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第一章
奇妙な殺人事件③
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自宅のアパートがある武蔵境駅で降り、冷蔵庫の食材が少なくなっていたことを思い出して、アパートから近いスーパーに足を向けた。
黒須がこの辺りに越してきたのはつい一週間ほど前。前のアパートが取り壊しとなり、安い家賃の部屋を探してここに辿り着いた。武蔵境は駅近くに商店街やスーパーが揃っているし、街路樹や公園が沢山あって緑も美しい。住宅街は外灯が少なくて寂しげだけどその静けさも悪くない。
田舎っぽさもあり都会の便利さもあるバランスがいい街だ。
スーパーの入り口付近で、一人の少年が複数の男達に囲まれていた。不穏な空気だ。
一人の少年は那白と同じ高校の制服に身を包んでいる。すらりと背が高く、地毛っぽい金の髪は柔らかそうで、清潔感のあるショートヘアだ。
一方、相手の男達は学ラン姿でドレッドヘアや派手な色の髪をしている。見たまんま不良グループといった風情だ。
喧嘩だろうか、店先で迷惑な奴らだ。黒須は遠巻きに状況を見ていた。
「テメーいい加減にしろよ、しつけーんだよ」
不良グループで一際体格がいいソフトモヒカンの男が金髪の少年ににじりよった。少年がじろりとモヒカン男を睨む。
「しつこいのはお前らだろう。これで三度目だ、懲りない連中め」
「なんでイチイチそうつっかかってくるんだよ、クソ野郎」
「お前らが万引きなんかするからだ。鞄に入れた商品を今すぐ返せ」
「万引きなんてけっこう誰でもやってんだ。バレなきゃいいだろ。クソめ、テメーがいなけりゃバレずに済んだのによぉ。テメーのツラは見飽きた、いっぺん死ねよ」
物騒な台詞を吐くなり、ソフトモヒカン男が金髪の少年に殴りかかる。金髪の少年は手に持っていたエコバックと鞄を地面に降ろすと、拳を受け止めて相手に蹴りを見舞った。
足が頭よりも高く上がった惚れ惚れする美しい蹴りだ。
ソフトモヒカン男が倒れると、残りの四人が一斉に金髪の少年に飛びかかる。
金髪の少年は強く、四人相手に善戦していたが、不良の一人にスタンガンをくらって膝を着いた。
スタンガン常備とは最近の子供は物騒だ。不良達を追いかけてきたらしい店員も、周囲にいた通行人や買い物客も、不良達に怯えて見ているだけだ。
「よっしゃ、やってやったぜ。テメーがしょっちゅうここに買い物に来るのは知ってたんだよ。本当は仕返ししてやろうと思って、待ち伏せてたんだ。バカめ」
ドレッドヘアが腹を押えて蹲る金髪の少年を見下ろす。
「可愛がってやるよ、クソ野郎」
「ああ、集団リンチ刑に処す」
獰猛な目で迫る不良達に、少年は苦痛に顔を歪めつつ、果敢にも構える。でも明らかに劣勢だ。経験があるからわかる。スタンガンはかなり痛い。
失神したりはしないけど、くらうと酷い痛みで暫くまともに動けない。
このままではやばそうだ。黒須は溜息を吐くと、金髪の少年の前に立った。
「お前らやめろ、万引きは犯罪だぞ。ついでに、護身用のスタンガンで故意に攻撃するのも、集団リンチも犯罪だ」
「あ?誰だよオッサン。そいつの知り合い?」
「誰がオッサンだ、お兄さんだろうが。ったく、腹立つ連中だな」
「誰だか知らねぇけどな、オレらの邪魔するんだったらテメーから先にやるぜ」
「数の力に頼るようなガキに負けるかよ、かかってきな」
血の気が多いのは昔からだ。こういう最低な連中を見ていると頭がカッとなり、つい喧嘩をしてしまう。
いけない性分だと思いながらも、万引き常習犯の犯罪者なら殴られても文句は言えまいと、黒須は拳を構えた。
そこからはあっという間だった。飛びかかってきた不良の拳や蹴りを躱し、時には受け止めてこちらも拳と蹴りを放つ。無駄の多い動きだったが、圧巻の力とタフさで四人の不良を倒した。
周囲から拍手が沸き起こる。その音がどこか遠くで聞こえた。
黒須は三白眼で地面に転がる彼らを見下ろす。精神の昂ぶりを感じる、押えなくては。
金髪の少年のエコバックから転がりでた林檎が足元に落ちている。申し訳ないけど林檎を拝借した。
感情のままに林檎を拾った拳に力を込めると、掌の中で林檎は豆腐のように脆く砕けた。それを目にした不良達が化け物を見るような目でこちらを見ている。
恐怖に滲んだ五つの双眸を見ているうちに、感情が緩やかに降下しはじめた。拳を濡らす林檎の甘い汁も鎮静を手伝ってくれている。黒須は静かに息を吸い込んだ。
「おいお前ら、二度と万引きするなよ。今度見つけたら、タダじゃおかねぇぞ」
冷たい琥珀色の瞳で見下ろして淡々と告げると、不良達は泡を食って逃げて行った。多分、二度とこの店には来ないだろう。
「ありがとうございました。あの不良達、手の付けられない連中で。万引き常習犯ですけど、注意して殴られるのが怖くてなかなか注意できなかったんです。椎名君もいつもありがとうね、大丈夫かい?」
店長らしき初老の男性が金髪の少年を気遣う。少年は制服に着いた土を払い落とすと荷物を拾い「大丈夫です」と静かに答えた。
金髪の少年がこちらを振り向く。黒須ははじめて、少年がとんでもない美形だという事に気付いた。アーモンド形の目力のある淡い青の瞳。目と近い位置にある金色の眉は線を引いたような柳眉で、鼻筋が通っていて高い。口は上品に小さくて輪郭はつるりとした卵型。儚げなほど美しい造形だ。
「助けていただき、ありがとうございます」
少年がこちらに勢いよく頭を下げた。低めだが透き通るような美声でお礼を言われて、黒須は後頭部を掻く。顔も声に違わぬイケメンで羨ましい限りだ。
「いや、大したことしてねぇし気にすんなよ。林檎、お前のだよな。潰しちまって悪いな」
「林檎は気にしないで下さい。俺は椎名月尋(しいなつきひろ)です。貴方の名前は?」
「いや、名乗るようなもんじゃねぇよ」
「いえ、是非教えて下さい」
「……俺は黒須慶だ」
「黒須慶さんですね。助けて下さって本当にありがとうございます。俺も強さには自信があるんですけど、不意打ちを食らって情けない姿を晒してしまいました。黒須さんは強いんですね。林檎を簡単に握りつぶしてしまうなんて、すごいです」
純粋な青い瞳で見詰められて、黒須は思わず目を逸らした。力の強さに怯えるのではなくて褒められるのは初めてだ。恥ずかしくて、でも嬉しかった。
幼い頃からそうだ、カッとなると異常なほどの力を発揮してしまう。
火事場の馬鹿力というやつなのだろう。マイペースなわりには短気な黒須は、この力のせいでよく物を壊してしまい、両親や学校の先生、同級生に恐れられることがしばしばあった。
空気が読める性格じゃないのも災いし、ずっと周囲に人間が少ない人生を送っている。
時折発現してしまうこの怪力を持て余し、疎ましく思っていた。
それを会ったばかりのイケメン少年に掛け値なしで褒められて、背中がむず痒くなる。
「いや、うん。ありがとな。スタンガン痛かっただろ。大丈夫か?」
「もう平気です。痛みには慣れていますので」
「なんだそりゃ。まあ、平気ならよかった。それじゃあな」
「待ってください。お礼がしたいのですが」
「いいって、そんなの」
手を振って別れようとすると月尋に腕を掴まれた。顔に似合わず強引な性格だ。
「家はこの辺りですか?俺、今から夕食を作る所なんです。食べていきませんか?」
有難い誘いだけど、さすがにいきなり家に上がり込んで御馳走になるのはどうなのだろう。あまり常識の無い大人ではあるが、それくらいの良識はある。
「いいよ、悪いから」
「悪くないです。迷惑でないなら、是非来てください」
さっきまで鉄面皮だった月尋がほんの少しだけ頬を緩ませた。その表情に絆されてしまい、黒須は彼について行った。
スーパーから十五分ほど歩いたところで月尋が足を止める。閑静な住宅街に溶け込んだ小ぢんまりとした日本家屋。外国人っぽい見た目の月尋には釣り合わないようでもあり、繊細で静かそうな雰囲気が妙にマッチしているようでもある。表札はさっき聞いた名字とは別の名字がかかれている。和乃だ。
不思議に思いながらも、黒須は何も聞かなかった。他人の家庭事情に首を突っ込むほど好奇心旺盛でも他人に興味があるわけでもない。只一つ、和乃という聞き馴染のある名字にまさかという思いが一瞬過った。
しかし、同じ名字の人間がいることはそんなに珍しくないとすぐに考え直す。
「寛いでいてください」
月尋は冷たい麦茶の入ったグラスを畳張りのリビングの机に置くと、制服のブレザーを脱いでパステルブルーのエプロンを着けて台所に消えた。
台所からリズミカルな包丁の音が聞こえてくる。家庭的な音に心が和んだ。
大学進学と同時に家を出て一度も帰っていないので、久しく聞いていない音だ。自分が立てる包丁の音は乱雑で聞き心地が悪い。
出汁の香りや醤油と砂糖の混ざった甘辛い匂いが漂ってくる。なんだかお腹が空いてきた。黒須は鳴りそうになった胃を軽くシャツの上から押える。
「お待たせしてすみません。もうすぐできるので」
月尋がキッチンから顔を出す。それに対してお構いなくと手を振り、黒須はぼんやりと天井を見上げた。
家の中には自分と月尋の気配しかない。両親とも仕事で帰りが遅いのだろうか。一人っ子なのだろうか。あれこれ考えながら待っていると、ガラガラと玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
元気のいい声が聞こえた。どこかで聞き覚えのある声だ。軽快だが静かな足音がこちらに近付いてくる。
「おかえりなさい」
「おう、ただいま月。って、なんでアンタがいるんだよっ!」
入って来るなり叫んで自分を指差す那白を、黒須は驚いた顔で見る。
「いや、それ俺の台詞だぞ。なんでシロが居るんだよ」
「ここ、オレん家だっつーの!ちょっ、月、どういうことだよ!コイツと知り合いなのか?」
「いや、知り合いじゃない。さっきお世話になったから夕食に誘ったんだ」
テーブルに手際よく出来上がった料理を並べる月尋と那白の顔を黒須は見比べた。
「お前ら、兄弟なのか?」
「どこをどう見ても兄弟だろーが。律儀な月のことだから、どうせちゃんとフルネームで名乗ってんだろ。名字もオレと同じじゃん」
シロと呼んでいるから、那白の名字が椎名だということはすっかり忘れていた。
黒須はよく二人の顔を観察してから、那白に疑惑の眼差しを向ける。
「いや、似てねぇだろ。色白で目の色が青くて毛の色素が薄くて柔らかそうってこと以外に共通点ねぇよ。身長とか体型もぜんぜん違うし、顔も違う」
那白も月尋も色素が薄く容姿が整っている点は共通している。だけど、初見で二人が兄弟と見抜ける人は恐らくいない。
「で、ちなみにシロが弟か?」
「はあ?オレが兄貴に決まってんじゃん。月は一つ下だよ」
