少年プリズン

まさみ

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八十七話

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 「なあレイジ」
 「なんだよ」
 「おかんの形見って嘘やろそれ」
 本棚の裏から声が聞こえてくる。ヨンイルの声だ。レイジが首にさげて隠し持っているロザリオのことを指した台詞らしい。
 「いかにもお前が吹きそうな女の気をひくためのデマやんか」
 「ヨンイル、お前ゴーグル外して目ん玉かっぽじってまわり見回してみろ。東京プリズンのどこに女がいんだよ?女がいねえのにそんなお涙頂戴の嘘つくかよ」
 「じゃホンマか?」
 「ほんまほんま」
 「………お前の口調には真実の重みっちゅーもんがカケラもないな。お前の誠意に比べりゃまだアルミの1円玉のが重たいわ。せやけどお前のおかん死んだなんて初耳やで」
 「生きてるか死んでるか俺も知らねえ」
 「なんで知らんのや、自分のおかんやろ。てか生きとったら形見言わんで、やっぱ嘘やんか」
 「ほら見たことか」と揚げ足をとったヨンイルの感想にもレイジは動じずにしれっと言う。
 「いつ死んでもおかしくない流れの傭兵生活してっからなあ、米兵上がりの旦那とふたりで。今頃はベトナムの戦場で流れ弾に当たって夫婦仲良く十字架の下かも。そしたらこれ形見だろ?」
 「屁理屈や」
 「お前こそどうなんだよ」
 ヨンイルに鼻で笑われたレイジがむきになって食ってかかる。
 「俺のロザリオはともかくお前が付けてる安物のゴーグルのどこにフェラチオと引き換える値打ちがあるんだよ」
 「これ?じっちゃんの形見や」
 「お前のじっちゃんてKIAの革命家だろ、ゴーグルがトレードマークだったのかよ。ずいぶんハイカラな年寄りだな」
 「革命家言うても前身は花火師や。大阪育ちの在日で朝鮮・韓国の併合と同時に半島に渡ってきたんやけどそれまでずっと難波の工場で火薬扱うてたからな、火花から顔守るためにもゴーグルは必需品。それにこれ、このゴーグルすごいんやで」
 「どこが」
 レイジの失笑にヨンイルが声をひそめる気配。頬を上気させ、誇らしげに身を乗り出すヨンイルの姿が脳裏に浮かぶ。
 「暗視ゴーグルなんや。書架の裏側の暗闇でもすらすら本が読めるのはコイツのおかげ、ってなわけでそこに隠れてる奴カンネンしてはよ出てこんかーい」
 ……気付かれていたのか。
 書架の裏側から響いた間延びした声に促されて側面へとまわりこむ。横幅1.5メートルしかない小幅な通路の奥には二体の人影。小脇の本を抱えなおし、咳払いして足を進める。黴臭い匂いにつつまれながら最奥に進むと以前とおなじ、行き止まりの特等席にヨンイルがいた。その傍ら、左の書架によりかかっているのはレイジ。ふたりがこの場を去るまで待とうと書架の影に隠れていたのに、最初から見抜かれていたなんてばつが悪い。
 「表でなにしてたんや」
 「盗聴?」
 「違う。断っておくが虚偽と捏造の産物としかおもえないきみたちの身の上話になど興味がない、僕は本を借りに図書室に来たんだ、盗み聞きにきたんじゃない。他に行く所がなくて図書室にたむろってる暇人と一緒にしないでくれ」
 「じゃあさっさと借りたらええやん」
 軽く顎をしゃくるヨンイル、その膝の上に広げられているのは非常に、非常に間が悪いことに僕が本日借りようとしてた本。おもわずヨンイルの膝へと視線が吸い寄せられる。書架の峡谷に立ち尽くした僕の複雑な面持ちと手元に注がれる視線から勘付いたのか、それまで読んでいた本を手に持って振りながらヨンイルが言う。
 「ひょっとして、ナオちゃんが欲しいのはこれか?」
 ふざけ半分とはいえ、同性にちゃん付けされるのは気分がよくない。はっきり言って不愉快だ、凄まじく。しかしヨンイルの推理は的を射ていた、たしかに僕が今日ここに足を運んだのは今ヨンイルがこれ見よがしにかざしている本を借りるため―
 「ブラックジャック二巻か」
 ヨンイルの手元をのぞきこんだレイジが意地悪く目を光らせる。
 「ははーん。キーストアってばこんな低俗で下等な書物だれが読むかーって豪語してたくせに続きが気になって気になって早速二巻を借りにきちまったんだな?」
 「ところが肝心の本棚に先客がおったせいで迂闊に近づけん。さてこれからどないしよて表で立ちん坊してたんやろ」
 けらけら笑いながらヨンイルが言う。
 「俺の目に狂いはなかったな、入門編には王道がいちばん。ホンマ言うと『火の鳥・黎明編』にしよか迷ったんやけど初心者にはこれやろ、やっぱ。あ、火の鳥やったら俺のおすすめは『異形編』。泣けるでー」
 「そうか?俺は『七色いんこ』とかのが好きだぜ」
 「レイジの好みは亜流やから」
 ヨンイルに亜流と断言されたレイジが口を尖らす。手塚治虫には亜流と本流があるのだろうか?意外と奥が深い。ともかく、僕は今日図書室に運んだのは現在ヨンイルの手中にある二巻を借りるためだ。
 が、にやにや笑いながら僕の動向を窺っているレイジとヨンイルを見た瞬間、口がひとりでに動く。
