月が導く異世界道中

あずみ 圭

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七章 蜃気楼都市小閑編

高すぎるハードル

 なんだか、モリスさんが少しばかり疲れているような。
 レンブラント商会の代表に仕える執事ともなれば激務は確定だ。
 やはりこの好景気の中で圧倒的な舵取りを続けるここでも、上の人ってのは休みなしが普通らしい。
 上に行くほど忙しいというのは、正しい企業の姿のようで、夢のない現実のようで。
 結局僕も一線を退かない限り暇になんてならないんだろうなと悟りの境地を垣間見た。

「ようこそ、ライドウ君、そして……ミスラ君」

「おはようございます、レンブラントさん」

「おはようございます!! 本日はお招きいただきましてありがとうございます!」

 僕ら二人を名指しで呼び出したレンブラントさんがつやつやした笑顔で歓迎していくれた。
 ミスラは一応僕の教え子の一人であって生徒なんだけど、今日何故か時間があったら是非と僕まで呼ばれた理由は何か。
 申し訳ないけれどミスラに頼られても力になれないかもしれない。
 窮地には助け船の一つや二つ出してあげたいところだけどね……。
 レンブラント商会に入る前にちゃんとすまんとは謝ってあるから、後はすべてが終わった後のフォローで何とか対応しようと思う。
 そうだ、ニクヤに行こう。みたいな。

「うわ……」

 思わず呻いてしまった。
 何かレンブラントさんの傍にあるホワイトボードが凄い事になっている。
 あーこれ識のやつ。
 研究室とかで喧々諤々やってる時によく見る感じのだわー。
 おっかしいな、レンブラントさんは商人で豪商な感じで、ついでに為政者じみたとこもあるけど研究者じゃないのにな。

「せ、先生。あの全く意味がわからない数式とか図形は一体……」

「聞くな、多分これから解説してくれるだろう。あー、レンブラントさん。出来れば、今日僕らを呼び出した理由を先にお伺いしても?」

 ミスラから早くもタスケテの目が向けられるも無視。
 一体何の用事で呼び出されたのかをはっきりさせるのが先だ。
 用件次第では商会の誰かにバトンパスも考えなくちゃ。
 あの数式に付き合うとか無謀もいいとこだぞ。
 ドラマで大学の天才教授が書いてそうなふいんきが満ち溢れてる。
 僕には危険すぎる。

「当然、この件でね」

 ホワイトボードをペンでこつんと示すレンブラントさん。
 よし、帰ろう。
 ロッツガルド学園のエリートたるミスラ君が何とかしてくれるに違いない。
 多分頭は僕より良いだろ、座学の成績かなり良いみたいだし!

「なるほど、その件ですか。では商会から適任者を呼びますので私は失礼させていただこうかな」

「ちょ! 先生!?」

「ミスラは座学も優秀ですからきっと斬新で革新的な意見を出してくれるかと思います」

「俺を一人ここに残すんですか!?」

「ちゃんと商会から優秀なのを連れてくる」

「せ、せんせー……」

「ええい、義父となるかもしれない人に良いところを見せるチャンスじゃないか。気合を入れろミスラ」

「……」

 ふとレンブラントさんとモリスさんを交互に見つめ、そして首を横に振るミスラ。
 大きな体をしているくせに僕の背に隠れようとするんじゃない。

「む、無理と結論がでました。圧に身が保ちません。胃が穴だらけになります。ダメージディレイが通用しない分野しかありません」

「あのなぁ……」

「ははは、面白いじゃないか」

『っ!』

 レンブラントさんの笑いと突っ込みで僕らが動きを止める。

「ライドウ君に帰られたら困るし、ミスラ君を呼んだのも娘の事など関係ない。ただ先日の議論の中で君の意見や考え方が少しばかり今日の話題に向いていると思ったまでだ。私は要らんが、もし必要であれば酒を用意しようか?議論を交わすのに飲み食いが必要なタイプもいる、遠慮はいらんよ?」

「朝っぱらから酒はいりませんよ、ですがあまりお力になれないかもしれませんよレンブラントさん」

「わ、私もお酒は必要ありません! お腹も空いておりませんのでお気遣いは不要です!!」

 ミスラはガチガチに緊張している。
 僕にまで移りそうなほど、ダダ洩れの緊張である。
 こんなミスラは久々に見るな……。
 まあレンブラントさんはカリスマでガールフレンドの父親だ。
 年頃の男なんだから、確かにこれ以上なく緊張する状況か。
 義理の父親になるかもしれない人物に値踏みされるというのは。
 もし……僕だったら。
 巴や澪に親はいないし……長谷川や東……は付き合ってすらいないからイメージもないわな。
 現実味が無さすぎてミスラの心境が字面でしか理解できんな。
 すまん、ミスラ。