「いや、身長と顔立ち見たら百人が百人とも月尋が兄ちゃんだって言うぞ」
「ムカツク、何気にオレのことチビの童顔ってディスっただろ。オレがチビなんじゃなくて月がでかいの。身長百七十五だぜ、オレのダチよりでかいっつーの」
月尋みたいな弟が那白にいるなんて意外だ。我儘そうだし一人っ子だと思っていた。
「そんで、月に何したんだよ、クロ。妙なことしてないよな?オレの弟に手ぇだしたらぶっ飛ばす」
「大丈夫だ、兄さん。変なことなんてされてない。不良に絡まれたのを助けてもらった」
「不良に絡まれた?どこのどいつだよ、ぶん殴ってくる」
「黒須さんが倒してくれたから大丈夫だ。兄さん、夕食ができたから手を洗って」
「ん、おっけー。月、オマエこの前も不良と喧嘩してたろ。オレ、ちゃんと知ってるんだぜ。タイマンならいいけど、相手が集団の時は気をつけろよ。危ないことすんな」
「わかっているさ」
「わかってない。兄ちゃんがいない時に無茶しちゃだめだぞ。クロ、弟のことサンキュ」
黒須にお礼を言うと、那白は洗面所に消えた。月尋がぺこりと頭を下げる。
「すみません黒須さん、兄が失礼なことを。那白兄さんはちょっと心配性なんです」
「かまわねぇよ。それより、俺は今日からシロの職場で働いてるシロの後輩なんだよ。黒須さんなんてくすぐったいし、黒須か慶って呼び捨てでいいぞ」
「そんな、呼び捨てなんてできないです」
「あいつは俺のこといきなり呼び捨てにしたぞ。その次はクロスケって可笑しなあだ名つけやがった。最終的にはクロだぞ」
「兄さん、きっと貴方が気に入ったんだと思います。それじゃあ、俺は慶さんと呼ばせて貰います。馴れ馴れしいですか?」
「いや、慶さんでいいよ」
「はい。食事ができたので座って下さい」
月尋に促されて、黒須はダイニングのテーブルに座った。ダイニングは畳張りじゃなくてフローリングだ。テーブルは四人用で、夕食は四つ用意してある。
白いご飯に大根とワカメの味噌汁、千切りキャベツを添えた豚肉の生姜焼き、インゲンと椎茸の白和えとバランスのいいメニューだ。
自炊の時にはうどんやチャーハンなど一品物のメニューが多い黒須にとって、久しぶりのちゃんとした食事だ。
あと一人は誰が座るのだろう。黒須は不思議そうに自分の隣の空席の伏せたお茶碗とお椀を見る。長めの黒と松葉色の塗り箸を見たところ、座るのは男のような気がした。
「いただきます」
那白が月尋の隣に座り、みんなで手を合わせて食事を始める。黒須は豚肉の生姜焼きにさっそく箸をのばした。甘さと辛さのバランスが丁度良く、肉が柔らかい絶品だ。
「うまっ、月尋、お前料理上手いな」
「お口にあってよかったです」
「月はすげー料理得意なんだ。掃除も洗濯も全部完璧だし、オレと正反対。月、マジでいつもありがとな」
「いいんだ、兄さん。兄さんはトカゲの仕事もあるし、俺はいろんなこと、兄さんに頼りっぱなしだから」
「そんなことないよ、月。オレも月のおかげで助かってる」
仲良さげに笑いあう兄弟にはほのぼのとした雰囲気だけじゃなく、なにか特別な絆のようなものを感じた。極秘事項のトカゲのことまで知っている。
身内とはいえ、内緒にしておかなくてはいけないことのはずなのに。何か色々と事情を抱えていそうだ。
食事を食べ終わって熱い緑茶を飲んでいる時、玄関が開く音がした。
「ただいまー、仔猫ちゃんたち」
にやけた顔が浮かぶ甘ったるい声でそう言いながら大男がダイニングに入ってきて、他人が家にいることにも気づかずに、那白と月尋を背後から抱き締めた。
その大男が和乃であることに気付いて、黒須は危うく椅子から転がり落ちそうになる。
「おかえりなさい、竜之介さん。食事の用意をしたいので離してください」
「帰ってくるなりセクハラすんな、変態っ!離せ馬鹿!」
月尋が好意的に、那白がぶち切れながら和乃の腕をそれぞれ引きはがそうとする。それでも和乃は右側の月尋に、左側の那白に頬ずりをしていた。
どうなっているんだこの家庭は。黒須は吊り目の三白眼を丸くして三人を見つめる。
「チャージ完了。これで明日も仕事が頑張れそうだ。って、あれ、黒須君じゃないか」
ようやく黒須の存在に気付き、いつも聡明な顔の和乃が珍しく目を丸くする。
「あ、すんません。お邪魔してます」
「いや、驚いた。どうして君が?」
「俺のことを助けて下さいました。それで俺が招いたんです。すみません。竜之介さん」
「いや、謝らなくていいよ月尋。そうか、月尋を助けてくれてどうもありがとう」
和乃はいつもの大人の余裕が漂う笑みを浮かべたが、さっき那白と月尋相手にデレデレしていたところを見てしまっているので、なんともしまらない。
上司の家庭での姿を見てしまって気まずくなったが、当の本人はまったく気にした様子がない。通勤用のスーツを脱ぎ、ラフな部屋着で食卓についている。
「あの、知りませんでした。和乃さんがシロや月尋と家族なんて。でも、名字が違いますよね。まさか、隠し子とか?」
「はは、僕は三十三歳だよ。那白は僕が十六歳の時の子供かい?」
「馬鹿だな、クロ。ありえねーだろ。ちょっとは頭使えよ、ただでさえ皺の少ない脳味噌がしまいにはツルツルになっちゃうぜ」
「うっせぇなシロ、ほっとけ。確かにシロや月尋はハーフっぽくて、和乃さんとは似てねぇけど。でも、親子や親族じゃなきゃどういう関係だよ」
黒須の問いに和乃も那白もすぐに答えなかった。答えたのは月尋だ。
「まだ小学生の頃、家が火事になって両親が死にました。その時に捜査にあたっていたのが竜之介さんで、彼は俺と那白兄さんを引き取ってくれたんです。ちなみに俺達の父はイギリス人で、母は日本人です」
月尋はなんでもない事のように言ったが、普通の家庭で育った黒須にとっては重い過去だった。悪い事を聞いてしまったと反省する。
「和乃さん、なんか色々聞いてすんません。シロと月尋も悪かったな。それにすっかり御馳走になっちまって。和乃さん、俺はここで失礼します。月尋、飯美味かったぜ、ありがとな。それじゃあな、シロ、月尋」
「はい。慶さん、気を付けて」
「じゃーねクロ、また明日職場で。遅刻すんなよ」
余計な一言を背中に受けながら、黒須は和乃の家を後にした。
翌日、黒須は那白と共に殺された由香の大学を訪れた。警察側は事件関係者を誰も勾留していない。不可能すぎる犯罪故に、法的拘束力のある行動をとれないのだ。
黒須は白地に紺のストライプが入ったカッターシャツに黒のベストを着て、黒のスラックスに黒のミリタリーブーツという服装。
那白は白いシャツに裾がアシンメトリーな黒い七分のフードの上着を羽織り、キャメルのスキニーに赤と白のコンバースというラフな格好で校内をうろついていた。
大学のキャンパス内には由香が殺されたことを知らない者が多いようで、騒ぎにはなっていなかった。噂話も聞こえてこない。
大学生同士の生徒の関係は高校の時よりも希薄だ。色んな県から人が集まっているし、好きに授業選択ができるので、同じ学部同士の者ですら一日顔をあわせないことが多い。
大人の男と童顔の高校生が連れだって歩いていても、気にする人がいないくらいだ。
キャンパス内は自然が多く、門扉が開け放たれて誰でも出入り自由だから、小さな子供連れの人や年寄りも散歩している。
「捜査する時って、警察の制服じゃないんだな。トカゲって制服あるのか?」
「トカゲにも制服はあるよ。犯人がいる現場に突入する時や、本格的な調査の時はちゃんと制服着るしね。でも覆面調査の時とか、事務所での仕事の時は着なくていい。クロの分はいま準備中」
どんな制服か知らないが、黒須は自分がトカゲの制服を着ているところを想像する。昔からドラマの刑事や軍隊にはちょっと憧れていた。想像の中の制服を着た自分はちょっとかっこいい。テンションが上がる。
「あ、いま制服姿の自分を想像したでしょ」
那白の大きな青い猫目がこちらを見上げる。小悪魔めいた笑みを浮かべた那白に見つめられていると、心を見透かされている気分になる。
「そ、想像してねぇよ」
「嘘が下手だねクロ。やっぱり想像したんだ。ちょっといかすとか思ってたんじゃない?」
なんでわかるんだ。
子供じみた自分の行動が恥ずかしくて那白から顔を逸らすと、那白がケラケラと笑った。
「いいじゃん。クロは素材はいいんだからさ。ぼんやりした顔してないでちゃんとしまった顔してりゃけっこうかっこいいよ。ま、オレの弟には負けるけどな」
那白の弟、月尋は金髪碧眼のハーフのとんでもないイケメンだ。鼻高々に言う那白に「確かにな」と素直に頷くと、彼は嬉しそうな顔になった。
「それでシロ、今日は聞き込みするんだろう?どういうスタンスでいけばいいんだ?」
「警察ってことは隠して、クロはフリーライター、オレはクロの従弟で探偵ごっこに嵌ってる高校生って感じでいこう。警察としていくと、一度は容疑者になって事情聴取を受けた宮地や狭間に警戒されるだろうからね。ライターや子供の遊びなら警戒されにくい」
「なるほどな。でも一つ言わせてくれ。お前高校生より、中学生って設定にしとけよ」
那白の素早い蹴りが脛に入った。反射神経の良さで直撃は避けたが、それでも痛い。
「いてぇな、蹴ることねぇだろ」
「人を中学生呼ばわりするからだ馬鹿。ほら、さっさと始めようぜ」
新緑に彩られたキャンパス内を黒須と那白は歩き回った。午前十時二十分過ぎ、一講目が早く終わった生徒や、今大学に来た生徒があちらこちらにいる。
黒須は今朝確認してきた書類の写真を思い出しながら、すれ違う学生の中に容疑者候補を探した。
まっさきに話を聞くべきなのは由香の現在の恋人の宮地、元カレの狭間、宮地の元カノの堀北あたりだ。あとは由香と同じ英文学科の生徒、由香が所属していた旅行サークルの生徒を探さなくては。
「大学って人が多いし、授業のとり方も人によって違う。どうやって目的の人物を探すんだよ、シロ」
「オマエ、一応大卒だろ。自分が学生の時とか思い出して、どうやったら特定の学生を捕まえられるか考えたらわかるだろ」
いつの間にかアンタからオマエ呼ばわりに変わった。はたして昇格なのか降格なのか。
きっと前者だと黒須は思う。那白は月尋や澪を名前で呼ぶ以外はオマエと呼んでいた。それにアンタよりもオマエと言われた今の方が声に親しみが篭っている気もする。
「ぼうっと過ごしてたから覚えがねぇよ。それに、大学内で人を探し回った経験がない」
「うわっ。引くわその発言。クロ、友達も彼女もいない淋しい子だったんだ」
「ほっとけ。そういうお前はその毒舌にキッツイ性格で友達いるのかよ?」
「いるよ。愚直なクロと違って、ちゃんと猫被ってるからね。まあずっとトカゲと二足の草鞋だから忙しくて遊んでらんねーけどさ。休んでる間のノート見せてもらうとか、グループワークで組む時とかに困らないように、友達グループに所属してるから」