 「妙な誤解をするな、だれが漫画なんて低俗な書物を借りるか。僕は断じて二巻を借りにきたわけじゃない、僕がここに来たのはヨンイル、きみに無理矢理押し付けられた本を返却するためとー……」
 「「と?」」
 レイジとヨンイルに復唱されて言葉に詰まる。適当な言い訳をさがしてうつむけば、昨夜、サムライのもとへブラックワークペア戦のスカウトがきたことを思い出す。
 顔を上げ、レイジを直視する。
 「レイジ、ブラックワークペア戦開幕の噂は本当か?」
 書架によりかかって文庫本を読んでいたレイジがふと顔を上げ、「なにをいまさら」とあきれかえった顔をする。
 「遅れてんなーキーストア。それ知らないのお前くらいのもんだぜ、ここんとこペア戦の噂で持ちきりなのに。どうやら本気みたいだぜ、上からのお達しだ」
 「なんでそんな馬鹿げたことを……」
 馬鹿げたことといえばブラックワークの存在自体が十分荒唐無稽なのだが、それを差し引いてもペア戦開幕は正気の沙汰とはおもえない。ただでさえ何でもありの無差別格闘技、腕に覚えのある囚人がどちらか一方が再起不能になるまで戦う催しにペア戦の新趣向を盛り込んでさらなる集客をはかるなんて、まるきり悪趣味なショーではないか。
 「原因はコイツ」
 ゴーグルの奥の目を弓なりにほそめてヨンイルが答えを明かす。その視線の先にはレイジがいた。
 「レイジが東京プリズンにきてからというもの殆どブラックワークの順位変動がのうなって客が退屈してるんや、毎度勝敗が決まってたら賭けにもならんしな、儲からんことはなはだしい。だから上は一計を案じたわけや、ここらでいっちょ新しい風を吹き込もうて。そこで考え出したんがペア戦や、ある程度腕に覚えのある囚人と囚人を組ませて二対二で戦わせる。ええ案や、ピンで戦うのと違て相性の良し悪しで勝敗が左右される、逆説的に言えば鼻クソみたいにたいしたことない奴でも鬼みたいに強い相棒ゲットすれば上位を狙えるんや。こんな美味しい話ほかにないやろ?辛い強制労働にサイナラして王様に昇格できる絶好のチャンスや」
 淡々と説明したヨンイルの口調には冷めた響きがあった。手塚治虫の著作について熱っぽく語っていたときの興奮が嘘のように白けたヨンイルから補足説明を求めてレイジへと目をやれば、当の本人は「うわー消火器をそんなことに使うなんてえぐい」と不謹慎に笑いながら文庫本を読んでいた。
 「なにを読んでるんだ」
 どうせまたくだらない本だろうとあきれながら聞けば、本から顔も上げずにレイジが答える。
 「ちょっと前の推理小説。作者はアヤツジ」
 聞いたことがない。現代と近代の作家ならほぼ頭に入っているはずの僕がすぐには思い出せないのだから「ちょっと前」と言っても最低八十年以上は昔の作家だろう。などと感想を持った僕をよそにレイジが何事か閃いたらしい。手にした文庫本をパタンと閉じて小脇にさげ、偉大な閃きを得たかの如く目を輝かせる。
 「そうだ。キーストア、このまえ『芽吹かない苗』がどうのって言ってたよな」
 「?ああ」
 唐突に何を言い出すんだと困惑した僕へと身を乗り出し、レイジが人さし指を立てる。
 「今思いついたんだけどさ……あれ、アナグラムじゃねえか?」
 アナグラミングは知っている、推理小説に親しんだ者には常識だ。そのままでは意味不明な一文をたとえばローマ字にして並べ替えることで真の意味を再発見するという暗号解読の手法。第六感の閃き、というよりは最近読んでいる推理小説から着想を得たのだろう気まぐれな思いつきにすっかり夢中になったレイジが熱に浮かされたように続ける。
 「『芽吹かない苗』ってだけじゃ意味不明だけどきっとローマ字にして並べかえるかしたら別の意味に―……」
 「やってみた」
 鬱陶しい熱弁をさえぎるように短く答えれば、レイジが「へ?」と目をしばたたく。
 なにを驚いてるんだろう?常識だろう。
 「芽吹かない苗、MEBUKANAINAE。この中に隠れている単語はMAN(男)、MEN(男性の複数形)、BANANAはバショウ科の多年草熱帯アジア原産の果物だな。そして……」
 「ストップ!!」
 レイジが両手を挙げる。
 「……で、新たな発見は?」
 「ない」
 アナグラミングの結果僕が発見したことといえばMEBUKANAINAEの中には三十二個の英単語が隠れているという事実くらいだ。残念ながら、ほかにはなにもない。サムライの過去につながるような手がかりは掴めなかった。
 捜査は完全に行き詰まった。やはりあの手紙にもう一度目を通し、初心に返る必要がある。
 顎に指を当てたレイジが背後の書架にもたれてなにやら考え込む。そして、呟く。
 「芽吹かない苗、芽吹かない苗、『なえ』ねえ……」
 呪文のように「なえ」と繰り返していたレイジがはたと顔を上げ、白昼夢から醒めたように僕を見る。
 「キーストア、俺は馬鹿だ」
 「そうだが、それがなにか?」
 真顔でわかりきったことを言い出したレイジに本当に頭がどうかなってしまったんじゃないかと不安になる。自分で馬鹿だと自白したくせに何故かショックを受けたような表情をしたのも束の間、瞬き一つ後には平生のペースを取り戻したレイジがもったいぶって言う。 
 「名前だよ」
 「名前?」
