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extra5 その頃現代③
外に出れば皮膚荒れ。夏、帽子無しで出歩こうものなら数分で熱中症。
歩けば筋肉痛。足腰が痙攣し、毎日生まれたての牛や鹿みたい。何度車椅子を使えば良いと思ったか。
ご飯を食べ終わる頃には大量の発汗。さらにしばらくは腕がまともに上がらない。
お笑い番組なんて見たら腹筋が大変なことになる。泣くほど面白いのか痛くて泣いているのかわからない。
これが私の弟である真の幼い頃だ。
私は深澄雪子。八月十日生まれの雪子だ。両親のセンスを問いたい。四月一日生まれの真よりマシだと思うけど。
今は大学で医学を学んでる。卒業後はまず外国で技術を磨きたいのだけど父の必死の反対に辟易している二十歳だ。
最終的には日本で小児科でやっていきたいと思ってる、そう伝えても父は聞く耳を持たない。
母も妹は賛成してくれているし、弟も一応賛成してくれていた。
その真が唐突に家を出て、もうどのくらいになるだろう。
父は絶好調で男の家族とはこういうもの理論で私の将来の邪魔をしてくる。真め、何故こうなることを予想しないの。
何処に行ったのかも今一わからないし。父母は訳知り顔で大丈夫だ、とか言いながら時々泣くし。意味がわからない。
一つ確実に言えることは、私が医師になる前にあの子が帰ってくることはないだろうなってこと。
あの日、真が私と妹の真理に宛てた手紙の内容はこうだった。……真理はいいな、普通の名前で。誕生日が一月一日なんだから晦日ちゃんとかになればよかったのに、と密かに思ったこともある。
”ちょっと南の大岡様をお手伝いしてきます。大丈夫だと思いますが絶対にパソコンはつけないで下さい。処分するときは念の為よく水につけた後で玄能など鈍器で破壊してから。僕の部屋の他の物は適当にしてくれたら良いです。後、姉さんはきっと小児科の医者になれると思います。頑張ってください。お義兄さん、じゃなかった彼氏さんを大事にしてあげてください。真理は中高に入学して困ったことがあれば東という先輩を頼ると良いよ。でも息吹という先輩には近づくな。それと人の部屋に入る時のノックを覚えてください。じゃあ行ってきます”
これで本当に真はいなくなった。いやなっていた。
その朝から、この冗談みたいな手紙を一つだけ残してあの子は消えたのだ。一度も帰ってきてないし連絡も無い。
だけど留学したことになってたり、両親からいくつか言い含められたことを考えると、親は何かもっと知っている気がする。いつもは甘えればころっと財布の紐が緩くなる父でさえ貝の様に口を閉ざす話題なので、ひょっとしたら二人の過去に関係しているのかも。
出会いとか馴れ初めとか、ウチの親はどうにも謎が多い。惚気るくせにどこでデートした、とかどんな風に出会ったかとか毎回場所が変わるのだ。別に娘が親の恋愛を知っていても問題ないと思うんだけどね。謎だ。
大体、二人揃って写真が嫌いで昔の写真は保管してないなんて言ってる癖に、私と真と真理でアルバムがそれぞれ何冊もあるのは何でよ? ”我が家”とかいうアルバムが季節ごとに一冊増えてるのはどうしてよ? むしろ好き過ぎでしょうが!