それは友達なのか、便利屋みたいな扱いじゃないか。突っ込みたかったが、流石に言うのは憚られた。
「そうだ、大学には必修科目がある。英文科の人間を探すなら、英文科の必修の講義を調べて、その講義の前後を狙えばいいんだ」
「そう、正解。そんくらいのこと、ぱっと思いつけよな。オレは事務所を出る前にシラバス見てちゃんと下調べしたよ。運よく、火曜日は大学二年生の英文科の必修講義が三講目にある。狭間はそこで捕まえようぜ。旅行サークルの活動日がいつかわかんないな。大学のホームページにもないし。ま、宮地と堀北は食堂で探すかな」
人探しはなかなか大変だ。キャンパスを歩き回る生徒を確認しているが、なかなか当たりがでてこない。
チャイムが鳴り響く。二講目が始まり、校舎や庭を歩き回っている生徒の数が少なくなる。講義で使っていないテニスコートや体育館のトレーニングルーム、食堂や喫茶店を見て回った。しかし、目的の人物は見当たらない。
「図書館にでも行ってみようか」
「いいけどシロ、学生証がないぞ。大学の図書館の入り口には入館ゲートがあって、学生証を翳さないと扉が開かないかもしれない。俺の大学はそうだった」
「そうだね。前に別の大学に調査に訪れた時もそうだったよ。あの時はトカゲとして訪れたから開けて貰えたけどね。まあ、でもそんなの平気さ」
那白は軽やかな足取りで図書館に向かった。どうやって中に入るのだろうと疑問に思いながらも、黒須は彼の小さな背中を追う。
図書館のガラス戸を開けて中に入ると、案の定、入館ゲートがあった。
「やっぱ学生証がないと駄目だな。シロ、どうする?事情を話していれてもらうか?」
「いいよ、面倒だし。見張りがいるわけじゃないから、楽勝さ」
那白がひらりとゲートを飛び越した。ゲートを見張る職員おらず、警報が鳴るわけでもない。何の咎めもなしに侵入できた。ゲートの向こうの那白が、お前も早く来いと手招きをしている。若干気が引けたが、黒須は那白にならってゲートを飛び越した。
「意外と簡単に入れちまうんだな。門を飛び越したりくぐったりしても、不法侵入を検知されちまうかと思ってた」
「学校の図書館だぜ、そんな高度なシステム搭載するかっての。こういうゲートは、自動で開く扉を無理やり押した時に不法侵入を検知するのさ」
堂々と那白が館内に入っていく。入ってしまえばこちらのものだと、黒須もいつも通りの足取りで歩いた。
「悔しいけど、竜はやっぱり見る目があるな」
「いきなりだな、シロ。なんでそう思う?」
「クロは、刑事とか探偵に向いてる。オマエがキャンパス歩いてる時とか、今この瞬間にビクビクして挙動不審だったらぶん殴ってやろうと思ってた。でも、オマエはどこにいても堂々としてる。度胸あるよね」
「褒められてんだよな、サンキュ」
「まあ、知識はないし、頭も悪そうだけどさ」
「いちいち一言余計なんだよ、シロ。褒め言葉だけ言っとけよな」
憤然としながらも、黒須は学生の顔に注意を払っていた。本棚の前、机などにポツポツと学生がいるが目的の人物の姿はない。一階から三階までくまなく歩いたが、容疑者候補はいなかった。
黒須は書庫に目を向けた。大きな窓があって光溢れる図書室エリアと違って書庫は薄暗く人気がない。望みは薄いがもしかするかもしれないと足を向けた。
「うえっ、古い紙とか黴の臭いがする。すげー埃っぽいし」
那白は鼻を摘んで顔を顰めている。大袈裟だと思うけど気持ちは分からなくもない。陰気な雰囲気が漂っていて、長居していると気が滅入ってしまいそうだ。
だからこそ、騒がしい大学内で静かにひっそりしていられるこの場所に目的の人物がいるのではないだろうか。黒須はそう踏んでいた。その考えは正しかった。
「あ、いた」
那白が指さす先に視線を向ける。図書室と違って天井が低く六階建てになった書庫の二階の奥の隅、薄暗い空気に溶け込むように、黒いシャツにズボンと黒づくめの宮地が座っていた。
写真で見た顔より少しやつれ、目にも光がない。どちらかというとパリピな雰囲気だった宮地はすっかり消沈していた。
「宮地サンだよね。少し、話してもいいかな」
那白が遠慮なく宮地の隣に腰を下ろす。宮地のセクシーな垂れ目がぼんやりと那白の方を向いた。
「坊や、誰だい?」
「オレはこの人の甥っ子。この人はフリーライターなんだよ。そんでオレは探偵ね」
那白が人懐っこい笑みを浮かべる。可愛らしいぱっちりした猫目の美少年に、宮地は少し警戒心を解いたように頬を緩めた。
宮地に話しかける那白の声は、いつものちょっと大人びたつれない声じゃなくて元気で明るい。
普段のチェシャ猫笑いで生意気な口を利く彼とは別人の天真爛漫な純粋な少年っぷり。
完璧な演技力に脱帽だ。
ぼんやりしていると、那白に密かに足を踏まれた。慌てて彼に調子を合わせる。
「どうも、俺はフリーライターの黒須です。じつは、林由香の殺害事件について調べてて、あんたに聞きたいことがあって来た」
「由香の事件について―…」
俄かに宮地の瞳に憎しみが揺らぐ。黒須は直球で行き過ぎたと後悔した。
「あのね、オレとクロ兄は恋人を失った上に、犯人扱いされた宮地さんが心配なんだ。まだ容疑者リストに入ってるんでしょ」
「新聞にははっきり書かれてないし、事情聴取からも解放されて警察も来ていないのに、どうしてそんなこと知ってるんだ?」
「それはオレが優秀な探偵で、クロ兄が敏腕ライターだから」
無茶苦茶な答えだと黒須は思ったが、宮地にとっては説得力があったらしい。彼は納得したように頷くと、鋭くなった眼つきをまた弛めた。
「警察の捜査、進んでないんだってね。オレが調査をすすめてあげるよ。だから、お兄さんが知ってることを教えて欲しいんだ。今、話いいかな?」
「いいよ、何が聞きたいんだ?」
「まずお兄さんと由香さんの出会いから知りたいな。美男美女のお似合いカップルだよね」
那白に褒められて、宮地が満更でもないという顔になる。
「僕と由香が付き合い出したのは一カ月半前ぐらい。由香とは同じ旅サークルでずっと仲がよかったんだ。彼女が前の彼氏に愛想が尽きて別れた直後に二人で食事に行って、親密になったんだよ」
「へえ、前の彼氏よりお兄さんの方が良い男だったんだね。お兄さんかっこいいもんね。由香さんはなんで前の彼氏とダメになっちゃったの?」
「僕は由香の元彼とはあんまり面識がないし、はっきりと知らないけど、由香は性格の不一致って言ってたよ」
「そうなんだ。事件当日の四月二十四日のお兄さんと由香さんの行動を教えてよ。どうしてお兄さんとは別の人とラブホに行ったの?相手は由香さんのバイト先のキャバクラの店長だったよね」
「言っとくけど、由香は店長と俺の二股かけてたわけじゃないよ。二股かけられてたのは元彼の方ね。あの日、由香は二講目に英文学、僕は経済学の講義を受けていた。お昼を一緒に食べる約束をしていて、食堂で待ち合わせていたんだ。その時、由香がキャバクラのバイトを辞められなくて困っているって話になってさ。由香が店長といざこざして引き止められていたのを知ってたから、僕は何か手を貸そうかって言ったんだ」
「由香さんは店長さんと揉めてたのは、何故ですか?」
黒須の質問に、宮地は少し難しい顔をする。
彼は黒須の耳に唇を寄せると、那白に聞こえないようにひそやかな声で言った。
「由香は前の彼氏と付き合ってた頃に店長ともできてたんです。前の彼はセックスがつまらないって言っていました。それで経験豊富なバイト先の店長と寝ていたんです。お小遣いも貰っていたようで。不倫で二股だったんですよ。店長の写真は見ました?」
「ああ、見ましたよ」
「店長、なかなかハンサムだったでしょう。由香、店長ともお金だけの関係じゃなくて、わりといい感じだったんです。でも僕と付き合い出して僕だけだって言ってくれて、それで不倫だけじゃなくて店もすっぱり辞めようとしたけど、店長が由香にご執心で、辞めさせてもらえなくて」
コソコソ大人二人で話し合っていると、那白が唇を尖らせた。
「ねえ、オレも混ぜてよ。退屈じゃん」
敢えての幼い行動だと黒須はわかっていたけど、宮地はすっかり那白の被る無邪気な少年の仮面に騙されていた。ハニーフェイスを更に弛めて「ごめんね」と笑う。
「話を戻すけど、由香はあの日、僕と一緒に立てた作戦を決行したんだよ。ちょうどバイトの日だったしね。作戦はシンプルだ。由香がよく利用していたキャバクラからすぐのラブホに店長を誘い出し、そこで仲良く話している最中に二人で写真を撮り、店長の奥さんに送りつけるって脅す。子供でも考え付くけど効果的な作戦だ」
「その作戦を実行したんだね。お兄さんもラブホについてったの?」
「いや、僕は怪しまれないように近くの喫茶店にいた。由香をいつでも助けられるように、スマホと睨めっこしてたんだ」
「由香さんから連絡はあった?」
「あったけど、助けを求めるものじゃなかった。九時五十分頃、無事に決着したって連絡があった。それに対する僕の返信はすぐに既読になったけど、そのあと返事はなくて」
「由香さんからきたラインは、本当に彼女からのものだったの?」
「僕はそうだと信じている。あの文体や絵文字のチョイスは彼女のものだったからね。彼女はすぐにラインを返す人だった。なのに、既読スルー。おかしいと思って、僕はすぐにラブホに向かった」
「確か十時にラブホに着いて部屋に向かったんだよね。でも、部屋の鍵を開けてもらえなくて、十分後に受付に戻ったんでしょ。あのさ、ラブホって広くないよね。部屋に行って受付に戻るまで十分は、少し時間がかかりすぎでしょ。お兄さん、十分も何してたの?」
「違う、僕がその十分で由香を殺したわけじゃない!」
那白の質問に宮地が急に興奮して叫んだ。黒須は彼の変貌ぶりに驚いたが、那白は予想の範疇だったのか平然としている。
「わかってるよ、お兄さん。お兄さんと由香さん、ラブラブだったもんね。一応確認の為に聞くだけ。それで、何してたの?」
「由香がいる部屋に行く前、廊下で元カノに会って喋ってたんだ」
「堀北さんって人だよね」
「ああ、そうだよ。彼女が一人で廊下を歩いていて、僕に気付いて話しかけてきた」
「その時、堀北って人に変わったところはなかった?」
「特に変わったことはなかったと思うよ。一方的に僕が振ったことを怒っていて、恨みつらみを言われただけだしね」
「そうなんだ。お兄さん、事件の日、由香さんに何か変わったことはなかった?」
「変わったことはなかったと思うけど」
宮地はそこで一旦言葉をきり、視線を斜め上に向けた。
「ああ、そう言えばお昼の待ち合わせの時、僕が来る前、由香の元カレが由香と食堂で少し喋っていたみたいだ。僕が行くと、彼は逃げるように由香から離れたけどね」
「ふうん。じゃあ最後。お兄さん、ラブホで倒れていた由香さんを見つけた時、由香さんはどんなふうだった?」
