少年プリズン

まさみ

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百十二話

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 「脱げよ」
 キャスター付きの椅子に腰掛けたタジマが背もたれに顎をのせて命じる。
 壁に背中を密着させ、タジマの視線から体を守るようにへその上に腕を回す。だがいつまでこうしてても始まらない、嫌なことは早く済ませちまうに限る。覚悟を決め、上着を脱ぐ。あらわになったのは薄い胸板と腹。鍵屋崎とおなじで筋肉の付きにくい体質なんだろう、一年半イエローワークの肉体労働に従事しても身体的な変化は日焼けした位で筋肉が隆起する兆候は見られない。でも肩は直線的だし腕は骨ばって肘は尖ってるしこんな体観賞しても楽しいとはおもえない、女のヌードなら大歓迎だが。
 俺にとっちゃ劣等感を刺激する要素でしかない華奢な上半身もタジマにとっては意味合いが異なるのだろう。
 革張りの背もたれに二重顎を乗せたタジマはヨダレをたらさんばかりににたついてた。床を蹴りキャスターを滑らせて加速、壁際の俺に接近。異常な熱をおびた視線が露出した胸板から一直線にへそを縦断、重点的に股間を舐める。
 「下もだ」
 「下もかよ」
 間抜けな問答だ。
 抗議口調の俺を鋭い眼光で射竦め、口元には酷薄な笑みを浮かべてタジマが言う。
 「一年と半年前は慈悲かけて下は勘弁したけど今回は見逃せねえぜ。身体検査だもんな」
 仕事だからいやいや、という口調を気取ってるが本心は嬉しくて楽しくて仕方ないと心躍らせたタジマの命令に唇を噛んで下を向く。逡巡、葛藤。コイツの前でズボンと下着を脱いで全裸になるなんてまっぴらごめんだ、そんなみっともない真似死んでもお断りだ。いっそどこまでも事務的に自分の仕事に徹してる看守ならよかったのに、俺に通知を渡しに来た看守みたいに同性の裸なんかにてんで性的興奮をおぼえない真っ当な奴ならよかったのに。今こうしてる間も俺の体を見つめてるタジマの視線にはうんざりするような粘着力がある、タジマの視線が裸の胸板を這うと皮膚の下で千匹の蟲が蠢いてるような悪寒が走る。
 「くそっ、」
 舌打ち。
 タジマの命令に従うのは癪だが背に腹は変えられない。腹を括ってズボンに手をかけ、下着と一緒にさげおろす。ひやりとした外気が下肢に触れた。普段ズボンに包まれてる下半身が外気に触れたことで筆舌尽くしがたい羞恥と屈辱に身を苛まれる。無意識な動作で腹部に腕を交差させ視線を避けようとしたが警棒で無情に払われる。椅子を軋ませて背もたれに体重をかけたタジマがごくりと生唾を呑む。
 壁際に立たされた俺はせめて自分の局部と薄い胸板が目に入らないように視線を逸らしてるしかない。自分の裸なんかじっくり見たくもない、赤の他人の目に晒されてるとありゃなおさらだ。
 が、視線の圧力は無視できない。
 床を蹴って距離をとったタジマが粘着質な視線で俺を観察する。
 首筋から落ちた視線が肩をすべり二の腕を下降、肘の輪郭をたどって腋の下へ。鎖骨の窪みを執拗に舐めていた視線がひらたい胸板を這ってへその中心へと吸い込まれ、その下へ。
 「…………」
 生理的嫌悪で肌が鳥肌立つ。一刻も早く終わってくれ終わってくれと念じながら固く固く目を閉じる。視線にさらされた肌が異常に敏感になり、淫蕩な熱を孕んでじれったく疼く。奥歯を噛み締めて身動ぎした俺の耳朶にふれたのは皮肉げな嘲笑。
 「見られて興奮してんのか?」
 頭の中で光が弾けた。
 しっかりと目を開け、タジマにガンをとばす。裸の背中に触れた壁の無機質な固さが心許ないが今タジマから目を逸らすのは意地が許さない。口で反抗するのが許されないならせめて眼光で互角に対抗しようと顎を引いた俺に笑みを広げタジマが再接近。キャスターが床を擦る音に条件反射で身が竦む。
 くそ、びびってんじゃねえよ、こんな変態相手に。
 タジマの腕が脇腹へと伸びる。なにする気だと声を荒げかけ、飲み込む。鼻息荒く興奮したタジマが俺の脇腹に触れる。
 「!あっ、」  
 声をあげたのは感じたからじゃない、脇腹の痣を撫でられたからだ。つい二・三日前にできたばかりの青痣でちょっと手を触れられただけでも剣山で抉られるような痛みが生じる。俺の声を事実とは違う風にとったタジマが調子に乗って体のあちこちに手をすべらす。肉付きを確かめるように脇腹を揉んでいた手が上へ上へとよじのぼり二の腕を軽く持ち上げさせ、もう一方の手が腰にあてがわれる。
 「この痣はおれがやったんだ」
 恍惚とした目で俺の上半身を舐めまわしながらうっとりとタジマが呟く。所有の証を愛でるような誇らしげな口調だった。
 「おぼえてるか?一年半前はじめてイエローワークに来た時のこと。こうして裸にして立たせたよな。あの時はまだ痣も生傷も少ないキレイな体してたけど、これはこれで」
