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しおりを挟む家を出て二年が経った。
シャルロットは、今や、知らない人間はいない程の名探偵になっていた。事務所開設当時は、夫の浮気調査や迷子の犬猫を探すようなささやかな仕事ばかりだったが、最近は、警察から依頼を受けて大きな事件の解決にまで力を貸しているらしい。勿論、有料で。へたをしたら、医者の私よりも稼いでいるかもしれない。
相変わらず、私達は婚約者のままだ。両親からは、そろそろ結婚をしろ、だの、いつまでシャルロットを待たせるのだ、だの、実家へ帰る度にせっつかれている。お互いもう適齢期だ。シャルロットさえその気になれば、私だって、改めてプロポーズをする準備は出来ている。一年前に宝石店で購入したままの指輪は、いつだって私のポケットに入っているのだ。だが、彼女は今、探偵として生き生きと過ごしている。復讐をする為に子供らしさを捨てて生きていた頃よりもずっとだ。そうであるならば、結婚など望んではいないのではなかろうか。そう思うと、指輪を渡す覚悟など出来なかった。
「バレンティア教授、少しよろしいですか」
ノックの音で我に返る。部屋の外で扉を叩いたのは、助手のヘンリー・マスビスクだ。年齢は同じ。穏やかな性格。控えめな好青年だ。
「今日の診療は終わった筈だが……何か問題でも……?」
中から扉を開けると、ヘンリーの隣に、シャルロットが立っていた。その後ろには、市警のハミルトン警部とレコーディア刑事が苦笑しながら立っている。
「アンソニー、力を貸してくれない?」
「またお前か…………」
警察が絡む事件になると、必ずシャルロットが医師である私を訪ねてくる。わざわざ足を運ぶのが面倒なので一人暮らしをやめて実家に戻ってこいと毎回文句を言われるが、用があるのはお前なのだから私が合わせてやる必要はないと冷たく言い放ってやる。
警察にうようよ控えている監察医に聞けばいいのに、シャルロットは私に死体の写真などを見せて意見を求めてくるのだ。私が説明をし終ると、監察医も同意見だったと言う。毎回だ。毎回同じなら、私に確認をする必要など無いだろう。なんの為に訪ねてくるのかわからないと警部に言うと、朴念仁もたいがいにしろと迷惑そうな顔で怒られた過去がある。
警部達を先に帰して、シャルロットは勝手にソファで寛ぎ始めた。仕方なく相手をする。ヘンリーにお茶をいれてもらい、一時間ほど話をして、上機嫌で帰ろうとしているシャルロットに、珍しく声をかけようと思ったのはどういう気まぐれだったのか。私達の結婚の話だった。
「ん? どういう事?」
「だから、お前はどうしたいのかと聞いている」
「なぁに? いきなり」
シャルロットの眉間に皺が寄った。一瞬の事だ。すぐに、いつものとぼけた顔に戻ってしまったので、見間違いかと思う。
「ほかに、結婚したい相手はできたか?」
そうでないならそろそろ結婚しないかと、言葉を続けようとすると、シャルロットは乱暴に立ち上がった。恐らくマヌケな顔を晒して見上げると、まるで泣きそうな顔をしている。
「アンソニーには、そういう相手が出来たって事?」
「は? 私にはお前がいるんだから、そんな相手が出来るわけが……」
「一年前!」
「は?」
「一年前に指輪を買っていたわね。それを贈るような相手がいるって事でしょ?」
「…………ああ、それは……」
ポケットに手を入れる。誰にも教えていなかった事なのに、流石名探偵というところか。渡せるような雰囲気ではないが、この指輪の存在を知っているなら、もう渡してしまっても良いかもしれない。
「わかったわよ! 婚約解消してあげる!」
「…………はぁ!? ちょっと待て、シャルロット、お前は何を……」
「もともと、約束だったものね。ほかに好きな人が出来たら、婚約は解消してもいいって」
「ほかに好きな人?」
「まあ? 私もね? 言ってなかったけど? プロポーズしてくれる相手ぐらいいるのよ。でも、アンソニーに悪くて言えなかっただけなの」
「……プロポーズ」
「あーあ、OKしてしまおうかしらね~」
「…………そうか。わかった」
シャルロットにそういう相手がいた事は驚きだが、私はどうやら遅すぎたようだ。たしかに、好かれる努力はしてこなかった。婚約者という立場に胡坐をかいて努力を怠った私に、彼女を責める資格はない。それにもともと、すぐに解消出来てしまう婚約ではあった。
俯いて溜息をついている間に、シャルロットは扉の前に立っていた。最後に見送るぐらいはしてやろうと思い、自分も立ち上がる。ドアノブに手をかけて私を見ているシャルロットは、険しい顔をしていた。
「アンソニーに好きな人がいるなんて知らなかったわ。一年も前からね。お邪魔して悪かったわね」
「いや、それは誤解…………うん、もういいか。まあ、お前もプロポーズの相手と幸せになれ。受けるんだろう?」
「…………貴方には関係ないわ」
背を向けて、出て行ってしまう。焦った私はシャルロットの手首を掴んでいた。文句を言われる前に、その手に、ポケットから出した小さな箱を握らせる。
「やるよ」
「…………?」
「私にはもう必要のないものだ」
とん、と背中を押した。扉を閉めて、鍵をかける。しばらくすると、扉の向こうから私の名を叫ぶ声と、激しく扉を叩く音が聞こえたが、耳栓をして、隣の仮眠室へ閉じこもった。仮眠室にも鍵はかける。しばらく誰にも会いたくない。
こうして、私とシャルロットの、長い婚約期間は、終わりを迎えたのだ。
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