「ゆ、由香は、血塗れでベッドに横たわっていた。僕は慌てて彼女を抱き起したんだ。呼びかけたけど、返事がなくて。それに、目が、目がなかったんだ」
今にも泣きだしそうな顔で宮地が語る。肩を震わせ、言葉をつっかえて、見ているだけで痛ましい姿だ。黒須は顔を背けたくなった。でも、那白は淡々としている。
「由香さんを見つけた時、お兄さんはどう思った?」
「死なないでくれって、必死に祈ったよ。どうしていいかわからなくて、頭の中が混乱して、なんとか救急車と警察を呼んで。ああ、由香。誰が殺したんだ―…」
顔を歪めて突っ伏した宮地の肩を、黒須は優しく擦った。
「由香さんのことは俺達が突き止めます」
「ありがとうございます、お願いします」
「本当にありがとう、お兄さん。ねえ、連絡先だけ教えて」
那白に頼まれて、宮地は鞄から手帳を取り出してスマホの番号を書いて破った。紙片を受け取ると、那白はもう一度お礼を言って黒須のシャツの袖を引っ張って書庫を出た。黒須が去り際に振り返ると、宮地は顔を伏せて震えていた。
「シロ、宮地は黒か?それとも白か?」
図書館の外に出るなり、黒須は疑問を口にした。那白は宮地といた時の純粋な少年とは別人のように、どこか退屈そうなすれた表情で黒須を見る。
「オレ的には完全白だね。あの涙は演技じゃないよ、本気で悲しんでた。それに宮地は腹芸できるタイプでもなさそうだったし。歌辺さんの犯人像には当てはまらない」
「宮地の話でなにか犯人を見つけるヒントは得られたか?」
「どうだろ。でも、興味深いことが聞けた。犯行日に由香と元カレの狭間が接触してたこととか、堀北と宮地がラブホの廊下で会ってたこととかね。さて、次は堀北でも探そうかな。そろそろお昼休みになるし、もういっかい食堂に行こう」
那白に仕切られるまま、黒須は彼と共に食堂に向かった。
正午、ちょうどお昼時で食堂にはたくさん学生が集まっていた。
写真で見た堀北は地味な生徒ではなかったが、由香のように目を引く美人でもない。
ファッションも顔立ちもほぼ平均的だったので、運よく食堂に彼女がいたとしても、そこら中に生徒がいる中から彼女を探すのは至難だ。人の多さにうんざりしながら、隅から隅まで目を凝らす。
料理を提供しているカウンターから離れた窓辺の席に視線を向けた時、資料の中にあった顔を見つけた。茶髪のボブヘアに円らな瞳。間違いない、堀北だ。
黒須と那白はゆったりとした足取りで、友人二人と食事をしている堀北に近付いた。こちらに気付いた堀北が顔を上げ、怪訝そうに片眉を上げた。
「どうも、堀北さんですね。俺はフリーライターの黒須だ。こっちは自称探偵の甥っ子」
「フリーライターがわたしになんの用よ?」
堀北がジロリと黒須と那白を睨む。警戒心を顕にする堀北に対して、彼女の友人二人は歓迎ムードだ。きゃあきゃあと華やいだ声をあげる。
「取材だよ、堀ちゃん。すごいじゃん」
「フリーライターとかカッコイイよねぇ。甥っ子さんハーフ?すっごいかわいいっ」
那白が愛想よく無邪気に笑って手を振る。相手の口を軽くするための営業スマイルだ。
「由香さんが亡くなったことは知ってますね?」
「言っとくけど、わたしは犯人じゃないわよ」
「犯人なんて思ってない。ちょっとそのことで、話を聞かせてもらえませんかね?」
「もちろんオッケーでーす。ねえ、堀ちゃん」
「ちょっと晶子、わたし、取材なんて受けたくないんだけど」
「いいじゃん、減るもんじゃないしさぁ。由香にはムカついてたんでしょ。あの子の悪事をバラしちゃいなよ。宮地くん盗られたんだし、遠慮なく言っちゃいなって」
堀北の友人二人の話ぶりからすると、由香は女子の間では評判がよくなさそうだ。
「わかったわよ。ちょっとだけね、ライターさん。何が聞きたいの?」
しまった。堀北を探すことばかり考えていて、彼女を見つけた時に何を質問するか頭になかった。
困った顔で那白を見ると、那白は小さく鼻を鳴らした。
「堀北さんさ、由香さんが殺された日にホテルに居たよね。その時のこと詳しく話して」
那白の質問に堀北の友人二人の目に好奇心が滲んだ。人の色恋沙汰、特にいざこざが絡んだ時に女はハイエナと化す。黒須はゾッとした。
「ちょっと、そんなプライベートなこと話せないわ。わたしに恥をかかすつもり?」
「恥をかくようなことをしてたの?それとも後ろめたいことでもあるわけ?」
「そうじゃないけど―…」
「だったら話せるよね」
宮地の時に見せていた共感的な態度とは真逆で、那白は挑発的だ。その態度に乗せられるように、堀北が口を動かす。
「ホテルがラブホだったってことは知ってるんでしょ。だったら何の用で来たかはボウヤにでも理解できるわよね。サークルの男友達と来てたのよ。前の彼氏のことなんて、さっさと忘れたかったからね」
「ちょっと堀ちゃん、そんな話聞いてないよ」
「相手は誰?旅サークルってことは浦川くんとか?」
「晶子も雪絵も黙っててよ。わたし、多分こいつらに犯人って疑われてるのよ。その容疑を晴らすために、恥を忍んで喋ってるんだからね」
「ごめんごめん、もう黙っているから」
友人二人は申し訳なさそうに謝ると、前のめりになっていた姿勢を正した。
「時間まで詳しく話してくれると助かるけど、覚えてる?」
「そんなの覚えてないわよ。ホテルに来たのは夕飯を食べてからだから八時頃だと思うわ。帰ったのは十時半過ぎよ」
「ホテルで、特に変わった事とかなかった?」
「特になかったわよ。しいて言えば、帰り際に警察が来てたことくらいね。その時はまだ何が起きたか知らなくて。翌日、警察がわたしの下宿に来て、由香がラブホで殺されたことを聞かされたわ。あとは、ラブホの廊下で宮地に会ったくらいね」
「宮地さんとは会った時に何を話したの?時間は分かる?」
「時間まで覚えてないって言ってるでしょ。たまたま廊下に出たらあいつが居て、恨み言の一つでも言ってやんなきゃって気分になって、嫌味を言っただけよ」
「堀北さんはどうして廊下に出たの?」
「嫌な子ね、わたしが由香を殺すためにこっそり部屋を出て、由香を殺して戻ってくる途中だったとでも思っているの?違うわよ。ぐうすか寝てる連れを見て、なんとなく何やってんだろって気持ちになって、気分転換に廊下を散歩していたのよ。そんなことで犯人扱いされちゃ、たまんないわよ」
すっかり怒り心頭な堀北をこれ以上怒らせないよう、黒須は落ち着いた声で尋ねる。
「由香さんとはどんな仲でしたか?あと、彼女の交友関係や評判について知ってることがあれば教えて下さい」
堀北は深く溜息を吐いた。物憂げにも憎らしげにも見える表情だ。
「由香とは旅サークルで知り合ったけど、仲がよかったわ。よく、あの子に元彼のことで相談された。でもあの子は恩を仇で返したの。元彼が嫌になったからってわたしの彼氏を誑かして奪ったのよ。友達にも彼氏にも裏切られて、ほんと腹立たしいったら。由香は美人でモテるのを鼻にかけて、すぐ男に愛想を振りまくのよ。惚れっぽい性格だったし。そういうところ、ちょっと評判悪かったわよ」
「ホント、堀ちゃんのカレシに手を出すなんて、意地汚いよね」
「由香さんの元彼はどんな人でしたか?確か、名前は狭間さんでしたよね」
「そう、狭間。由香と同じ英文科の人で、チラッと見た感じではシャープで背が高くてそれなりにかっこよかったんじゃないかしら。性格は知らないけど。晶子、何か知ってる?」
「狭間くんでしょ、知ってるよ。英文科に友達がいるからね。狭間くん、頭良くてリーダーシップがあって友達多いらしいよ。由香、何が気に入らなかったんだろうね。雪絵はどう思う?」
「さーねぇ。顔なんじゃないの?宮地くんはハニーフェイスで女の子ウケがいいイケメンでしょ。でも狭間くんは服とか髪型をちゃんとしてるだけでそこまでイケメンじゃない」
「ご協力どーも。これが最後の質問。由香さんが殺されたって知ってどう思った?」
「ボウヤ、かわいらしい顔してえげつないこと聞くのね。まあ、答えてあげるわ。由香が死んで、罰が当たったのよって思ったわ。ざまあみろとまでは言わないけど」
「アタシは堀ちゃんほど由香と親しくなかったから、なんとも。まあ、ちょっとかわいそうって感じかな」
晶子の言葉に雪絵も大きく頷く。
「そうだよね、まだ若いもんね。人生これからなのに。でも、殺されるってことは恨まれてたんでしょ?病気ならともかく、そんなに同情できないよ」
「そっか。ありがとう、お姉さんたち。クロ兄、行こうぜ」
那白がさっさと踵を返して食堂を後にする。彼はそのまま学校を出ていった。
「どこ行くんだよ、シロ。調査は終わりか?事務所戻るなら、車を置いていけないだろ」
「まだ戻んないよ。肝心の狭間にまだ何も聞いてないじゃん。お昼休憩だよ、腹減っちゃったし。クロだって腹減っただろ?」
「そうだな、ちょうど昼時だな」
「じゃあ休憩。車で走ってる時、学校のすぐ近くに雰囲気よさげな洋食店見つけたんだよ。ほらあそこ。行こうぜ」
嬉しそうに笑う那白は無邪気な子供そのものだった。
そうだ、彼はまだ高校生なのだ。頭の回転のよさと堂々した態度に圧巻させられることが多くてすっかり忘れていた。
彼が普段見せるチェシャ猫めいた笑みも、時折見せる冷たげな表情も大人びている。小生意気な態度も精神が老成していることを感じさせ、たまに彼が自分より八つも年下だと忘れてしまう。
那白は何故、学生なのに警察の特殊影動課なんかに所属しているのだろう。彼の両親は火事で死んでしまったそうだが、そのことが何か関係あるのだろうか。
ぼんやりと突っ立っていると、那白が振り返って叫んだ。
「早くしろよクロ、置いてくぜ」
呆れたような怒ったような顔で呼ばれて、黒須は急ぎ足で彼の傍に走り寄った。目の前にはグリム童話に出てきそうな洋風の小さな建物がある。洋食店さとう料理店という看板を見て、おしゃれな建物に比べて安易すぎるネーミングセンスに黒須は苦笑した。
店内はランチ会を楽しむ主婦達が何組かいて賑わっていた。若い女性店員に好きな席にどうぞと言われ、那白は光の恩恵から遠い隅っこの二人席に腰を降ろした。
「オレはチキングラタンにする。クロは?」
「ナポリタンで」
年上らしく那白の分も注文してあげようと思ったが、自分より彼の方がずっとちゃきちゃきしていた。那白が素早く手を上げて店員をテーブルに呼んで注文を済ませた。
「そんでクロ。さっき堀北から話を聞いてどう思った?」
「堀北はたぶん犯人じゃない。由香の死に対してドライすぎる気がするけど、大学生の友情なんてあんなもんだろ。男盗られてるわけだし」
「オレも同じ意見。さっきの収穫は狭間についてちょっと知れたことぐらいだね」
白い陶器のグラタン皿とナポリタンが盛られた鉄板が運ばれてくる。黒須と那白は会話を中断して、食事に没頭した。野暮ったい店名に反して、ナポリタンはハイカラな味がした。
ケチャップではなくニンニクの風味が隠し味のトマトソースを用いているようだ。