 「お前が言ってた身体検査ってのは囚人を裸にしてあちこち撫で回すことかよ?無知なブタに教えといてやるけどな、それは身体検査じゃなくてセクハラってゆーんだよ」
 タジマの顔が強張る。
 そりゃそうだろう、今までされるがままに自分の手に身を委ねてた囚人に真っ向から嘲笑されたのだから。俺としても我慢の限界だった、堪忍袋の緒が切れた。いつまでこうしてタジマの手に体を撫で回されてなきゃなんないんだ?裸になって俺が危険物隠し持ってないことが判明したんだからさっさと終了してほしい、いつまでも素っ裸でいたら風邪をひく。
 しかし、今日のタジマは忍耐強かった。普段のタジマなら俺が反抗した時点で怒り狂って警棒を振り上げてるはずなのに、腰の警棒にのばしかけた手を自制心を総動員してぐっと引っ込めたではないか。警棒でめった打ちされるか、最悪独居房に送られるのを予期して生きた心地がしないでいたのに拍子抜けする。
 ほっとして、ほっとした自分を殺したくなるのはこの数秒後だ。これは序の口に過ぎなかったのだから。
 「服を着ろ」
 興味が失せたように淡白に命じられ、背骨がとろけるような安堵に浸かる。床を蹴って椅子ごと遠ざかったタジマが何かごそごそやり始めたのをよそに素早く服を着る。ズボンの裾を引き上げて長々と息を吐いた俺をタジマが呼ぶ。
 「来い」
 目をかけた猫の子でもさし招くような溺愛の動作に警戒する。背もたれに怠惰に顎をのせた姿勢で俺を手招きするタジマに不承不承従い、歩み寄る。椅子の手前で立ち止まった俺を含みありげな上目遣いで見上げてタジマが取り出したのは……
 爪きり。
 息を呑む。
 「なにびびってんだよ。安心しろ、深爪の拷問なんかしねえよ。爪を切るだけだ」
 「……は?」
 耳を疑う。爪を切る?なんで?なんで看守がそんなことしてくれるんだ、何か裏があるに違いないと警戒心をむきだしにした俺にタジマが笑いかける。有無を言わせず俺の腕を掴んだタジマが面前で五指を開かせる。一本一本指を取ってしげしげ見つめていたが爪きりに爪を噛ませて…… 
 パチン。乾いた音におもわず目を瞑る。
 すこぶるご機嫌な鼻歌まじりで俺の爪を切ってくタジマをあ然と見つめる。右の小指、薬指、中指、人さし指、親指。パチンパチンという乾いた音が軽快に連続してのびきった爪の先端がぽろぽろ床にこぼれる。手際よく爪が切られてく小気味良い音を上の空で聞きながら、俺は逃げることも立ち去ることもできずにその場で硬直していた。背もたれに顎をかけたタジマがへたくそな鼻歌をなぞりながら爪切りを上下させる、ぱちんぱちんぱちん。レイジより音痴な人間がいるなんて衝撃だ。
 タジマの意図が掴めず漠然と不安になった俺をよそに右手終了、左手の小指を爪切りが噛む。ぱちんぱちんと連続する音、爪の欠片がぱらぱらと床に落ちてくのを複雑な面持ちで眺める。
 去勢された気分だ。
 やがて十本すべての指の爪を切り終え、タジマが満足げに身を引く。腑に落ちない顔で両手を翳した俺と床に散らばった爪とを見比べること数秒、タジマが嬉嬉として叫ぶ。
 「もう安全だな」
 安全?脈絡のない単語に眉をひそめた俺を椅子から見上げ、タジマは命令した。
 「自慰しろ」
 コイツは異常者だ。正真正銘の異常者だ。
 「…………っ、」
 「自慰。オナニーでもマスターベーションでもひとりエッチでもいいけどな、言ってるこたわかるだろ?まさかその年で一度もやったことねえなんて言うなよ」
 わかる、わかるに決まってる。俺だって聖人君子じゃない、レイジの留守中に毛布にかくれてやったことくらいある、というか最低二日に一度はやってるけど他の囚人に比べて頻度は少ないほうだ、いや違う、そんなことは今どうでもいい、どうでもよくないのは今タジマの口から出た言葉と現在進行形で俺がおかれてる状況だ。
 「正気じゃねえ」
 あとじさった拍子に背中が白塗りの棚にぶつかった。消毒液の瓶や包帯やらガーゼやらを収納しておく棚だ。棚にへばりつく格好でタジマを見据え、吐き捨てる。
 「はじめて会った時から思ってたけど本当の本当に正気じゃねえ、あんたおかしい、狂ってる。だいたいそんなもん見てなにが楽しいんだよ、そんなことさせて何の意味があんだよ?そんなにオナニー見たいなら鏡見ろよ、てめえの短小ペニスをおったててしごいてひとりで勝手にイけよこの変態!!」
 気持ち悪い、吐きそうだ。猛烈な嘔吐感をこらえて叩き付けるように叫ぶ、自分が直面してる事態があんまり異常すぎて許容できない、現状把握が追いつかない。ともすれば気が遠ざかりそうになるのを足腰踏んばってこらえてタジマを睨む。床を蹴ったタジマがみたび接近、消毒液の棚を背に追い詰められた俺を卑猥なにやけ面で覗きこむ。
 「違うな。俺はな、お前がイくとこが見たいんだよ。全身全霊で嫌がってる奴に無理矢理ヤらせるのがたのしいんじゃねえか、なあ」
 分厚い唇を唾液で淫猥にぬれひからせたタジマに生理的嫌悪が爆発して絶叫したくなる。恐怖と混乱で頭が真っ白になった俺の方に図々しく身を乗り出したタジマが断りもなくズボンに手をかける。
 「どれ、下脱がすの手伝ってやる」
 
