エリート医師の婚約者は名探偵でトラブルメーカー

香月しを

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『ソロソロ機嫌ヲ直シタカ。一度コチラニ帰ッテ来イ。私達ハ色々トスレ違ッテイルヨウダ。今ノウチニ会ッテオカナイト大変ナ事ニナル。私ガソチラニ行ケレバ良イノダガ、アイニク身動キガトレナイ』

 シャルロットから、上から目線の十通目の電報を受け取ったのは、口約束の婚約解消後、丁度二ヶ月経った日のことだった。それまでは用事があれば私の部屋に突撃してきたくせに、流石に顔を出せないとみて、ここのところ毎日電報が届く。しかも、文字数をなんとか少なくしようとしているのか、ぶっきらぼうで、上から目線な内容だ。私は、それらを無視していた。私達はもう婚約者ではない。幼い頃から家族として過ごしてきたが、婚約者だからこそ許されていた距離感というものがある。会ってしまったらまた曖昧になりそうで、少し時間を置きたかった。それに毎回書かれてくる、私が一方的に機嫌を悪くしているかのような文言。忌々しさも募っていた。
 私自身、そろそろ顔を見たいとは思っていたが、毎日一方的に送られてくる電報のせいで、頑なになってしまっていた。こうなったら、痺れを切らした向こうが、こちらに会いに来るのを待つしかないだろう。それなりに大きな実家の屋敷を思い、空を見上げる。どんよりとした空は、私の気持ちを益々暗くさせた。

 翌日、再び電報は来た。

『マダ会イニ来ナイノ。脅スワケジャナイガ、ココデ会イニ来ナケレバ、貴方ハ泣クハメニナルワヨ』

 これが脅しでなくて、何が脅しなのだと鼻を鳴らした。子供じみた内容の電報を破いて、ゴミ箱に捨てる。椅子に座り、苛々と、手の平を合わせて擦る。組んだ足を揺すっている内に、段々頭に血がのぼってきた。

「まったく……会いたいなら、素直になって自分から会いに来ればいいんだ」

 思わず独り言が口から出ると、すぐ傍でくすりと笑う声が聞えた。何時の間にかヘンリーが暖かな湯気をたてているカップを手に立っていたのだ。
「教授も素直になればよろしいんじゃないかと」
「……何がだい?」
「婚約者さんに会いたいんでしょう?」
「まさか! それに、ヘンリー、君は間違っているよ。アレは、婚約者ではない。元・婚約者だ」

 精一杯強がってみせる。私に彼女が必要なのではない。彼女に私が必要なのだよ。そう主張した。自分が彼女に惹かれているなどと、決して他人には言えないし、口に出したら最後のような気がする。ヘンリーは小さく溜息をつくと、何も言わずに部屋を出て行き、私を一人にしてくれた。一人の部屋というのは、かくも静かなものだったろうか、そう考えながら、紅茶を啜る。思い出すのは、シャルロットが頻繁に私を訪ねて来ていた頃の事だ。お茶を飲みながら、色々な話をした。穏やかな時間も確かにあった。
一人のお茶は味気ない。彼女も、婚約を解消してから、毎日、こんな時間を過ごしているのだろうか。彼女のことだから、平気なふりをして、実は物凄く寂しがっているのではないだろうか。アレは冷静に動いているようでいて、いつも捨てられた犬のような瞳をしていた。だから、懐かれれば可愛がってしまう。計算した性格を演じているようではあったが、どこか不器用で、仕方なく相手をしてしまう。そこまで考えて、慌てて頭を振った。もう私は深く関わることをやめたのだ。ゴミ箱をチラリと見た。意地でも立ち上がるつもりはなかった。

 翌日も、その翌日も、何も届かなかった。日を追うごとに、会いに行かなかったことが気になったが、私は意地を張り通した。そして、あの十一通目の電報を受け取った日から一週間が過ぎた日のことだ。久し振りにシャルロットから電報が届いた。

『コレガ最後ノ電報ヨ。残念ダワ。モウ、時間ガナイ。今後、私ニ会イニ来ヨウトハ思ワナイヨウニ。何ガアッテモヨ。ゴキゲンヨウ、ドクター・バレンティア。私ノ婚約者デ放ッテオケナイ弟ノヨウナ人。貴方ト知リ合エテ本当ニ良カッタワ。クレグレモ、オカシナ考エハ、持タナイデネ。ソレダケハ約束シテ。クレグレモ、ヨ。サヨウナラ』

 読んだ瞬間に、ぐしゃぐしゃに丸めていた。

(馬鹿らしいことこの上ない! 子供じゃないんだ。ちょっと気に入らないことがあったら、絶交か? それとも、ここまで書けば、私が慌てて飛んで行くとでも? 実に馬鹿馬鹿しい! 向こうが泣いて頼んでくるまで会ってなどやるものか! 少しは反省すればいいんだ! そもそもあれは私の実家だ! しかもあいつの方が、私より二歳も年下なのに、弟とはどういう事か! さらに元だ! 元・婚約者だ!)

 だが、その三日後、私は、シャルロットからの電報を無視し続けたことを、死ぬほど後悔することになった。

 早朝、朝食を取りながら本日の診察予定の確認をしている私の元へ、ヘンリーが新聞を持ってきた。手の平を差し出したが、いつまでもそれが置かれる気配がない。訝しく思い、優秀な助手の顔を見れば、新聞のある一点を見詰めたまま、真っ青になっていた。
「……どうした?」
「ああ……バレンティア教授……」
「なんだい、具合でも悪い……」
「気をしっかり持って下さい! いいですか? 深呼吸をして! 大丈夫、大丈夫ですね?」
「だから、何が…………」
 彼は、黙って新聞を私に手渡し、やけに大きく書かれた文字を指差した。

『シャルロット・フォークレスタ嬢、轢死』

 ざわり。身体中に鳥肌がたった。ぐらり。世界が歪む。何も聞こえない。これが絶望というものなのか。ヘンリーが叫んでいるように見えるのに、私の耳には、何も届かなかった。



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