ナポリタン独特の甘味もありつつ、酸味とスパイシーさもあってとても美味しい。
食事を終えると水で喉を潤し、腹をならすのに少しだけ休憩してから店を出た。
黒須がこの辺りに越してきたのはつい一週間ほど前。前のアパートが取り壊しとなり、安い家賃の部屋を探してここに辿り着いた。武蔵境は駅近くに商店街やスーパーが揃っているし、街路樹や公園が沢山あって緑も美しい。住宅街は外灯が少なくて寂しげだけどその静けさも悪くない。
田舎っぽさもあり都会の便利さもあるバランスがいい街だ。
スーパーの入り口付近で、一人の少年が複数の男達に囲まれていた。不穏な空気だ。
一人の少年は那白と同じ高校の制服に身を包んでいる。すらりと背が高く、地毛っぽい金の髪は柔らかそうで、清潔感のあるショートヘアだ。
一方、相手の男達は学ラン姿でドレッドヘアや派手な色の髪をしている。見たまんま不良グループといった風情だ。
喧嘩だろうか、店先で迷惑な奴らだ。黒須は遠巻きに状況を見ていた。
「テメーいい加減にしろよ、しつけーんだよ」
不良グループで一際体格がいいソフトモヒカンの男が金髪の少年ににじりよった。少年がじろりとモヒカン男を睨む。
「しつこいのはお前らだろう。これで三度目だ、懲りない連中め」
「なんでイチイチそうつっかかってくるんだよ、クソ野郎」
「お前らが万引きなんかするからだ。鞄に入れた商品を今すぐ返せ」
「万引きなんてけっこう誰でもやってんだ。バレなきゃいいだろ。クソめ、テメーがいなけりゃバレずに済んだのによぉ。テメーのツラは見飽きた、いっぺん死ねよ」
物騒な台詞を吐くなり、ソフトモヒカン男が金髪の少年に殴りかかる。金髪の少年は手に持っていたエコバックと鞄を地面に降ろすと、拳を受け止めて相手に蹴りを見舞った。
足が頭よりも高く上がった惚れ惚れする美しい蹴りだ。
ソフトモヒカン男が倒れると、残りの四人が一斉に金髪の少年に飛びかかる。
金髪の少年は強く、四人相手に善戦していたが、不良の一人にスタンガンをくらって膝を着いた。
スタンガン常備とは最近の子供は物騒だ。不良達を追いかけてきたらしい店員も、周囲にいた通行人や買い物客も、不良達に怯えて見ているだけだ。
「よっしゃ、やってやったぜ。テメーがしょっちゅうここに買い物に来るのは知ってたんだよ。本当は仕返ししてやろうと思って、待ち伏せてたんだ。バカめ」
ドレッドヘアが腹を押えて蹲る金髪の少年を見下ろす。
「可愛がってやるよ、クソ野郎」
「ああ、集団リンチ刑に処す」
獰猛な目で迫る不良達に、少年は苦痛に顔を歪めつつ、果敢にも構える。でも明らかに劣勢だ。経験があるからわかる。スタンガンはかなり痛い。
失神したりはしないけど、くらうと酷い痛みで暫くまともに動けない。
このままではやばそうだ。黒須は溜息を吐くと、金髪の少年の前に立った。
「お前らやめろ、万引きは犯罪だぞ。ついでに、護身用のスタンガンで故意に攻撃するのも、集団リンチも犯罪だ」
「あ?誰だよオッサン。そいつの知り合い?」
「誰がオッサンだ、お兄さんだろうが。ったく、腹立つ連中だな」
「誰だか知らねぇけどな、オレらの邪魔するんだったらテメーから先にやるぜ」
「数の力に頼るようなガキに負けるかよ、かかってきな」
血の気が多いのは昔からだ。こういう最低な連中を見ていると頭がカッとなり、つい喧嘩をしてしまう。
いけない性分だと思いながらも、万引き常習犯の犯罪者なら殴られても文句は言えまいと、黒須は拳を構えた。
そこからはあっという間だった。飛びかかってきた不良の拳や蹴りを躱し、時には受け止めてこちらも拳と蹴りを放つ。無駄の多い動きだったが、圧巻の力とタフさで四人の不良を倒した。
周囲から拍手が沸き起こる。その音がどこか遠くで聞こえた。
黒須は三白眼で地面に転がる彼らを見下ろす。精神の昂ぶりを感じる、押えなくては。
金髪の少年のエコバックから転がりでた林檎が足元に落ちている。申し訳ないけど林檎を拝借した。
感情のままに林檎を拾った拳に力を込めると、掌の中で林檎は豆腐のように脆く砕けた。それを目にした不良達が化け物を見るような目でこちらを見ている。
恐怖に滲んだ五つの双眸を見ているうちに、感情が緩やかに降下しはじめた。拳を濡らす林檎の甘い汁も鎮静を手伝ってくれている。黒須は静かに息を吸い込んだ。
「おいお前ら、二度と万引きするなよ。今度見つけたら、タダじゃおかねぇぞ」
冷たい琥珀色の瞳で見下ろして淡々と告げると、不良達は泡を食って逃げて行った。多分、二度とこの店には来ないだろう。
「ありがとうございました。あの不良達、手の付けられない連中で。万引き常習犯ですけど、注意して殴られるのが怖くてなかなか注意できなかったんです。椎名君もいつもありがとうね、大丈夫かい?」
店長らしき初老の男性が金髪の少年を気遣う。少年は制服に着いた土を払い落とすと荷物を拾い「大丈夫です」と静かに答えた。
金髪の少年がこちらを振り向く。黒須ははじめて、少年がとんでもない美形だという事に気付いた。アーモンド形の目力のある淡い青の瞳。目と近い位置にある金色の眉は線を引いたような柳眉で、鼻筋が通っていて高い。口は上品に小さくて輪郭はつるりとした卵型。儚げなほど美しい造形だ。
「助けていただき、ありがとうございます」
少年がこちらに勢いよく頭を下げた。低めだが透き通るような美声でお礼を言われて、黒須は後頭部を掻く。顔も声に違わぬイケメンで羨ましい限りだ。
「いや、大したことしてねぇし気にすんなよ。林檎、お前のだよな。潰しちまって悪いな」
「林檎は気にしないで下さい。俺は椎名月尋(しいなつきひろ)です。貴方の名前は?」
「いや、名乗るようなもんじゃねぇよ」
「いえ、是非教えて下さい」
「……俺は黒須慶だ」
「黒須慶さんですね。助けて下さって本当にありがとうございます。俺も強さには自信があるんですけど、不意打ちを食らって情けない姿を晒してしまいました。黒須さんは強いんですね。林檎を簡単に握りつぶしてしまうなんて、すごいです」
純粋な青い瞳で見詰められて、黒須は思わず目を逸らした。力の強さに怯えるのではなくて褒められるのは初めてだ。恥ずかしくて、でも嬉しかった。
幼い頃からそうだ、カッとなると異常なほどの力を発揮してしまう。
火事場の馬鹿力というやつなのだろう。マイペースなわりには短気な黒須は、この力のせいでよく物を壊してしまい、両親や学校の先生、同級生に恐れられることがしばしばあった。
空気が読める性格じゃないのも災いし、ずっと周囲に人間が少ない人生を送っている。
時折発現してしまうこの怪力を持て余し、疎ましく思っていた。
それを会ったばかりのイケメン少年に掛け値なしで褒められて、背中がむず痒くなる。
「いや、うん。ありがとな。スタンガン痛かっただろ。大丈夫か?」
「もう平気です。痛みには慣れていますので」
「なんだそりゃ。まあ、平気ならよかった。それじゃあな」
「待ってください。お礼がしたいのですが」
「いいって、そんなの」
手を振って別れようとすると月尋に腕を掴まれた。顔に似合わず強引な性格だ。
「家はこの辺りですか?俺、今から夕食を作る所なんです。食べていきませんか?」
有難い誘いだけど、さすがにいきなり家に上がり込んで御馳走になるのはどうなのだろう。あまり常識の無い大人ではあるが、それくらいの良識はある。
「いいよ、悪いから」
「悪くないです。迷惑でないなら、是非来てください」
さっきまで鉄面皮だった月尋がほんの少しだけ頬を緩ませた。その表情に絆されてしまい、黒須は彼について行った。
スーパーから十五分ほど歩いたところで月尋が足を止める。閑静な住宅街に溶け込んだ小ぢんまりとした日本家屋。外国人っぽい見た目の月尋には釣り合わないようでもあり、繊細で静かそうな雰囲気が妙にマッチしているようでもある。表札はさっき聞いた名字とは別の名字がかかれている。和乃だ。
不思議に思いながらも、黒須は何も聞かなかった。他人の家庭事情に首を突っ込むほど好奇心旺盛でも他人に興味があるわけでもない。只一つ、和乃という聞き馴染のある名字にまさかという思いが一瞬過った。
しかし、同じ名字の人間がいることはそんなに珍しくないとすぐに考え直す。
「寛いでいてください」
月尋は冷たい麦茶の入ったグラスを畳張りのリビングの机に置くと、制服のブレザーを脱いでパステルブルーのエプロンを着けて台所に消えた。
台所からリズミカルな包丁の音が聞こえてくる。家庭的な音に心が和んだ。
大学進学と同時に家を出て一度も帰っていないので、久しく聞いていない音だ。自分が立てる包丁の音は乱雑で聞き心地が悪い。
出汁の香りや醤油と砂糖の混ざった甘辛い匂いが漂ってくる。なんだかお腹が空いてきた。黒須は鳴りそうになった胃を軽くシャツの上から押える。
「お待たせしてすみません。もうすぐできるので」
月尋がキッチンから顔を出す。それに対してお構いなくと手を振り、黒須はぼんやりと天井を見上げた。
家の中には自分と月尋の気配しかない。両親とも仕事で帰りが遅いのだろうか。一人っ子なのだろうか。あれこれ考えながら待っていると、ガラガラと玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
元気のいい声が聞こえた。どこかで聞き覚えのある声だ。軽快だが静かな足音がこちらに近付いてくる。
「おかえりなさい」
「おう、ただいま月。って、なんでアンタがいるんだよっ!」
入って来るなり叫んで自分を指差す那白を、黒須は驚いた顔で見る。
「いや、それ俺の台詞だぞ。なんでシロが居るんだよ」
「ここ、オレん家だっつーの!ちょっ、月、どういうことだよ!コイツと知り合いなのか?」
「いや、知り合いじゃない。さっきお世話になったから夕食に誘ったんだ」
テーブルに手際よく出来上がった料理を並べる月尋と那白の顔を黒須は見比べた。
「お前ら、兄弟なのか?」
「どこをどう見ても兄弟だろーが。律儀な月のことだから、どうせちゃんとフルネームで名乗ってんだろ。名字もオレと同じじゃん」
シロと呼んでいるから、那白の名字が椎名だということはすっかり忘れていた。
黒須はよく二人の顔を観察してから、那白に疑惑の眼差しを向ける。
「いや、似てねぇだろ。色白で目の色が青くて毛の色素が薄くて柔らかそうってこと以外に共通点ねぇよ。身長とか体型もぜんぜん違うし、顔も違う」
那白も月尋も色素が薄く容姿が整っている点は共通している。だけど、初見で二人が兄弟と見抜ける人は恐らくいない。
「で、ちなみにシロが弟か?」
「はあ?オレが兄貴に決まってんじゃん。月は一つ下だよ」
「いや、身長と顔立ち見たら百人が百人とも月尋が兄ちゃんだって言うぞ」
「ムカツク、何気にオレのことチビの童顔ってディスっただろ。オレがチビなんじゃなくて月がでかいの。身長百七十五だぜ、オレのダチよりでかいっつーの」