親戚付き合いが無いのは、まあ面倒が無くて良いけどね。代わりに両親の友人は何人も家を訪ねてきてくれて、私達姉弟は家族以外の親戚繋がりが無くて寂しいなんて思いはしたことが無い。
時々明らかに国外からのお客様も見えて緊張していたのも、今では楽しみの一つになった。
ああ、話がずれた。
真の手紙のことだった。
行き先と目的は言うまでもない。それは過去だ。パソコンは決して家族に触らせない子で処分なんてさせるわけが無い。あの子は私にいつもスポーツドクターを勧めていた。真理にノックを覚えさせるのは無理だと、とうの昔に結論を出していた。
全部おかしかった。
あの子が私の小児科という道を認めてくれたのは嬉しい。面と向かってではなく、居なくなる前の手紙でってのは少し惜しいけれど。
家族や親しい友人には話しているけど、私が医学の道を志したのは、単に真が切っ掛けだった。
どこまでも虚弱で、何やっても熱出して倒れる。そんな真を煩わしく思うことも多かったけど。小さい頃の私はあの子のお世話に追われることも多かったし。
その弱さは、人よりも少し体の弱かった私のコンプレックスを見事に消し飛ばしてくれた。私なんて弟に比べれば全然普通なんだってね。
ほぼ強制で続けさせられている柔道にしても家事にしても、私より弱いあの子を守ろうとする気持ちと、私よりも弱いあの子が頑張っているという気持ちで続けられたと思う。
結局柔道は習慣になってしまった。家事は大学生になってからも自宅から通っているので当番制。ほら、大学生ってお付き合いも多いから(真に)代わってもらうことも(多々)あるけど。
今の私は家事は一通りこなせて、教授や先輩後輩同級生から声がかかる程度に見栄えもして、それでいて軽量の競技選手で上位に入るくらいには柔道も身についた。
選手として生きていく気は無かったから大学に入ってから公式な試合とかには出てないし部にも所属してないけど、高校時代はインタビューとか受けたこともある。
体こそ、やっぱり普通の人より少し弱いのだけど十分健康だ。多少疲れやすいくらいだろうか。
医学部に入るという話が何処からかマスコミの人に知られた時、体の故障を疑われたりもしたがそんなことはない。
実際、真の怪我やら病気やらを私が治してやりたいという想いからの志望で体に故障は抱えてない。
もっとも、あの子はもう私なんかよりも体力もあるし普通に走り回れる。幼い頃の想いはただの切っ掛けで済んだ。少し寂しいけど、素直に嬉しい。
そういえば、真はご飯を作るのにコンロの火の前に立つのも外に出て色んな格闘技に触れるのも初めはひどく嫌がっていた。
……火傷するし打撲骨折で痛い思いをするんだ。今思えば弱虫とか、ひどいこと言ったな私。
いつ頃からだったろうか。
目の色が変わったのは。
そうだ、あれは。
弓道に出会った時か。いや、真理が話せるようになった頃だったかな。
その頃からあの子はひたすらに懸命に一歩でも進もうと全力を尽くすようになった。
最初の頃は、傍目には弓を持とうとしてるのか弓を立てかける道具扱いされているのか区別がつかない格好だった。
冗談ではなく、正座に耐え切れず足を崩そうとして転び腕を骨折したこともある真だ。両親が何故あそこまで格闘技を習い事にすることに拘ったのか。理由がさっぱりわからない。
格闘技全般という括りからすると、まあ弓道は大人しいほうだとは思うけど……。それでも私は真が続けるのは不可能だと思っていた。
座って立って、走りこんで、ゴム弓を持って、型を学んで。
よくもまあ続いたものだ。本当に結果論だと思うけど真が健康体になったんだから、良い事だった、んだろうか?
医学を学んでいる身としては今でも絶対に良くないと断言できるけど……結果がねえ……。
意外と中身はグレイとかに変わってたりして。
まあ、これは真が帰ってきてから時間をかけてゆっくりと取り組めばいっか。
あの子とは、これで今生の別れです、なんて感じがしない。
ふざけた手紙のこともあるが、ここは真の家で私達が真の家族だ。だからこの街に、この家に真が戻らないわけが無いと私は確信している。
既に一度自分の体に奇跡を起こした子だ。便りが無いのは良い便り、うん、そうだ。
大体、彼女だってまだ紹介してもらったことが無い。私だけ自分の彼を紹介したなんて不公平だ。
部活や行事の写真を何枚か見せてもらったがまるで女っ気が無いわけでもない。あの子はじっくり時間をかけて付き合えば多分、良さをわかってもらえる。そういう娘もどこかにきっと存在しているんじゃないかと思うんだけど。
問題はむしろ真の方なのかもしれない。
あの子はまだ若いというのに随分と年不相応な趣味とセンスがある。
普通十代で朝10時からの時代劇を録画するだろうか。アイドルグループの名前は知らないのに往年の名バイプレイヤーについて熱く語るだろうか。
部屋の一角に時代劇のDVDがシリーズで並ぶだろうか。携帯音楽プレイヤーの中身はエンドレスでジプシーキン○スとビリーバン○ンなんてことがあるだろうか?いやない。ないはず。
弟の会話にHなゲームの話題が混ざって、あれはそういうゲームじゃないよ感動大作なんだ、と言い訳していた時、私は何故か安心したくらいだ。
男女の付き合いに昭和か、それ以上前の観念を持っている節もある。
あの分じゃ、女の子から告白されても素直に頷けないんじゃないかな。
それ以前に好意を寄せられている段階で勘違いして私達と同じように家族みたいに、もしくは息吹君達みたいに親友なんてカテゴリーにいれちゃうのも有り得る。
……親友とか仲間っていうのも素敵だとは思うけど、それは恋愛とは違うものなのよね。多分、わかってないような……。
私の考え過ぎなら、むしろそうであって欲しいくらいだ。
「……なあ雪子、目が明らかに集中してないんだけど」
あの子、人を好きになった事あるのかしら。
「……もしもし、手だけ動いてると俺、すごく怖いんですけど?」
誰か力尽くでも教えてくれるような女性がいれば違ってくる?
