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10巻
10-3
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「ちぃぃ! 外した! どこまでも小賢しいリッチが! だがこやつとて!!」
ランサーは忌々しげに舌打ちする。
彼は今になって識が恐れていた事が何か、完全に理解した。
幼い少女を凶刃で狙った事には僅かな罪悪感も抱いていない様子だ。
失った足を再生する余力はもうないのか、剣を杖代わりにして体を支えていた。
貫かれた冒険者が光に溶け、剣となって実体化する。
すぐに完成した新たな〝ランサーの剣〟が識に襲いかかった。
同時にランサーが吠え、識とランサーを覆い尽くさんばかりの剣達が出現して、切っ先を標的へと向ける。
実体剣も光の剣も入り乱れていた。
これがランサーの総力を尽くした最後の攻撃だと、識は理解する。
「……ほう、やはり分かるか。ここが決着だと」
「これほどまでに追い詰められるのはソフィア以来……さぞ良き剣となって我に仕えてくれるのだろうな、お前は!!」
「誰がお前などに。既に仕える主は見つけている!!」
半身になり、両手で持ったアスカロンを突きの構えで止めた識が、多彩な術を展開しながらランサーに突貫する。
迎え撃つランサーと、二人を囲む全ての剣。
識とランサーと、数多の剣が一つの影に重なった。
衝撃波と剣圧がその影を中心に荒れ狂い、周囲を破壊で満たしていく。
「相討ち?」
破壊の波を全力で凌いだ響達の中で、最初に口を開いたのはベルダだった。
皆を守るために手に入れたばかりの力を酷使した響の回復はやや遅かったが、彼女も自身の見解を口にする。
「いえ、そんな。これは、ラルヴァ殿の負け……え?」
だが、すぐに疑問の言葉が続いた。
彼女達から見える景色――そこには片足を失った男と、その眼前に立つラルヴァがいる。
ラルヴァは、数え切れないほどの剣にその身を貫かれたままの姿で立ち尽くしていた。
その光景は響が言いかけた言葉通り、ラルヴァの敗北を示すものだった。
対するランサーの方はアスカロンに貫かれていない。負傷具合も、破壊の嵐が起こる前と同じに見える。
響が相討ちを否定したのはそのせいだ。
だが、そのアスカロンの存在こそが、響が疑問を抱いた理由でもある。
物言わぬ髑髏は、その手に何も持っていなかった。
「く、くくくく! 見たか、魔人の従者よ!! これが竜を統べる、そして世の理をも統べるべき強者、の……」
眼窩の光を失ったラルヴァの骸を見たランサーが哄笑と共に勝利を宣言しかけ――。
それが彼の最期の言葉になった。
その瞬間、彼が響と同じようにアスカロンの所在を考えたかどうかは分からぬまま。
「っ!!」
響の目に大剣が映った。
アスカロンだ。
上から下へ。
毒の赤と呪いの黒を纏った大剣が真横からランサーの肉体を両断した。
左右にずれ落ちていくランサーだった肉塊。
響から見て、ランサーの奥からアスカロンは振るわれた。
ランサーが崩れた事で、その持ち主の姿が露わになる。
紅く長い髪の人影。
そこには、これまで響に微塵もその気配を感じさせなかった細身の男が、ラルヴァが手にしていた黒く禍々しい大剣を握って立っていた。
「だ、れ?」
自問にも聞こえる問いかけが、彼女の口から漏れ出た。
「……情けない。が、今はこれが精一杯、か。〝剣帝憑依〟解除」
識の口からも言葉が漏れる。どちらも自分にしか聞こえないような、か細い声量だった。
塵となってさらさらと散っていくランサーを見下ろす男は、自虐的な表情を浮かべていた。
大剣アスカロンが彼の手の中で、元の飾り気のない黒い杖に戻った。
識の――今の彼の本来の姿を晒したまま、彼は響達のいる方へ歩み寄っていく。
変装と外装を兼ねて纏っていたリッチの姿を身代わりとして捨て、これまで唯一ひた隠しにしてランサーに見せなかった短距離転移を発動させ、死角からアスカロンの直撃を浴びせる。
彼にとって、この勝利は紙一重の差で結果が逆転していたほど、危ういものだった。