月尋みたいな弟が那白にいるなんて意外だ。我儘そうだし一人っ子だと思っていた。
「そんで、月に何したんだよ、クロ。妙なことしてないよな?オレの弟に手ぇだしたらぶっ飛ばす」
「大丈夫だ、兄さん。変なことなんてされてない。不良に絡まれたのを助けてもらった」
「不良に絡まれた?どこのどいつだよ、ぶん殴ってくる」
「黒須さんが倒してくれたから大丈夫だ。兄さん、夕食ができたから手を洗って」
「ん、おっけー。月、オマエこの前も不良と喧嘩してたろ。オレ、ちゃんと知ってるんだぜ。タイマンならいいけど、相手が集団の時は気をつけろよ。危ないことすんな」
「わかっているさ」
「わかってない。兄ちゃんがいない時に無茶しちゃだめだぞ。クロ、弟のことサンキュ」
黒須にお礼を言うと、那白は洗面所に消えた。月尋がぺこりと頭を下げる。
「すみません黒須さん、兄が失礼なことを。那白兄さんはちょっと心配性なんです」
「かまわねぇよ。それより、俺は今日からシロの職場で働いてるシロの後輩なんだよ。黒須さんなんてくすぐったいし、黒須か慶って呼び捨てでいいぞ」
「そんな、呼び捨てなんてできないです」
「あいつは俺のこといきなり呼び捨てにしたぞ。その次はクロスケって可笑しなあだ名つけやがった。最終的にはクロだぞ」
「兄さん、きっと貴方が気に入ったんだと思います。それじゃあ、俺は慶さんと呼ばせて貰います。馴れ馴れしいですか?」
「いや、慶さんでいいよ」
「はい。食事ができたので座って下さい」
月尋に促されて、黒須はダイニングのテーブルに座った。ダイニングは畳張りじゃなくてフローリングだ。テーブルは四人用で、夕食は四つ用意してある。
白いご飯に大根とワカメの味噌汁、千切りキャベツを添えた豚肉の生姜焼き、インゲンと椎茸の白和えとバランスのいいメニューだ。
自炊の時にはうどんやチャーハンなど一品物のメニューが多い黒須にとって、久しぶりのちゃんとした食事だ。
あと一人は誰が座るのだろう。黒須は不思議そうに自分の隣の空席の伏せたお茶碗とお椀を見る。長めの黒と松葉色の塗り箸を見たところ、座るのは男のような気がした。
「いただきます」
那白が月尋の隣に座り、みんなで手を合わせて食事を始める。黒須は豚肉の生姜焼きにさっそく箸をのばした。甘さと辛さのバランスが丁度良く、肉が柔らかい絶品だ。
「うまっ、月尋、お前料理上手いな」
「お口にあってよかったです」
「月はすげー料理得意なんだ。掃除も洗濯も全部完璧だし、オレと正反対。月、マジでいつもありがとな」
「いいんだ、兄さん。兄さんはトカゲの仕事もあるし、俺はいろんなこと、兄さんに頼りっぱなしだから」
「そんなことないよ、月。オレも月のおかげで助かってる」
仲良さげに笑いあう兄弟にはほのぼのとした雰囲気だけじゃなく、なにか特別な絆のようなものを感じた。極秘事項のトカゲのことまで知っている。
身内とはいえ、内緒にしておかなくてはいけないことのはずなのに。何か色々と事情を抱えていそうだ。
食事を食べ終わって熱い緑茶を飲んでいる時、玄関が開く音がした。
「ただいまー、仔猫ちゃんたち」
にやけた顔が浮かぶ甘ったるい声でそう言いながら大男がダイニングに入ってきて、他人が家にいることにも気づかずに、那白と月尋を背後から抱き締めた。
その大男が和乃であることに気付いて、黒須は危うく椅子から転がり落ちそうになる。
「おかえりなさい、竜之介さん。食事の用意をしたいので離してください」
「帰ってくるなりセクハラすんな、変態っ!離せ馬鹿!」
月尋が好意的に、那白がぶち切れながら和乃の腕をそれぞれ引きはがそうとする。それでも和乃は右側の月尋に、左側の那白に頬ずりをしていた。
どうなっているんだこの家庭は。黒須は吊り目の三白眼を丸くして三人を見つめる。
「チャージ完了。これで明日も仕事が頑張れそうだ。って、あれ、黒須君じゃないか」
ようやく黒須の存在に気付き、いつも聡明な顔の和乃が珍しく目を丸くする。
「あ、すんません。お邪魔してます」
「いや、驚いた。どうして君が?」
「俺のことを助けて下さいました。それで俺が招いたんです。すみません。竜之介さん」
「いや、謝らなくていいよ月尋。そうか、月尋を助けてくれてどうもありがとう」
和乃はいつもの大人の余裕が漂う笑みを浮かべたが、さっき那白と月尋相手にデレデレしていたところを見てしまっているので、なんともしまらない。
上司の家庭での姿を見てしまって気まずくなったが、当の本人はまったく気にした様子がない。通勤用のスーツを脱ぎ、ラフな部屋着で食卓についている。
「あの、知りませんでした。和乃さんがシロや月尋と家族なんて。でも、名字が違いますよね。まさか、隠し子とか?」
「はは、僕は三十三歳だよ。那白は僕が十六歳の時の子供かい?」
「馬鹿だな、クロ。ありえねーだろ。ちょっとは頭使えよ、ただでさえ皺の少ない脳味噌がしまいにはツルツルになっちゃうぜ」
「うっせぇなシロ、ほっとけ。確かにシロや月尋はハーフっぽくて、和乃さんとは似てねぇけど。でも、親子や親族じゃなきゃどういう関係だよ」
黒須の問いに和乃も那白もすぐに答えなかった。答えたのは月尋だ。
「まだ小学生の頃、家が火事になって両親が死にました。その時に捜査にあたっていたのが竜之介さんで、彼は俺と那白兄さんを引き取ってくれたんです。ちなみに俺達の父はイギリス人で、母は日本人です」
月尋はなんでもない事のように言ったが、普通の家庭で育った黒須にとっては重い過去だった。悪い事を聞いてしまったと反省する。
「和乃さん、なんか色々聞いてすんません。シロと月尋も悪かったな。それにすっかり御馳走になっちまって。和乃さん、俺はここで失礼します。月尋、飯美味かったぜ、ありがとな。それじゃあな、シロ、月尋」
「はい。慶さん、気を付けて」
「じゃーねクロ、また明日職場で。遅刻すんなよ」
余計な一言を背中に受けながら、黒須は和乃の家を後にした。
翌日、黒須は那白と共に殺された由香の大学を訪れた。警察側は事件関係者を誰も勾留していない。不可能すぎる犯罪故に、法的拘束力のある行動をとれないのだ。
黒須は白地に紺のストライプが入ったカッターシャツに黒のベストを着て、黒のスラックスに黒のミリタリーブーツという服装。
那白は白いシャツに裾がアシンメトリーな黒い七分のフードの上着を羽織り、キャメルのスキニーに赤と白のコンバースというラフな格好で校内をうろついていた。
大学のキャンパス内には由香が殺されたことを知らない者が多いようで、騒ぎにはなっていなかった。噂話も聞こえてこない。
大学生同士の生徒の関係は高校の時よりも希薄だ。色んな県から人が集まっているし、好きに授業選択ができるので、同じ学部同士の者ですら一日顔をあわせないことが多い。
大人の男と童顔の高校生が連れだって歩いていても、気にする人がいないくらいだ。
キャンパス内は自然が多く、門扉が開け放たれて誰でも出入り自由だから、小さな子供連れの人や年寄りも散歩している。
「捜査する時って、警察の制服じゃないんだな。トカゲって制服あるのか?」
「トカゲにも制服はあるよ。犯人がいる現場に突入する時や、本格的な調査の時はちゃんと制服着るしね。でも覆面調査の時とか、事務所での仕事の時は着なくていい。クロの分はいま準備中」
どんな制服か知らないが、黒須は自分がトカゲの制服を着ているところを想像する。昔からドラマの刑事や軍隊にはちょっと憧れていた。想像の中の制服を着た自分はちょっとかっこいい。テンションが上がる。
「あ、いま制服姿の自分を想像したでしょ」
那白の大きな青い猫目がこちらを見上げる。小悪魔めいた笑みを浮かべた那白に見つめられていると、心を見透かされている気分になる。
「そ、想像してねぇよ」
「嘘が下手だねクロ。やっぱり想像したんだ。ちょっといかすとか思ってたんじゃない?」
なんでわかるんだ。
子供じみた自分の行動が恥ずかしくて那白から顔を逸らすと、那白がケラケラと笑った。
「いいじゃん。クロは素材はいいんだからさ。ぼんやりした顔してないでちゃんとしまった顔してりゃけっこうかっこいいよ。ま、オレの弟には負けるけどな」
那白の弟、月尋は金髪碧眼のハーフのとんでもないイケメンだ。鼻高々に言う那白に「確かにな」と素直に頷くと、彼は嬉しそうな顔になった。
「それでシロ、今日は聞き込みするんだろう?どういうスタンスでいけばいいんだ?」
「警察ってことは隠して、クロはフリーライター、オレはクロの従弟で探偵ごっこに嵌ってる高校生って感じでいこう。警察としていくと、一度は容疑者になって事情聴取を受けた宮地や狭間に警戒されるだろうからね。ライターや子供の遊びなら警戒されにくい」
「なるほどな。でも一つ言わせてくれ。お前高校生より、中学生って設定にしとけよ」
那白の素早い蹴りが脛に入った。反射神経の良さで直撃は避けたが、それでも痛い。
「いてぇな、蹴ることねぇだろ」
「人を中学生呼ばわりするからだ馬鹿。ほら、さっさと始めようぜ」
新緑に彩られたキャンパス内を黒須と那白は歩き回った。午前十時二十分過ぎ、一講目が早く終わった生徒や、今大学に来た生徒があちらこちらにいる。
黒須は今朝確認してきた書類の写真を思い出しながら、すれ違う学生の中に容疑者候補を探した。
まっさきに話を聞くべきなのは由香の現在の恋人の宮地、元カレの狭間、宮地の元カノの堀北あたりだ。あとは由香と同じ英文学科の生徒、由香が所属していた旅行サークルの生徒を探さなくては。
「大学って人が多いし、授業のとり方も人によって違う。どうやって目的の人物を探すんだよ、シロ」
「オマエ、一応大卒だろ。自分が学生の時とか思い出して、どうやったら特定の学生を捕まえられるか考えたらわかるだろ」
いつの間にかアンタからオマエ呼ばわりに変わった。はたして昇格なのか降格なのか。
きっと前者だと黒須は思う。那白は月尋や澪を名前で呼ぶ以外はオマエと呼んでいた。それにアンタよりもオマエと言われた今の方が声に親しみが篭っている気もする。
「ぼうっと過ごしてたから覚えがねぇよ。それに、大学内で人を探し回った経験がない」
「うわっ。引くわその発言。クロ、友達も彼女もいない淋しい子だったんだ」
「ほっとけ。そういうお前はその毒舌にキッツイ性格で友達いるのかよ?」
「いるよ。愚直なクロと違って、ちゃんと猫被ってるからね。まあずっとトカゲと二足の草鞋だから忙しくて遊んでらんねーけどさ。休んでる間のノート見せてもらうとか、グループワークで組む時とかに困らないように、友達グループに所属してるから」
それは友達なのか、便利屋みたいな扱いじゃないか。突っ込みたかったが、流石に言うのは憚られた。
「そうだ、大学には必修科目がある。英文科の人間を探すなら、英文科の必修の講義を調べて、その講義の前後を狙えばいいんだ」
