ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

文字の大きさ
46 / 181

ブリアール公爵家夜会4

しおりを挟む



 ディオルド様とは久しぶりに話すから言葉遣いが難しい。 

 今夜は大切な夜会よ。ブリアール公爵家で開いた第二夫人の夜会はジェイデン様の第二夫人が亡くなる前に開いたものが最後と話してくれたから随分前、私が生まれてもないころのこと。私たちの関係を知られるわけにはいかない。 

 ディオルド様をジェイデン様と思え…と言われても面差しも声も似ていない。同じところは他より小さい臙脂色の瞳だけ。 

 私は目蓋を閉じてジェイデン様を思い浮かべる。それから近くにある臙脂色を見つめる。 

「ふふ」 

 言われた通り、体の力を抜き腕を上げてディオルド様の肩と腕に添えるだけにする。大きな手のひらが背中を支え、もう片方が腰に回されて固定される。 

「ディオルド様は力持ち」 

「…ふん…馬鹿力と言われたぞ」 

 誰に言われたのかしら?ガガ様? 

 気安く話してもディオルド様は表情を変えなかった。 大股で動くディオルド様のせいで私たちの周りには人が近づけない。回る視界でこちらを気にする人らが踊りながら避ける様子に頬が緩む。 

「宵の…天使」 

「…はい」 

 あの曲は旋律が緩やかで大人しいものだから仕事の邪魔にならないかと勝手に思ってよく弾いている。 

「お前のピアノは心地いい…華やかなものでもいいから弾いてくれ」 

「はい」 

 ジェイデン様の言う通り、気にし過ぎていたのね。 

「よく…眠れる」 

「私のピアノで?ふふふ」 

 そんな効果があるのかしら? 

「ディオルド様の隈が薄くなったのはピアノのおかげですの?」 

「アプソはそう言ってる」 

 確かに青黒い隈が若干薄くなっている。 

「わかりました」 

「ビアデットは無口な男だ。奴が話さなくても気にするな。一曲耐えろ」 

「ふふふ、はい」 

 耐えろなんて言い方…唇を読まれると言ったのはディオルド様なのに。 

「ジェイデン様と練習しました。公爵閣下の足は踏みません」 

 風を感じるほど私を回転させたディオルド様は軽く頷いたように見えた。 

「奴は手足が長くてな…踏まんと言っていたが怪しいものだ」 

 踏まれるのは嫌だわ。ジェイデン様と踊れなくなる。 

 いつの間にか曲は終わり、ディオルド様は動きを止めた。 

「増えたがまだ軽い。もう少し太れよ」 

「これ以上は…」 

 今が適正体重だと思うわ。 

「私は踏まない」 

 突然かけられた声に振り返るとビアデット公爵が一人で立っていた。 

「ああ…ロシェルを踏んだら俺が貴様の足を踏んでやる」 

「…そういうことをおっしゃるから…野蛮と言われる」 

 二人の雰囲気が刺々しい。 

「…夫人」 

 ビアデット公爵は私に向かって手を伸ばした。ディオルド様は舌打ちをしながら私を下ろし肩を掴んだ。 

「耐えろ」 

 真剣な表情で言うものだから私も真剣に頷く。 

「短い曲だ」 

 ディオルド様はそう言って私の体の向きを変えた。私は伸ばされたビアデット公爵の手に触れる。 

「得意ではありませんの」 

「知っている」 

 …知っている?王宮の夜会でエリックと踊っていたのを見たのかしら? 

 一曲めより緩やかな曲が流れ始める。確かにこの曲は短いものだわ。誰かが指示を出したのね。 

 できる限り足に意識を向けないように音楽に身を任せて動かす。ジェイデン様と練習しておいてよかった。 

「…上達している」 

 音楽に負けそうなほど小さな声が上から聞こえた。 

「ディオルド様の恥にならぬよう練習しました」 

 感情の読めない闇色の瞳が眼鏡の奥から見下ろしている。 

「…体調は?」 

 体調?どうしてそんなことを聞くのかしら。ビアデットは医師家門の頂点…挨拶代わりにこうして聞くのかもしれない。 

「変わりありませんわ」 

「…ふむ…」 

 ビアデット公爵はディオルド様の言っていた長い足を器用に動かしている…と思う。ドレスで足元が見えないけれどつま先が当たりもしない。 

「アラント伯が落ち込んでいる」 

 予想外の言葉にステップが乱れ、ふらついてしまった。揺れる私の体はビアデット公爵の手のひらが支えて安定した。 

「あ…の…」 

 お父様とビアデット公爵が知り合いだったなんて聞いたことがないわ。私を揺さぶっているの? 