自覚があるが故に、己の力のなさを真っ先に責めながら、識は響達と合流を果たす。
「まさか、ラルヴァ殿なの?」
反則じみた直感に従って、響は識にそう問いかけた。
「なに!?」
「え、うそ……」
識よりも先に響の言葉に反応したのは、ベルダとチヤだった。
謎の人物と先ほどの化物リッチが同一人物であるというのは、この世界の常識からすると、まず信じられない事だった。
生者とアンデッドは行き来が出来るようなものではないのだから。
たとえば同じ武器を手にしていても、この場合なら、リッチを使役している何者かが登場したと考えるのが普通だ。
基本的な思考の一部が、良い意味でまだ地球のそれである響だからこその発言である。
(異世界人……か。勇者とは思いの外面倒な存在のようだ)
いとも簡単に正体を結び付けられた識は、呆れた様子で嘆息した。
前の姿に戻れるか、などと聞いた彼の主にしてもそうだが、異世界人はつくづく突飛な発想をするものだと、識は驚かされる。
今回は変装が主な目的だったため、識は厳密に言えばリッチという存在に戻ったわけではない。
かといって、単に着ぐるみを着たというようなものでもないのだが、簡単に説明するのは難しい。
ふと識は考える。
主はこれらの説明を詳細に聞きたいだろうか、と。
しかし、一瞬浮かんだ解説のための理論や公式を即座に捨て去って、識は響達を見据えた。
「普通、そう簡単に気が付くものではないのだがな。正直、現状に至る失態も含めて、頭が痛いところだ」
彼は姿を晒さざるを得なかった事を悔いていた。
「実はヒューマンだったって事かしら?」
「いや、それは遥か昔の話だ。さて、巫女よ、そこをどけ。約束は守ろう」
その質問に正確に答える事はなく、ただ口元に少しだけ笑みを浮かべた識が、響の横をすり抜けて巫女に近寄る。
「え、あ……」
「第五階梯〝ケト〟解放。ふむ、この程度の負傷だったか。最悪、魂さえこの辺りに浮いていればどうとでもなるように準備したが、無駄になったな。〝銀の腕〟よ。癒し補え」
識の指に新たな指輪が嵌まった。
地面から山吹色の温かな光が溢れて、ウーディを包み込む。
見守る響達三人は思わず息を呑んだ。
チヤの懸命な治癒魔術で腹の穴は塞がったものの、顔色は悪く、呼吸も弱々しいままだったウーディの肌の色が、血色の良い普段の色にみるみる変わっていく。
ほどなくして、胸も規則正しく上下し始め、穏やかで安定した呼吸が戻った。
「このくらいでよかろう。後は安静にして……まあ、これ以上の細かい説明などいらぬだろう。精々看護してやれ」
識の言葉にチヤがしっかりと頷いた。
今まであまり好意的ではなかったベルダもこの時ばかりは頭を下げ、礼を口にした。
「助かった。本当にありがとう、ラルヴァ殿。この礼はいつか必ず。名に懸けて約束する」
「考えておく」
そう言ってさっさと離れていこうとする識に、今度は響が探るような視線を向けた。
「……〝魔人の従者〟。この言葉については、そのままの意味で受け取っておいていいのかしら?」
「ランサーの言葉を聞いていたか。それは忘れていい。いや、忘れろ」
「それは無理ってものじゃない?」
「見ろ、王都のこの惨状を。生き残り、助けを求める気配がいくつもある。既に避難した住民達も例外なく不安に怯えているだろう。私に関わっているよりも、お前達に出来る有意義な事がいくらでもあると思うが?」
顔色一つ変えずに響の問いかけを受け流した識だが、自身がまともに動けそうにないほど消耗している事を理解し、内心で舌打ちしていた。
(流石に今のケトはまずかったか。指輪を使いすぎた。ランサーめ、本当に手こずらせてくれた。これでは若様のもとに参じたところで足手まといにしかならない……とにかく今は少し休まねば)
「今度は救援に向かうのを止めないの?」
「手助けもせぬがな」
今この状況で響の脅威になりそうなのは、ソフィアくらいだと識は考えていた。
そしてそこには、彼の主、深澄真が既にいる。
ただでさえ光の剣の雨によって、両軍にとって戦闘の継続は絶望的だ。
