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15巻
15-3
2
クズノハ商会代表としてリミア王国を訪問していた僕――深澄真は今、王国の領土の南端に位置するホープレイズ領に到着していた。
ここには往路でも立ち寄っているので、二度目の来訪になる。
僕らが王都をお暇する時、城の前には見送りの騎士隊がずらりと並んでいた。
これから数日、こんな堅苦しくてプライドも高そうな大集団につきまとわれながら国境に向けて歩くとか、どんな拷問だよ……と、頭を抱えそうになったのは言うまでもない。
「邪魔です。こんな事に使う人手が沢山あるなら、都を一日でも早く復興なさいな」
と、澪が一蹴してくれたおかげで謹んで辞退できそうだったんだけど、ホストである響先輩とヨシュア王子は食い下がった。
二人は〝誰一人同行しないのでは不作法になるから〟と言って、巫女のチヤさんと、ユネスティ家という貴族の若者を世話役として僕らにつけたのだ。
本人了承の下で世話についたので好きに使って構わないそうだが、厳密に言えば巫女はローレルの要人に当たるから、節度は持ってもらいたいと付け加えられた。
そう言われても、もう一人だって貴族だし、好きに使えるわけもなく、まるで気が抜けない。ありがた迷惑とはこの事だ。
まあ、そんな旅路もここまで来れば終わったようなもの。
リミア国外に出たら、転移陣のある街から速攻で転移して、そこから亜空に直帰――そんな風に思っていた僕、そしてクズノハ商会勢だった。
なーんとなく、このホープレイズ領にはギスギスした空気が漂っている。
これは来た時も同じだったから、まあ予想の範囲内だ。
何しろ、イルムガンドの件で因縁浅からぬホープレイズ家。王都でもご当主と親しくなる事はなかった。次男の死にクズノハ商会が関わっているなんて噂が流れているのは知っているけど、一日二日で払拭できるようなものでもない。
あれこれ考えながら馬車に揺られていると……
「え?」
僕のすぐ隣で、チヤさんが素っ頓狂な声を漏らした。
それは彼女が僕らに同行した数日の間で一番の素の声だったと思う。
車窓から外を見ると、ホープレイズ家の領地に入って最初の街の門に、ポツンと一人、老齢の男性が立っていた。
「クズノハ商会代表ライドウ殿以下、澪殿、ライム殿ですな。改めてご挨拶を。このホープレイズ領を治めておりますアルグリオ=ホープレイズと申します。つまらぬ行き違い故の無礼の詫びを申し上げたく、お待ちしておりました」
彼の後ろには領民や騎士がずらりと集合して様子を窺っている。そんな状況にもかかわらず、領主を名乗った男――ホープレイズ卿は深く腰を折り、頭を下げた。
完全に虚を衝かれた巫女さんはフリーズ。僕らに同行していたもう一人の貴族ジョイ=ユネスティは慌てて馬を降り、深く頭を下げた卿よりも更に低く頭を下げて……いや、もうほとんど土下座というべき姿勢で固まってしまった。
僕としても、ここでホープレイズ卿と会うのは予想外だった。もう彼と会う事もないだろうと思っていたくらいだ。
でも無反応というわけにはいかない。
まず馬車を降り、膝を突いて頭を下げる事にした。
澪とライムは僕に続き、大人しく礼節を見せる。
「大貴族アルグリオ=ホープレイズ様にそのような謝罪など望んでおりません。ロッツガルドからは遠く離れた領内に流れる噂や情報の細部まで精査するなど、至難の業でございます。どうかお気になさらず」
こんなもんで良いかな。
リミア流の作法って正直複雑すぎて意味が分からないんだ。
礼儀作法を教えるだけの役職が存在し、それを生業にする貴族がいるって聞くし……。
完全に馬鹿げている。
ヒューマン国家屈指の豊かな国土に恵まれていると、そんなどうでもいい事に注力するようになるのかと、リミアで一番呆れた部分かもしれない。
「……我が愚挙をお許しくださるか?」
アルグリオさんは頭を下げたままそう聞いた。