 床に胡座をかいて漫画本に没頭していたヨンイルが顔を上げる。観客の注意をひきつけたことにナンパな名探偵よろしく気を良くしたレイジが人さし指を振る。
 「キーストア、『芽吹かない苗』ってのはたしかサムライの手紙にあったんだな」
 「そうだ」
 「で、サムライが寝言で呟いた言葉が『なえ』」
 「そうだ」
 書架にもたれてポケットに手をつっこんだレイジが、斜め上方に視線をすべらせ、目を細める。
 「ロンの話をしようか」
 なんでここにロンがでてくるんだ?
 謎解きを期待して身を乗り出した僕とヨンイルに不審のまなざしを注がれても動じず、レイジが続ける。
 「ロンと同房になって大分経つけど、アイツときたら今だに毎晩のように悪夢を見てうなされてやがる。寝汗をびっしょりかいて見てるこっちが辛くなるくらいの苦しみよう、何べん肩に手をかけて揺り起こそうと思ったかわからねえ。まあ東京プリズンじゃ悪夢を見ない囚人のが少ない。お前らだって経験あるだろ?東京プリズンじゃだれでも通る道だ」
 押し黙る。たしかに頻度は少なくなったとはいえ、僕は未だに悪夢を見る。
 「でもさ、実際辛いぜ。自分がうなされるより何倍もクる、隣のベッドでひとがウンウンうなされてる光景は」
 首の後ろをなでながらレイジがどこかうしろめたげに呟く、自信に満ち溢れたいつものレイジらしくない湿った口調で。
 「それがまだガキで、俺の大事な奴だったりしたらなおさらだ」
 ため息をつく。伏せた睫毛の影が頬に落ち、物憂げに揺れる。
 「まあ、夢の中まで守ってやることできねーしな。で、ロンがうなされながら言うことつったら決まって一緒」
 「なんだ?」
 唾を飲み下して先を促した僕をガラスのように澄んだ茶色の目で見つめ、レイジが言う。ささやくように。
 「『お袋』。アイツの大事な人の名前。自分の胸に手えあてて考えてみろよ、悪夢にうなされて助けを呼ぶとしたらだれだ?自分のいちばん大事なひと、助けて欲しい人……もしくは自分がいちばん助けたくて、それが出来なくて夢の中でも悔やんでる人間だろ?お前は後者だな、キーストア。おおかた妹の夢見ては名前呼んで飛び起きてるんだろ?」
 「変な想像をするな」
 しまった、反応がはやすぎた。これではまったくそのとおりだと暴露してるようなものではないか、失態だ。
 苦渋に顔を歪めた僕をよそに、レイジはこう結論する。
 「サムライが寝言で呟いた『なえ』ってのはサムライの大事な人だって考えられないか?」
 『なえ』。『なえ』が人名?たしかにレイジの言い分も一理ある、心理学的には十分ありえることだ。だがしかし……
 「変な名前だ」
 「お前が言うな」
 ヨンイルとレイジに苦笑されて気分を害す。『なえ』というからには女性だろう。『さなえ』ならよくある名前だが『なえ』だけだとずいぶんとぞんざいな印象を受ける。やはり『苗』の字をあてはめるのだろうか?
 なえ……サムライが未練を残す女性?
 『俺が欲しい女はここにいない』
 サムライが欲しい女は『なえ』なのか?
 『なえ』が人名だと仮定すれば、サムライはその女性を親しく呼び捨てにしていたことになる。対して手紙には『貢』という字が散りばめられていた、以上の材料から推測するにサムライとその人物は『なえ』『貢』と親しく呼び合う間柄だったのだろう。
 仲睦まじいことだ。
 「なに怒ってるんだ?」
 物思いに沈んでいた僕を我に返したのはレイジの不思議そうな声。無遠慮に顔をのぞきこんできたレイジの指摘に戸惑う。
 「怒ってなんかいない、思考に没頭していただけだ。眉間に皺が寄っていたから怒っているように見えたんだろう」
 眼鏡のブリッジを押し上げるふりでレイジの視線をさえぎり、逃げるように細い通路を間を立ち去る。振り返ることなく蛍光灯の光満ちる空間へと出ようとした僕を立ち止まらせたのはレイジの声。
 「サムライの女に嫉妬?」
 ……なんでレイジまで安田とおなじことを言うんだ。
 振り返ればレイジはにやにやと笑っていた。書架にもたれ、この上なく愉快そうに僕の反応を眺めているレイジを睨みつける。
 「ロンに寝言で名前を呼んでもらえなくて残念だったな、レイジ」
 頬が吊り、苦味の勝った笑みが上塗りされる。
 いつもひとの神経を逆撫でする薄笑いを絶やさないレイジがこの時ばかりは忌々しさを噛み殺すように苦笑していた。レイジに背を向けて足早に立ち去る僕の耳に届いたのは「一本とられたなあ」「うるせい」というやりとり。
 ヨンイルの哄笑を背中に聞きながら階段を降りる。結局二巻は借りられなかった、また後日、レイジとヨンイルがいない時間帯を見計らって図書室にくるしかない。
 それより今は『なえ』のことで頭が一杯だ。
 なえ……それがサムライが愛した女性の名前?サムライに手紙を書いたのも、サムライが渇望する女も『苗』なのか?
 「そうか」
 階段を半ばまでおりかけて、体の中に電流が走ったように硬直する。
 今気付いた、気付いてしまった。
 あの晩サムライが僕の手を握って離さなかったとき、ひどくうなされながら苦しげに『なえ』と呟いたとき。僕は反射的に否定したのだ、自分は『なえ』ではなく『なお』だと。次の瞬間、サムライの態度は急変した。まるで人違いだったといわんばかりに、なんの未練もなく僕の手を離したのだ。
 