更にだめ押しとばかりにランサーと識が戦ったのだ。
生きている者を救助するにせよ、王都から脱出するにせよ、もう王都には響を妨げるものは存在しないだろう。
「ベルダも言った事だけど、いずれ必ずお礼を」
「ふむ。では一応覚えておくとしよう」
ウーディを担いで移動の準備を済ませたベルダが、響に声をかけた。
「響、まずはウーディを休ませてやれる場所へ向かおう。辛うじて繋がった連絡員によると、街の外にいくつかキャンプが形成され始めているようだ。そこが良いだろう」
響はベルダの提案に小さく頷く。そして一度だけちらりと識を見たが、振り返りはせずに走り去っていった。
(剣にされた冒険者の死に際の言葉……。彼がその前に口にした「ある人達に似てる」って言葉。あれってツィーゲの人達の事かしら。それに魔人の従者を名乗ったラルヴァが見せた剣筋。あれは、扱う剣こそ刀じゃないけど、私の先生のものに良く似ていた。単なる偶然の一致だなんて思えないほどに。その上魔人よ、あの白い人の着ていたのは明らかに特撮ヒーローのスーツをモデルにしている。ラルヴァと魔人は異世界人と関わりがある可能性が極めて高い。ツィーゲ、異世界人、非常識な力……。もしかして、クズノハ商会と繋がる? ならあの魔人がライドウ? でもここには澪さんの気配もドワーフの職人の気配もない。クズノハなんて名前、この世界じゃローレル地方にしかないらしいし、気になるわね。少なくとも全員が綺麗に無関係なんて事はなさそうなんだけど……)
◇◆◇◆◇
「あははは!!」
殆ど廃墟と化した謁見の間に、突如ソフィアの笑い声が響き渡った。
「……とうとう狂った?」
「まさか。至って正気よ。二つほど笑える事があっただけ」
「はぁ?」
思わず呆れた声が出る。
結局彼女にかかっていたチャームを解いても、帝国の勇者の事を言い出さなくなっただけで、あまり性格は変わらなかった。
僕に向けて途切れる事なく殺気を放っているのに、いきなり笑い出したもんだから、おかしくなっちゃったのかと思った。
だけど笑いが止んだすぐ後から、ソフィアの力が変質し、増大していくのが分かった。
そうか。
笑ってみせたのには理由があるって事ね。狂ったわけじゃない。
……時間稼ぎってところか。
ソフィアに注がれている力はまだ全てじゃないようだ。
準備が整うまで待ってほしいと。
はいはい。
「一つは、相棒なんてものはどれだけの付き合いがあろうと、本当に呆気なく、簡単に死ぬって事」
ソフィアはこみ上げる笑いを堪えながら語り出した。
「ランサーが死んだのか」
ここから識がいる場所まで界を広げてないから、正確な状況は分からない。
まあ、識が負けるわけはない。
それにしても、トドメまで刺せるなんて、識は思ってたよりもずっと強くなってたんだな。
「で、もう一つは……自分の強運への呆れ……かしらね。賭けはやっぱり私が勝った、って事」
「賭け……。ランサーと?」
この状況で口にする賭けって、ロクなもんじゃない気がする。
今、僕とソフィアの間に賭けてるものなんてないしね。
……さてと。
僕としてはもうソフィアを相手に試しておきたい事はない。
まだ何か奥の手があるなら見てもいいけど、ないならそろそろ終わりにしよう。
「ええ。私が先に死んだら、あいつのコレクションに加わる。あいつが先に死んだら、残る命と力を私に捧げる。そういう賭けをしたの」
残る命ときた。
ランサーって命が一つじゃないのか。
「……で。賭けに勝ってランサー一匹分の力だか命だかが宿ったからって、何が出来るの? もう剣も竜の力も、全く及ばないって分かっただろうに」
今更ランサーの力を得て、光の剣が少しばかり強力になったって、その程度なんの意味もない。
「……ああ。もう一つ気付いた事があるわね。笑えはしないけど」
楽しげに笑っていたソフィアの顔から感情が消えた。
こんな時間稼ぎをしなくても、待ってやるっての。
「ふぅ」
思わず溜息が出る。
「誰かを見下す戦いをする奴っていうのは胸糞が悪いものね。私も最近よくやっていたから、反省したわ」
「あ、そう」
よく言うよ。挑発のつもりなのか?
