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舞台袖
しおりを挟む大して楽しくもない夜会の最中、アリスの姿が見えないことに気付いた。
といっても、広い会場にそれを埋め尽くすほどの人が詰められているのだ。見つけられていないだけだとも思った。
しかし見知った顔というのは勝手に目に飛び込んでくるもので、ずっと先のテーブルでアルが至極面倒くさそうに色々な人間を相手にしているところが見えた。
エマは首元まで覆うドレスに手袋で肌を隠して、会場の端っこでちみちみと料理にありついている。
いい具合に身を隠せる柱の影に寄って、もうそろそろ退散してもいい頃合いだろうか、などと考えながら。
「良いところに居ますね。僕も便乗していいですか?」
現れたのはフェリクスだが、見慣れた白衣姿ではなく正装に身を包んだ、知らぬ人が見ても二度見するような完成度の色男である。
エマはフォークを咥え込んだままその疲れ果てた男の顔を見上げだ。
「相変わらず、色々と大変そうですね」
忙しいのと、群がる女性を撒くのと、よくある平民いびりも、一方では媚び諂われることも。色んな顔をした人間が、また彼を襲っているらしかった。
「人避けのために来たわけじゃないですよ」
「というと?」
「頼まれていたものを持ってきました」
手渡されたのは、小さな袋。言葉通り、エマが頼んでいた研究用の品が入っているのだろう。
お礼を言って受け取る。おかげでさっさとこの場を出て行きたい理由が増えた。
「順調ですか?」
「んー…ぼちぼち、ですかね…フェリクスさんのおかげで進むかもしれません」
「それは光栄ですね」
柔らかく微笑む男にエマもまた同じように笑顔を返した。
自然な所作で視線を外し、目蓋を落としたその裏で幸せな夢を思い浮かべる。
──もし成果が出たら、認められて、魔法士に一歩近づくかも、もしかしたらもうなれてしまったりして。そしたら次は、次は……
(──次?)
魔法士資格を得たアリスが対象の誰かと結ばれるころ、やっと自分は物語における死の危機から脱せられる。
しかしそんなに待っていないでも、そのうち誰もの視線が彼女に向いて、自分はここから音もなく消えていけるのではないか。
たしかにワーズでの研究生活は充実している。多方面の知を得られ、こうして違う分野の魔法士の助力を仰ぐこともできる。
それでも、死んでしまっては元も子もないのだ。
研究に切りがついたら、今度こそ逃げてしまおう。
ふわふわと勝手に頭に浮かびあがってくる人物たちの顔を振り払って、エマは小さく決意を固めた。
それに、そろそろアリスとの関係を絶たなければ体もいつかガタが来る。
聖と闇の魔力は絶対に相容れることはない。彼女は自分のような邪を払うための手段ともいえる存在だ。
悪役令嬢エマが目の敵にする理由も今更ながら理解できる。まぁ、納得はできないが。
そんなに恐ろしいのなら、全部捨てて離れればよかったのに。離れがたい何かが、彼女にもあったのだろうか。
「ルソーネ様、お飲み物を」
顔を上げれば目の前にはボーイが立っていて、盆の上に一つ乗せられたグラスを取るように促した。
「私、お酒はちょっと」
「聞き及んでおります。ノンアルコールです。匿名希望の紳士から」
「はぁ」
ひとまず受け取ったグラスと男の顔を交互に見るが、どうにも違和感ばかりが募った。
こんな大袈裟な会の最中に毒殺事件などを目論む輩は、それこそ生粋の悪党であったエマくらいだろうが、このグラスの液体には妙なものが混ざっているのがわかる。
「どなたからでしょう。お礼を言わないと。せめてお召し物のお色くらいは教えていただけませんか?」
言えば、男は少しの痛みを感じたように表情を歪ませ、眩暈を抑えるように額に手を当てた。
しかし直ぐに持ち直し、覚えていないと謝罪を述べる。嘘をついてる風には見えない。
(認識操作の魔法かな)
こういった、人が多い場所では上手く効くだろう。
エマは「では結構です」とあっさりと引き下がり、軽く頭を下げ去っていく男を笑顔で見送った。
(さて)
グラスの中ではシュワシュワと泡が立ち上り、鼻を寄せればフルーティな香りが鼻孔をくすぐる。しかしその奥底に何やら怪しげな匂いも混じっていた。
「エマさん」
フェリクスが何を思って自分の名前を呼んだのかはわからない。少し咎めるような声色だったので、飲まない方がいいと言うつもりだったのかもしれない。
しかしエマは彼の呼び声に反応するより前にグラスを傾け、一気に呷った。
一瞬で空になったグラスを眺めながら、ふむ、と口の中で吟味する。
喉に通し切ったところで、唖然とするフェリクスと目が合った。
「美味しかったですよ」
何ともない風に言ってみせれば、フェリクスはいつものように困り笑顔を浮かべ、「それはよかった」と安堵した様子で言った。
その後違和感のないところまで会話を続け、自然な様子で化粧室へと向かうからとフェリクスと離れた。
先程の飲み物──言ってしまえば催眠薬入りだった。
記憶や動作を曖昧にする系統のもので、酒の席では誤魔化して使いやすそうなものだ。
そしてエマには到底効きっこない代物である。
ホール外の廊下をぼんやりとした足取りで歩いてみる。
すると、
「ルソーネ様」
匿名希望の紳士、ということだったが、正体は女性だった。
先日、エマを囲った者の中で、一番端にいた女性である。
呆気なく出てきた犯人に、バレないようにぼんやりとした演技を続ける。
彼女はエマを見つけるや否や、あくどい顔を隠すこともなく、
「お加減が優れないのですか? でしたら休める場所まで案内いたします」
そう捲し立てるように言って手を引いた。
ぞんざいな手付き。薬を飲んだエマが酷い酩酊状態にあると思っているようだった。
どうしようか、そう考えながらも彼女に引かれるがまま歩いた。
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4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。
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