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終章 月と亜空落着編
契約と代償
真、サリ、ロナの話は寄り道も混ざりながら魔族の現状と戦況を明らかにしていっている。
順調と言えるだろう。
「さて、私は一度お社に戻らせて頂きますね。あの魔将から抜いた魅了の無力化も早めにしておきたいですから」
別室で三人の動向を観察していた真の従者四人の内の一人、環が立ち上がった。
「む、最後まで見ていかんのか?」
巴が怪訝な顔を環に向ける。
「ええ。巴さんに識さんがいますから十分でしょう」
ちらっと澪を見た環だが、敢えて彼女には触れないようだ。
真に見惚れているのか、会話から熱心に情報収集をしているのか。
澪については今更問うまでもあるまい、と思ったのかもしれない。
「まあ、そうか。確か神器だかご神体だかの成長も良きところまで来ておるんじゃったな。お前の本分じゃ、構わんじゃろ」
「そうですね。ただ」
「はい、識さん。一旦用事を済ませて、またすぐ戻ります。ご神体の方は近々変化の兆しありというだけですから、そこまで付きっ切りというものではありません。この分だとあの魔族の女性はしばらくここに留め置くのでしょうし、薬や魔道具も今の状態では心もとないでしょう。そちらも見繕って参ります」
一礼して退室する環。
「……妥当じゃの。若がロナをすぐに放り出すとは思えん。しばらくは養生させると見て良かろう」
「はい。環なら任せても必要な物を持ってくるでしょうから我々はこの機にあの女狐の裏まで根こそぎ洗い出すとしましょう」
「……女狐か」
「まさか黒雷などという切り札を伏せているとは思いませんでした。場合によっては亜空でも死者が出ていたでしょう」
識はまごう事無き亜空の脅威を何とか間に合うタイミングで把握できた事に安堵する。
真が被弾したのは考え得る最悪であると同時に、無事だったという結果を見て考えれば真だったからこそ無事に受け止められたとも言える。
「さて、女狐は果たして一匹かどうか……」
「巴殿?」
「ああ、気にせんでいい。ちょっとした、うむ……女の勘じゃよ」
「珍しいですね、巴殿が勘とは。澪殿の専売特許かと思ってました」
女の、という部分には触れずに識が巴に相槌を打つ。
リスイという魔族の過去、そしてサリの今と、ロナの失態。
魔術で垣間見る別室の状況で、主が密かに話題についていくのに必死になっているのを悟る識。
だがサリとロナを二人にする事なく辛抱強くその場に留まり内容を噛み砕いて時に質問を差し込みながら、きちんと三人の会話として成立させている。
ロッツガルドで初めてロナと対面した時よりも随分と頼もしい姿だ。
巴も注意深く、警戒を怠らず、しかし口元は若干に焼けた様子で真の姿を見守っている。
真の最終的な診断結果と、ロナの今後の治療の仕上げ。
自分がすべき事柄を頭の片隅で整理し、別室の会話の内容を分析していく従者たちだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「さて」
環は海底の収容所から神社へと戻った。
真と縁が出来た三柱の神の神殿が集まったこここそが環の管轄地であり、住まいでもある。
もちろん屋敷にも海にも海底都市にも環に割り振られた個室は存在する。
しかし、神社には真が寝泊まりする場所はあれど、後は環の住まいとする部屋があるだけで巴や澪、識の部屋というものは存在しない。
環は主にここで寝泊まりする為、亜空では神社は環の家としても認識されていた。
「収容所といっても、あれじゃちょっとした別荘みたいな代物よね」
初めて行った亜空で一番水深が深い建築物の感想を漏らしながら巫女衣装の懐に右手を突っ込む環。
右手には小瓶の感触が伝わる。
環は三つある神殿の内、自室がある神社に入り、しかし部屋には戻らず地下に足を運ぶ。
本殿に安置してある信仰の貯まる球体を確認するよりも、彼女には優先すべき目的があったのだ。
環の足が止まる。
彼女の眼前には麻縄と何枚もの札で封印を施した扉。
構わず引きちぎって環は中に入る。
自室と同じかそれ以上に長く過ごしているここは環の研究室だ。
中には誰もいない。
環は真の従者である。
だからここで真に隠れて何か良からぬ事をしているなどという事はない。
研究を手伝いにアルケーのミナトやハイランドオークのエマを始め様々な者が出入りしているし、同じ従者である識もこの場所を知っている。