全く効果はないね。
僕は自分の精神の手綱を、今はある程度握れている。
もうすぐ決着がつくはずのこの戦いの結末も、淡々と受け止められるだろう。
我ながら極端にさえ思える、冷たい感じがする戦いの思考。
なんて事はない。
ただの〝戦う時の心境〟なんだと思う。
たとえ戦争で人を数え切れないほど殺した人だって、友達と食事にいったり、一緒に遊んだりするような気安さの中で人を殺せるようになるわけじゃない。
多分どこかで、そういうものだと割り切って、慣れるだけなんだ。
スイッチを切り替えて、兵士として動けるようになるだけ。
僕の中にある〝これ〟は、きっと僕の慣れ。僕の場合のスイッチ。
僕が特別とかそういうものじゃなく、ただ生き死にの戦いなんていう非日常に適応した結果というだけの事なんだ。
心の中に別人が生まれたんじゃない。
ただ戦闘を切り抜けるのに、少しだけ感情を横に置いただけ。
それが一番〝僕に合った戦いの姿勢〟ってだけさ。
自分となら、日本にいた時から多少は向き合ってきている。
だから、僕は大丈夫。
魔力体が僕に攻撃を通さないのと同じように、〝敵〟に何を言われても、惑わされたり……しない。
そんな僕の思考をよそに、ソフィアの言葉は続く。
「そして、そういう輩は油断もする。だから、私は間に合った。見せてあげる、二匹の上位竜を圧倒して殺した私の奥の手を」
「あのさ。強者が戦場を蹂躙して、その力で好きなように振る舞う。むしろこれって戦場の摂理じゃないかと思うけど。油断かな?」
「今も私を止めようともしない。それを油断と、驕りと言わずに……なんと呼べばいいの?」
「……余裕とか? ……ん?」
ソフィアから答えはなかった。
代わりに彼女を中心に気持ち悪い極彩色のエリアが床を伝って広がっていく。
やがてそれは僕の足元にも及び、空も壁も床も、全部を侵食していった。
どこまで広がるのかと思っていたが、謁見の間を埋め尽くすまではいかずに、拡大は止まった。
一面が目に優しくない空間だ。
身も蓋もない感想が頭に浮かんだすぐ後、大勢が同時にガラスに爪を立てて引っ掻いたような、耳障りで大きな音が一帯に響く。
不快な音のボリュームは上がり続けたが、極彩色のエリアが砕け散るのと同時に消えた。
僕らは元の静かな謁見の間に戻る。
いや、だけどこれは……。
僕の推測を肯定するように、ソフィアの足元から――いや、空の至るところからも次々に剣が出現し続ける。
見た目こそ元の場所に戻ったみたいに見えるけど、これは別の空間に連れ込まれたか。
どれも意匠の異なる剣達が、地に、空に、刺さって静止している。
謁見の間は一目で分かるほど極めて異常な空間に成り果てた。
しかし、なんて贅沢な……。
全て剣には違いないけれど、エルダードワーフの武器に匹敵する業物の気配がそこかしこから発せられている。
とんでもないね。
「ようこそ、剣の獄へ。ここはランサーが集めた剣の保管場所とリンクした特別な空間よ。そして、処刑場でもある」
ソフィアが不敵な笑みを浮かべている。
「確かに凄い。剣もそうだけど、それ以上に僕を隔離した空間に連れ込んだってのがもっと凄い」
「空間については、少しずらしただけの手抜きだけどね。その分、もてなしは凝っているから安心しなさい。退屈なんて、絶対させないから」
「いやいや、これでも無理やり別の空間に連れ込まれるなんて初めて――いや、例外を除いて殆どなかったよ。狭いとはいえ、大したもんだ」
本気の称賛の言葉を贈った。
なのに当のソフィアは静かに目を閉じて集中し、大きく深呼吸を一つ。
無視ですか。
でも、巴にもされなかった事なのに、大したものだよ本当に。
あの耳障りな音が響いた時に空間がずれたのかな。
今回初めてソフィアに感心させられたかも。
手抜きって言ってたけど、空間系統の術とかスキルに物凄い才能を持っていたのかもしれないな、こいつ。
ランサーは忌々しげに舌打ちする。
