ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

文字の大きさ
29 / 186

コモンドール公爵家2

しおりを挟む



 浮かせる? 

「不安定なのは一瞬だ。怖がるな」 

 ディオルド様の言葉に頷くと、屈めていた上体を直して背筋を伸ばし組んでいた腕を離され、腰に腕が巻かれた。 太い腕に引き寄せられ体が密着した瞬間、爪先が浮いた。 不快な視線を気にする余裕などなく、少し近づいた臙脂色の瞳を見つめる。 

「ディオルド様…」 

「任せろ」 

 私は回り始めた。浮かせていることを誤魔化すためか、私を左へ右へと傾け、微妙に上下に揺らしている。 

「ふふふ!」 

「…なんだ? おかしいことはないだろ」 

 きっとおかしいわ。ディオルド様は周りに知られていないと思っているようだけど、回る視界に見える人たちは驚いた顔をしているもの。 

「重くないですか?」 

 ディオルド様は片腕だけで私を持ち上げ、器用に動かしている。 

「…少し増えたようだな」 

 増えた? 体重…なぜ知っているのかしら…ジェイデン様から贈られたドレスが少しきつくなっているのよね。 

「申し訳ありません」 

「なぜ謝る? 前は軽くて驚いた。もっと食べろ。今でも適正体重とは言えん」 

 適正体重…貴族令嬢の適正は…細すぎず太りすぎずと食事の管理は他家でも当たり前と思うわ。 

「…食べます」 

 ジェイデン様にも肉を食べなさいと言われている。 

「ああ」 

 ディオルド様は踊るというより、曲に合わせて見よう見まねで動いている、そんな感じだったけれど、なぜか私には違和感なく見えた。

 胸を張り、顔を上げて堂々としている…そんな様子がおかしいという雰囲気を消している。私にはできなかったことだわ。 

「ステイシー様ともこうすれば踊れたのではありませんか?」 

 王宮の夜会ではジェレマイア様がデビューしてからステイシー様のダンスのパートナーをされて、ディオルド様は会場に参加するだけだった。 そのこともディオルド様は踊れないと言われる原因の一つだった。 

 パートナーの足を踏むことは、決してない訳じゃない。一度の過ちで… 

「ガガがひらめいてな」 

 ひらめ……私と踊るために策を練ってくれた? 

「奴がメイド相手に踊って見せた」 

「ふふ、ディオルド様も練習をなさったのですか?」 

 今夜のために時間を割いてくれたことにお礼を言いたいわ。 

「奴の説明は細かくてな。それを聞けば実践できる」 

 メイドを相手に練習せずにこれだけ器用に… 

「ありがとうございます」 

 私は唇の動きを最小限にして礼をする。 

「…父上…の相手をしている。お前が来て…よく笑うようになった」 

 ジェイデン様が笑うように…私の前では常に微笑んでいるか、時には声を上げて笑っている。 

「自然な笑み…俺は見たことがない」 

 貴族の親子関係は希薄なもの。ディオルド様を育てたのは乳母や使用人、そこはアラントと変わらないわ。 

 ディオルド様の臙脂色の瞳がわずかに動いた。 

「…アラント夫妻が見ている」 

 ダンスが始まるまで二人を見かけなかった。予定を変えたのかと安心していたのに。 

「不安か」 

「…震えていましたか?」 

 ディオルド様に揺らされて、私の震えなんて伝わらないと思っていた。 

「瞳が…若干…潤んだ」 

 耐えなくてもいい日々は私を弱くしたわ。ファミナとチュリナのいない生活、存在を感じずに信頼できる人がいる生活は想像以上に快適で、二月前を思い出せば恐怖が沸き上がった。 

