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15巻
15-1
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「今、なんと仰いましたかな、ヨシュア様?」
リミア王国の第二王子が口にした予想外の言葉を受け、ホープレイズ家当主アルグリオ=ホープレイズが聞き返した。
「隠居されてはいかがですか、と申し上げました。ホープレイズ卿」
しかし相手から返ってきたのは先ほどと変わらぬ言葉だった。
ライドウこと深澄真ら、クズノハ商会一行がリミアを去る日。
王国南部に位置するホープレイズ家の屋敷には〝客人〟がいた。
アルグリオはその客を迎える準備のため、ライドウらが王都にいる間に一足早く自らの領地に帰ってきていた。
わざわざそんな事をせずとも、皆が王都に滞在しているうちに席を設ければ簡単に済んだのに――と、ライドウなら考えそうな、非合理的な行動だ。
しかし、リミア王国では、貴族や王族が面会する際、どちらが訪ね、どちらが迎えるかなど、面倒で細かな慣習や決まり事が多い。
ヨシュアと、その護衛という名目で同行しているリミアの勇者――音無響の二人も、内心ではそれらが面倒で、無駄だと思っている。
それでも今回は、ヨシュア達の方から事を荒立てるべきではないと考え、二人はライドウらよりも少し早く王都を発ち、ここでクズノハ商会一行を見送るという体でホープレイズ領を訪れていた。
今この場にいるのは、アルグリオとヨシュアの二人きり。勇者響や、ホープレイズ家に仕える兵士などは応接室に待機している。
重苦しい沈黙を破り、アルグリオが口を開く。
「……どうやら、冗談ではないご様子。しかしヨシュア様、突然どうして斯様な話を? 私には隠居はまだ早うございます。無論、いずれは戦場に出ておる息子のオズワールに家督を譲る事になりましょうが」
「王家の方針として、ライドウ及びクズノハ商会への悪意ある接触は禁じると、以前お伝えしたはずです。しかし卿はそれに背き、自領内で彼らの命を狙った。ロッツガルドでの御子息イルムガンド乱心の件での失態といい、大概情けないものがありますよ? しかし、困りましたね。相当な金を方々へばら撒いたようですが、もはやそれで済む問題ではないとお気付きではなかったのですか? 卿もそれなりのお覚悟をお持ちで彼らに手を出したのだと私は考えておりましたけれど……」
ヨシュアには自身の言葉を撤回する様子など微塵もない。
「背いてなどおりませんよ。ライドウには一切手を出しておりませんし、今回のリミアへの招待で、当家は領内の滞在を許可し、宿の提供もいたしました。方々への金のばら撒きと仰ったが、あれは……愚息の不始末への謝罪も兼ねて、ロッツガルドと周辺地域へ、そしてリミアにおいては王都の早期復興を願う謝意と善意の寄付。失礼ながら、ヨシュア様の邪推と言わざるを得ません。とはいえ、私には報告が上がっておりませんが、ライドウ氏が命を狙われるような事があったとするのなら、これは確かにこちらの不始末。謹んで謝罪いたします。もっとも、それとて私の進退がどうという話には結びつかぬものと確信しておりますが」
「卿と子飼いの貴族数名が共謀して実行した数々の愚行、既に露見し裏も取れております。クズノハ商会がこちらに宿泊した際、明らかに殺害する意図のもと、暗殺者を差し向けましたね? 証拠が必要だと仰るなら、後日お持ちしましょう」
確信を持ったヨシュアの言葉だった。
「……」
事実であるがゆえに、アルグリオは沈黙を強いられる。
アルグリオにとっては面白くない時間であったが、それは同時に彼が鼻が利く男であるという事も意味していた。
彼はヨシュアの持つ情報、その根拠が単なるハッタリではないと即座に判断したのだ。だから反射的な反論は一旦やめ、相手の出方を見る事にした。
「クズノハ側はいとも容易く返り討ちにして終わったようですが、当然ながらリミアとしては大問題です。貴方が領地に迎え入れた暗殺者どもは大陸を股にかけて暗躍していた名のある者ばかり。王家の意向を無視したばかりか、国際的な犯罪者を積極的に雇って私刑を行おうとするなど、貴族の名に恥じる行為と言わざるを得ません」
「……ヨシュア様、それは少し酷いではありませんか。何事にも建前や順序がございます。私は貴方から暗黙の了解を得られたと判断したからこそ、無礼者どもにそれなりの対処をしようと動くに至りました。王の補佐をされているヨシュア様の了解は、即ち陛下の了解。まさか以前この件でご相談に伺った事実そのものを否定なさるおつもりですか? それは道理が通らない。そうでしょう? あの場には、我々だけでなく数名の貴族が同席しておりましたぞ?」