単に、危険物も扱うから厳重に管理している研究室というだけだ。
建前上は。
「智樹の魅了は……っと」
環は以前森鬼のシイから抽出した魅了を一部保存していた。
既に活性を失っているが標本としては十分である。
右手の小瓶と棚から持ってきた小瓶の内容を比較していく環。
環の目の前、中空に出現した幾つかの波長がぴったりと重なり、一部が大きく外れた線形を描く。
「っ、信じられない。ここまで肥大するものなの?」
そして更に幾つもの瓶を取り出しては、彼女はその波長を重ねていく。
似たような線形が重なっては消え、環は嘆息する。
ロナから抽出した小瓶にラベルを貼り、棚にしまう。
「魅了は王権の発現の一片だと聞いたけれど……だとすれば智樹は王としての存在感をも強めているというのかしら? あの帝国で? 魔族に対するスタンドプレーを繰り返していた、アレが?」
ちゃんちゃらおかしい。
言葉にせずとも環の態度がそれを内包していた。
今の彼女が見せる表情は真や従者、亜空の誰にも見せた事のない孤独な目をしている。
沈黙の中、環の服がふわりと浮き上がったその時。
「っ!!」
環の足が裂けた。
環以外誰もいないこの部屋で、唐突に。
しかし彼女に驚いた様子はなかった。
「契約、ね。律義なものだわ、この程度でも叛意を抱けば容赦ないのね。もう、慣れたけど」
手をかざし足の負傷を即座に治す環。
言葉から察するなら、主である真に対して何かしら良くない事を考えた、のだろう。
「ただ、魅了が王権の発露の一つというのは助かるわ。これなら呪いという認識じゃなく強化付与という認識をもってこれを外に持ち出せる事になる」
環は笑う。
彼女の目的に向けて。
太古の契約の抜け道を模索して。
真が危惧し、期待したその通りの役割を彼女は全力で全うしていた。
主人の為でなく己が目的の為にだ。
身近にあって読めぬモノ。
思わぬ動きで暗躍し、時に滅びをも齎すモノ。
真はただ悪意を抱くその姿を自身の力に変えようとしただけで、そこまで考え理解して環を従者に迎えた訳では無いが、第三者から見れば環という従者はトリックスターとも呼ばれる立ち位置にある。
「大黒天様、スサノオ様、アテナ様。感謝はしております。ええ、どういう形、立場であれ私に女神と相対する機会を与えて下さった事には。貴方方にも宣言した通り私は全てを賭けて挑みましょう」
研究室からいくつもの強力な呪具を持ち出す環。
どれも強力ではあるが、真や神を向こうに回しては頼りない品々だ。
礼儀や作法など全く考慮しない急ぎ足で環は本殿に急ぐ。
そこには安置された球体が一つ。
中では彩り鮮やかな光が力強く泳いでいる。
そして、脈打っていた。
巴が言っていた通り、ようやくご神体が一つ、込められた想いに沿って形を変える時が来ていたのだ。
「これが私の推定した通りの物なら、介入で十分なモノが仕上がる筈」
環が持ち出した私物の呪具を片っ端から球体に取り込ませていく。
ずぶりずぶりと、脈打つ球体は全てを吸収し、怪しく輝きだした。
環の右腕がねじ切れる。
この行為は真にとって必ずしも良いものではない、そういう事だ。
もしも決定的な裏切りであれば環は契約により一撃で消滅する。
他の三人が一度として経験した事のない痛みでも、環が躊躇する事はない。
承知の上、覚悟の上での行動だった。
治す。
足が裂ける。
治す。
背が、治す。
左腕が、治す。
治す。
治す。
治す。
球体が、一際強く輝きいよいよ姿を変えた。
柱状で美しい無数の突起。
水晶のクラスターを思わせる、成人の男オークがうずくまった位の大きさの鉱石がそこにあった。
「? 少し、思っていたのと違うわね。神眼鑑定」
わずかな不安を押し隠した環がスキルを発動させ、その瞳を黄金に染める。
通常の冒険者が習得する鑑定スキルとは異なり、ブレも個人差もなく全ての性能を開陳させる希少スキルだった。
そして示される鉱石の正体。
環の口元が大きく笑みに歪む。
「神殺しに届き得る。これなら調整は出来る。念の為、鑑定対策も」
額が割れるも彼女は全く気にした様子がない。
何らかの処置を済ますとすぐに鉱石に手をかざし転移させる。
顔を伝う血はもう、綺麗に消えていた。
「さあ、魔将の治療に必要な薬を見繕わないと。ふふふ、忙しくなるわ」
環の黄金の目が移した鉱石。
呪鉱殺生石。
魔族と帝国の動きに合わせて、亜空にもまた一人大きく動き出した。
順調と言えるだろう。