「もちろんです。我々は御子息の死に関与はしておりませんが、救えたかもしれない立場にいたのもまた事実。陛下や殿下、そしてアルグリオ様、他国からの来賓の安全を優先したのは間違いなく私ですから」
「寛大にも謝罪を受け入れてくれた事に心からの感謝を。つい先日、我が領内でヨシュア様、響様との会談がありましてな。その場でもクズノハ商会の事は話題になりました。まったく、私情から本質を見抜けず濁った眼で皆さんを誤って評価した非礼は、如何に赦しを得られたとはいえ、このままで済ませられる問題ではない。どうか私にせめてもの謝罪として、皆様をおもてなしする機会を与えてくださらんか」
「……」
無茶苦茶下手に出てくる彼の様子は尋常じゃない。
澪やライムは僕に倣って腰を折ってはいるものの、地面を見たまま遠慮なく胡散臭そうな疑いのオーラを放っている。また、アルグリオさんの態度があまりに意外だったのか、巫女さんは顔を引きつらせて〝誰この人〟って目を向ける。
一方、不審がる面々とは異なり、ジョイさんは全身ガタガタ震えていて、これまた凄い反応だ。彼を見れば、この国でのホープレイズ家の存在感がどれほどのものか、僕にも分かる。
「聞けば、澪殿は料理がご堪能だとか。実はリミア料理は北部と南部で大分毛色が異っておりましてな。この機に是非サウスリミアの料理の粋を楽しんでいただきたい」
へえ、そうなんだ。
リミア料理はコースも存在する相当に手が込んだもので、たとえるならフランス料理に近い。
王都で食べたいくつかの料理は絶品だったし、澪も唸っていた。
恐らく王都で出たのは北部のものだろうから、ホープレイズ領では南部の方が楽しめるというわけか。
ツィーゲにはリミア料理の専門店は少ないので、確かに得難い機会かもしれない。
澪もちょっとソワソワした感じになっているし、急ぎの用事もないなら、ご相伴にあずかるのも良いな。
「胃袋から攻めてくるとは、流石アルグリオ様ですね。実は、美味しいモノには目がないというのがクズノハ商会の弱点の一つでして。せっかくですので、お招きに応じたく思います」
流石に僕だって、アルグリオさんの豹変が僕らにとってただ都合の良い変化だとは思ってない。
けれど、ここまで今までと正反対の態度を見せる理由は、少し気になる。
強引に断って袖にするより、招待に応じて少しでも内情を知っておいた方が、後々プラスにもなるだろう。
「はは、貴族の情報網も、時には役に立つものです。ゆるりとお話ししたい事もございます。巫女様も、ユネスティの若き当主殿も。どうぞご一緒にお出でください。ここよりは転移を交えまして我が屋敷までご案内させていただきます」
アルグリオさんの目配せで、騎士と使用人らしき方々が統率された動きで僕らの周りに集まって、テキパキと確認事項を消化していく。
馬車は彼らに任せ、僕らはアルグリオさん直々の案内で転移陣までエスコートされ、豪勢にも、ホープレイズ家の本宅というのか、メインで使っているお屋敷まで全員で転移した。
招待には応じたものの、ジョイさんやチヤさんは明らかに緊張した様子で、何か呟いている。
「アルグリオ様がこのような態度を取るなど……何がどこまで漏れている? 私は一体これからどうなるんだ?」
「信じられない。あの年齢からある日突然心根が正されるなんて事、ありえません。最悪な事を考えているに決まってる……!」
……。
あれだな、僕らから見たアルグリオさんが彼の全部じゃないのは当然としても、普段の行動や態度は見られているし、知られているものだよね。
ジョイさんやチヤさんの反応を見るに、彼が急に善人を演じて見せる時はろくでもない事が起こる前兆ってわけだ。
特にジョイさんは聞き逃せない事を言ってるし。
実はあれがアルグリオさんの素だって淡い期待は見事になくなった。
「ジョイさん、何がどこまで、とは? ホープレイズ家と何か因縁があるんですか?」
この人はヨシュア様がつけてくれた貴族だから、派閥的には無害だと思っていたんだけど。
改革派のヨシュア王子や響先輩の派閥に入っているから、貴族のボスみたいなホープレイズ家とは相性が悪いとか?