「さて……私にはクズノハ商会を仕留めろと命じた覚えも、そのような愚挙を認めた記憶もありませんね。まして、見て見ぬふりをする約束などするものですか。私の了解? あの場で貴方がたが口にしていた下らない与太話を聞き流した事を仰っているなら、見当違いもいいところです」
「あくまでお惚けになると。これはまた、随分と露骨な仕打ちをなさいますな」
「王家が礼を述べるために招いた商会への悪辣な仕打ちこそ、随分なものでしょう。……卿ならば、これ以上言葉にするまでもなく、私の意図は伝わっていますね。どうぞ、隠居なさってください。ご長男に家督を譲り、政治の表舞台から消える。貴族の当主としては、極めて平穏で望ましい身の引き方ですよ」
ヨシュアはにこやかな表情で大貴族に引退を迫った。
ライドウらを襲撃した暗殺者はいずれもアルグリオらの手による者であり、誰が誰を雇ったという詳細な証拠まで、既にヨシュアの手の中にある。
万が一この一件が露見したなら、ホープレイズ家といえども領地の切り取りや降格は免れない大失態だ。
当主交代だけで他にお咎めなしだというなら、彼らにとっては悪くない取引でもある。
だがしかし。
クズノハ商会が関わる以上、アルグリオとて容易くは頷けない。
彼にとってクズノハ商会は、次男イルムガンドを間接的に殺した相手だ。またしてもライドウ達にかき回されて、ホープレイズ家だけが痛い目を見るなど、有り体に言って酷く不愉快だった。
「なるほど、本当にこの私を排除するというのですか。しかし、良いのですか、ヨシュア様」
だから、アルグリオは切り札を出す事にした。
王子の秘密という、とっておきの切り札を。
本来ならこんな場で切るようなカードではないのだが、クズノハ商会への私情が、彼の判断を少しだけ狂わせた。
ヨシュアにとってはある意味思惑通りの展開であり、アルグリオは王子の策に自ら飛び込んだ形だ。
彼とて、既に子飼いの貴族は説得されるか無力化させられ、外堀は埋められているだろうと推測している。それでもなお、彼は抗う道を選んでしまった。
「……何がでしょうか?」
「私は貴方が必死に隠しておられる事を存じ上げております」
そのにこやかな表情を歪ませてみせろとばかりに、アルグリオはヨシュアを正面から見据える。
しかし、ヨシュアのリアクションは彼が想定していたのとはまるで違った。
一瞬、侮蔑に似た笑みを口元に浮かべ、ヨシュアはふと視線を上に泳がせる。
「……ああ、そういえば」
「?」
「言い忘れておりましたが、ご長男のオズワール殿、先日戦場で大怪我をなさいましてね。現在城にて全力を尽くして治療中です」
「っ!?」
「体の欠損は酷く、毒にも侵されていて危険な状態ですが、良くなる事を祈っております」
「馬鹿な! そんな知らせは一切聞いていない!! それに、私はつい先ごろまで王都にいたのだぞ!? 何故報告すらない! ありえんだろう!!」
「ええ、まことに申し訳なく。クズノハ商会の件で色々と報告が遅れていたようです。きっと明日か明後日にはこちらにも一報が届くかと。そう、ちょうどクズノハ商会がここを通る頃かもしれませんね」
「!! 命は、命は助かるんだろうな!?」
アルグリオは血相を変え、言葉遣いも気にせずヨシュアに詰め寄る。
イルムガンドを失い、ホープレイズ家の跡取りはもう長男のオズワールだけだ。
彼を失えば親族から養子を迎えるか、これから子作りと教育を一からしなくてはならない。
どちらもアルグリオにとって晩節を汚す失態であり、家を守り、血を守るのを第一とする貴族にとって、絶対に避けたい悪夢である。
アルグリオが交渉の最中に取り乱すのも致し方ない、それだけの威力を持った爆弾だった。
「一応、良い方には向かっているようですが」
「そんな曖昧な返事など求めておらん!」
「……卿がよろしければ、確実な一手をもって、オズワール殿を完治させるとお約束できますが――ああ、そう」
「?」
「私の秘密がどうとか仰ってましたね。なんの事でしょう、是非お伺いしたいものです」
わざとらしいヨシュアの言葉を聞き、アルグリオの口から憤怒の声が漏れる。
「ヨシュアァァ……」
「条件をいくつか呑んでいただければ、きっと元気なご子息と再会できます。そうでなければ家督の話などしませんよ。冷静に、大貴族ホープレイズの名を負う者として、正しい判断をなさると信じていますよ、ホープレイズ卿」