「…情けないのですが…怖くて」 

 ブリアール公爵家の一員になった私に声を上げることはないだろうし、叩くこともない。

 けれど、記憶のなかには目尻をつり上げて高い声で罵るファミナがいる。なかなか消えてくれない。 

「過去の記憶に囚われていては前に進めん」 

「はい」 

 曲が終わりに近づいたとき、ディオルド様は腕に力を込めて私を抱き上げた。完全に浮いた状態になり、周りの人たちが驚いている。 

「だが…そう思っても…ままならないこともある…過去はお前の一部だ…忘れることなどできんな」 

「…はい」 

「お前は弱くていい。守る者がいる」 

 弱い私でいいと言われて胸が熱くなる。ジェイデン様も私の思うようにと言ってくれた。 

「ディオルド」 

 かけられた声に我に返る。

 ダンスの曲は終わっていた。コモンドール公爵がライラ様と共に近づいていた。 

「仲睦まじいとはこのことだな」 

「…放っておけ」 

 ディオルド様はゆっくりと私を下ろして腕を曲げた。私はその腕に手を添える。 

「微笑ましいですわ。揃いの衣装も映えていました」 

「ありがとうございます」 

 ディオルド様はライラ様をちらとも見ずに歩き始め、私はそれに合わせ軽く会釈してから進む。

 グラスを両手に持つアプソ様とガガ様が前方に見えた。ガガ様は胸の前で拍手をしている。 

「ロシェル様」 

「アプソ様、どうでした?」 

 私が小さく尋ねるとアプソ様がグラスを差し出した。それを受け取り、口に含む。ディオルド様は一気に飲み干し、ガガ様に空のグラスを渡していた。 

「周りとは違う動きをしていましたがさほど目立ちませんでしたよ。最後のところは派手でしたが」 

 離れた場所から見ておかしくなかったか気になっていた。 

「そうですか。ディオルド様が気を遣ってくださったのです」 

 ダンスは得意じゃない者同士、うまくできたと思うわ。 

「ロシェル!ロシェル!」 

 大きな声で名を呼ばれ、つい視線を向けてもガガ様の大きな体しか見えなかった。 

「そこを退いてくださる?」 

 ファミナの声が聞こえる。 

「ブリアール公爵閣下」 

「アラント伯、珍しいな。この夜会に参加したことはないだろ」 

「娘に会いたい一心で…」 

 お父様の言葉のあと、ガガ様がわずかに体を傾けた。

 二月ぶりに会うお父様が見え、少し窶れたように感じた。 

「お父様」 

「ロシェル」 

 私の知る優しい眼差しがもう懐かしい。 

「ブリアール公爵閣下、親子水入らずで話したいのですけど、よろしいかしら?」 

 未だにガガ様の体で遮られているファミナの言葉に添えていた手に力が入ってしまった。 

「よろしいかだと? 私にどこかに行けと言うのか?」 

 ディオルド様はさっきより低い声を発した。 

「手紙の返事もなく心配していましたのよ。娘の嫁ぎ先と縁戚関係になったはずですのに訪問の許可も頂けず困惑しております」 

「ロシェル…体調はどうだ?」 

 ファミナの抗議と言えるような言葉を聞き流し、お父様に向かって頷く。 

「体調とはなんだ? ロシェルは風邪など引いていない。よく食べよく寝て、太ったくらいだ」 

 女性に対して無神経なことを言ったディオルド様に、対象の私よりガガ様が表情険しく睨んだ。 

「閣下、時と場所を考えて発言を」 

「事実だろ。ロシェルは越してから顔色も良くなり…笑うからな」 

 私はディオルド様を仰ぎ見る。臙脂の瞳が私を見下ろしていた。 私はブリアール公爵家に越してからディオルド様と会話はなかったし、見ることもなかった。ジェイデン様から話を聞いていたのかもしれない。 

「…そんな言い方をされては…また世間が誤解しますわ。わたくしどもは困惑していますの」 

 ファミナの言葉に少し驚くわ。公爵家相手に文句を言っているように聞こえる。 

「やめなさい、ファミナ。そんなことを言うためにここに来たわけじゃない。私はロシェルと話したくて来た」 

 お父様が珍しくファミナを諌めた。ファミナも驚いたようにお父様を見ている。 

「ロシェル、元気なんだね?」 

 お父様は頷く私を見たあと、ディオルド様に視線を移した。 

「娘になにかあれば…すぐに報せてください」 

 公の場で私を気遣うお父様は初めてだった。 

「…手紙は送る」 

「ありがとうございます」 

 お父様はディオルド様に頭を下げた。 

「あなた! アラント伯爵家はブリアール公爵家と縁戚になったのよ? もっと付き合いを深くしなければならないわ。公爵閣下、後日、邸に伺ってもよろしいかしら? ステイシー公爵夫人の催す茶会の参加の許可を頂けると、皆さんにロシェルのことを話せますわ。ロシェルも一緒に夫人たちから学ぶことが多いと思いますの。そうでしょう? ロシェル」 

 ファミナは私の視界に入るため、お父様を押して姿を見せた。 ガガ様が動いて邪魔をしようとしたけどアプソ様がそれを止めた。 

 ファミナ…ファミナはもう私に手は出せないし、言葉を荒げて罵ることもできない。それは頭では理解していても、体は違っていた。 

 甲高い声で罵る声が今も聞こえる。





しおりを挟む
感想 177

あなたにおすすめの小説

冤罪を受けたため、隣国へ亡命します

しろねこ。
恋愛
「お父様が投獄?!」 呼び出されたレナンとミューズは驚きに顔を真っ青にする。 「冤罪よ。でも事は一刻も争うわ。申し訳ないけど、今すぐ荷づくりをして頂戴。すぐにこの国を出るわ」 突如母から言われたのは生活を一変させる言葉だった。 友人、婚約者、国、屋敷、それまでの生活をすべて捨て、令嬢達は手を差し伸べてくれた隣国へと逃げる。 冤罪を晴らすため、奮闘していく。 同名主人公にて様々な話を書いています。 立場やシチュエーションを変えたりしていますが、他作品とリンクする場所も多々あります。 サブキャラについてはスピンオフ的に書いた話もあったりします。 変わった作風かと思いますが、楽しんで頂けたらと思います。 ハピエンが好きなので、最後は必ずそこに繋げます! 小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿中。

