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ブリアール公爵家夜会4
しおりを挟むディオルド様とは久しぶりに話すから言葉遣いが難しい。
今夜は大切な夜会よ。ブリアール公爵家で開いた第二夫人の夜会はジェイデン様の第二夫人が亡くなる前に開いたものが最後と話してくれたから随分前、私が生まれてもないころのこと。私たちの関係を知られるわけにはいかない。
ディオルド様をジェイデン様と思え…と言われても面差しも声も似ていない。同じところは他より小さい臙脂色の瞳だけ。
私は目蓋を閉じてジェイデン様を思い浮かべる。それから近くにある臙脂色を見つめる。
「ふふ」
言われた通り、体の力を抜き腕を上げてディオルド様の肩と腕に添えるだけにする。大きな手のひらが背中を支え、もう片方が腰に回されて固定される。
「ディオルド様は力持ち」
「…ふん…馬鹿力と言われたぞ」
誰に言われたのかしら?ガガ様?
気安く話してもディオルド様は表情を変えなかった。 大股で動くディオルド様のせいで私たちの周りには人が近づけない。回る視界でこちらを気にする人らが踊りながら避ける様子に頬が緩む。
「宵の…天使」
「…はい」
あの曲は旋律が緩やかで大人しいものだから仕事の邪魔にならないかと勝手に思ってよく弾いている。
「お前のピアノは心地いい…華やかなものでもいいから弾いてくれ」
「はい」
ジェイデン様の言う通り、気にし過ぎていたのね。
「よく…眠れる」
「私のピアノで?ふふふ」
そんな効果があるのかしら?
「ディオルド様の隈が薄くなったのはピアノのおかげですの?」
「アプソはそう言ってる」
確かに青黒い隈が若干薄くなっている。
「わかりました」
「ビアデットは無口な男だ。奴が話さなくても気にするな。一曲耐えろ」
「ふふふ、はい」
耐えろなんて言い方…唇を読まれると言ったのはディオルド様なのに。
「ジェイデン様と練習しました。公爵閣下の足は踏みません」
風を感じるほど私を回転させたディオルド様は軽く頷いたように見えた。
「奴は手足が長くてな…踏まんと言っていたが怪しいものだ」
踏まれるのは嫌だわ。ジェイデン様と踊れなくなる。
いつの間にか曲は終わり、ディオルド様は動きを止めた。
「増えたがまだ軽い。もう少し太れよ」
「これ以上は…」
今が適正体重だと思うわ。
「私は踏まない」
突然かけられた声に振り返るとビアデット公爵が一人で立っていた。
「ああ…ロシェルを踏んだら俺が貴様の足を踏んでやる」
「…そういうことをおっしゃるから…野蛮と言われる」
二人の雰囲気が刺々しい。
「…夫人」
ビアデット公爵は私に向かって手を伸ばした。ディオルド様は舌打ちをしながら私を下ろし肩を掴んだ。
「耐えろ」
真剣な表情で言うものだから私も真剣に頷く。
「短い曲だ」
ディオルド様はそう言って私の体の向きを変えた。私は伸ばされたビアデット公爵の手に触れる。
「得意ではありませんの」
「知っている」
…知っている?王宮の夜会でエリックと踊っていたのを見たのかしら?
一曲めより緩やかな曲が流れ始める。確かにこの曲は短いものだわ。誰かが指示を出したのね。
できる限り足に意識を向けないように音楽に身を任せて動かす。ジェイデン様と練習しておいてよかった。
「…上達している」
音楽に負けそうなほど小さな声が上から聞こえた。
「ディオルド様の恥にならぬよう練習しました」
感情の読めない闇色の瞳が眼鏡の奥から見下ろしている。
「…体調は?」
体調?どうしてそんなことを聞くのかしら。ビアデットは医師家門の頂点…挨拶代わりにこうして聞くのかもしれない。
「変わりありませんわ」
「…ふむ…」
ビアデット公爵はディオルド様の言っていた長い足を器用に動かしている…と思う。ドレスで足元が見えないけれどつま先が当たりもしない。
「アラント伯が落ち込んでいる」
予想外の言葉にステップが乱れ、ふらついてしまった。揺れる私の体はビアデット公爵の手のひらが支えて安定した。
「あ…の…」
お父様とビアデット公爵が知り合いだったなんて聞いたことがないわ。私を揺さぶっているの?