「あ、それは、ですね」
あるんかい。
あっけらかんと答えるジョイさんに、思わず心の中で突っ込んでしまった。
「道中でお話しした感じだと、ユネスティ家は特に権力闘争の渦中にあるわけではなく、穏やかに城勤めをしていらっしゃると感じましたが?」
「その、申し訳ありません。実は、私には双子の姉がおりまして……」
突然身内の話をし出したので、僕は思わず首を傾げる。
「姉?」
この人は確か二十三歳の既婚者で、既に家も継いでいるとか言っていた。
つまりご当主様だ。
僕が抱いた正直な印象としては、当主と呼ぶにはまだ頼りない感じだった。少し年上の文学青年。線が細く、貴族の息子という方が適切な青年だった。
「私と違い、治癒魔術に高い適性があり、努力の甲斐もあって術師としても大変優秀な姉なんですが、その……先ごろ離縁、されまして」
「それは……ご愁傷様、です」
離縁、離婚だよな。
貴族の離婚がどんなものかは知らないけど、基本的によろしくないのは分かる。
「いえ。それで家に出戻ってきた姉に、ヨシュア様からお声がかかりました。治癒のスキルを見込まれての事です。その折で、その……クズノハ商会さんから秘伝の薬をご都合いただいたと、ヨシュア様より伺っております。こうした機会を与えられましたし、お礼をと思っていたのですが、なかなかそうしたお話ができる状況がないままここまで。まことに申し訳ありません」
秘伝の薬。ヨシュア様。
……ああ。
そういえば、毒に侵され切断するしかなくなった腕の再生について、聞かれたな。
澪なら毒の中和も腕の再生もどちらもできそうな案件だったから、患者を紹介してもらおうとしたら、何故か断られたんだ。
それで、治癒魔術に優れる者であれば扱えるような薬はないかと聞かれて……確かに薬を渡した。
学園をそれなりの成績で出る実力があればなんとか使えるはず、とは言っておいたけど……なるほど、その治癒魔術師がジョイさんの双子のお姉さんだったのか。
だから護衛兼見送りとしてついてきた、と。
なんとなく、ヨシュア様と響先輩の名代としては違和感あったもんな。
「ああ、あの薬の。治療の方は上手くいきました? ん? いや、でもそれとホープレイズ家の話は全く関係ないのでは?」
「治療は順調との事です。姉が薬の効能と治療指示の正確さに驚愕しておりました。死んでもこの商会とのパイプはなくすなと、もう送ってくる手紙の内容の大半がそんな調子でして……はは」
当主とはいえ、双子の姉相手ともなると弱い所もあるんだろうな。
姉ってのは……強いからなぁ。
「で……ホープレイズ家との兼ね合いですが、重体で城に運び込まれた患者というのが、ご長男オズワール=ホープレイズ様なんです。オズワール様の治療には、良家、名家の子女が選抜されて手厚い看護が施されています」
「……そういう事。だからジョイさん、あんなにビクビクしてたんだね」
「……お恥ずかしい」
何やら分かった風のチヤさんに指摘され、ジョイさんが頭を掻いて頷く。
しかし僕にはさっぱりだ。
次男が死んだ今、アルグリオさんにとって長男は凄く大事、それは分かる。
でもその治療にあたっているユネスティ家の人が何故恐れる必要があるのか。
むしろ感謝される立場じゃないの?
「そういう事、とは?」
僕の質問に、チヤさんが答える。
「……多分、ヨシュア様は、弱ったオズワール様の看護に自分達の味方になる女性を沢山あてがっているんです」
「ふむ」
「ホープレイズ家の次の当主はオズワール様。でもオズワール様は父君を尊敬なさっているし、代替わりしてもこのままだと結局アルグリオ様の操り人形と政争を続けなくちゃいけなくなる。だから、オズワール様を自分達の側に鞍替えさせる、そこまでいかなくても父親の傀儡ではなくなるよう篭絡するつもり、ですよね?」
そう言って、チヤさんはジョイさんに目を向けた。
「……巫女様には恐れ入りました。その通りです。ヨシュア様より、オズワール様を首尾よく落とす事ができれば婚姻を全面的にバックアップすると約束していただいております。恐らく、姉以外に選抜された女性達とも同様の約束を取り付けているでしょう」
ヨシュア様、怖い。
怪我して弱っている男に貴族の看護師さんと女医さんを沢山つけて、誰かと結婚させちゃうつもりなのか。
大貴族との結婚は当然、ここでは望ましい事だろう。
王家も後ろ盾になってくれるなら、乗らない手はない。
……個人的な憶測だと、バツイチで実家に戻っているジョイさんのお姉さんなんかは、内心かなり必死なんじゃなかろうか。
「ああ、だからホープレイズ卿から見れば、ユネスティ家はヨシュア様に協力する邪魔者だという扱いをされるんじゃないかと心配していたんですね?」
「卿に睨まれて無事に済む貴族などおりません。正直、恐々としているところにご当主自らお出でになって歓待など、もはや生きた心地がしませんよ、私は」
重症のご長男か。
ウチの薬を使えば、まあ治るだろう。
でも、これはまだアルグリオさんは知らない情報のはずだよな。
となると、それが豹変の理由じゃない。
うーん。大貴族の考えか……読めん。
そしてチヤさん、凄いな。
本当に大人びた子だ。
当たり前に政治の話とかしてるし、僕の前でぶっ倒れた非礼への詫びとして、こうして同行しているのもそうだ。
巫女という特殊な環境が彼女をこんな子にしたんだろうか。
幼くして国の象徴だからなあ。
常人には全く分からない世界に生きているのは間違いない。
やっぱこの娘はチヤさんだよ。〝ちゃん〟とかつけられないよ。さんだよ。
「ご長男の治療、ヨシュア王子との会談、響先輩の思い描いている改革、ねえ……」
ピースとして大きなものは、今はこれくらいだ。
ライムはきっと、街で色々な話を仕入れてきてくれる。
澪は王都でも色々動いてもらったから、ここではリミア料理に集中できるようにしてあげたい。
「……やっぱ、ゆるりとお話ししたい事ってのがキモなんだろうな。ちゃんと料理を楽しめる席になれば良いのに」
「あの、油断はしないでください。私も役職柄様々な人を見てきていますが、あのアルグリオという方はあらゆる意味で貴族に特化した、社交界と交渉事の化け物です」
「チヤさんがそう言うと説得力が凄い。分かりました、気を付けます」
「……なんか、不安。響お姉ちゃんなら安心できる言葉なのに、同じ賢人様でも全然違う」
ぼそりとチヤさんが僕の心を抉る言葉を呟いた。
響先輩と比較されたら、そりゃ心細いのは分かるよ。
確かに同じ異世界人――チヤさんの言うところの賢人だけど、あんな超人と一緒にしてもらいたくない!
