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しおりを挟む『アンソニー、他人の気持ちに鈍感なのは、時に殺人よりも重い罪よ?』
彼女の声が頭に響く。ニヤリと笑ったいつもの皮肉めいた笑顔が、急に泣きそうに変わった。どうしたのかと手を伸ばすと、その肌が土色に変色し、蛆が湧く。虫を叩こうと近付く内に、足元が揺れた。ぐにゃりと曲がった世界の真ん中で、シャルロットが一人佇んでいる。足は動いていないのに、彼女はどんどん遠くへ行ってしまう。追いかけてもなかなか追いつけない。声をかぎりに叫ぶ。待ってくれ。行かないでくれ。
「シャル!」
叫んだと同時に、自分がベッドに寝かされていたことに気付いた。ヘンリーが私を運んでくれたのだろうか。ベッドの隣に立っている彼を見上げると、ほっとした顔で私を見詰めている。
「…………どこまでが夢なんだ。シャルロット……は?」
首を横に振る助手の顔は、悲壮なものだった。
「残念です、教授。彼女はきっと、こうなることを予想していたのかもしれません。だから、あんなに何度も、電報を……」
「…………記事を見せてくれ」
差し出された新聞を取る手が震えている。しっかりしなければ。サイドテーブルに置かれていたブランデーを一気に呷り、深呼吸をした。
『……日の早朝、線路の点検をしていた作業員が、線路脇に何かが置いてあるのを発見した。近くに寄ると、明らかに列車に轢かれた死体であった。発見者は、ただちに警察に通報。かけつけた巡査の話から、死亡していた人物は、有名な探偵である、シャルロット・フォークレスタ嬢であることが判明した。遺体の損傷は激しく……』
フラつきながら、立ち上がった。ヘンリーが駆け寄って支えてくれる。
「どこへ行くつもりですか?」
「……実家へ……行かなければ」
「しかし……フォークレスタ嬢は……」
「何か、手がかりが見つかるかも知れない。私が犯人を見つけ出す。だって、私は、名探偵のシャルロット・フォークレスタが唯一頼りにしていた医者だからね」
警察に控えている監察医の意見を聞きながらも、私に意見を求めに来ていたのは、そういう事だろう。それが、彼女が私に会いに来る理由のような気がした。ヘンリーは私のその言葉を聞くと、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。私だってそのくらいの表情の変化には気付けるのだ。シャルロットに自慢してやりたかったが、その彼女はもういない。
五分で支度をして、病院の事務員に呼ばせておいた馬車に乗り込んだ。馬車に揺られながら、新聞記事を思い出す。遺体が発見されたのは、昨日の早朝だ。恐らく、死んだのは、一昨日の夜。最後の電報は、死んだ日の前日に打たれたものだった。何があっても会いに来るなという内容は、このことを言っていたのだろうか。ならば、一連の電報は、私へのSOSだったのか……。私は頭を強く振り、その考えを打ち消した。それよりも、今回の事件について、ちゃんと考える必要がある。『線路脇に何かが置いてあるのを発見』したということは、遠目には、人間とは思えない形だったということだ。近くまで寄って見て、『明らかに列車に轢かれた死体』だと思ったということは、線路と列車の間に挟まれて……引き千切られた……、そんな状態の……。今まで、轢死体の検死も引き受けたことはある。医者として、そんなものを見て気分を悪くするような半端な根性は持っていない。だが、今、私は、シャルロットがそんな状態で死んでいたと考えて、強い吐き気に襲われていた。
(シャルロット……私が傍にいれば、こんなことには……)
こんな絶望は知らない。集団惨殺事件の検死で、たくさんの死体の山に囲まれてさえ、こんな気持ちにはならなかった。あの私にだけ見せる生意気な顔をもう見ることが出来ないのか。私に甘えるように上目遣いでものを頼んだシャルロット。疲れると、すぐに私に凭れ掛かってきたシャルロット。何故、私は彼女の電報に応えようとしなかったのだろう。そもそも、何故あの時、素直になってプロポーズをしなかったのか。こうなって初めてわかった。自分が最も愛情をそそいでいたのは、誰だったかということに。
胸が押しつぶされそうだ。身体の奥から、喉元へ、何かがこみ上げてくる。息が苦しくなり、意識が遠ざかりそうになった時、馬車が止まった。
馬車を降りた途端に、誰かに腕を掴まれた。
「今更何をしに来たんです? 若旦那様」
「きみは……」
そこには、硬い表情のモリーンが立っていた。シャルロットが街で拾ってきた謎の侍女だ。今では探偵の助手なども務めているらしい。常に冷静で、頭が良い。それだけではなく、ユーモアも持ち合わせていて、屋敷の使用人達からも慕われている。
「お嬢様は、若旦那様をずっと待っていました。言わなければならないことがあるって。だけど貴方は来なかった。三日前に電報が届いた筈です。もう、何があっても、会いに来るなと」
「…………会いに来なかったのは悪かったと思っている。だが、ここは私の実家だ。実家に帰るのは当たり前の事だ。それに、死んだと聞いて、家族として黙っているわけには……」
「今更そんな事を言っても、お嬢様は喜ばないですよ、若旦那様。家族だと言い張るなら、もっと早くに来るべきでした」
「…………それは……」
「さあ、乗ってきた馬車で、そのまま病院へお戻りください。貴方の出る幕ではないわ。今来られても、迷惑なだけです」
「……シャルロットに会わせてくれ」
彼女の瞳が一瞬大きく開かれ、揺れた。
「…………もう、会えません。わかるでしょ。お嬢様は死んだんです」
「顔を一目だけでも……!」
「……見ない方がいいです。若旦那様は、お嬢様のことを愛してますよね? 愛しているなら…………見ない方がいいです。私は、見てしまったことを、後悔しています」
モリーンが真っ青な顔をして口を覆った。涙が止め処なく溢れてくる。あんなに強かった彼女が、小さく見えた。見ない方がいい顔。想像しただけで眩暈がする。彼女は、どれだけ苦しんで死んだのだろう。それとも、ほんの一瞬の出来事だっただろうか。私は、全く動こうとしなくなった足を思い切り叩き、懐かしき我が屋敷の玄関へ向かった。
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