「駄目!雪子それ駄目!絶対!」
うるさいなあ。人が考え事してるの……に?
「ストップ!本当ストップ!力敵わないから!?止めてーーー!」
おお。私は今何をしているのだったか忘れてました。
見れば私を押し退けようと目の前の男性が必死に力を込めて涙目で訴えていた。
「ご、ごめーーーん!」
私の持つ”注射器の針先”が彼の突き出された左手の薬指、その爪と指の間に刺さろうとしていた所だった。
いけないいけない。
今日は彼に注射の練習をお願いしていたんだった。少しでも痛くないように、それと確実に血管を刺せるようにしたかったから。
私の彼は幸運にも(?)人一倍血管が浮きにくく見つけ難いタイプの人だったので良く練習させてもらっていた。そして今もその最中。
なのに考え事をしてしまうなんて。両腕を孔だらけにしながら日々協力してくれている彼にも申し訳が無い。
「ご、拷問に変わるのかと思ったよ」
特に運動の経験も無い彼が私の拘束を解けるはずもなかった。うん、確かにこれは怖かったろう。
「ごめんね?今日はもう終りにするから」
うん、それにもう出ないとデートの時間も無くなる。同じ大学とはいえ、二人の時間はまた別物だもの。
「考え事、かい?」
「ええ少しね」
「……中津原高校のこと?」
「……っ!?ううん、違う。もうじき12月でしょ?イベント続きで楽しくなるといいな~って」
少し曖昧に笑って彼の気遣いに応える。私の母校での事件は、弟は関係無いって聞いているし。いきなり中高の事を言われてびっくりした。
「とはいっても俺ら暇無しってオチだと思うよ?出来るだけの事はしたいし、するけどさ」
「期待してます」
「あー、また真君にも会いたいな。あの子、何かと俺に優しいし弟ができたみたいで嬉しいし。年始のご挨拶の時にでも会えるといいな」
「そうだね~。でもあの子も高校二年生だもん、色々付き合いがあってわからないわよ。後お正月の元旦は駄目よ?」
「え、元旦にご挨拶に行って初詣一緒にいこうよ。用事あるんだっけ?」
「用事は無いけど…」
元旦はまずいのだ。彼の財布を守ってあげなければお正月のデートが……。
「何がまずいわけ?」
「元旦は真理の誕生日なのよ。あの子容赦無いからお年玉と誕生日プレゼントを同時に要求してくるわよ?お義兄ちゃん、って迫ってくるわよ?」
「う……」
「一人っ子で、真にさえデレちゃうのに真理に勝てるの?」
そう。私の彼は一人っ子だ。兄弟姉妹というのに強い憧れを持っているようなんだ。
だから私の弟にも色々世話を焼きたがるし会いたがる。妹に街で偶然に会ったときなど、一緒だった真理の友達全員(七~八人はいたとか)とファミレスに入ってご馳走したらしい。弱い、弱すぎるわ!
真が彼に優しいのは多分。彼が出来てから自分の腕に孔が開かなくなったからだろう。あの子もまた血管探すのが中々難しい逸材なんだ。
真理は、完全にカモネギとしか見てない気がする。それでもデレちゃう彼も問題なんだけど、彼は真と一緒で犬より猫派だもん。矯正できなそうなのよね。真理に加減してもらう他に手はなさそうだ。
こうして弟を好いてくれるのは嬉しいけど、多分お正月に会わせることは出来ないんだろうな。嘘をつくのは心苦しいけど、彼にも留学って伝えないといけないかも。
私は腕を組んで彼の体温を感じ、真実を伝えられないもどかしさも覚えながら西日射す堤防道路を歩いた。
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