新作のゆるキャラと世界的に有名なあのネズミのキャラクターを比べるくらい酷い所業だよ、それは!
◇◆◇◆◇
壮観。
それ以外の感想が出てこない。
広々としたホールには凄まじいまでに煌びやかで豪勢な宴の席が用意されていた。
アルグリオさんが口にした通り、テーブルの上にはリミア料理の数々がこれでもかとばかりに並べられている。
料理だけでなく、宝飾品も惜しみなく使われ、ホールを隅々まで彩っており、その豪華さは王都で受けた歓待――いや、今まで僕が経験したどの宴席をも超えていた。
澪でさえ目を丸くして驚いたくらいだ。
チヤさんもジョイさんもライムも、口を間抜けに開いて呆然としている。
凄いな、セレブ全開とはこの事か。
そして案内されるままメイドさんに続くと、見えてくる僕らの席。
奥の壁にかけられた大きな貴族の紋章の下……ザ・上座である。
リミアでも、一番地位や立場が高い人物がこの位置に座るのが習わしだ。
右側にかかっているのが多分ホープレイズ家の紋章旗で、何故かその隣に僕らクズノハ商会の店舗マークの旗がある。
並べると物凄く場違いなのは僕でも分かる。
ちなみに、作った覚えはない。
となると、ウチのマークをのっけた旗をこの短期間で作ったの?
どんな財力で誰に無理言ってやらせたんだろ。
そして少し小さめの旗がもう一枚かかっている。
多分、ユネスティ家かな。
ちらっとジョイさんの様子を確認したら顔面蒼白で、ウチの紋章旗まであんな場所に……ともごもご言っているから、間違いなさそう。
唖然とする僕らをよそに、当主アルグリオさんの挨拶が始まる。
「急ごしらえの宴席ゆえ、行き届かないところもありますが、心ばかりのもてなしの席をご用意しました。クズノハ商会の皆様はもちろん、お連れの方々も、遠慮なくおくつろぎください。我が息子オズワールの治療に全力であたってくださっているユネスティ家。それに、我がリミアに降り立った勇者様を、立場を越えて支えてくださっているローレルの巫女チヤ様には、当家として感謝の席を設けた事がありませんでしたな。皆様どうかお楽しみいただければ、至上の喜びです」
アルグリオさんは挨拶の途中でユネスティ家ににこやかに牽制を入れたり、チヤさんが心酔している響先輩を立てるような事を織り交ぜたりしてみせた。全体的には丁寧で、来客を敬うそつがない言葉が並ぶ。
他にも、領内の不穏で誤った情報についても早急に払拭すると確約してくれて、僕らにとっては至れり尽くせりの内容だ。
そんな挨拶は数分で終わり、そこからはホープレイズ家と領内の有力者、有名人、芸術家の皆さんと僕らの宴の席の始まり。
ジョイさんやチヤさんの反応を見る限り、かなりの面々が集っているみたいだ。
澪には自由に食事を満喫してもらい、ライムにも好きに楽しんでもらう。
今のところ、純粋に歓迎されていて、楽しい食事だ。
アルグリオさんはサウスリミア料理だと言ってたけど、確かに王都で食べた物と食材は同じでも、味付けや調理法が違っている。
全体的には王都よりも煮込み料理が少なく、揚げ物が多いのが特徴か。あと、ハムやベーコンといった保存用の肉を使う料理が意外と多い。
野菜は意外にも、どちらも似たようなものが使われている。
こっち特有の食材も……ああ、結構あるな。
同じリミア料理でありながら、全く違う側面を楽しめそうだ。
少しずつ楽しませてもらおうかな。
料理を物色する僕に、上機嫌な様子のアルグリオさんが話しかけてきた。
「やあ、ライドウ殿。楽しんでもらえているでしょうか。貴殿はツィーゲ、世界の果てのご出身と聞いております。クズノハ商会の皆様に失礼がないようにと参加者にも徹底させていますが、何かご気分を害する事があれば、ご容赦願いたく。もう少し時間があれば良かったのですが……」
クズノハ商会代表としてリミア王国を訪問していた僕――深澄真は今、王国の領土の南端に位置するホープレイズ領に到着していた。