「む、そうかね。では、早速。ポイントカード……はまあ軽くで良いかな」

 ポイントカード?
 あの数式と記号のもにゃもにゃーが、え、ポイントカードですって?
 ……やばい。
 もう既についていける気がしない。

「この間見えられた時に話をした、あのお得意様向けのサービス、の事でしょうか?」

「その通りだ。流石だな、ライドウ君。モリスでさえ昨夜すぐにはわかってくれなかったが……」

 いやわかってないデスヨ。
 あ、さっきのか。
 この件、ああその件と。
 ただの相槌です!

「……」

 え、マジかよって顔して僕を見てくれるなミスラぁ。
 大丈夫だ、まったくわからない。

「ほ、本題でなければ軽くにすべきだと思います。レンブラントさんの中で既に答えが出ているのでしょうし」

「うむ、答え合わせのようなものだな。正直信用紙幣の考え方については未だ我が身は濃い霧の中、忌憚ない意見を大いに期待しているよ」

 ……。
 信用、しへい?
 あの、人の顔が印刷してある……お札の事?
 はて。
 本当に何の事を言っているのかさっぱりわからないんですが。
 大体お金について言えばこの世界はある意味現代より発達してるんじゃないかと感心してるくらいなのに。
 だってヒューマンは総じて銅貨銀貨金貨で価値観がある程度共通してて両替も楽だし。
 亜空は巴が悪ノリして江戸時代みたいに東と西で両替するんじゃーとか色々してくれたけどね。
 円ドルポンドみたいに単位が違うわ両替レートも気にしなくちゃいけないわで大変な地球よりも、純粋に使われてる金属の質と量だけで価値を共有できる方が優れてる、なんて僕は思っちゃうんですが……。
 この分だと……駄目なんだな。
 勉強は好きだ。
 ただ……ついていけるレベルであれば。
 上機嫌でポイントカードを導入する寸前である事を告げて饒舌に解説してくれるレンブラントさん。
 モリスさんは微かに苦笑している。
 そこそこ長い付き合いになったからこそわかる微妙な表情の変化だ。
 まあ、それさえも面子が緩いからふと見られる本当にわずかなものだけど。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 駄目だ、これは駄目だ。
 はいともいいえとも言えないし、相槌も迂闊にしたくない。
 唯一安心なのが僕だけじゃなくモリスさんもミスラも僕と同じ心情なのが見てわかるってとこだけだ。
 
「予想できる困難はやはり兌換紙幣から不換紙幣への変換だろう。どうやって国民に納得させるだけの発行元、つまり国家への信用或いは幻想を持たせる事が出来るのか……だな」

「せ……先生」

「通貨単位をクズノハにするのに断固反対したところで僕の容量も限界だぞ、ミスラ」

「銅貨以下の金銭価値の創出がどうとかってところで俺は無理です。意味が解りません」

「旦那様は時々議論の最中でもご自身の世界に旅立たれてしまうのが数少ない欠点なのです、お二方」

 紙幣の話なんてレンブラントさんにしたっけなあ。
 記憶にないんだけどなあ。
 僕としてはもう銅貨銀貨金貨で馴染んでるからそのままで一向に構わないのに……。
 あ、魔銀貨と黄金貨もあったか。
 仕入れとか大きな買い物でもしなきゃ一般人には縁がないプレミア通貨。
 冒険者や商人、貴族に王族になるとそこそこやりとりがある。
 嵩張らないから重宝するんだよ黄金貨。
 原材料がモリア銀と真金で、澪が時折おやつにするのが問題なくらいだ。
 そこまで美味しいか、あれ。
 澪との仲が、ええっと交わりが、いや、関係……もういいや。
 色々深くなった所為かおかげか。
 最近、僕も食の守備範囲がおかしな事になりかけてるんだよな。
 味覚が変わってるでもないし問題は特にない。

