会の参加の許可を頂けると、皆さんにロシェルのことを話せますわ。ロシェルも一緒に夫人たちから学ぶことが多いと思いますの。そうでしょう? ロシェル」
ファミナは私の視界に入るため、お父様を押して姿を見せた。 ガガ様が動いて邪魔をしようとしたけどアプソ様がそれを止めた。
ファミナ…ファミナはもう私に手は出せないし、言葉を荒げて罵ることもできない。それは頭では理解していても、体は違っていた。
甲高い声で罵る声が今も聞こえる。
あなたにおすすめの小説
出生の秘密は墓場まで
しゃーりん
恋愛
20歳で公爵になったエスメラルダには13歳離れた弟ザフィーロがいる。
だが実はザフィーロはエスメラルダが産んだ子。この事実を知っている者は墓場まで口を噤むことになっている。
ザフィーロに跡を継がせるつもりだったが、特殊な性癖があるのではないかという恐れから、もう一人子供を産むためにエスメラルダは25歳で結婚する。
3年後、出産したばかりのエスメラルダに自分の出生についてザフィーロが確認するというお話です。
世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました
由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。
——皇子を産めるかどうか。
けれど私は、産めない。
ならば——
「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」
そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。
毒を盛られても、捨てられず。
皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。
「お前は、ここにいろ」
これは、子を産めない女が
ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。
そして——
その寵愛は、やがて狂気に変わる。
侍女から第2夫人、そして……
しゃーりん
恋愛
公爵家の2歳のお嬢様の侍女をしているルイーズは、酔って夢だと思い込んでお嬢様の父親であるガレントと関係を持ってしまう。
翌朝、現実だったと知った2人は親たちの話し合いの結果、ガレントの第2夫人になることに決まった。
ガレントの正妻セルフィが病弱でもう子供を望めないからだった。
一日で侍女から第2夫人になってしまったルイーズ。
正妻セルフィからは、娘を義母として可愛がり、夫を好きになってほしいと頼まれる。
セルフィの残り時間は少なく、ルイーズがやがて正妻になるというお話です。
【完結】「元カノが忘れられないんでしょう?」と身を引いた瞬間、爽やか彼氏の執着スイッチが入りました
恋せよ恋
恋愛
「元カノが忘れられないなら、私が身を引くわくべきよね」
交際一周年、愛するザックに告げた決別の言葉。
でも、彼は悲しむどころか、見たこともない
暗い瞳で私を追い詰めた。
「僕を捨てる? 逃げられると思っているの、アン」
私の知る爽やかな王子の仮面が剥がれ落ち、
隠されていた狂おしいほどの独占欲が牙を剥く。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。
しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。
私たち夫婦には娘が1人。
愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。
だけど娘が選んだのは夫の方だった。
失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。
事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。
再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。
王命での結婚がうまくいかなかったので公妾になりました。
しゃーりん
恋愛
婚約解消したばかりのルクレツィアに王命での結婚が舞い込んだ。
相手は10歳年上の公爵ユーグンド。
昔の恋人を探し求める公爵は有名で、国王陛下が公爵家の跡継ぎを危惧して王命を出したのだ。
しかし、公爵はルクレツィアと結婚しても興味の欠片も示さなかった。
それどころか、子供は養子をとる。邪魔をしなければ自由だと言う。
実家の跡継ぎも必要なルクレツィアは子供を産みたかった。
国王陛下に王命の取り消しをお願いすると三年後になると言われた。
無駄な三年を過ごしたくないルクレツィアは国王陛下に提案された公妾になって子供を産み、三年後に離婚するという計画に乗ったお話です。
結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。
しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。
友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。
『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。
取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。
彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。