月が導く異世界道中

あずみ 圭

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七章 蜃気楼都市小閑編

その男が見る未来

 閉店後も明かりが絶えないレンブラント商会の一角。
 夜更けの執務室に人の気配が二つばかりあった。

「旦那様、少しはお休みになってください」

「? 毎日寝ているだろうモリス」

「……仮眠ではなく、きちんと、ベッドで、お休みくださいと申し上げております」

「それは次に温泉に行けた時にでも考える。今良いところなんだ、止めてくれるな」

「良いところ、でございますか? ええと、その書きなぐってある数字と図形と……記号がですか」

 レンブラント商会の筆頭執事であるモリスが小さく溜息を漏らす。
 部屋にも周囲にも主と自分しかいないのを把握しての行動だ。
 なお、クズノハ商会の目と耳まで気にしているとキリがないとモリスは達観している。
 むしろ心が休まる事がなくなり四六時中警戒態勢を強いられる挙句一方的に疲弊するだけだと。
 己に出来る最大限の警戒で気付けぬのなら、もう仕方がない。
 二の手三の手をもって対応すべき、という訳だ。

「うむ! 彼の会話は宝の山だからな、その提案にもつい耳を傾けてしまう。そしてこうして空いた時間に考察し分析するのがついつい日課になる」

「彼、ライドウ様ですか」

「独立を決めた辺りに、ほら、試しに名刺を広めてみただろう? あの結果はどうだった? 最早このツィーゲで商人になる者、商会で働く者は殆どが作っているじゃないか」

 レンブラントは商人の世界についてのみ言及したが、名刺は今では冒険者たちも真似をし始め一つの流行を作り出していた。

「……覚えておりますとも。私などは既にギルドカードがあるのに、何故紙など使って同じようなものを大量に配るのかと反対しました」

「ああ、だが大成功した」

「考えてみればギルドカードは見せる事は出来ても気軽に相手に貸与などできませんでしたね。配って回るなどもってのほかです。浅慮でした」

 主であるパトリック=レンブラントから振られた話題はモリスにとって読みが盛大に外れた悔しい記憶を呼び起こすものだった。
 ライドウが名刺の見本を持ってきて提案した時、モリスは流石にこの青年であってもこれは愚策だと内心失笑した。
 理由は元々遥かに高性能なギルドカードが存在する事が第一、そして第二に商人たる者知り合った相手に付き合う価値あらば話術と財力をもってその場で十分にアピールし互いを印象付けねばならない、という思いがあったからだった。
 まさに商人としての力の見せどころとでも言おうか。
 モリスならずとも名刺に否定的な者は大勢いたものだ。
 特に古いタイプの商人ほどこの傾向が強かった。
 これもまた当然である。
 誰もがこれまで通用してきた業界の常識を大事にするものだから。

「何しろ配って回れるからな。あの利点は大きかった。紙を使うから多少は値も張るがメリットの方が大きいのだ」

「……はい」

「それにわざわざ紋入りの記念品など作らせて相手に贈らずともこの方は当商会の関係者であると容易く示す事もできる」

「……」

「悪用されぬよう配慮は必要だが、記載する事項によっては遠方の取引相手には再訪の心強い伝手ともなろうよ」

「まったく、とんでもない慧眼ゆえの提案だったのですね」

「どうだろうな、実際のところはライドウ君が単純に相手の顔を覚えられないから思い付いた苦肉の策かもしれん」

「……失礼ながら、あの方ならば十分にあり得る事と賛同致します」

「うむ、ようは楽をしたいからというやつだな」

 良くも悪くも、彼らの真への評価は適正だった。

「……ええ」

「だがそれがこうも便利な代物を生む。ただの紙とインクだけのものでな。楽をしたい、大いに結構だな。それで浅はかな手段に走らず、よりよい方法を模索するのなら立派なものだ。もしこれが彼でなくこの街の誰かのアイデアであったなら、この一つのみでウチに雇い入れても良いとすら思ったものだ」