「価値の細分化かね、ミスラ君。考えてもみたまえよ、銅貨一枚以下の価値しかない物であっても価値そのものが無くなる訳ではない。丁度の貨幣が存在しないだけの事だ」

「は、はい。まあ食材とか最小単位の端切れとか、正直これだけの商会を回す御方が何故気になさるのかもよくわからないというのが正直な意見です……」

「……コトの最小単位を考えるのに商売の規模など関係あるものか。物の価値を正確に値付け出来ないのならば既に今の貨幣制度には不足があるという事じゃないかね?」

「しかし一つでは銅貨一枚にも満たない果物や野菜であっても数や重さでまとめて扱えば問題にならないのでは?」

「良いかね、例えば銅貨一枚を百で割ってみよう。この場合君が言った果物、野菜にも一つ一つに値が付く事になる。するとどうなると思う?」

「?ど、どう?それは、売り手が納得すればですが一つからでも売買できる、とか」

「その通りだ!! 数多有る利点の一つだが正解だ」

「ありがとうございます」

 うーん。
 でも一個から買えてもね。
 一人暮らしなんてここじゃ結構レアだし。
 銅貨一枚放って幾つか果物買って仲間内でばら撒くとかのが普通だ。
 一人暮らしの冒険者ってならそこそこいるけど、連中、街に滞在してる時に自炊なんてまずしない。
 そもそも、ミスラが言うように売り手もそんなやり方認めるのかな。 

「例えばライオネの実。これに今の季節で値を付けるなら店頭価格は五個で銅貨一枚といったところだ」

 ライオネ……ああ。
 丁度今ぐらいが旬の果実だ。
 リンゴ位の大きさで食感、食味は大きめのブドウ。
 生でよし焼いて良しジャムにしても良し。
 シャインマスカットとまでは言わないけど、ちょっとした高級品なのが玉に瑕かな。
 当然、旬を外れていけばいくほど特に生のは値段が上がっていく。
 ちなみに冷凍品を解凍したのもここでは生として扱われてる。
 ライオネも一年を通じて取り扱いはされてるけど、一番高い時で二個で銅貨一枚くらい。

「はい」

「つまり銅貨一枚を百クズノハとするなら一つ二十クズノハという――」

「ストップ。済みませんがそこは仮であってもレンブラントとかリサとかモリスという単位でやって頂けると」

 聞き捨てならない単位が聞こえたのでその場できっちり修正依頼を入れる。
 なし崩しはさせません。
 ええ、絶対に。

「恥ずかしいじゃないか」

「断固、固辞致します」

 即答。
 ……じゃあ、うちの名前も使わないでホントに。

「なら単位の仮称はミスラで行きますか」

「嫌です!!」

「むう。折角面白くなってきているのに少々興が削がれてしまったな。仕方ない。通貨単位については……そうだなシェルとでも付けておこう」

「大昔には貝殻が貨幣として使われたりもしたとか。なるほど、人名よりよっぽど良い感じの、あるじゃないですか!」

「面倒な客を相手にした時に嫌々読んだ本の知識に過ぎんよ。即答でこう返ってくるから君と話すのはやめられんのだがね」

「……だそうだぞミスラ。お義父さんと上手に付き合う方法が一つ分かって良かったじゃないか」

 ええい、こういうのは流すに限る!
 ついでに話自体終わってくれい!

「まだそうなると決まってもいないからねライドウ君!?」

「俺……在学中に図書館の本読みつくすつもりで知識をかき集めます。やってやれない事なんて、そうそうないんですから」

 うん。
 本を読むのが無駄になる事はない。
 いつか役に立つ事はあってもね。
 世界有数の蔵書量を誇るロッツガルド学園の図書館を自由に使える意味とありがたみを少しでも理解できたなら有意義な時間になったんじゃなかろうか。
 僕にとっては無数の疑問符が浮かぶだけで緊張感マックスの恐怖タイムだったけどね!

「ま……君は座学も得意なようだ。今やれる最高を目指すのは恵まれた環境を与えられた幸運に対しての義務だな。怠れば相応の報いというのはいずれ降りかかるものだ、そのやる気を絶やすなよ」

「は、はい!」

「もっとも」

「?」

「共同幻想を用いての疑似無限経済発展などという怪物の発想は、書物からでは絶対に出てはこない。ライドウ君と識殿に師事する幸運も、無駄にせんことだ」

「……はい」

 きょ、げ、経済?
 まだ深奥が残されていたっていうのか。
 レンブラントさん、恐るべし。
 いや、わかってたけど恐るべし。

「うむ。で二十シェルという価値が確立する事でだ」

「まだ続けるんですか!?」

 しまった。つい大声で突っ込んでしまった。

「うん?まだと言われても、冒険者ギルドと現存の銀行との連携、まず交換紙幣を用いてのツィーゲ内における紙幣制度の試験、更に国民全員を冒険者ギルドに加入させる事で可能になる現金不携帯の決済方法の実現性についても意見を聞きたい。革命的思考を有するライドウ君と柔軟で年の割に物を知っている若者の考えは良い刺激になってくれているからな」

 だがレンブラントさんは気にしない。
 退路は、絶たれたか。
 ……おおう。
 きょ、今日中にはおうちに帰りたい……な。
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