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34、面倒な娼婦様

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 「どうしたの?」
  「なん、でもないよ」
  「そう。はい」
  「ああ…、どうも」

  メールを読み終え、細部にまで至るラジカセフィギアの造形美を堪能した零児がケータイを響季に返す。

  「えっと、どうかな」
  「なにが?」
  「そろそろ、話してくれないかな。そっちのことも」

  空の紙コップの縁を指でなぞりながら、零児が、ああ、と答えた。忘れていたとばかりに。
  ほんとはいつ訊かれるかと、ずっと頭の片隅にあったのに。

  「いいよ」
  「ホントにっ?」

  相手の言葉に、響季の声が華やぐ。だが零児はすぐに口元に手を添えてテーブル越しに顔を近づけてきた。
  それをナイショ話の姿勢ととり、響季が耳を近づける。

  「××××××××××××」

  二人にしか聞き取れない声量で何かを言うと、零児は身体を離し、また距離を取る。
  そしてテーブルに両腕で頬杖をつき、上目遣いで見てきた。
  いつものクールなアーモンドアイではない。
  それは、娼婦の目だった。
  誘っている。誘われている。
  精神的にではなく、肉体的に。もっと、即物的に。
  響季はさっき抱いたいとおしさと同じくらいの怒りと嫌悪感を抱いた。
  それでも真意を見いだそうとする冷静さはまだあった。

  「何なの」
  「何が?」

  出てきた声はひどく冷たい。答える零児の声も。 
  響季の感情に、吐き気が加わる。さっき聞いたのは愛の告白にも似た何かだが。

  「嘘でしょ?」
  「うそじゃないよう」

  零児がぷうと頬を膨らます。男になら効くかもしれないが、女には効力を発揮しない。殴りたい、と響季は思った。

  「あたしのこと好きなの?」
  「すきだよ。だーいすき」

  零児がにひひと笑う。
  これも嘘だ。
  好きだなんていう嘘をつく。付き合いたいだなんて嘘をつく。響季にはわからなかった。

  「女の子が好きなの?」

  真意に近づいてるのかどうかわからないまま響季が斬りこんでいくと、零児の表情が変わった。
  夜道で道端に生えた植物の葉が予期せず触れたように、肌が、零児の周りの空気がざわりと波打つ。
  お付き合いをしたいらしい、だが明らかに自分のことを好いてはいない。目的がわからない。
  どうにかして考えを巡らすが、

  「響季は、私のことすきじゃないの?」
  「えっ?」

  不意をつかれ、質問のターンが変わった。答えをまだ聞いていないのに。
  嘘の告白に、なぜ返事をしなくてはならないのか。
  だから響季は嘘の返事をする。

  「好きだよ」
  「じゃあ」
  「でも、恋人にはならない」

  折りしも今は高一の夏休み。恋人がいない子達も一気に相手を見つけ、つがいとなるだろう。そう考えた時、響季は何かを掴みかけた気がした。

  「零児は、零ちゃんは誰かと付き合ったこととかないんだよね?」
  「ないよ」

  ふてくされたように頬杖を突き、隣のテーブルあたりを見ながら零児が言う。

  「あたしも、ないんだけど」
  「だから?」
  「付き合い方がわかんないよ…。女の子となんか」
  「そんなのっ」 

  怒りに満ちた顔を零児が向け、

  「お互い好きならそれでいいでしょっ」

  そう言い放つ。だが二人には重要な部分がお互い欠けていた。

  「好きなんでしょ?私のことっ」

  響季がテーブルの上に組んだ両手に、零児が手をかけてくる。
  冷たい、小さな手。
  この手が好きなんじゃないのか。いや、話をしていた時、本当に好きになりかけた。
  さっきも確かに恋に落ちた。
  響季がそう自分に言い聞かせる。
  けれど今、目の前にいる女の子はそれとは別の女の子に見えた。