「そう、正解。そんくらいのこと、ぱっと思いつけよな。オレは事務所を出る前にシラバス見てちゃんと下調べしたよ。運よく、火曜日は大学二年生の英文科の必修講義が三講目にある。狭間はそこで捕まえようぜ。旅行サークルの活動日がいつかわかんないな。大学のホームページにもないし。ま、宮地と堀北は食堂で探すかな」
人探しはなかなか大変だ。キャンパスを歩き回る生徒を確認しているが、なかなか当たりがでてこない。
チャイムが鳴り響く。二講目が始まり、校舎や庭を歩き回っている生徒の数が少なくなる。講義で使っていないテニスコートや体育館のトレーニングルーム、食堂や喫茶店を見て回った。しかし、目的の人物は見当たらない。
「図書館にでも行ってみようか」
「いいけどシロ、学生証がないぞ。大学の図書館の入り口には入館ゲートがあって、学生証を翳さないと扉が開かないかもしれない。俺の大学はそうだった」
「そうだね。前に別の大学に調査に訪れた時もそうだったよ。あの時はトカゲとして訪れたから開けて貰えたけどね。まあ、でもそんなの平気さ」
那白は軽やかな足取りで図書館に向かった。どうやって中に入るのだろうと疑問に思いながらも、黒須は彼の小さな背中を追う。
図書館のガラス戸を開けて中に入ると、案の定、入館ゲートがあった。
「やっぱ学生証がないと駄目だな。シロ、どうする?事情を話していれてもらうか?」
「いいよ、面倒だし。見張りがいるわけじゃないから、楽勝さ」
那白がひらりとゲートを飛び越した。ゲートを見張る職員おらず、警報が鳴るわけでもない。何の咎めもなしに侵入できた。ゲートの向こうの那白が、お前も早く来いと手招きをしている。若干気が引けたが、黒須は那白にならってゲートを飛び越した。
「意外と簡単に入れちまうんだな。門を飛び越したりくぐったりしても、不法侵入を検知されちまうかと思ってた」
「学校の図書館だぜ、そんな高度なシステム搭載するかっての。こういうゲートは、自動で開く扉を無理やり押した時に不法侵入を検知するのさ」
堂々と那白が館内に入っていく。入ってしまえばこちらのものだと、黒須もいつも通りの足取りで歩いた。
「悔しいけど、竜はやっぱり見る目があるな」
「いきなりだな、シロ。なんでそう思う?」
「クロは、刑事とか探偵に向いてる。オマエがキャンパス歩いてる時とか、今この瞬間にビクビクして挙動不審だったらぶん殴ってやろうと思ってた。でも、オマエはどこにいても堂々としてる。度胸あるよね」
「褒められてんだよな、サンキュ」
「まあ、知識はないし、頭も悪そうだけどさ」
「いちいち一言余計なんだよ、シロ。褒め言葉だけ言っとけよな」
憤然としながらも、黒須は学生の顔に注意を払っていた。本棚の前、机などにポツポツと学生がいるが目的の人物の姿はない。一階から三階までくまなく歩いたが、容疑者候補はいなかった。
黒須は書庫に目を向けた。大きな窓があって光溢れる図書室エリアと違って書庫は薄暗く人気がない。望みは薄いがもしかするかもしれないと足を向けた。
「うえっ、古い紙とか黴の臭いがする。すげー埃っぽいし」
那白は鼻を摘んで顔を顰めている。大袈裟だと思うけど気持ちは分からなくもない。陰気な雰囲気が漂っていて、長居していると気が滅入ってしまいそうだ。
だからこそ、騒がしい大学内で静かにひっそりしていられるこの場所に目的の人物がいるのではないだろうか。黒須はそう踏んでいた。その考えは正しかった。
「あ、いた」
那白が指さす先に視線を向ける。図書室と違って天井が低く六階建てになった書庫の二階の奥の隅、薄暗い空気に溶け込むように、黒いシャツにズボンと黒づくめの宮地が座っていた。
写真で見た顔より少しやつれ、目にも光がない。どちらかというとパリピな雰囲気だった宮地はすっかり消沈していた。
「宮地サンだよね。少し、話してもいいかな」
那白が遠慮なく宮地の隣に腰を下ろす。宮地のセクシーな垂れ目がぼんやりと那白の方を向いた。
「坊や、誰だい?」
「オレはこの人の甥っ子。この人はフリーライターなんだよ。そんでオレは探偵ね」
那白が人懐っこい笑みを浮かべる。可愛らしいぱっちりした猫目の美少年に、宮地は少し警戒心を解いたように頬を緩めた。
宮地に話しかける那白の声は、いつものちょっと大人びたつれない声じゃなくて元気で明るい。
普段のチェシャ猫笑いで生意気な口を利く彼とは別人の天真爛漫な純粋な少年っぷり。
完璧な演技力に脱帽だ。
ぼんやりしていると、那白に密かに足を踏まれた。慌てて彼に調子を合わせる。
「どうも、俺はフリーライターの黒須です。じつは、林由香の殺害事件について調べてて、あんたに聞きたいことがあって来た」
「由香の事件について―…」
俄かに宮地の瞳に憎しみが揺らぐ。黒須は直球で行き過ぎたと後悔した。
「あのね、オレとクロ兄は恋人を失った上に、犯人扱いされた宮地さんが心配なんだ。まだ容疑者リストに入ってるんでしょ」
「新聞にははっきり書かれてないし、事情聴取からも解放されて警察も来ていないのに、どうしてそんなこと知ってるんだ?」
「それはオレが優秀な探偵で、クロ兄が敏腕ライターだから」
無茶苦茶な答えだと黒須は思ったが、宮地にとっては説得力があったらしい。彼は納得したように頷くと、鋭くなった眼つきをまた弛めた。
「警察の捜査、進んでないんだってね。オレが調査をすすめてあげるよ。だから、お兄さんが知ってることを教えて欲しいんだ。今、話いいかな?」
「いいよ、何が聞きたいんだ?」
「まずお兄さんと由香さんの出会いから知りたいな。美男美女のお似合いカップルだよね」
那白に褒められて、宮地が満更でもないという顔になる。
「僕と由香が付き合い出したのは一カ月半前ぐらい。由香とは同じ旅サークルでずっと仲がよかったんだ。彼女が前の彼氏に愛想が尽きて別れた直後に二人で食事に行って、親密になったんだよ」
「へえ、前の彼氏よりお兄さんの方が良い男だったんだね。お兄さんかっこいいもんね。由香さんはなんで前の彼氏とダメになっちゃったの?」
「僕は由香の元彼とはあんまり面識がないし、はっきりと知らないけど、由香は性格の不一致って言ってたよ」
「そうなんだ。事件当日の四月二十四日のお兄さんと由香さんの行動を教えてよ。どうしてお兄さんとは別の人とラブホに行ったの?相手は由香さんのバイト先のキャバクラの店長だったよね」
「言っとくけど、由香は店長と俺の二股かけてたわけじゃないよ。二股かけられてたのは元彼の方ね。あの日、由香は二講目に英文学、僕は経済学の講義を受けていた。お昼を一緒に食べる約束をしていて、食堂で待ち合わせていたんだ。その時、由香がキャバクラのバイトを辞められなくて困っているって話になってさ。由香が店長といざこざして引き止められていたのを知ってたから、僕は何か手を貸そうかって言ったんだ」
「由香さんは店長さんと揉めてたのは、何故ですか?」
黒須の質問に、宮地は少し難しい顔をする。
彼は黒須の耳に唇を寄せると、那白に聞こえないようにひそやかな声で言った。
「由香は前の彼氏と付き合ってた頃に店長ともできてたんです。前の彼はセックスがつまらないって言っていました。それで経験豊富なバイト先の店長と寝ていたんです。お小遣いも貰っていたようで。不倫で二股だったんですよ。店長の写真は見ました?」
「ああ、見ましたよ」
「店長、なかなかハンサムだったでしょう。由香、店長ともお金だけの関係じゃなくて、わりといい感じだったんです。でも僕と付き合い出して僕だけだって言ってくれて、それで不倫だけじゃなくて店もすっぱり辞めようとしたけど、店長が由香にご執心で、辞めさせてもらえなくて」
コソコソ大人二人で話し合っていると、那白が唇を尖らせた。
「ねえ、オレも混ぜてよ。退屈じゃん」
敢えての幼い行動だと黒須はわかっていたけど、宮地はすっかり那白の被る無邪気な少年の仮面に騙されていた。ハニーフェイスを更に弛めて「ごめんね」と笑う。
「話を戻すけど、由香はあの日、僕と一緒に立てた作戦を決行したんだよ。ちょうどバイトの日だったしね。作戦はシンプルだ。由香がよく利用していたキャバクラからすぐのラブホに店長を誘い出し、そこで仲良く話している最中に二人で写真を撮り、店長の奥さんに送りつけるって脅す。子供でも考え付くけど効果的な作戦だ」
「その作戦を実行したんだね。お兄さんもラブホについてったの?」
「いや、僕は怪しまれないように近くの喫茶店にいた。由香をいつでも助けられるように、スマホと睨めっこしてたんだ」
「由香さんから連絡はあった?」
「あったけど、助けを求めるものじゃなかった。九時五十分頃、無事に決着したって連絡があった。それに対する僕の返信はすぐに既読になったけど、そのあと返事はなくて」
「由香さんからきたラインは、本当に彼女からのものだったの?」
「僕はそうだと信じている。あの文体や絵文字のチョイスは彼女のものだったからね。彼女はすぐにラインを返す人だった。なのに、既読スルー。おかしいと思って、僕はすぐにラブホに向かった」
「確か十時にラブホに着いて部屋に向かったんだよね。でも、部屋の鍵を開けてもらえなくて、十分後に受付に戻ったんでしょ。あのさ、ラブホって広くないよね。部屋に行って受付に戻るまで十分は、少し時間がかかりすぎでしょ。お兄さん、十分も何してたの?」
「違う、僕がその十分で由香を殺したわけじゃない!」
那白の質問に宮地が急に興奮して叫んだ。黒須は彼の変貌ぶりに驚いたが、那白は予想の範疇だったのか平然としている。
「わかってるよ、お兄さん。お兄さんと由香さん、ラブラブだったもんね。一応確認の為に聞くだけ。それで、何してたの?」
「由香がいる部屋に行く前、廊下で元カノに会って喋ってたんだ」
「堀北さんって人だよね」
「ああ、そうだよ。彼女が一人で廊下を歩いていて、僕に気付いて話しかけてきた」
「その時、堀北って人に変わったところはなかった?」
「特に変わったことはなかったと思うよ。一方的に僕が振ったことを怒っていて、恨みつらみを言われただけだしね」
「そうなんだ。お兄さん、事件の日、由香さんに何か変わったことはなかった?」
「変わったことはなかったと思うけど」
宮地はそこで一旦言葉をきり、視線を斜め上に向けた。
「ああ、そう言えばお昼の待ち合わせの時、僕が来る前、由香の元カレが由香と食堂で少し喋っていたみたいだ。僕が行くと、彼は逃げるように由香から離れたけどね」
「ふうん。じゃあ最後。お兄さん、ラブホで倒れていた由香さんを見つけた時、由香さんはどんなふうだった?」
「ゆ、由香は、血塗れでベッドに横たわっていた。僕は慌てて彼女を抱き起したんだ。呼びかけたけど、返事がなくて。それに、目が、目がなかったんだ」
今にも泣きだしそうな顔で宮地が語る。肩を震わせ、言葉をつっかえて、見ているだけで痛ましい姿だ。黒須は顔を背けたくなった。でも、那白は淡々としている。