「さて、私は一度お社に戻らせて頂きますね。あの魔将から抜いた魅了の無力化も早めにしておきたいですから」
別室で三人の動向を観察していた真の従者四人の内の一人、環が立ち上がった。
「む、最後まで見ていかんのか?」
巴が怪訝な顔を環に向ける。
「ええ。巴さんに識さんがいますから十分でしょう」
ちらっと澪を見た環だが、敢えて彼女には触れないようだ。
真に見惚れているのか、会話から熱心に情報収集をしているのか。
澪については今更問うまでもあるまい、と思ったのかもしれない。
「まあ、そうか。確か神器だかご神体だかの成長も良きところまで来ておるんじゃったな。お前の本分じゃ、構わんじゃろ」
「そうですね。ただ」
「はい、識さん。一旦用事を済ませて、またすぐ戻ります。ご神体の方は近々変化の兆しありというだけですから、そこまで付きっ切りというものではありません。この分だとあの魔族の女性はしばらくここに留め置くのでしょうし、薬や魔道具も今の状態では心もとないでしょう。そちらも見繕って参ります」
一礼して退室する環。
「……妥当じゃの。若がロナをすぐに放り出すとは思えん。しばらくは養生させると見て良かろう」
「はい。環なら任せても必要な物を持ってくるでしょうから我々はこの機にあの女狐の裏まで根こそぎ洗い出すとしましょう」
「……女狐か」
「まさか黒雷などという切り札を伏せているとは思いませんでした。場合によっては亜空でも死者が出ていたでしょう」
識はまごう事無き亜空の脅威を何とか間に合うタイミングで把握できた事に安堵する。
真が被弾したのは考え得る最悪であると同時に、無事だったという結果を見て考えれば真だったからこそ無事に受け止められたとも言える。
「さて、女狐は果たして一匹かどうか……」
「巴殿?」
「ああ、気にせんでいい。ちょっとした、うむ……女の勘じゃよ」
「珍しいですね、巴殿が勘とは。澪殿の専売特許かと思ってました」
女の、という部分には触れずに識が巴に相槌を打つ。
リスイという魔族の過去、そしてサリの今と、ロナの失態。
魔術で垣間見る別室の状況で、主が密かに話題についていくのに必死になっているのを悟る識。
だがサリとロナを二人にする事なく辛抱強くその場に留まり内容を噛み砕いて時に質問を差し込みながら、きちんと三人の会話として成立させている。
ロッツガルドで初めてロナと対面した時よりも随分と頼もしい姿だ。
巴も注意深く、警戒を怠らず、しかし口元は若干に焼けた様子で真の姿を見守っている。
真の最終的な診断結果と、ロナの今後の治療の仕上げ。
自分がすべき事柄を頭の片隅で整理し、別室の会話の内容を分析していく従者たちだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「さて」
環は海底の収容所から神社へと戻った。
真と縁が出来た三柱の神の神殿が集まったこここそが環の管轄地であり、住まいでもある。
もちろん屋敷にも海にも海底都市にも環に割り振られた個室は存在する。
しかし、神社には真が寝泊まりする場所はあれど、後は環の住まいとする部屋があるだけで巴や澪、識の部屋というものは存在しない。
環は主にここで寝泊まりする為、亜空では神社は環の家としても認識されていた。
「収容所といっても、あれじゃちょっとした別荘みたいな代物よね」
初めて行った亜空で一番水深が深い建築物の感想を漏らしながら巫女衣装の懐に右手を突っ込む環。
右手には小瓶の感触が伝わる。
環は三つある神殿の内、自室がある神社に入り、しかし部屋には戻らず地下に足を運ぶ。
本殿に安置してある信仰の貯まる球体を確認するよりも、彼女には優先すべき目的があったのだ。
環の足が止まる。
彼女の眼前には麻縄と何枚もの札で封印を施した扉。
構わず引きちぎって環は中に入る。
自室と同じかそれ以上に長く過ごしているここは環の研究室だ。
中には誰もいない。
環は真の従者である。
だからここで真に隠れて何か良からぬ事をしているなどという事はない。
研究を手伝いにアルケーのミナトやハイランドオークのエマを始め様々な者が出入りしているし、同じ従者である識もこの場所を知っている。
単に、危険物も扱うから厳重に管理している研究室というだけだ。
建前上は。
「智樹の魅了は……っと」
環は以前森鬼のシイから抽出した魅了を一部保存していた。
既に活性を失っているが標本としては十分である。
右手の小瓶と棚から持ってきた小瓶の内容を比較していく環。