彼は今になって識が恐れていた事が何か、完全に理解した。
幼い少女を凶刃で狙った事には僅かな罪悪感も抱いていない様子だ。
失った足を再生する余力はもうないのか、剣を杖代わりにして体を支えていた。
貫かれた冒険者が光に溶け、剣となって実体化する。
すぐに完成した新たな〝ランサーの剣〟が識に襲いかかった。
同時にランサーが吠え、識とランサーを覆い尽くさんばかりの剣達が出現して、切っ先を標的へと向ける。
実体剣も光の剣も入り乱れていた。
これがランサーの総力を尽くした最後の攻撃だと、識は理解する。
「……ほう、やはり分かるか。ここが決着だと」
「これほどまでに追い詰められるのはソフィア以来……さぞ良き剣となって我に仕えてくれるのだろうな、お前は!!」
「誰がお前などに。既に仕える主は見つけている!!」
半身になり、両手で持ったアスカロンを突きの構えで止めた識が、多彩な術を展開しながらランサーに突貫する。
迎え撃つランサーと、二人を囲む全ての剣。
識とランサーと、数多の剣が一つの影に重なった。
衝撃波と剣圧がその影を中心に荒れ狂い、周囲を破壊で満たしていく。
「相討ち?」
破壊の波を全力で凌いだ響達の中で、最初に口を開いたのはベルダだった。
皆を守るために手に入れたばかりの力を酷使した響の回復はやや遅かったが、彼女も自身の見解を口にする。
「いえ、そんな。これは、ラルヴァ殿の負け……え?」
だが、すぐに疑問の言葉が続いた。
彼女達から見える景色――そこには片足を失った男と、その眼前に立つラルヴァがいる。
ラルヴァは、数え切れないほどの剣にその身を貫かれたままの姿で立ち尽くしていた。
その光景は響が言いかけた言葉通り、ラルヴァの敗北を示すものだった。
対するランサーの方はアスカロンに貫かれていない。負傷具合も、破壊の嵐が起こる前と同じに見える。
響が相討ちを否定したのはそのせいだ。
だが、そのアスカロンの存在こそが、響が疑問を抱いた理由でもある。
物言わぬ髑髏は、その手に何も持っていなかった。
「く、くくくく! 見たか、魔人の従者よ!! これが竜を統べる、そして世の理をも統べるべき強者、の……」
眼窩の光を失ったラルヴァの骸を見たランサーが哄笑と共に勝利を宣言しかけ――。
それが彼の最期の言葉になった。
その瞬間、彼が響と同じようにアスカロンの所在を考えたかどうかは分からぬまま。
「っ!!」
響の目に大剣が映った。
アスカロンだ。
上から下へ。
毒の赤と呪いの黒を纏った大剣が真横からランサーの肉体を両断した。
左右にずれ落ちていくランサーだった肉塊。
響から見て、ランサーの奥からアスカロンは振るわれた。
ランサーが崩れた事で、その持ち主の姿が露わになる。
紅く長い髪の人影。
そこには、これまで響に微塵もその気配を感じさせなかった細身の男が、ラルヴァが手にしていた黒く禍々しい大剣を握って立っていた。
「だ、れ?」
自問にも聞こえる問いかけが、彼女の口から漏れ出た。
「……情けない。が、今はこれが精一杯、か。〝剣帝憑依〟解除」
識の口からも言葉が漏れる。どちらも自分にしか聞こえないような、か細い声量だった。
塵となってさらさらと散っていくランサーを見下ろす男は、自虐的な表情を浮かべていた。
大剣アスカロンが彼の手の中で、元の飾り気のない黒い杖に戻った。
識の――今の彼の本来の姿を晒したまま、彼は響達のいる方へ歩み寄っていく。
変装と外装を兼ねて纏っていたリッチの姿を身代わりとして捨て、これまで唯一ひた隠しにしてランサーに見せなかった短距離転移を発動させ、死角からアスカロンの直撃を浴びせる。
彼にとって、この勝利は紙一重の差で結果が逆転していたほど、危ういものだった。
自覚があるが故に、己の力のなさを真っ先に責めながら、識は響達と合流を果たす。
「まさか、ラルヴァ殿なの?」
反則じみた直感に従って、響は識にそう問いかけた。
「なに!?」
「え、うそ……」
識よりも先に響の言葉に反応したのは、ベルダとチヤだった。