「由香さんを見つけた時、お兄さんはどう思った?」
「死なないでくれって、必死に祈ったよ。どうしていいかわからなくて、頭の中が混乱して、なんとか救急車と警察を呼んで。ああ、由香。誰が殺したんだ―…」
顔を歪めて突っ伏した宮地の肩を、黒須は優しく擦った。
「由香さんのことは俺達が突き止めます」
「ありがとうございます、お願いします」
「本当にありがとう、お兄さん。ねえ、連絡先だけ教えて」
那白に頼まれて、宮地は鞄から手帳を取り出してスマホの番号を書いて破った。紙片を受け取ると、那白はもう一度お礼を言って黒須のシャツの袖を引っ張って書庫を出た。黒須が去り際に振り返ると、宮地は顔を伏せて震えていた。
「シロ、宮地は黒か?それとも白か?」
図書館の外に出るなり、黒須は疑問を口にした。那白は宮地といた時の純粋な少年とは別人のように、どこか退屈そうなすれた表情で黒須を見る。
「オレ的には完全白だね。あの涙は演技じゃないよ、本気で悲しんでた。それに宮地は腹芸できるタイプでもなさそうだったし。歌辺さんの犯人像には当てはまらない」
「宮地の話でなにか犯人を見つけるヒントは得られたか?」
「どうだろ。でも、興味深いことが聞けた。犯行日に由香と元カレの狭間が接触してたこととか、堀北と宮地がラブホの廊下で会ってたこととかね。さて、次は堀北でも探そうかな。そろそろお昼休みになるし、もういっかい食堂に行こう」
那白に仕切られるまま、黒須は彼と共に食堂に向かった。
正午、ちょうどお昼時で食堂にはたくさん学生が集まっていた。
写真で見た堀北は地味な生徒ではなかったが、由香のように目を引く美人でもない。
ファッションも顔立ちもほぼ平均的だったので、運よく食堂に彼女がいたとしても、そこら中に生徒がいる中から彼女を探すのは至難だ。人の多さにうんざりしながら、隅から隅まで目を凝らす。
料理を提供しているカウンターから離れた窓辺の席に視線を向けた時、資料の中にあった顔を見つけた。茶髪のボブヘアに円らな瞳。間違いない、堀北だ。
黒須と那白はゆったりとした足取りで、友人二人と食事をしている堀北に近付いた。こちらに気付いた堀北が顔を上げ、怪訝そうに片眉を上げた。
「どうも、堀北さんですね。俺はフリーライターの黒須だ。こっちは自称探偵の甥っ子」
「フリーライターがわたしになんの用よ?」
堀北がジロリと黒須と那白を睨む。警戒心を顕にする堀北に対して、彼女の友人二人は歓迎ムードだ。きゃあきゃあと華やいだ声をあげる。
「取材だよ、堀ちゃん。すごいじゃん」
「フリーライターとかカッコイイよねぇ。甥っ子さんハーフ?すっごいかわいいっ」
那白が愛想よく無邪気に笑って手を振る。相手の口を軽くするための営業スマイルだ。
「由香さんが亡くなったことは知ってますね?」
「言っとくけど、わたしは犯人じゃないわよ」
「犯人なんて思ってない。ちょっとそのことで、話を聞かせてもらえませんかね?」
「もちろんオッケーでーす。ねえ、堀ちゃん」
「ちょっと晶子、わたし、取材なんて受けたくないんだけど」
「いいじゃん、減るもんじゃないしさぁ。由香にはムカついてたんでしょ。あの子の悪事をバラしちゃいなよ。宮地くん盗られたんだし、遠慮なく言っちゃいなって」
堀北の友人二人の話ぶりからすると、由香は女子の間では評判がよくなさそうだ。
「わかったわよ。ちょっとだけね、ライターさん。何が聞きたいの?」
しまった。堀北を探すことばかり考えていて、彼女を見つけた時に何を質問するか頭になかった。
困った顔で那白を見ると、那白は小さく鼻を鳴らした。
「堀北さんさ、由香さんが殺された日にホテルに居たよね。その時のこと詳しく話して」
那白の質問に堀北の友人二人の目に好奇心が滲んだ。人の色恋沙汰、特にいざこざが絡んだ時に女はハイエナと化す。黒須はゾッとした。
「ちょっと、そんなプライベートなこと話せないわ。わたしに恥をかかすつもり?」
「恥をかくようなことをしてたの?それとも後ろめたいことでもあるわけ?」
「そうじゃないけど―…」
「だったら話せるよね」
宮地の時に見せていた共感的な態度とは真逆で、那白は挑発的だ。その態度に乗せられるように、堀北が口を動かす。
「ホテルがラブホだったってことは知ってるんでしょ。だったら何の用で来たかはボウヤにでも理解できるわよね。サークルの男友達と来てたのよ。前の彼氏のことなんて、さっさと忘れたかったからね」
「ちょっと堀ちゃん、そんな話聞いてないよ」
「相手は誰?旅サークルってことは浦川くんとか?」
「晶子も雪絵も黙っててよ。わたし、多分こいつらに犯人って疑われてるのよ。その容疑を晴らすために、恥を忍んで喋ってるんだからね」
「ごめんごめん、もう黙っているから」
友人二人は申し訳なさそうに謝ると、前のめりになっていた姿勢を正した。
「時間まで詳しく話してくれると助かるけど、覚えてる?」
「そんなの覚えてないわよ。ホテルに来たのは夕飯を食べてからだから八時頃だと思うわ。帰ったのは十時半過ぎよ」
「ホテルで、特に変わった事とかなかった?」
「特になかったわよ。しいて言えば、帰り際に警察が来てたことくらいね。その時はまだ何が起きたか知らなくて。翌日、警察がわたしの下宿に来て、由香がラブホで殺されたことを聞かされたわ。あとは、ラブホの廊下で宮地に会ったくらいね」
「宮地さんとは会った時に何を話したの?時間は分かる?」
「時間まで覚えてないって言ってるでしょ。たまたま廊下に出たらあいつが居て、恨み言の一つでも言ってやんなきゃって気分になって、嫌味を言っただけよ」
「堀北さんはどうして廊下に出たの?」
「嫌な子ね、わたしが由香を殺すためにこっそり部屋を出て、由香を殺して戻ってくる途中だったとでも思っているの?違うわよ。ぐうすか寝てる連れを見て、なんとなく何やってんだろって気持ちになって、気分転換に廊下を散歩していたのよ。そんなことで犯人扱いされちゃ、たまんないわよ」
すっかり怒り心頭な堀北をこれ以上怒らせないよう、黒須は落ち着いた声で尋ねる。
「由香さんとはどんな仲でしたか?あと、彼女の交友関係や評判について知ってることがあれば教えて下さい」
堀北は深く溜息を吐いた。物憂げにも憎らしげにも見える表情だ。
「由香とは旅サークルで知り合ったけど、仲がよかったわ。よく、あの子に元彼のことで相談された。でもあの子は恩を仇で返したの。元彼が嫌になったからってわたしの彼氏を誑かして奪ったのよ。友達にも彼氏にも裏切られて、ほんと腹立たしいったら。由香は美人でモテるのを鼻にかけて、すぐ男に愛想を振りまくのよ。惚れっぽい性格だったし。そういうところ、ちょっと評判悪かったわよ」
「ホント、堀ちゃんのカレシに手を出すなんて、意地汚いよね」
「由香さんの元彼はどんな人でしたか?確か、名前は狭間さんでしたよね」
「そう、狭間。由香と同じ英文科の人で、チラッと見た感じではシャープで背が高くてそれなりにかっこよかったんじゃないかしら。性格は知らないけど。晶子、何か知ってる?」
「狭間くんでしょ、知ってるよ。英文科に友達がいるからね。狭間くん、頭良くてリーダーシップがあって友達多いらしいよ。由香、何が気に入らなかったんだろうね。雪絵はどう思う?」
「さーねぇ。顔なんじゃないの?宮地くんはハニーフェイスで女の子ウケがいいイケメンでしょ。でも狭間くんは服とか髪型をちゃんとしてるだけでそこまでイケメンじゃない」
「ご協力どーも。これが最後の質問。由香さんが殺されたって知ってどう思った?」
「ボウヤ、かわいらしい顔してえげつないこと聞くのね。まあ、答えてあげるわ。由香が死んで、罰が当たったのよって思ったわ。ざまあみろとまでは言わないけど」
「アタシは堀ちゃんほど由香と親しくなかったから、なんとも。まあ、ちょっとかわいそうって感じかな」
晶子の言葉に雪絵も大きく頷く。
「そうだよね、まだ若いもんね。人生これからなのに。でも、殺されるってことは恨まれてたんでしょ?病気ならともかく、そんなに同情できないよ」
「そっか。ありがとう、お姉さんたち。クロ兄、行こうぜ」
那白がさっさと踵を返して食堂を後にする。彼はそのまま学校を出ていった。
「どこ行くんだよ、シロ。調査は終わりか?事務所戻るなら、車を置いていけないだろ」
「まだ戻んないよ。肝心の狭間にまだ何も聞いてないじゃん。お昼休憩だよ、腹減っちゃったし。クロだって腹減っただろ?」
「そうだな、ちょうど昼時だな」
「じゃあ休憩。車で走ってる時、学校のすぐ近くに雰囲気よさげな洋食店見つけたんだよ。ほらあそこ。行こうぜ」
嬉しそうに笑う那白は無邪気な子供そのものだった。
そうだ、彼はまだ高校生なのだ。頭の回転のよさと堂々した態度に圧巻させられることが多くてすっかり忘れていた。
彼が普段見せるチェシャ猫めいた笑みも、時折見せる冷たげな表情も大人びている。小生意気な態度も精神が老成していることを感じさせ、たまに彼が自分より八つも年下だと忘れてしまう。
那白は何故、学生なのに警察の特殊影動課なんかに所属しているのだろう。彼の両親は火事で死んでしまったそうだが、そのことが何か関係あるのだろうか。
ぼんやりと突っ立っていると、那白が振り返って叫んだ。
「早くしろよクロ、置いてくぜ」
呆れたような怒ったような顔で呼ばれて、黒須は急ぎ足で彼の傍に走り寄った。目の前にはグリム童話に出てきそうな洋風の小さな建物がある。洋食店さとう料理店という看板を見て、おしゃれな建物に比べて安易すぎるネーミングセンスに黒須は苦笑した。
店内はランチ会を楽しむ主婦達が何組かいて賑わっていた。若い女性店員に好きな席にどうぞと言われ、那白は光の恩恵から遠い隅っこの二人席に腰を降ろした。
「オレはチキングラタンにする。クロは?」
「ナポリタンで」
年上らしく那白の分も注文してあげようと思ったが、自分より彼の方がずっとちゃきちゃきしていた。那白が素早く手を上げて店員をテーブルに呼んで注文を済ませた。
「そんでクロ。さっき堀北から話を聞いてどう思った?」
「堀北はたぶん犯人じゃない。由香の死に対してドライすぎる気がするけど、大学生の友情なんてあんなもんだろ。男盗られてるわけだし」
「オレも同じ意見。さっきの収穫は狭間についてちょっと知れたことぐらいだね」
白い陶器のグラタン皿とナポリタンが盛られた鉄板が運ばれてくる。黒須と那白は会話を中断して、食事に没頭した。野暮ったい店名に反して、ナポリタンはハイカラな味がした。
ケチャップではなくニンニクの風味が隠し味のトマトソースを用いているようだ。
ナポリタン独特の甘味もありつつ、酸味とスパイシーさもあってとても美味しい。
食事を終えると水で喉を潤し、腹をならすのに少しだけ休憩してから店を出た。
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