 当たり前だ。事実、人違いだったのだから。

 「……………」
 サムライが掴みたかったのは僕の手じゃない、僕はサムライに必要とされてもなかった。
 なぜあの時即座に手をふりほどかなかったのだろう。ほんの少しでも手を握らせたままでいることを許してしまったのだろう。

 サムライが欲しかったのは僕じゃないのに。

 胸がむかむかする。気分が悪い。なんでこんなに気分が悪いんだ?人違いだったからといって、それがなんだ?なんでこんなに腹が立つんだ。わからないー……わからないことだらけだ。全部サムライのせいだ、東京プリズンに来る前まで僕にはわからないことなんてなにもなかったのにサムライと会ってからわからないことだらけだ、わからないことばかりが増えてゆく、そしてどんどん矮小に卑屈に愚劣になってゆく、サムライに感化されてただの凡人に成り下がってゆく。
 天才だったこの僕が。天才となるべくして生まれたこの鍵屋崎 直が。
 「わからない」の繰り言は凡人の言い訳だ、天才が口にしてはならない言葉だ。
 わからなければ知ればいい、どんな手を使っても真相を突き止めてやればいい。
 サムライの手紙を読もう。
 もうためらわない、怖気づいたりしない。

 僕はサムライの過去が知りたい。
 僕がだれの代わりにされたのか知りたいんだ。
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