謎の人物と先ほどの化物リッチが同一人物であるというのは、この世界の常識からすると、まず信じられない事だった。
生者とアンデッドは行き来が出来るようなものではないのだから。
たとえば同じ武器を手にしていても、この場合なら、リッチを使役している何者かが登場したと考えるのが普通だ。
基本的な思考の一部が、良い意味でまだ地球のそれである響だからこその発言である。
(異世界人……か。勇者とは思いの外面倒な存在のようだ)
いとも簡単に正体を結び付けられた識は、呆れた様子で嘆息した。
前の姿に戻れるか、などと聞いた彼の主にしてもそうだが、異世界人はつくづく突飛な発想をするものだと、識は驚かされる。
今回は変装が主な目的だったため、識は厳密に言えばリッチという存在に戻ったわけではない。
かといって、単に着ぐるみを着たというようなものでもないのだが、簡単に説明するのは難しい。
ふと識は考える。
主はこれらの説明を詳細に聞きたいだろうか、と。
しかし、一瞬浮かんだ解説のための理論や公式を即座に捨て去って、識は響達を見据えた。
「普通、そう簡単に気が付くものではないのだがな。正直、現状に至る失態も含めて、頭が痛いところだ」
彼は姿を晒さざるを得なかった事を悔いていた。
「実はヒューマンだったって事かしら?」
「いや、それは遥か昔の話だ。さて、巫女よ、そこをどけ。約束は守ろう」
その質問に正確に答える事はなく、ただ口元に少しだけ笑みを浮かべた識が、響の横をすり抜けて巫女に近寄る。
「え、あ……」
「第五階梯〝ケト〟解放。ふむ、この程度の負傷だったか。最悪、魂さえこの辺りに浮いていればどうとでもなるように準備したが、無駄になったな。〝銀の腕〟よ。癒し補え」
識の指に新たな指輪が嵌まった。
地面から山吹色の温かな光が溢れて、ウーディを包み込む。
見守る響達三人は思わず息を呑んだ。
チヤの懸命な治癒魔術で腹の穴は塞がったものの、顔色は悪く、呼吸も弱々しいままだったウーディの肌の色が、血色の良い普段の色にみるみる変わっていく。
ほどなくして、胸も規則正しく上下し始め、穏やかで安定した呼吸が戻った。
「このくらいでよかろう。後は安静にして……まあ、これ以上の細かい説明などいらぬだろう。精々看護してやれ」
識の言葉にチヤがしっかりと頷いた。
今まであまり好意的ではなかったベルダもこの時ばかりは頭を下げ、礼を口にした。
「助かった。本当にありがとう、ラルヴァ殿。この礼はいつか必ず。名に懸けて約束する」
「考えておく」
そう言ってさっさと離れていこうとする識に、今度は響が探るような視線を向けた。
「……〝魔人の従者〟。この言葉については、そのままの意味で受け取っておいていいのかしら?」
「ランサーの言葉を聞いていたか。それは忘れていい。いや、忘れろ」
「それは無理ってものじゃない?」
「見ろ、王都のこの惨状を。生き残り、助けを求める気配がいくつもある。既に避難した住民達も例外なく不安に怯えているだろう。私に関わっているよりも、お前達に出来る有意義な事がいくらでもあると思うが?」
顔色一つ変えずに響の問いかけを受け流した識だが、自身がまともに動けそうにないほど消耗している事を理解し、内心で舌打ちしていた。
(流石に今のケトはまずかったか。指輪を使いすぎた。ランサーめ、本当に手こずらせてくれた。これでは若様のもとに参じたところで足手まといにしかならない……とにかく今は少し休まねば)
「今度は救援に向かうのを止めないの?」
「手助けもせぬがな」
今この状況で響の脅威になりそうなのは、ソフィアくらいだと識は考えていた。
そしてそこには、彼の主、深澄真が既にいる。
ただでさえ光の剣の雨によって、両軍にとって戦闘の継続は絶望的だ。
更にだめ押しとばかりにランサーと識が戦ったのだ。
生きている者を救助するにせよ、王都から脱出するにせよ、もう王都には響を妨げるものは存在しないだろう。