「……」
驚愕と怒りと焦りの中、それでもアルグリオはヨシュアへの認識を大きく改めていた。
彼の知るヨシュアは王の忠実な補佐役。
王位継承権を放棄した上で兄のベルダを全力で支援し、良好な関係を築いている、極めて温厚な人物だった。
ヨシュアが密かに政治の汚れ仕事を請け負っているなどという情報は、一切聞いた事がない。
しかし今、アルグリオと対峙しているのは間違いなくそのヨシュアであった。
城内の政治だけで得られるとは思えない狡猾な一面。初めて目にする王子の知らない顔に、アルグリオは自らの窮地を悟った。
だが、既に王子の秘密を知っていると口にしてしまっている以上、言わずに終えても、言ってしまっても、結果は同じだ。
むしろここで言わずに終われば、別の不利を招きかねない。小さな利でももぎ取らなくては、ヨシュアへの最大の切り札を使った意味がまるでなくなってしまう――アルグリオはそう考えていた。見事に相手の思い通りに動かされている。
ヨシュアとて、通常なら王族に次ぐ地位を持つホープレイズ家の当主をそう簡単に操れはしない。
万全ともいえる手札を揃えられたからこその攻勢だった。
だから……ヨシュアもまた、自らの〝小さな失態〟に気付いていなかった。
この場を望む形で乗り切る事に全力を傾けていた点を考えれば、仕方なかったのかもしれない。
ホープレイズという家名と、それがアルグリオにとってどれだけの価値があるのか、それを正確に把握しきれなかったがための小さなミスだった。
「そちらからお話がないようでしたら、ご返答を。ご長男の回復を待って隠居してくださいますね、ホープレイズ卿」
「ある」
「……どうぞ」
「ではヨシュア王子、いえ王女様」
「……」
「陛下が市井の女に産ませた女が、いつの間にかベルダ様の弟君になっておられる。側室の子ならまだしも、貴族ですらない者の卑しい血を持つ貴方がだ」
ヨシュアは黙ってアルグリオの言葉に耳を傾ける。
「この件が国内に遍く知れ渡れば、ヨシュア様にとってよろしくない状況になるのは明白。民衆は王や貴族という特別な血を崇めるのです。己と同じ血の王女を――それもこれまで国中を騙して王子として振舞ったヨシュア様など、決して認められるわけがありませぬからな」
「……」
「どうです? ここはお互いに上手にやるというのは。私は当面隠居をしませんが、時が来れば速やかに家督を息子に譲る。ヨシュア様は以後当家にいらぬ干渉をなさらない。そうすれば、王子の秘密は誰にも漏らす事なく墓まで持っていくと誓いましょう」
「……ふ」
ヨシュアの口元がわずかにつり上がる。
「ヨシュア様?」
「うふふ、あはははっ! 墓まで持っていく? こうして脅しのカードとして使ってみせた卿が? 微塵も信じられない言葉を一体なんの交渉に使おうというのですか! 良いでしょう、もはや己がどれほどきつく縛られているかも理解できていないのなら……暴露でもなんでもしてみなさい」
「……正気を、疑いますな。断言します、ヨシュア様は絶対に無事には済みませんぞ」
「手札にもならぬものになお縋るとは、哀れなものですね」
「っ」
「仰る通り、私は女です。そして母は庶民です。ホープレイズ卿の情報は正しい。確かに、この情報が漏れれば王都は混乱するでしょうし、リミアは諸国、そして魔族に大きな隙を見せる事になります」
「……よく状況が見えておられる。そうですとも。だからヨシュア様は私のささやかな提案を呑むしかない、違いますかな?」
アルグリオの言葉の前にあったわずかな間を、ヨシュアは見逃さなかった。
「一瞬の躊躇が全てを物語っています。私も卿も、その更に先まで見えています。私が女であるという情報が世界中に知れ渡って一番困るのは、私達王族と、貴方がた貴族じゃありませんか」
「王家の問題ではありますが、我らの問題ではないかと」
「分かっておいでのくせに。戦争のない時代、平和な世ならこの情報の価値は凄まじかったでしょう。ですが世界規模で種族間戦争が勃発している情勢下では、その価値は半減します。劣勢を強いられている今は特に、ね」
「……」
「ちなみに、万が一暴露された場合、私は情報の出所がホープレイズ家であると、明らかにしますよ」
その言葉を聞き、アルグリオがわずかに眉をひそめた。