  「…あたし、なんかでいいの?」
  「いいよ。…何度も言わせないで」

  零児が小さな声で言う。うつむいた顔が赤い。
  そのまま掴んだ手に少しだけ力を入れてきた。ほんの少しだけ。冷たい小さな手で。
  その力の弱さに響季は流されそうになる。だが、だめだ、違う、これは作戦だ。と自分の中から声が聞こえた。
  響季が組んだ手に力を入れ、ぎゅっと目をつむり、ごめん、と謝る。そして、

  「めんどくさいんだ」

  と、絞りだすような声で言った。

  「えっ?」
  「えっ?」

  二人の女子高生が顔を見合わせる。
  けれど、言った本人が一番驚いていた。今、自分は何を言ったのかと。
  だが響季はその時すべてを理解した。
  ラジオなんてものは本来一人で聴くものだ。一人で楽しむものだ。
  ひと番組は30分。長くて一時間から二時間。それを週に何本も、何時間も聴く。たった一人で。
  ラジオに送るネタを考えるのも一人だ。楽しく優越感に浸れる孤独な時間を、響季は思春期の入り口からたった一人で楽しんできた。

  そんなものに慣れ親しみ、楽しむ人間がまともにたった一人の人間と向き合い、付き合うなんて疲れるだけだった。
  おまけに女の子は更にめんどくさい。
  独占欲が強く、おしゃべりで、感情の起伏が激しい。
  柿内君と仲がいいのも、男女の友情の距離感というものはお互いが近づき過ぎないからだ。男友達と女友達はおいそれと腕を組んだりしない。
  響季は女の子同士のそんなコミュニケーションすら煩わしいと思っていた。女同士の付き合いなど、友情でも御免被る。それが恋人として付き合うだなんて考えられない。
  響季にとって、夜は自分一人のものだった。電話で愛を語らい、終わりのないメールを送りあうなんて馬鹿げている。
  だったら深夜の生放送のラジオを聴いてメールを送った方がよっぽど有意義だ。

  自分の中の想いと、真実に気付いた響季が呆然と零児を見る。
  その頬は紙のように白い。それは怒りによってなのか、焦り、戸惑いのどれかわからない。
  わずかに開いた唇からは何も紡がれない。反論も。
  響季の頭に、いつか柿内君に言った言葉が浮かんだ。

  それはミートゥー、自分もです。

  響季は零児のことを、まるで自分のようだと感じていた。
  女の子で、ラジオのネタ職人で、人を寄せ付けない雰囲気。
  しかし零児のそれは響季のものとは違い、飄々と交わすのではなく、薄い冷たい膜でもって寄せ付けない。
  近づきたい。けれど望むのはクールな、付かず離れずな関係だ。恋人ではない。

  もしや、と響季は思う。

  いつその考えが浮かんだのかはもう覚えていない。
  こんな頭のいい子がそんなこと考えるわけがないと、最初に除外した考えだった。

  「単純に」

  逃げないように、響季が上から手を重ねる。

  「ストラップ感覚で」

  零児の肩がびく、と跳ねる。

  「アクセサリー感覚で手に入れたいだけ?恋人ってアイテムを」

  ストラップ感覚、アクセサリー感覚、ノベルティグッズ感覚で恋人というアイテムを手に入れたいだけ。
  けれど男の子だと鬱陶しい。それならば女の子と。
  周囲に自分は一人ではないとアピールするための、それも普通とは少し違ったアイテム。
  自分はそのアイテムに選ばれたのだと響季は考えた。
  零児が細く息を吸い、長く吐いた。額には汗が滲んでいた。
  響季が言葉を待つ。
  フードコートのざわめきが、さっきよりもずっと遠くに聴こえた。

  「当たり。でも」

  顔をあげて、零児がまっすぐ目の前の少女の顔を見てくる。

  「悔しいから、半分当たり」

  よくわからない苦しさに、零児は歪んだ笑みを浮かべていた。
  こんな顔もするんだと、響季は思った。
  そして、自分は彼女のことをまだ何も、全く知らないんだと気付いた。
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