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23、その空間で全て事足りる

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  デート当日。約束の時間五分前に響季は待ち合わせ場所に到着した。
  が、零児はすでに待っていた。

  「ごめんっ」
  「べつに」

  謝る響季に対し、零児の態度は素っ気ない。
  やはりメルデレか。 
  ワクワクして早めに着いちゃった、てへ、というより、相手を待たせないという気持ちからだろう。
  あるいは早めに来て相手に罪悪感を植え付けるという作戦なのかもしれない。

  「じゃあー、えーと、…いこっか。……手、つなぐ?」

  言いながら響季が手をひらひらとさせて見せるが、

  「いい」

  零児はそれを断り、

  「こっちでいい」

  腕を絡ませてきた。30度を超える真夏日にこれは暑苦しい。
  控えめな胸が響季の細い腕に当たる。
  絵に描いたようなドキドキシチュエーションだが、響季はそれが全く嬉しくないということに驚いた。


  シネコンは夏休みだけあって混んでいた。
  ロビーには人が溢れ、売店にも列が出来ている。当然カップルも多い。
  響季は上映されている映画をチェックしながら、もし今の状況を学校の友人に見られたら、と考えた。高校の友人ではない、地元の、中学の友人にでも見られたらどう説明すべきか。
  友達、恋人。
  どちらにしてもそう言うには二人の関係は薄い。
  二人は付き合っているのか、はたまたこれから付き合うのか。ラジオに送ったあのメールは気の効いたサプライズ告白と取っていいのか。
  デートをするという目の前の大問題に、先送りしていた問題が襲ってくる。

  「お昼食べてきた?」

  立ちふさがる二つの難題を解く響季に、零児が声をかける。

  「ねえ」

  だが響季は聞いていない。零児はいつもより強めの声で呼ぶ。

  「響季」
  「はいっ!?えっ、なに?」
  「お昼食べてきた?」
  「ああ…、軽くだけど」
  「そう。じゃあ、私食べてないからなんか買ってくるね」
  「うん。……あれ?」

  そう言って売店に向かう零児を見送り、響季はあることに気付いた。

  「今、名前で」

  手紙の中ですら名前を呼ばれたことはなかった。
  手紙では、君、貴女、などといういかにも文学少女のような呼び方をしていた。
  貴殿、と呼ばれたこともあった。
  うぬ、と呼ばれた時は吹き出した。

  「どうしよう…」

  響季が服の、胸のあたりの布地をぎゅっと掴む。
  名前を呼ぶことで一気に距離を縮める。こんなもの、恋愛テクニックの初歩中の初歩だ。
  それが作戦なのか、天然なのかわからない。
  惚れさせようとしているのか、本当に好いてくれているのかわからない。

  「違う違うっ、作戦だ作戦っ。騙されない、騙されないぞっ」

  赤くなりかけた両頬をぱちぱちと叩き、響季は気合を入れる。
  戦いはまだ始まったばかりだ。負け戦になろうと最後まで戦ってみせる、と。

  「おまたせ」

  零児はチュロスを買ってきた。
  策士が返ってきたところで、二人は改めて何の映画を見るか決める。
  選択肢は話題の邦画か、話題の洋画か、テレビドラマの劇場版か、以前やっていた映画の続編か、原作クラッシャーの映画か、よくわからないアニメ映画。

  「どれ見たい?」
  「何でもいい」

  訊いた響季に、零児がチュロスを齧りながら言う。
  すでに映画など興味がなさそうだ。こういう時はどうすべきか。
  優柔不断な男子は嫌われる。しかし響季は女子だった。そして向こうも。
  困ったことに大体の女子は優柔不断だ。