「周辺国家はリミアの領土を狙って動くでしょうね。魔族も混乱に乗じるかもしれません。グリトニア帝国の勇者は私が女だと知れば、その魅了の力で掌中に収めようとするかも。ローレル連邦は巫女を取り返そうと、外交だけではなく竜騎士まで出してきても不思議ではありませんね。四大国とて仲良しこよしではありませんし、ヒューマンは一枚岩ではありませんもの。さて、そんな混乱を生んだ私とホープレイズ家は、一体どうなるでしょうね?」
「……現実はどうあれ、未だに多くのヒューマンは魔族如きとの戦争で負けるはずがないと、勝って当然だと信じているから、か」
アルグリオは声を絞り出すように呟いた。
彼は決して無能な男ではない。無能者に大貴族の当主など務まらない。
魔族相手の戦場に幾度も立っているし、この戦争が種の生き残りを懸けた深刻な戦いである事を理解している少数の一人だ。
だからこそ、次男イルムガンドに指揮、戦闘能力の両方を高いレベルで身につけさせるために、わざわざ国外のロッツガルド学園へ出した。青臭い理想を口にしてはそれに酔う傾向があったイルムガンドには戦場で働いてもらい、代わりに長男オズワールを戦場から戻して後継ぎとしての教育を施す。ある意味非情な決断でもあった。
「ええ。ただ、卿をはじめ大勢の貴族相手に大鉈を振るうのです。近々、一定以上の地位にある方にこの秘密について明かし、城を去って王族の地位を捨てる準備をいたします。つまり、皆様と私で相打ち、という図式で収めましょう。どうですか?」
ヨシュアの口から出たのは、意外な言葉だった。
貴族と王族が権力争いに終始する今のリミアを変えるために、ヨシュアは響と共に動いてきたというのに。
「道半ば――いや、まだ始まったばかりの改革を、投げると?」
「どの道、大きな改革を成し遂げるには、私という存在は危ういですから。だからこの国を変えていく主役は既に別の、相応しい人物にお願いしています。それに、私の性別を明らかにする事はデメリットばかりではありません。円満に推移すれば、ベルダも次の王としての覚悟を決めてくれるでしょう」
「……勇者、響か」
確かに、ここまでのやり取りは物騒で、重大な話題であった。
だが勇者を護衛につけるほどでもない。
にもかかわらず、響が護衛の名目でヨシュアに同行した意味を、アルグリオは深読みする。
「さあ、それは舞台上からではなく、客席からご確認いただければ」
ヨシュアは終始慌てるでもなく、自身の進退でさえ淡々と語った。
血筋も性別も、本来王の傍に仕える事すらできぬ立場であると理解している。ヨシュアの口ぶりから、その意図は十分にアルグリオに伝わっていた。
そして、どう切り返されても、何を仕掛けられたとしても、結果は相打ち以上で終わらせるという確たる決意も。
しばしの空白の時間を過ごした後。
アルグリオは一転憑き物が落ちたような晴れやかな表情になり、ヨシュアと同じく穏やかな口調で切り出した。
「……ふっ、負けですな。いや、参りました。まさかこれほど鋭い牙を隠し持っておられるとは。完敗です」
敗北宣言だった。
「ご理解を得られて嬉しいです、ホープレイズ卿」
「なに、儂も既に相当な爺です。ちょうど良いセカンドライフの切っ掛けと考えましょう。誰かに門出を喜んでもらえるのなら、まして王子にそうしてもらえるのなら願ってもない事。まあ、隠居暮らしの餞別に一度ダンスにでもお付き合いいただければ、文句などありませんな。無論、女性役はヨシュア様で」
「その程度でしたら、喜んでお相手させていただきます」
「で、オズワールの治療と引き換えに、ヨシュア様は儂に一体何をお望みになるので?」
「ああ、その事ですか。簡単ですよ。〝彼ら〟への助力を願うにあたって、相応しい態度をとるように。ただそれだけです」
「……まさか」
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ヨシュアからすれば、万々歳の結果だ。
ホープレイズをクズノハ商会で釣り、かつクズノハ商会に今後手出しをしないという約束も取り付けた。
そして、厄介な権力者アルグリオ=ホープレイズを引退に追い込んだ。
だが……話はここで終わらなかった。
「いや、考えてみればクズノハ商会は凄まじい連中ですな。聞けば、王都でも幹部の女性が片手間で瓦礫の多くを片付けてしまったとか」
アルグリオが好々爺の仮面を張り付けたまま、口を開いた。
ヨシュアの小さなミス。
それは、アルグリオに自分がリミア王国最大の貴族ホープレイズ家の当主であると改めて自覚させてしまった事だ。
長きにわたり王家と並び立つ、リミアの歴史そのものですらある貴族なのだと。
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