「…君の母君…を知っている」 

「…幼い頃の話ですか?」 

 頷くビアデット公爵に母の生家セントクレアのお祖父様とお祖母様のことが頭に浮かんだ。 

「知りませんでした」 

 隣領…セントクレアとビアデットは公の場では接点を持っていないけれど、陰では話す仲だったのかもしれない。 

「似た…な」 

「…はい」 

 そのせいでファミナに虐げられたのだけど。 

 私には母の記憶がない。母という存在はすでに壁に飾られた絵の中の人で、母のことを話してくれる人もいなかった。 

「セントクレアの先代は…君を案じていた」 

 それはいつの話なのかしら?幼い頃、一度だけ手紙をくれた。返事を送ったけれどそれからは届かなくなった。遊びにおいで、と書かれた手紙に行きたいと答えた幼い私。 

「…第二夫人が…先代を脅した」 

 初めて聞く話に呼吸が止まる。足も止まりそうになると思った時、ビアデット公爵がダンスを止めた。私たちはいつの間にか踊り場の端にいた。 人たちの目から私を隠すようにビアデット公爵が会場に背を向けている。 

「シモンズの名を使ったのだ…恨むな」 

 ビアデット公爵の言葉に首を振る。

 この国の貴族家はどこもシモンズ子爵家と関わりがある。そう言えるほどシモンズの影響力は強い。 

「…お祖父様たちは…」 

「年老いたが…元気だ」 

 貴族名鑑でしか知らない私のお祖父様とお祖母様。今は母の弟が家督を継いでいる。 

「いつか会いたいですわ」 

 会えたら会いたい。それくらいの気持ちしか今はないわ。ビアデット公爵はお祖父様たちに頼まれたのかしら。だからわざわざ夜会に参加したのかもしれない。 

「アラント伯に…伝えることはないか?…君は外出まで制限されている…ここで困っていないか?」 

 困っているか…とは本当に困っている時に聞いて欲しかったわ。 

「はい。私はブリアール公爵家で穏やかに暮らしています。お父様にお会い」 

「ロシェル」 

 ビアデット公爵の後ろから優しい声が聞こえた。私は公爵の体から身を乗り出す。 

「ジェイデン様」 

「ロシェル、おいで」 

「ジェイデン様」 

 ビアデット公爵を避けて駆けようとした時、腕を掴まれた。その相手を見上げると闇色の瞳が垂れて眉尻も下げていた。 

「夫人…」 

「大丈夫ですわ、公爵閣下」 

 私を案じているようなビアデット公爵に微笑む。 

「…そうか」 

 私は腕を軽く振り払いジェイデン様に向かう。

 黒の衣装を身に纏って私の髪飾りに使われている宝石を使った装飾品が胸を彩っている。 

「上手に踊っていたよ」 

「はい」 

 よかった。ジェイデン様に褒められたわ。 

「ブリアール前公爵閣下」 

「ギルバート・ビアデット。珍しいな。君はなかなか邸から出ない男だと思っていた」 

 ジェイデン様の常より低い声に微笑みを向ける。 

「ジェイデン様、踊ってくれますか?」 

 ビアデット公爵に向けられていた臙脂色の瞳が私に移る。 

「…私から誘おうと思っていたよ」 

 私はビアデット公爵に振り返る。 

「ビアデット公爵閣下、ありがとうございました」 

「…いや」 

 まだなにか言いたげではあったけど早くジェイデン様と踊りたい。

 ジェイデン様の曲げた腕に手を添えて踊りの場へ向かう。 

「疲れてないかい?」 

「はい」 

 心配そうな顔をするジェイデン様の頬に触れたかった。 

「君を見ていたよ」 

「ふふ、浮いていましたでしょう?」 

「ははっ、うん。ディオルドは器用なんだなと感心した」 

「前回より慣れました。ディオルド様に任せると疲れ知らずです、ふふ」 

 いつもの優しい臙脂色の瞳を見つめる。心が温かくなる。安心する。 

 私たちが踊り場に立った瞬間、聞き慣れた曲が始まった。







しおりを挟む
感想 168

あなたにおすすめの小説

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

この子、貴方の子供です。私とは寝てない? いいえ、貴方と妹の子です。

サイコちゃん
恋愛
貧乏暮らしをしていたエルティアナは赤ん坊を連れて、オーガスト伯爵の屋敷を訪ねた。その赤ん坊をオーガストの子供だと言い張るが、彼は身に覚えがない。するとエルティアナはこの赤ん坊は妹メルティアナとオーガストの子供だと告げる。当時、妹は第一王子の婚約者であり、現在はこの国の王妃である。ようやく事態を理解したオーガストは動揺し、彼女を追い返そうとするが――

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです ※表紙 AIアプリ作成

【完結】探さないでください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
私は、貴方と共にした一夜を後悔した事はない。 貴方は私に尊いこの子を与えてくれた。 あの一夜を境に、私の環境は正反対に変わってしまった。 冷たく厳しい人々の中から、温かく優しい人々の中へ私は飛び込んだ。 複雑で高級な物に囲まれる暮らしから、質素で簡素な物に囲まれる暮らしへ移ろいだ。 無関心で疎遠な沢山の親族を捨てて、誰よりも私を必要としてくれる尊いこの子だけを選んだ。 風の噂で貴方が私を探しているという話を聞く。 だけど、誰も私が貴方が探している人物とは思わないはず。 今、私は幸せを感じている。 貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。 だから、、、 もう、、、 私を、、、 探さないでください。

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

妹なんだから助けて? お断りします

たくわん
恋愛
美しく聡明な令嬢エリーゼ。だが、母の死後に迎えられた継母マルグリットによって、彼女の人生は一変する。実母が残した財産は継母に奪われ、華やかなドレスは義姉たちに着られ、エリーゼ自身は使用人同然の扱いを受ける。そんなある日――。

結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。 その二人が5年の月日を経て邂逅するとき

処理中です...