「……発明ではなく発見ですか。が、旦那様は初期から面白がっておられました。あの短時間でよく……」

「まあな。しかし……まさか、な。ここまで凝るのまで出てくるのは想定外だった、ハハ」

「これは……また」

 レンブラントが机の引き出しから取り出して机上にばら撒いたのは様々な名刺の数々。
 小さな四角の紙片というのがライドウが持ってきた試作品の名刺だ。
 だがモリスの目の前には大小様々、材質まで様々な名刺がちらばっている。
 盾や酒瓶などの形、特殊な処理を施した布や金属、鉱石が使われていた。
 試しに一枚を手に取ってふと裏を見る。
 そこには手書きでレンブラントとの商談の礼が綴られていた。

(なるほど、ちょっとした手紙代わりにも成り得ると。一筆入れる事で大事な取引先に特別感も与えられる……たかが紙とインク。ただそれだけの事だというのに……まるでパトリックの策であるかのような老練さすら感じさせるな。ライドウの策というには余りにも似合わないのは、彼自身は楽をしたいくらいにしか思っていないから、か)

「面白いだろう? ま、こんな事を周りがし出すと私も何かしら付き合わざるを得ん。済まんが」

「かしこまりました。明日にでも評判の良い名刺職人を探しておきましょう」

 ツィーゲは毎日新しく仕事が生まれる街だ。
 かつて百万都市となった盛りの江戸がそうであったように、人が密集して暮らす街にはその需要を満たす為に次々と仕事が細分化され、一種独特な職業が誕生する事がままある。
 であれば名刺を専門に扱う商人に職人などとうに生まれている。
 モリスは早速明日一番の仕事に名刺職人の調査を加えた。

「助かる。まあ名刺の件はおまけだ。今はこれだ」

 立ち上がったレンブラントが指差した先にあるのはモリスが指摘した、見る人が見なくてはただの落書きでしかないナニカが書き殴られた白色のボード。
 
「申し訳ございませんが、これが何か、私には到底わかりかねます」

「順に聞けばわかるさ、お前であればな。こちらの三分の一くらいは、ポイントカードというシステムについてだ」

「……ああ、確か得意先の可視化が目的だとか」

 モリスは何とか記憶を手繰って聞き慣れない言葉についての情報を探りあてた。
 上着を脱いでベスト姿で汗ばみながらペンを持っているレンブラントとは対照的に、そこまでの熱は彼は感じていないようだった。

「そうだ。これを採用する事で商会における従業員教育はまたガラリと変わるかもしれない」

「……楽をする方向に、でしょうか。どうも、あまり良い感じばかりはしませんね」

「違う。ウチにとって誰がどの程度の得意先か、などという担当ごとに異なる曖昧な感覚を統一できる。それによって無駄なやり取りも減り、より接客や商品知識に頭の容量を使わせる事ができるという事が面白い」

「担当者がそれぞれきちんと自分の得意先を把握していればそもそも不要ではありませんか」

 そしてレンブラント商会で外商を担ったり得意先との対応を任されるレベルの従業員ならば、初歩の初歩ともいえる仕事でもある。
 つまり出来ない者などいない。
 モリスにはポイントカードについて熱く語るレンブラントの意図が今一つわからなかった。

「……担当者不在の時、得意先から誰ぞが急にやってきて商談を求めてきたとしてだ。ポイントカードをひと目見るだけでたかが受付、たかが一販売員であっても一瞬で最低限のすべき対応に辿り着ける。凄い事だと思わんか?」