ここには往路でも立ち寄っているので、二度目の来訪になる。
僕らが王都をお暇する時、城の前には見送りの騎士隊がずらりと並んでいた。
これから数日、こんな堅苦しくてプライドも高そうな大集団につきまとわれながら国境に向けて歩くとか、どんな拷問だよ……と、頭を抱えそうになったのは言うまでもない。
「邪魔です。こんな事に使う人手が沢山あるなら、都を一日でも早く復興なさいな」
と、澪が一蹴してくれたおかげで謹んで辞退できそうだったんだけど、ホストである響先輩とヨシュア王子は食い下がった。
二人は〝誰一人同行しないのでは不作法になるから〟と言って、巫女のチヤさんと、ユネスティ家という貴族の若者を世話役として僕らにつけたのだ。
本人了承の下で世話についたので好きに使って構わないそうだが、厳密に言えば巫女はローレルの要人に当たるから、節度は持ってもらいたいと付け加えられた。
そう言われても、もう一人だって貴族だし、好きに使えるわけもなく、まるで気が抜けない。ありがた迷惑とはこの事だ。
まあ、そんな旅路もここまで来れば終わったようなもの。
リミア国外に出たら、転移陣のある街から速攻で転移して、そこから亜空に直帰――そんな風に思っていた僕、そしてクズノハ商会勢だった。
なーんとなく、このホープレイズ領にはギスギスした空気が漂っている。
これは来た時も同じだったから、まあ予想の範囲内だ。
何しろ、イルムガンドの件で因縁浅からぬホープレイズ家。王都でもご当主と親しくなる事はなかった。次男の死にクズノハ商会が関わっているなんて噂が流れているのは知っているけど、一日二日で払拭できるようなものでもない。
あれこれ考えながら馬車に揺られていると……
「え?」
僕のすぐ隣で、チヤさんが素っ頓狂な声を漏らした。
それは彼女が僕らに同行した数日の間で一番の素の声だったと思う。
車窓から外を見ると、ホープレイズ家の領地に入って最初の街の門に、ポツンと一人、老齢の男性が立っていた。
「クズノハ商会代表ライドウ殿以下、澪殿、ライム殿ですな。改めてご挨拶を。このホープレイズ領を治めておりますアルグリオ=ホープレイズと申します。つまらぬ行き違い故の無礼の詫びを申し上げたく、お待ちしておりました」
彼の後ろには領民や騎士がずらりと集合して様子を窺っている。そんな状況にもかかわらず、領主を名乗った男――ホープレイズ卿は深く腰を折り、頭を下げた。
完全に虚を衝かれた巫女さんはフリーズ。僕らに同行していたもう一人の貴族ジョイ=ユネスティは慌てて馬を降り、深く頭を下げた卿よりも更に低く頭を下げて……いや、もうほとんど土下座というべき姿勢で固まってしまった。
僕としても、ここでホープレイズ卿と会うのは予想外だった。もう彼と会う事もないだろうと思っていたくらいだ。
でも無反応というわけにはいかない。
まず馬車を降り、膝を突いて頭を下げる事にした。
澪とライムは僕に続き、大人しく礼節を見せる。
「大貴族アルグリオ=ホープレイズ様にそのような謝罪など望んでおりません。ロッツガルドからは遠く離れた領内に流れる噂や情報の細部まで精査するなど、至難の業でございます。どうかお気になさらず」
こんなもんで良いかな。
リミア流の作法って正直複雑すぎて意味が分からないんだ。
礼儀作法を教えるだけの役職が存在し、それを生業にする貴族がいるって聞くし……。
完全に馬鹿げている。
ヒューマン国家屈指の豊かな国土に恵まれていると、そんなどうでもいい事に注力するようになるのかと、リミアで一番呆れた部分かもしれない。
「……我が愚挙をお許しくださるか?」
アルグリオさんは頭を下げたままそう聞いた。
「もちろんです。我々は御子息の死に関与はしておりませんが、救えたかもしれない立場にいたのもまた事実。陛下や殿下、そしてアルグリオ様、他国からの来賓の安全を優先したのは間違いなく私ですから」