  「♪ど、れ、に、し、よ、う、か、な」

  響季が節をつけて、指をさして選ぶ。こんな決め方でいいのだろうかと響季は思うが、デート相手はチュロスを齧るばかりで特になにも言わない。

  「♪て、ん、の、か、み、さ、ま、の、い、う、と、お、り」

  神が選んだのは、アニメ映画だった。
  マニアックな、どちらかと言えば小さいお友達ではなく大きいお友達向けの。

  「…他のにする?」
  「いい、面白そう」

  そう言って零児は響季の腕を引っ張り窓口へ。 響季がタイトルを告げ、

  「あの、これ」

  貰った招待券を二枚出す。

  「あっ、はい」

  ちゃんと使えたことにホッとしながら響季がチケットを受けとる。
  始まるまで少し時間があった。
  ロビーをうろついていると、これから見る映画の巨大ポップが目についた。無駄に眼の大きい美少女キャラが、蒼い海だか空だかにたゆたっている。
  数人の大きいお友達がそのポップをケータイのカメラで撮っていた。
  ポップの下の方には出演声優の名前があり、その一番先頭に書かれた名前、汐谷茉波しおたにまなみという名前に響季の目が留まる。

  「あ、これ汐谷さん出るんだ」
  「ほんとだ」

  響季の独り言に零児が反応する。汐谷茉波は人気声優ではあるが、誰でも知っている声優、誰もが知っている声という訳ではない。劇場版アニメのメインヒロインを張れるぐらいに人気はあるが、そのアニメ自体、普通の人は存在を知らない。
  普通の人は知らない人気声優。
  そんな人物を、零児はなぜ知っているのだろうと響季はぼんやり考える。
  汐谷茉波のラジオは軽快な自虐トークが面白く、本来ノベルティが貰えたらその番組は聴かなくなる響季でも毎週エアチェックを欠かさない。
  メールを読まれるリスナーも、響季がたまに気まぐれで聴く芸人系ラジオ番組で耳にするネタ職人の名前がよくあった。響季は声優のラジオが好きでよく聴いてはいたが、アニメ観賞が趣味な訳ではないので声優の出演作までは見ない。
  声優はあくまでラジオパーソナリティとして好きだった。本業であるところのアニメ仕事への興味はない。
  零児はアニメ好きなのだろうか。

  そこまで考えて、響季の身体にビリビリとした電気が走る。
  違う、ラジオファンだからだ。ラジオリスナーだからだ。
  自分と同じ。
  今のいままで忘れていた。
  芸人系ラジオを聴いているネタ職人までもがこぞってネタを送ってくるほどの番組だ。零児が聴いている可能性は高い。
  零児はラジオのネタ職人だ。
  だから自分は近づいたはずなのに。どんなラジオを聴いていて、どんなネタを送っていて、どんなラジオネームなのか知りたい。
  目的はそれだった。
  デートで緊張し、鬱になり、吐き気を催し、ハイになって、揺り返しで鬱になり、忘れていた。
  宣伝ポップを見ながら響季の思考と身体が固まる。
  固まっている響季に零児がどうした?と問い、

  「いや、うん。あー、もう行こっか。トイレとか、大丈夫?」
  「ああ、行っとこうかな。もうこれ食べていいよ」

  そう言って零児が食べかけのチュロスを響季に渡す。
  響季が齧ると、緊張で乾いた喉に堅い生地がガサガサと引っかかった。

  トイレに向かいながら、うまい具合に引っかかるなと零児は思った。
  映画は何を見るか。
  昨夜、シネコンの上映スケジュールを調べた零児は、最初からアニメ映画に決めていた。
  汐谷茉波が出ていたからだ。
  そうでなければ話題の洋画の吹き替え版。こっちには吹き替え声優として河村鈴佳が出ていた。
  そこから汐田か河村を知っていることへ繋げ、ラジオを聴いていることを匂わそうとした。
  しかし零児のたった一言で響季は気付いたらしい。
  というより今まで忘れていたらしい。
  本来の目的を見失っていたデート相手に、ばかだなあ、と零児は乾いた笑みを浮かべた。

  
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