「……そう仰られるとメリットが無きにしも非ず、と思えてきますな」

 ただそれがレンブラントの話術ゆえか、システムの優秀さゆえかは未だ判断のつかないところだった。
 だからモリスの返答はやや玉虫色の無難な回答に落ち着く。

「想像が難しいかもしれん。だが、メイドや執事であっても話している人物がどの程度商会にとって大切な存在かわかるというのは……面白いよ」

「だとしても、ライドウ様から確かサンプルとして見せて頂いたものは……その、子どものご褒美の様な稚拙なデザインでとても……」

 商会で使用するに足る代物ではない。
 長くレンブラント商会に仕えてきた執事はそう結論付けたのだった。

「そこが難点だった」

「?」

「確かに、ちとデザインがな。どれだけ高級に仕立てて作ってもスタンプを押して渡すとなれば中には馬鹿にされていると思う相手も出てこよう」

「間違いなく」

 自分とてそうだとモリスは思った。

「そこでこの名刺どもを眺めていたら閃いた。別にスタンプでなくても良いのだ。例えばエンブレムを一部分ずつ輝かせるだの色付けするとかな」

「……」

「やる事は変わらんのさ。一般の客にはそれこそスタンプで良かろう。冒険者などはそんな事はハナから気にしまい。得意先にはそれ用のを用意してやれば良い」

「そんなもの、でしょうか?」

 そんな簡単なものか、と言外に疑っているモリス。

「ポイントカードの大切な要素とは、先にも言った得意先の可視化にある。持ち主がウチをどれだけ使ってくれているかの証明だ。いわば冒険者のレベルやランクのようなもの。それが末端の従業員まできちんと共有できるのは大きな変化だぞ。クズノハ商会はやるようだが、うちも同時くらいには始めたいところだな」

「恐れながら旦那様、新興のクズノハ商会ならばともかくレンブラント商会がやるには少しイメージの問題が出てくるかと」

「イメージ? おいおいモリス。まだ老けるには早いぞ? 確かにレンブラント商会は大商会や貴族、王族だとて満足させる品々を並べていると自負しているがな」

「……」

「だからといってツィーゲの庶民や観光客は相手にしないなど一言も言った覚えはない。ポイントカードで親しみを得られるなら御の字だろう。儲かりもせん無駄な高級志向より誰もが喜んで金を落とす商会の方がよほど遣り甲斐もあるというものだ」

「っ」

 ぎらついた目でにやりと笑うレンブラント。
 モリスは目の前の主の姿が一瞬、何十年か前の、まだ家族を持っていない頃の若き青年の姿に重なって見えた。
 それほどの若さが彼から迸っている。
 確実に、若返っている。
 次から次へとやるべき事と進むべき道を決めていく、止まる事なきあの頃のパトリック=レンブラントに。
 
「ランクを幾つか作って……、どうせなら魔術の処理も加えてちょっとした芸術品のように仕上げても……」

「客同士を競わせる良い餌になる、ですか」

 全く、恐ろしい事を次から次へと考えつくものだと恐れ半分呆れ半分のモリス。
 ライドウは気付いているのだろうか、と彼は思う。
 何の気なく話した雑談が一人の男の中でどれほど分析され、形を変えようとしているのかを。
 明日、ユーノの恋人とここを訪れるライドウはこんな話を切り出されたらどんな反応を見せるのだろう。
 主人と自分の寝不足の原因、その結構な割合はライドウだと思うモリスだった。
 
「客同士を……? っ! ああ、そうだな。高ランクのお得意様にはそれなりの待遇やサービスを露骨に見せてやれば面白い事も起きそうじゃないか! いいぞ、モリス。調子が出てきたじゃないか!!」

「恐れ入ります」

 私の調子などたかが知れていると思いつつも、筆頭執事は主人に相槌を打つ。

「そして、目玉はこれだ」

 信用紙幣。
 そう書かれた先の謎の落書きに視線を移すモリス。
 レンブラントは返事など待たずにすらすらと解説を始める。
 この瞬間、彼は今日の睡眠を諦めた。
 仮眠で済ませるのは珍しい事ではないが、しなくても良い時にまで寝ずの夜など過ごしたくもない。
 少しばかりライドウを恨むモリスだった。
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