「寛大にも謝罪を受け入れてくれた事に心からの感謝を。つい先日、我が領内でヨシュア様、響様との会談がありましてな。その場でもクズノハ商会の事は話題になりました。まったく、私情から本質を見抜けず濁った眼で皆さんを誤って評価した非礼は、如何に赦しを得られたとはいえ、このままで済ませられる問題ではない。どうか私にせめてもの謝罪として、皆様をおもてなしする機会を与えてくださらんか」
「……」
無茶苦茶下手に出てくる彼の様子は尋常じゃない。
澪やライムは僕に倣って腰を折ってはいるものの、地面を見たまま遠慮なく胡散臭そうな疑いのオーラを放っている。また、アルグリオさんの態度があまりに意外だったのか、巫女さんは顔を引きつらせて〝誰この人〟って目を向ける。
一方、不審がる面々とは異なり、ジョイさんは全身ガタガタ震えていて、これまた凄い反応だ。彼を見れば、この国でのホープレイズ家の存在感がどれほどのものか、僕にも分かる。
「聞けば、澪殿は料理がご堪能だとか。実はリミア料理は北部と南部で大分毛色が異っておりましてな。この機に是非サウスリミアの料理の粋を楽しんでいただきたい」
へえ、そうなんだ。
リミア料理はコースも存在する相当に手が込んだもので、たとえるならフランス料理に近い。
王都で食べたいくつかの料理は絶品だったし、澪も唸っていた。
恐らく王都で出たのは北部のものだろうから、ホープレイズ領では南部の方が楽しめるというわけか。
ツィーゲにはリミア料理の専門店は少ないので、確かに得難い機会かもしれない。
澪もちょっとソワソワした感じになっているし、急ぎの用事もないなら、ご相伴にあずかるのも良いな。
「胃袋から攻めてくるとは、流石アルグリオ様ですね。実は、美味しいモノには目がないというのがクズノハ商会の弱点の一つでして。せっかくですので、お招きに応じたく思います」
流石に僕だって、アルグリオさんの豹変が僕らにとってただ都合の良い変化だとは思ってない。
けれど、ここまで今までと正反対の態度を見せる理由は、少し気になる。
強引に断って袖にするより、招待に応じて少しでも内情を知っておいた方が、後々プラスにもなるだろう。
「はは、貴族の情報網も、時には役に立つものです。ゆるりとお話ししたい事もございます。巫女様も、ユネスティの若き当主殿も。どうぞご一緒にお出でください。ここよりは転移を交えまして我が屋敷までご案内させていただきます」
アルグリオさんの目配せで、騎士と使用人らしき方々が統率された動きで僕らの周りに集まって、テキパキと確認事項を消化していく。
馬車は彼らに任せ、僕らはアルグリオさん直々の案内で転移陣までエスコートされ、豪勢にも、ホープレイズ家の本宅というのか、メインで使っているお屋敷まで全員で転移した。
招待には応じたものの、ジョイさんやチヤさんは明らかに緊張した様子で、何か呟いている。
「アルグリオ様がこのような態度を取るなど……何がどこまで漏れている? 私は一体これからどうなるんだ?」
「信じられない。あの年齢からある日突然心根が正されるなんて事、ありえません。最悪な事を考えているに決まってる……!」
……。
あれだな、僕らから見たアルグリオさんが彼の全部じゃないのは当然としても、普段の行動や態度は見られているし、知られているものだよね。
ジョイさんやチヤさんの反応を見るに、彼が急に善人を演じて見せる時はろくでもない事が起こる前兆ってわけだ。
特にジョイさんは聞き逃せない事を言ってるし。
実はあれがアルグリオさんの素だって淡い期待は見事になくなった。
「ジョイさん、何がどこまで、とは? ホープレイズ家と何か因縁があるんですか?」
この人はヨシュア様がつけてくれた貴族だから、派閥的には無害だと思っていたんだけど。
改革派のヨシュア王子や響先輩の派閥に入っているから、貴族のボスみたいなホープレイズ家とは相性が悪いとか?
