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しおりを挟む「ああ……昨夜は、大惨事だったわ」
無残な姿になった毛布とシーツを丸めながら、シャルロットが苦笑いをした。
「誰のせいだ! 誰の!」
「自分のせいでしょう? 鼻に歯を立てている時に、突然衝撃を私に与えるから……」
口に出来ない場所に触れられた衝撃で、シャルロットは私の鼻に思い切り噛み付いてきた。私の鼻からは血が噴出し、シーツを赤く汚した。痛みに失神しそうになりつつ、鏡を見ながら自分で傷を縫った。その隣には、自分が悪いことをしたのは理解している挙動不審の婚約者……。縫い終わり、時計を見ると、もうすっかり遅い時間になっていた。これ以上なく不機嫌になってブランデーを何杯か呷り、ベッドの隣で私を心配そうに見ていたシャルロットに襲い掛かってやった。傷に障ると言って最初は逃げ腰になっていたシャルロットも、私が黙って責めたてると首にしがみ付いて泣きながら受け入れた。優しくしようと思ってはいたが、夢中だったので、本人に聞かないと、どうだったかはわからない。激しく体を動かす度に、傷口が疼く。それを誤魔化すようにまたブランデーを呷り、最後には、何がなんだかわからなくなった。
「その結果がこれ、よね」
シャルロットは、丸めたシーツをゴミの袋にぎゅうぎゅうと納めた。これじゃ、おじ様にすぐバレて叱られちゃうわと、唇を尖らせている。彼女のことだから今朝はいつも以上に怠惰に過ごすことだろうと考えていたが、私よりも先に起き、モリーンを呼んで風呂に入り、新しい服に着替えていた。その時点で、母には私達の間に何があったのかがわかってしまっているだろう。父は、案外気付かないかもしれない。母がうまく取り繕い、婚前交渉など無かった事にしてくれている筈だ。シャルロットは、私が起きるのを待ち、新しいタオルを抛って寄越すと、血のついた毛布を引き剥がした。まだ鼻の傷の出血が完全には止まっていない。風呂は禁止だそうだ。のろのろと身体を拭う。あんなに酒を飲むものじゃない。鼻の傷の痛みに、頭痛が追加される結果を生んでしまっただけだった。
「やれやれ、甘い朝は、望めないというわけだ」
「最初に怒り出したのは、貴方なのに……」
「怒らせるようなことを言うからだ!」
「……まだ痛い?」
「ああ、ズキズキする」
「今日は早く寮に帰って、一日中寝てるべきよ」
「言っただろう。しばらく帰らないと」
「はあ? まさか今日も帰らない気? 貴方、クビになってもしらないわよ」
「ああ、クビになったら、お前の事務所の隣の部屋で開業医になるしかないな。部屋は余ってるんだ。改装すればいける」
「そんなお金ないくせに」
「私が使った一番大きな金は、お前に渡した指輪だけだ。趣味も何もないから、開業するくらいの金はなんとかなる」
「無駄遣い……」
「私を愛していると言ったよな。昨夜はそれを確かめ合っただろう? あれだけ私が出て行くのに反対したのに、帰ってくるとなったら、それもまた反対するのか?」
シャルロットは、私から目を逸らし、窓の外へ顔を向けた。
「……だって、二年よ、アンソニー。貴方のいない生活に、ようやく慣れてきたところなの。そう簡単に出たり入ったりされたんじゃ、私の生活のリズムが……」
「おい、リズムを変えるのが、面倒なんてこと言わないよな?」
「昨日から冴えてるわね、アンソニー。いッ、いたた!」
ヘラヘラと笑う頬をおもいきり引っ張ってやった。シャルロットは涙目になって眉間に皺を寄せる。その様子を見ているだけで、胸が苦しくなった。
「わかったよシャルロット。私が思うよりも、お前は私を思ってくれてなかったというわけだな。あんなに愛し合った翌日に、まさかこんな結末が待っていたとは思わなかった」
「…………」
「仕方ない、退散しよう。愛しているよ、シャル。たとえ、きみに愛してもらえなくてもね。それじゃあ、さようなら」
手を離すと、シャルロットは窓辺まで黙って歩き、私に背を向けたまま手を振ってきた。上着を着込み、帽子を被る。爪先を一つならして、扉をあけた。シャルロットは背中を向けたままだ。扉が閉まる瞬間、肩が震えていることに気付いた。
パタリと扉が閉まる。窓辺に立っていたシャルロットが振り返り、私の姿をみとめて驚いた顔をした。
「……今……出て行ったと……」
「嘘つき」
「……う……そ……? 嘘をついたのは、貴方じゃない。出て行くと見せかけて、まだ部屋にいるだなんて……」
「そうじゃないよ、シャル。私がこの部屋に戻ってくるのが面倒なんて、嘘だろう? お前は、嘘をつくとき、わかりやすい行動をとるんだ」
「…………」
「病院勤務の厳しさは、この二年、私の様子をたまに見に来ていたから知っているな。私がここに戻ってきたら、病院の寮に入っている時のようには緊急の患者に対応できなくなると気遣っての事か?」
「…………まあ、そうかしらね」
「家から通っている医者だってたくさんいる。寮に済まないと駄目なんてことはないんだ」
「私のせいで、誰かを不幸になどしたくない。ただそれだけの事よ」
「それなら、お前の傍にいられなくなる私は不幸ではないと?」
「二年前、自分で決めて出て行ったんだもの。私のせいじゃないわ」
シャルロットは、眉を片側だけあげて、不機嫌そうに答えた。もしや、と考える。彼女の言うとおり、昨日今日と、私は実に冴えているのかもしれない。二人の関係だけを考えるなら、私は名探偵だったと言える。
「……ちょっと待て、シャル。私は勝手に、お前が病院の緊急患者のために寮に残るよう言っているのかと解釈したが……まさか、拗ねてるからそんなことを言ってるわけじゃないよな?」
「……………………そんなわけがないでしょ」
再び、シャルロットが目を逸らす。
「……子供か!」
「そうよ、子供なの! 悪いかしら!」
「開き直ったな! 自分のせいで誰かを不幸にしたくないなんて、格好いいことがよく言えたもんだ!」
「言えるわ! 私は、格好いいんだから!」
「可愛いの間違いだろう!」
「何ですって!」
扉の向こうで、女性が笑う声がする。私はすぐ後ろの扉のノブに手をかけ、内側に開いた。
「あら失礼いたしました。イチャイチャと痴話喧嘩をしている邪魔をしちゃったみたいですね」
そこには、笑顔の侍女、モリーンが立っていた。
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