婚約破棄をしておけば

あんど もあ
ファンタジー
王太子アントワーヌの婚約者のレアリゼは、アントワーヌに嫌われていた。男を立てぬ女らしくないレアリゼが悪い、と皆に思われて孤立無援なレアリゼ。彼女は報われぬままひたすら国のために働いた……と思われていたが実は……。

婚約破棄されたのでファンシーショップ始めました。 ― 元婚約者が、お人形さんを側室にしようとして大恥をかきました ―

鷹 綾
恋愛
隣国の王子から「政略的にも個人的にも魅力を感じない」と婚約破棄された、ファンタジア王国第三女王タナー。 泣きも怒りもせず、彼女が考えたのは――「いつか王宮の庇護がなくなっても困らない生き方」だった。 まだ八歳。 それでも先を見据え、タナーは王都の片隅で小さなファンシーショップを開くことを決意する。 並ぶのは、かわいい雑貨。 そして、かわいい魔法の雑貨。 お茶を淹れてくれるクマのぬいぐるみ店員《テイデイ・バトラー》、 冷めないティーカップ、 時間になると小鳥が飛び出すアンティーク時計――。 静かに広がる評判の裏で、 かつての元婚約者は「お人形さんを側室にしようとして」赤っ恥をかくことに。 ざまぁは控えめ、日常はやさしく。 かわいいものに囲まれながら、女王は今日も穏やかにお店を開けています。 --- この文面は ✔ アルファポリス向け文字数 ✔ 女子読者に刺さるワード配置 ✔ ネタバレしすぎない ✔ ほのぼの感キープ を全部満たしています。 次は 👉 タグ案 👉 ランキング用超短縮あらすじ(100字) どちらにしますか?

婚約破棄されたので、戻らない選択をしました

ふわふわ
恋愛
王太子アルトゥールの婚約者として生きてきた 貴族令嬢ミディア・バイエルン。 だが、偽りの聖女シエナに心を奪われた王太子から、 彼女は一方的に婚約を破棄される。 「戻る場所は、もうありませんわ」 そう告げて向かった先は、 王都から遠く離れたアルツハイム辺境伯領。 権力も、評価も、比較もない土地で、 ミディアは“誰かに選ばれる人生”を静かに手放していく。 指示しない。 介入しない。 評価しない。 それでも、人は動き、街は回り、 日常は確かに続いていく。 一方、王都では―― 彼女を失った王太子と王政が、 少しずつ立ち行かなくなっていき……? 派手な復讐も、涙の和解もない。 あるのは、「戻らない」という選択と、 終わらせない日常だけ。

【完結】最愛から2番目の恋

Mimi
恋愛
 カリスレキアの第2王女ガートルードは、相手有責で婚約を破棄した。  彼女は醜女として有名であったが、それを厭う婚約者のクロスティア王国第1王子ユーシスに男娼を送り込まれて、ハニートラップを仕掛けられたのだった。  以前から婚約者の気持ちを知っていたガートルードが傷付く事は無かったが、周囲は彼女に気を遣う。  そんな折り、中央大陸で唯一の獣人の国、アストリッツァ国から婚姻の打診が届く。  王太子クラシオンとの、婚約ではなく一気に婚姻とは……  彼には最愛の番が居るのだが、その女性の身分が低いために正妃には出来ないらしい。  その事情から、醜女のガートルードをお飾りの妃にするつもりだと激怒する両親や兄姉を諌めて、クラシオンとの婚姻を決めたガートルードだった……  ※ 『きみは、俺のただひとり~神様からのギフト』の番外編となります  ヒロインは本編では名前も出ない『カリスレキアの王女』と呼ばれるだけの設定のみで、本人は登場しておりません  ですが、本編終了後の話ですので、そちらの登場人物達の顔出しネタバレが有ります  

殿下、もう何もかも手遅れです

魚谷
恋愛
偉大なる国王が崩御した。 葬儀の場で、王太子アドルフォスは、父王が病床にいるのを良いことに国を思うがままにしようとする、婚約者である公爵令嬢ロザリンデと、その父である宰相を断罪しようと決意する。 全ては自分が次の王に相応しいことを、その場にいる全ての貴族たちに示すため。 アドルフォスは自分の勝利を信じて疑わなかった。 自分には、麗しい子爵令嬢で、数百年に一度生まれる聖女の力に覚醒したエレインという心強い味方がいるのだから。 勝利は揺るぎないはずだった……そう、アドルフォスの頭の中では。 これはひとつの国の終わりの物語。 ★他のサイトにも掲載しております ★13000字程度でサクッとお読み頂けます

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

【完結】この胸に抱えたものは

Mimi
恋愛
『この胸が痛むのは』の登場人物達、それぞれの物語。 時系列は前後します 元話の『この胸が痛むのは』を未読の方には、ネタバレになります。 申し訳ありません🙇‍♀️ どうぞよろしくお願い致します。

処理中です...