「あ、それは、ですね」
あるんかい。
あっけらかんと答えるジョイさんに、思わず心の中で突っ込んでしまった。
「道中でお話しした感じだと、ユネスティ家は特に権力闘争の渦中にあるわけではなく、穏やかに城勤めをしていらっしゃると感じましたが?」
「その、申し訳ありません。実は、私には双子の姉がおりまして……」
突然身内の話をし出したので、僕は思わず首を傾げる。
「姉?」
この人は確か二十三歳の既婚者で、既に家も継いでいるとか言っていた。
つまりご当主様だ。
僕が抱いた正直な印象としては、当主と呼ぶにはまだ頼りない感じだった。少し年上の文学青年。線が細く、貴族の息子という方が適切な青年だった。
「私と違い、治癒魔術に高い適性があり、努力の甲斐もあって術師としても大変優秀な姉なんですが、その……先ごろ離縁、されまして」
「それは……ご愁傷様、です」
離縁、離婚だよな。
貴族の離婚がどんなものかは知らないけど、基本的によろしくないのは分かる。
「いえ。それで家に出戻ってきた姉に、ヨシュア様からお声がかかりました。治癒のスキルを見込まれての事です。その折で、その……クズノハ商会さんから秘伝の薬をご都合いただいたと、ヨシュア様より伺っております。こうした機会を与えられましたし、お礼をと思っていたのですが、なかなかそうしたお話ができる状況がないままここまで。まことに申し訳ありません」
秘伝の薬。ヨシュア様。
……ああ。
そういえば、毒に侵され切断するしかなくなった腕の再生について、聞かれたな。
澪なら毒の中和も腕の再生もどちらもできそうな案件だったから、患者を紹介してもらおうとしたら、何故か断られたんだ。
それで、治癒魔術に優れる者であれば扱えるような薬はないかと聞かれて……確かに薬を渡した。
学園をそれなりの成績で出る実力があればなんとか使えるはず、とは言っておいたけど……なるほど、その治癒魔術師がジョイさんの双子のお姉さんだったのか。
だから護衛兼見送りとしてついてきた、と。
なんとなく、ヨシュア様と響先輩の名代としては違和感あったもんな。
「ああ、あの薬の。治療の方は上手くいきました? ん? いや、でもそれとホープレイズ家の話は全く関係ないのでは?」
「治療は順調との事です。姉が薬の効能と治療指示の正確さに驚愕しておりました。死んでもこの商会とのパイプはなくすなと、もう送ってくる手紙の内容の大半がそんな調子でして……はは」
当主とはいえ、双子の姉相手ともなると弱い所もあるんだろうな。
姉ってのは……強いからなぁ。
「で……ホープレイズ家との兼ね合いですが、重体で城に運び込まれた患者というのが、ご長男オズワール=ホープレイズ様なんです。オズワール様の治療には、良家、名家の子女が選抜されて手厚い看護が施されています」
「……そういう事。だからジョイさん、あんなにビクビクしてたんだね」
「……お恥ずかしい」
何やら分かった風のチヤさんに指摘され、ジョイさんが頭を掻いて頷く。
しかし僕にはさっぱりだ。
次男が死んだ今、アルグリオさんにとって長男は凄く大事、それは分かる。
でもその治療にあたっているユネスティ家の人が何故恐れる必要があるのか。
むしろ感謝される立場じゃないの?
「そういう事、とは?」
僕の質問に、チヤさんが答える。
「……多分、ヨシュア様は、弱ったオズワール様の看護に自分達の味方になる女性を沢山あてがっているんです」
「ふむ」
「ホープレイズ家の次の当主はオズワール様。でもオズワール様は父君を尊敬なさっているし、代替わりしてもこのままだと結局アルグリオ様の操り人形と政争を続けなくちゃいけなくなる。だから、オズワール様を自分達の側に鞍替えさせる、そこまでいかなくても父親の傀儡ではなくなるよう篭絡するつもり、ですよね?」
そう言って、チヤさんはジョイさんに目を向けた。
「……巫女様には恐れ入りました。その通りです。ヨシュア様より、オズワール様を首尾よく落とす事ができれば婚姻を全面的にバックアップすると約束していただいております。恐らく、姉以外に選抜された女性達とも同様の約束を取り付けているでしょう」
ヨシュア様、怖い。
怪我して弱っている男に貴族の看護師さんと女医さんを沢山つけて、誰かと結婚させちゃうつもりなのか。
大貴族との結婚は当然、ここでは望ましい事だろう。
王家も後ろ盾になってくれるなら、乗らない手はない。
……個人的な憶測だと、バツイチで実家に戻っているジョイさんのお姉さんなんかは、内心かなり必死なんじゃなかろうか。
「ああ、だからホープレイズ卿から見れば、ユネスティ家はヨシュア様に協力する邪魔者だという扱いをされるんじゃないかと心配していたんですね?」
「卿に睨まれて無事に済む貴族などおりません。正直、恐々としているところにご当主自らお出でになって歓待など、もはや生きた心地がしませんよ、私は」
重症のご長男か。
ウチの薬を使えば、まあ治るだろう。
でも、これはまだアルグリオさんは知らない情報のはずだよな。
となると、それが豹変の理由じゃない。
うーん。大貴族の考えか……読めん。
そしてチヤさん、凄いな。
本当に大人びた子だ。
当たり前に政治の話とかしてるし、僕の前でぶっ倒れた非礼への詫びとして、こうして同行しているのもそうだ。
巫女という特殊な環境が彼女をこんな子にしたんだろうか。
幼くして国の象徴だからなあ。
常人には全く分からない世界に生きているのは間違いない。
やっぱこの娘はチヤさんだよ。〝ちゃん〟とかつけられないよ。さんだよ。
「ご長男の治療、ヨシュア王子との会談、響先輩の思い描いている改革、ねえ……」
ピースとして大きなものは、今はこれくらいだ。
ライムはきっと、街で色々な話を仕入れてきてくれる。
澪は王都でも色々動いてもらったから、ここではリミア料理に集中できるようにしてあげたい。
「……やっぱ、ゆるりとお話ししたい事ってのがキモなんだろうな。ちゃんと料理を楽しめる席になれば良いのに」
「あの、油断はしないでください。私も役職柄様々な人を見てきていますが、あのアルグリオという方はあらゆる意味で貴族に特化した、社交界と交渉事の化け物です」
「チヤさんがそう言うと説得力が凄い。分かりました、気を付けます」
「……なんか、不安。響お姉ちゃんなら安心できる言葉なのに、同じ賢人様でも全然違う」
ぼそりとチヤさんが僕の心を抉る言葉を呟いた。
響先輩と比較されたら、そりゃ心細いのは分かるよ。
確かに同じ異世界人――チヤさんの言うところの賢人だけど、あんな超人と一緒にしてもらいたくない!