「ベルダも言った事だけど、いずれ必ずお礼を」
「ふむ。では一応覚えておくとしよう」
ウーディを担いで移動の準備を済ませたベルダが、響に声をかけた。
「響、まずはウーディを休ませてやれる場所へ向かおう。辛うじて繋がった連絡員によると、街の外にいくつかキャンプが形成され始めているようだ。そこが良いだろう」
響はベルダの提案に小さく頷く。そして一度だけちらりと識を見たが、振り返りはせずに走り去っていった。
(剣にされた冒険者の死に際の言葉……。彼がその前に口にした「ある人達に似てる」って言葉。あれってツィーゲの人達の事かしら。それに魔人の従者を名乗ったラルヴァが見せた剣筋。あれは、扱う剣こそ刀じゃないけど、私の先生のものに良く似ていた。単なる偶然の一致だなんて思えないほどに。その上魔人よ、あの白い人の着ていたのは明らかに特撮ヒーローのスーツをモデルにしている。ラルヴァと魔人は異世界人と関わりがある可能性が極めて高い。ツィーゲ、異世界人、非常識な力……。もしかして、クズノハ商会と繋がる? ならあの魔人がライドウ? でもここには澪さんの気配もドワーフの職人の気配もない。クズノハなんて名前、この世界じゃローレル地方にしかないらしいし、気になるわね。少なくとも全員が綺麗に無関係なんて事はなさそうなんだけど……)
◇◆◇◆◇
「あははは!!」
殆ど廃墟と化した謁見の間に、突如ソフィアの笑い声が響き渡った。
「……とうとう狂った?」
「まさか。至って正気よ。二つほど笑える事があっただけ」
「はぁ?」
思わず呆れた声が出る。
結局彼女にかかっていたチャームを解いても、帝国の勇者の事を言い出さなくなっただけで、あまり性格は変わらなかった。
僕に向けて途切れる事なく殺気を放っているのに、いきなり笑い出したもんだから、おかしくなっちゃったのかと思った。
だけど笑いが止んだすぐ後から、ソフィアの力が変質し、増大していくのが分かった。
そうか。
笑ってみせたのには理由があるって事ね。狂ったわけじゃない。
……時間稼ぎってところか。
ソフィアに注がれている力はまだ全てじゃないようだ。
準備が整うまで待ってほしいと。
はいはい。
「一つは、相棒なんてものはどれだけの付き合いがあろうと、本当に呆気なく、簡単に死ぬって事」
ソフィアはこみ上げる笑いを堪えながら語り出した。
「ランサーが死んだのか」
ここから識がいる場所まで界を広げてないから、正確な状況は分からない。
まあ、識が負けるわけはない。
それにしても、トドメまで刺せるなんて、識は思ってたよりもずっと強くなってたんだな。
「で、もう一つは……自分の強運への呆れ……かしらね。賭けはやっぱり私が勝った、って事」
「賭け……。ランサーと?」
この状況で口にする賭けって、ロクなもんじゃない気がする。
今、僕とソフィアの間に賭けてるものなんてないしね。
……さてと。
僕としてはもうソフィアを相手に試しておきたい事はない。
まだ何か奥の手があるなら見てもいいけど、ないならそろそろ終わりにしよう。
「ええ。私が先に死んだら、あいつのコレクションに加わる。あいつが先に死んだら、残る命と力を私に捧げる。そういう賭けをしたの」
残る命ときた。
ランサーって命が一つじゃないのか。
「……で。賭けに勝ってランサー一匹分の力だか命だかが宿ったからって、何が出来るの? もう剣も竜の力も、全く及ばないって分かっただろうに」
今更ランサーの力を得て、光の剣が少しばかり強力になったって、その程度なんの意味もない。
「……ああ。もう一つ気付いた事があるわね。笑えはしないけど」
楽しげに笑っていたソフィアの顔から感情が消えた。
こんな時間稼ぎをしなくても、待ってやるっての。
「ふぅ」
思わず溜息が出る。
「誰かを見下す戦いをする奴っていうのは胸糞が悪いものね。私も最近よくやっていたから、反省したわ」
「あ、そう」
よく言うよ。挑発のつもりなのか?
