エリート医師の婚約者は名探偵でトラブルメーカー

香月しを

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 シャルロットからの手紙を読み終わって、誰も、言葉を発する者はいなかった。自分が死ぬかもしれない時にこんな手紙を書ける人間がいるとは思ってもみなかった。私はそれを丁寧に折りたたんで、警部に返却した。この手紙もまた、事件解決へのヒントになることもあるのだろう。ふと、辺りを見回すと、先ほどまでウロウロしていた例の新聞記者の姿が見えない。
「あの記者はどこへ行ったんだ……?」
 私の呟きに気付いたレコーディア巡査が、きょろきょろと周りを見渡して首を捻った。
「さあ、まだ報道が規制されているので、新聞社に戻って報告するとは思えませんが……シャルロットさんの遺体が発見された当初からずっと嗅ぎ回ってますからね、もしかすると、記事をまとめに行ったのかも。それとも、死体安置所に先回りしたかな?」
「ああ、あの男も解剖を見たいようなことを言ってたな」
「我々も行きましょう。すぐに解剖にうつります」
「…………」
「バレンティア先生……?」
「……いや、なんでもない。じゃあ、行こうか」
 私の婚約者が、いや、私の婚約者の遺体が、目の前で切り刻まれる。それは勿論、事件解決のためではあるのだけれど。ガクガクと震える膝に、巡査達は気付かないだろうか。震えを誤魔化すように、わざとゆっくり歩く。
「先生、急ぎましょう」
 私は、黙って頷いた。

 馬車に揺られながら、窓の外の景色を眺めた。二年前に工事が始まった、有名な建築家の設計した塔は相変わらず工事中で、街を行く人々もまた、いつものように実に様々だ。シャルロットと最後に二人で馬車に乗ったのは、いつのことだったろう。ぼんやりと思いを馳せていると、隣でレコーディア巡査が笑う気配がした。
「なにか?」
「……いいえ。バレンティア先生は、日頃、凶悪事件の検死などもされるだけあって、こういう時も取り乱したりしないのですね」
「…………婚約者が死んだというのに、泣くこともせず、冷たい、と言いたいのかな?」
「決してそういうわけでは。お気を悪くされたら申し訳ありません」
「いいんだ。これが平然とした態度に見えるなら、幸いだ」
「は?」
「いや、なんでもない……」
 あの手紙を目にするまで、私は何を考えていただろう。仕事のことも、両親のことも考えず、電報であれだけ注意され、モリーンからあれだけきつく言われた、『妙な考え』を起こしていたのではなかったか。犯人を捜す手がかりを見つけに来た筈なのに、結局、シャルロットの遺体に会いたいという希望を通しただけなのは、彼女の遺体を確認してから自分も後を追おうと思っていたからではなかったか。私は、周りが思っているほど、物事に対して冷静でいられる男ではないのだ。しかし、あの能天気な手紙を読んで、正気を取り戻した。とりあえず、後を追うにしても、事件を解決しよう。私が、彼女の代わりに。
 馬車が、ガタンと大きく揺れて、止まった。ドアが開けられる。見慣れぬ巡査が一人立っていて、我々に敬礼をした。ゆっくりと体を動かし、馬車からおりた。傍からみたら、私はどのように見えているのだろう。足元がフワフワする。地面を踏みしめることが、ちゃんと出来ていない。
 暗い建物の中をコツコツと足音が響く。しばらく歩くと、重い扉に閉ざされた部屋の前に行き着いた。私は何度も来たことがある。ここが、シャルロットの眠る、死体安置所だ。ギ、ギイ、鉄の扉が開かれる。中には、初めて見る監察医が立っていて、我々に頷いて見せた。

「始めて下さい」
 レコーディア巡査が声をかけると、監察医は無言のまま、死体の置かれた台の方へ向かった。ふと、何かが気になって、後ろを振り返る。誰かを待っているのか、虚ろな目をした老婆が、通路の椅子に座っていた。扉が開く前から座っていただろうか。そもそも、通路に椅子はあったのか? 自分が動揺しているからなのか、その辺りの記憶が曖昧だ。シャルロットがいたら、『相変わらず細かいところに気配りが出来ないのね。ただ見るのと、観察するのとでは意味が違うと、探偵の極意を話す時にいつも教えているじゃない』と、頼んでもいないのに勝手に教えてきた極意について皮肉を言ったことだろう。
「……彼女は?」
「ああ、ここの管理人です。死体の中には証拠を隠しているものもあったりしますので、ここで警備にあたってもらってます」
「警備と言ったって……あんな婆さんにそんな仕事が務まるのか?」
「よくやってくれてますよ。そうだ、アンソニア婆、今日は中に入っていてくれませんか。何があるかわからないので」
「……アンソニア。私と名前が似ている」
「アンソニ、なんて、よくある名前のフレーズですからね」
「……言ってくれるね、巡査」
「これは、失礼しました。私も言いたくは無かったんですが」
「だから、言いたくないなら言わなければいいのに!」
 足を引きずる音がする。アンソニア婆が、部屋の中に入るために歩いている音だ。腰が曲がってしまい、前に進むのもなかなか大変な様子だ。本当に仕事が務まっているかは、甚だ疑問ではあるが、私は何も言わずに彼女を見詰めていた。老婆が部屋に入ると、来た時と同じ重い音がして扉が閉まる。ランプに火が灯り、ガーゼのようなものに包まれた遺体が、目に焼きついた。

 ショキ、ショキ、と、ガーゼに鋏が入れられる。錆び付いた血の匂いと、腐敗臭。私は身を乗り出して、遺体に目を向けた。最初に現れたのは、頭部だ。ほとんど、残っていなかった。何故これでシャルロットと断定出来たのか、疑問だ。
「…………レコーディア巡査……」
「仰りたいことは、わかります。しかし、身につけていた衣服、足型ともに、ご本人のものと一致します。それから、事件当日、最後にシャルロットさんに会って、身体中に科学実験に使用する液体を零し、肌の色を変色させてしまっていたのを見ている巡査が現場に直行し、その同じ肌を発見したことから、遺体がシャルロットさんのものであるのが断定されました」
「その巡査というのは?」
「…………私です」
 綺麗に残っていた首筋には、紫色の斑模様ができていた。命の危険が迫っているようなそんな時に、また何を実験していたのやら、と呆れてものが言えない。しかし、説教をしようにも、当の本人はもうこの世にいないのだ。確認した巡査がレコーディア巡査だというならば、この遺体は本人のものに間違いは無いのだろう。一瞬、人違いを期待して浮上しかけた心が、また奈落の底へ落ちていくような気がした。
 監察医は、黙々と作業を続ける。綺麗に残っていた喉のあたりにも、メスがいれられた。食道に詰まったものが無いかの確認だ。ガーゼの中から、どんどん無残な身体が現れる。千切れた腕の傷口には虫が湧き、車輪に持っていかれた片足は、もう発見することは不可能だろう。私は婚約者のそんな姿を直視することが出来ず、目を逸らしてしまった。

「どこへ行かれるんです? 先生」



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