新作のゆるキャラと世界的に有名なあのネズミのキャラクターを比べるくらい酷い所業だよ、それは!
◇◆◇◆◇
壮観。
それ以外の感想が出てこない。
広々としたホールには凄まじいまでに煌びやかで豪勢な宴の席が用意されていた。
アルグリオさんが口にした通り、テーブルの上にはリミア料理の数々がこれでもかとばかりに並べられている。
料理だけでなく、宝飾品も惜しみなく使われ、ホールを隅々まで彩っており、その豪華さは王都で受けた歓待――いや、今まで僕が経験したどの宴席をも超えていた。
澪でさえ目を丸くして驚いたくらいだ。
チヤさんもジョイさんもライムも、口を間抜けに開いて呆然としている。
凄いな、セレブ全開とはこの事か。
そして案内されるままメイドさんに続くと、見えてくる僕らの席。
奥の壁にかけられた大きな貴族の紋章の下……ザ・上座である。
リミアでも、一番地位や立場が高い人物がこの位置に座るのが習わしだ。
右側にかかっているのが多分ホープレイズ家の紋章旗で、何故かその隣に僕らクズノハ商会の店舗マークの旗がある。
並べると物凄く場違いなのは僕でも分かる。
ちなみに、作った覚えはない。
となると、ウチのマークをのっけた旗をこの短期間で作ったの?
どんな財力で誰に無理言ってやらせたんだろ。
そして少し小さめの旗がもう一枚かかっている。
多分、ユネスティ家かな。
ちらっとジョイさんの様子を確認したら顔面蒼白で、ウチの紋章旗まであんな場所に……ともごもご言っているから、間違いなさそう。
唖然とする僕らをよそに、当主アルグリオさんの挨拶が始まる。
「急ごしらえの宴席ゆえ、行き届かないところもありますが、心ばかりのもてなしの席をご用意しました。クズノハ商会の皆様はもちろん、お連れの方々も、遠慮なくおくつろぎください。我が息子オズワールの治療に全力であたってくださっているユネスティ家。それに、我がリミアに降り立った勇者様を、立場を越えて支えてくださっているローレルの巫女チヤ様には、当家として感謝の席を設けた事がありませんでしたな。皆様どうかお楽しみいただければ、至上の喜びです」
アルグリオさんは挨拶の途中でユネスティ家ににこやかに牽制を入れたり、チヤさんが心酔している響先輩を立てるような事を織り交ぜたりしてみせた。全体的には丁寧で、来客を敬うそつがない言葉が並ぶ。
他にも、領内の不穏で誤った情報についても早急に払拭すると確約してくれて、僕らにとっては至れり尽くせりの内容だ。
そんな挨拶は数分で終わり、そこからはホープレイズ家と領内の有力者、有名人、芸術家の皆さんと僕らの宴の席の始まり。
ジョイさんやチヤさんの反応を見る限り、かなりの面々が集っているみたいだ。
澪には自由に食事を満喫してもらい、ライムにも好きに楽しんでもらう。
今のところ、純粋に歓迎されていて、楽しい食事だ。
アルグリオさんはサウスリミア料理だと言ってたけど、確かに王都で食べた物と食材は同じでも、味付けや調理法が違っている。
全体的には王都よりも煮込み料理が少なく、揚げ物が多いのが特徴か。あと、ハムやベーコンといった保存用の肉を使う料理が意外と多い。
野菜は意外にも、どちらも似たようなものが使われている。
こっち特有の食材も……ああ、結構あるな。
同じリミア料理でありながら、全く違う側面を楽しめそうだ。
少しずつ楽しませてもらおうかな。
料理を物色する僕に、上機嫌な様子のアルグリオさんが話しかけてきた。
「やあ、ライドウ殿。楽しんでもらえているでしょうか。貴殿はツィーゲ、世界の果てのご出身と聞いております。クズノハ商会の皆様に失礼がないようにと参加者にも徹底させていますが、何かご気分を害する事があれば、ご容赦願いたく。もう少し時間があれば良かったのですが……」
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