全く効果はないね。
僕は自分の精神の手綱を、今はある程度握れている。
もうすぐ決着がつくはずのこの戦いの結末も、淡々と受け止められるだろう。
我ながら極端にさえ思える、冷たい感じがする戦いの思考。
なんて事はない。
ただの〝戦う時の心境〟なんだと思う。
たとえ戦争で人を数え切れないほど殺した人だって、友達と食事にいったり、一緒に遊んだりするような気安さの中で人を殺せるようになるわけじゃない。
多分どこかで、そういうものだと割り切って、慣れるだけなんだ。
スイッチを切り替えて、兵士として動けるようになるだけ。
僕の中にある〝これ〟は、きっと僕の慣れ。僕の場合のスイッチ。
僕が特別とかそういうものじゃなく、ただ生き死にの戦いなんていう非日常に適応した結果というだけの事なんだ。
心の中に別人が生まれたんじゃない。
ただ戦闘を切り抜けるのに、少しだけ感情を横に置いただけ。
それが一番〝僕に合った戦いの姿勢〟ってだけさ。
自分となら、日本にいた時から多少は向き合ってきている。
だから、僕は大丈夫。
魔力体が僕に攻撃を通さないのと同じように、〝敵〟に何を言われても、惑わされたり……しない。
そんな僕の思考をよそに、ソフィアの言葉は続く。
「そして、そういう輩は油断もする。だから、私は間に合った。見せてあげる、二匹の上位竜を圧倒して殺した私の奥の手を」
「あのさ。強者が戦場を蹂躙して、その力で好きなように振る舞う。むしろこれって戦場の摂理じゃないかと思うけど。油断かな?」
「今も私を止めようともしない。それを油断と、驕りと言わずに……なんと呼べばいいの?」
「……余裕とか? ……ん?」
ソフィアから答えはなかった。
代わりに彼女を中心に気持ち悪い極彩色のエリアが床を伝って広がっていく。
やがてそれは僕の足元にも及び、空も壁も床も、全部を侵食していった。
どこまで広がるのかと思っていたが、謁見の間を埋め尽くすまではいかずに、拡大は止まった。
一面が目に優しくない空間だ。
身も蓋もない感想が頭に浮かんだすぐ後、大勢が同時にガラスに爪を立てて引っ掻いたような、耳障りで大きな音が一帯に響く。
不快な音のボリュームは上がり続けたが、極彩色のエリアが砕け散るのと同時に消えた。
僕らは元の静かな謁見の間に戻る。
いや、だけどこれは……。
僕の推測を肯定するように、ソフィアの足元から――いや、空の至るところからも次々に剣が出現し続ける。
見た目こそ元の場所に戻ったみたいに見えるけど、これは別の空間に連れ込まれたか。
どれも意匠の異なる剣達が、地に、空に、刺さって静止している。
謁見の間は一目で分かるほど極めて異常な空間に成り果てた。
しかし、なんて贅沢な……。
全て剣には違いないけれど、エルダードワーフの武器に匹敵する業物の気配がそこかしこから発せられている。
とんでもないね。
「ようこそ、剣の獄へ。ここはランサーが集めた剣の保管場所とリンクした特別な空間よ。そして、処刑場でもある」
ソフィアが不敵な笑みを浮かべている。
「確かに凄い。剣もそうだけど、それ以上に僕を隔離した空間に連れ込んだってのがもっと凄い」
「空間については、少しずらしただけの手抜きだけどね。その分、もてなしは凝っているから安心しなさい。退屈なんて、絶対させないから」
「いやいや、これでも無理やり別の空間に連れ込まれるなんて初めて――いや、例外を除いて殆どなかったよ。狭いとはいえ、大したもんだ」
本気の称賛の言葉を贈った。
なのに当のソフィアは静かに目を閉じて集中し、大きく深呼吸を一つ。
無視ですか。
でも、巴にもされなかった事なのに、大したものだよ本当に。
あの耳障りな音が響いた時に空間がずれたのかな。
今回初めてソフィアに感心させられたかも。
手抜きって言ってたけど、空間系統の術とかスキルに物凄い才能を持っていたのかもしれないな、こいつ。
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