環の目の前、中空に出現した幾つかの波長がぴったりと重なり、一部が大きく外れた線形を描く。
「っ、信じられない。ここまで肥大するものなの?」
そして更に幾つもの瓶を取り出しては、彼女はその波長を重ねていく。
似たような線形が重なっては消え、環は嘆息する。
ロナから抽出した小瓶にラベルを貼り、棚にしまう。
「魅了は王権の発現の一片だと聞いたけれど……だとすれば智樹は王としての存在感をも強めているというのかしら? あの帝国で? 魔族に対するスタンドプレーを繰り返していた、アレが?」
ちゃんちゃらおかしい。
言葉にせずとも環の態度がそれを内包していた。
今の彼女が見せる表情は真や従者、亜空の誰にも見せた事のない孤独な目をしている。
沈黙の中、環の服がふわりと浮き上がったその時。
「っ!!」
環の足が裂けた。
環以外誰もいないこの部屋で、唐突に。
しかし彼女に驚いた様子はなかった。
「契約、ね。律義なものだわ、この程度でも叛意を抱けば容赦ないのね。もう、慣れたけど」
手をかざし足の負傷を即座に治す環。
言葉から察するなら、主である真に対して何かしら良くない事を考えた、のだろう。
「ただ、魅了が王権の発露の一つというのは助かるわ。これなら呪いという認識じゃなく強化付与という認識をもってこれを外に持ち出せる事になる」
環は笑う。
彼女の目的に向けて。
太古の契約の抜け道を模索して。
真が危惧し、期待したその通りの役割を彼女は全力で全うしていた。
主人の為でなく己が目的の為にだ。
身近にあって読めぬモノ。
思わぬ動きで暗躍し、時に滅びをも齎すモノ。
真はただ悪意を抱くその姿を自身の力に変えようとしただけで、そこまで考え理解して環を従者に迎えた訳では無いが、第三者から見れば環という従者はトリックスターとも呼ばれる立ち位置にある。
「大黒天様、スサノオ様、アテナ様。感謝はしております。ええ、どういう形、立場であれ私に女神と相対する機会を与えて下さった事には。貴方方にも宣言した通り私は全てを賭けて挑みましょう」
研究室からいくつもの強力な呪具を持ち出す環。
どれも強力ではあるが、真や神を向こうに回しては頼りない品々だ。
礼儀や作法など全く考慮しない急ぎ足で環は本殿に急ぐ。
そこには安置された球体が一つ。
中では彩り鮮やかな光が力強く泳いでいる。
そして、脈打っていた。
巴が言っていた通り、ようやくご神体が一つ、込められた想いに沿って形を変える時が来ていたのだ。
「これが私の推定した通りの物なら、介入で十分なモノが仕上がる筈」
環が持ち出した私物の呪具を片っ端から球体に取り込ませていく。
ずぶりずぶりと、脈打つ球体は全てを吸収し、怪しく輝きだした。
環の右腕がねじ切れる。
この行為は真にとって必ずしも良いものではない、そういう事だ。
もしも決定的な裏切りであれば環は契約により一撃で消滅する。
他の三人が一度として経験した事のない痛みでも、環が躊躇する事はない。
承知の上、覚悟の上での行動だった。
治す。
足が裂ける。
治す。
背が、治す。
左腕が、治す。
治す。
治す。
治す。
球体が、一際強く輝きいよいよ姿を変えた。
柱状で美しい無数の突起。
水晶のクラスターを思わせる、成人の男オークがうずくまった位の大きさの鉱石がそこにあった。
「? 少し、思っていたのと違うわね。神眼鑑定」
わずかな不安を押し隠した環がスキルを発動させ、その瞳を黄金に染める。
通常の冒険者が習得する鑑定スキルとは異なり、ブレも個人差もなく全ての性能を開陳させる希少スキルだった。
そして示される鉱石の正体。
環の口元が大きく笑みに歪む。
「神殺しに届き得る。これなら調整は出来る。念の為、鑑定対策も」
額が割れるも彼女は全く気にした様子がない。
何らかの処置を済ますとすぐに鉱石に手をかざし転移させる。
顔を伝う血はもう、綺麗に消えていた。
「さあ、魔将の治療に必要な薬を見繕わないと。ふふふ、忙しくなるわ」
環の黄金の目が移した鉱石。
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魔族と帝国の動きに合わせて、亜空にもまた一人大きく動き出した。
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イラスト: 市丸きすけ 先生
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