「…君の母君…を知っている」
「…幼い頃の話ですか?」
頷くビアデット公爵に母の生家セントクレアのお祖父様とお祖母様のことが頭に浮かんだ。
「知りませんでした」
隣領…セントクレアとビアデットは公の場では接点を持っていないけれど、陰では話す仲だったのかもしれない。
「似た…な」
「…はい」
そのせいでファミナに虐げられたのだけど。
私には母の記憶がない。母という存在はすでに壁に飾られた絵の中の人で、母のことを話してくれる人もいなかった。
「セントクレアの先代は…君を案じていた」
それはいつの話なのかしら?幼い頃、一度だけ手紙をくれた。返事を送ったけれどそれからは届かなくなった。遊びにおいで、と書かれた手紙に行きたいと答えた幼い私。
「…第二夫人が…先代を脅した」
初めて聞く話に呼吸が止まる。足も止まりそうになると思った時、ビアデット公爵がダンスを止めた。私たちはいつの間にか踊り場の端にいた。 人たちの目から私を隠すようにビアデット公爵が会場に背を向けている。
「シモンズの名を使ったのだ…恨むな」
ビアデット公爵の言葉に首を振る。
この国の貴族家はどこもシモンズ子爵家と関わりがある。そう言えるほどシモンズの影響力は強い。
「…お祖父様たちは…」
「年老いたが…元気だ」
貴族名鑑でしか知らない私のお祖父様とお祖母様。今は母の弟が家督を継いでいる。
「いつか会いたいですわ」
会えたら会いたい。それくらいの気持ちしか今はないわ。ビアデット公爵はお祖父様たちに頼まれたのかしら。だからわざわざ夜会に参加したのかもしれない。
「アラント伯に…伝えることはないか?…君は外出まで制限されている…ここで困っていないか?」
困っているか…とは本当に困っている時に聞いて欲しかったわ。
「はい。私はブリアール公爵家で穏やかに暮らしています。お父様にお会い」
「ロシェル」
ビアデット公爵の後ろから優しい声が聞こえた。私は公爵の体から身を乗り出す。
「ジェイデン様」
「ロシェル、おいで」
「ジェイデン様」
ビアデット公爵を避けて駆けようとした時、腕を掴まれた。その相手を見上げると闇色の瞳が垂れて眉尻も下げていた。
「夫人…」
「大丈夫ですわ、公爵閣下」
私を案じているようなビアデット公爵に微笑む。
「…そうか」
私は腕を軽く振り払いジェイデン様に向かう。
黒の衣装を身に纏って私の髪飾りに使われている宝石を使った装飾品が胸を彩っている。
「上手に踊っていたよ」
「はい」
よかった。ジェイデン様に褒められたわ。
「ブリアール前公爵閣下」
「ギルバート・ビアデット。珍しいな。君はなかなか邸から出ない男だと思っていた」
ジェイデン様の常より低い声に微笑みを向ける。
「ジェイデン様、踊ってくれますか?」
ビアデット公爵に向けられていた臙脂色の瞳が私に移る。
「…私から誘おうと思っていたよ」
私はビアデット公爵に振り返る。
「ビアデット公爵閣下、ありがとうございました」
「…いや」
まだなにか言いたげではあったけど早くジェイデン様と踊りたい。
ジェイデン様の曲げた腕に手を添えて踊りの場へ向かう。
「疲れてないかい?」
「はい」
心配そうな顔をするジェイデン様の頬に触れたかった。
「君を見ていたよ」
「ふふ、浮いていましたでしょう?」
「ははっ、うん。ディオルドは器用なんだなと感心した」
「前回より慣れました。ディオルド様に任せると疲れ知らずです、ふふ」
いつもの優しい臙脂色の瞳を見つめる。心が温かくなる。安心する。
私たちが踊り場に立った瞬間、聞き慣れた曲が始まった。
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