 キレた。
 
 絶叫、椅子が横転。
 凄絶な悲鳴を発して椅子から転げ落ちたタジマが両手で目を覆ってのうたちまわっている。俺の右手にあるのは消毒液の瓶、瓶から立ちのぼったアルコールの刺激臭がつんと鼻孔を突く。足もとに落ちた蓋を蹴り、一瞬の早業でガラス戸を開け放った棚から上体を起こす。
 「図に乗るなよタジマ。ビール腹の中年が見境無く男に発情して気持ち悪ィんだよ、二度とそんな気持ち悪い目で俺のこと見れないように眼球焼いてやる!!」
 ガラス戸を軋ませて啖呵を切るも俺の頭の中は真っ白だ、怒髪天を突いた自分の声がびりびり大気と鼓膜を震わせてるというのに。無防備な顔面に消毒液をかぶったタジマはたまったもんじゃない、消毒液が涙腺に染みる激痛に目を真っ赤に充血させ声もなく悶絶していたが突然咆哮、四つ脚の獣のように床を蹴って棚に激突、腹に体当たりして俺を押し倒す。 
 「!」
 腹に頭突きを喰らった衝撃で五指が緩み、床に落下した消毒液の瓶が粉々に割れ砕ける。透過性の高い茶色のガラス片が床一面に散乱する、蛍光灯の光を反射して硬質に輝くそれはおそろしく色素の薄いレイジの瞳を彷彿とさせ、タジマに組み伏せられて後頭部を床で強打した俺は今の情けない光景をレイジに見られてるような錯覚に陥る。
 「このガキッ、下手にでりゃ付け上がりやがって!!」
 前髪を掴まれ強引に顔を上向けられる、腰の警棒を抜いたタジマが肩で息をしながら凄む、憤怒で朱に染まったおそろしい形相。後頭部を打った後遺症で眩暈に襲われた俺を真上から覗きこんでうわ言のようにタジマが繰り返す。
 「一年半だ、いいか一年半だ、俺がお前に目を付けてから一年半だ!一年半ずっとヤりたくてヤりたくて仕方なかったんだ、お前が来た日のことはよーく覚えてる、主任看守の俺に媚びへつらわねえ生意気な新人が来たって久方ぶりにぞくぞくしたよ!実際お前ほどいじめ甲斐あるガキは久しぶりだ、おまえときたら初日に服脱がされても泣き言ひとつ言わねえでガンとばしやがった、何度警棒でぶちのめそうがガンとばすのやめねえ学習能力のなさ!その可愛げねえツラを歪ませたくて憎まれ口叩くしか能のねえ口に突っ込みたくて何回想像の中でヤッてヤッてヤりまくったかわかりゃしねえ!!」
 「黙れ黙れ黙れ、これ以上変態の寝言に付き合わされたら頭が変になっちまう!」
 「いいか、これは予行演習なんだ。どうせ明日から体売るんだ、何人何十人だかの男に抱かれるんだ。羞恥心とかプライドとか余計なモンはひとつ残らず剥ぎ取ってやる」
 狂気にぎらついた目を片手で覆ったタジマが俺の顔の横に風切る唸りをあげて警棒を振り下ろし、横っ面を風圧が叩く。
 次にタジマの口からでた提案に耳を疑う。
 「ケツの穴に警棒突っこまれるのと自分でヤるの、どっちがマシだ?」
 
 卑怯だ。
 そんなの二択になってない、はなから選択権なんかない。

 「はじめてが警棒ってのもきっついよな?大丈夫、ちゃんと気持よくなれるよう奥までねじこんでやるよ」
 タジマは異形の心を持つ怪物だ。理解を拒む異常者だ。
 俺をいじめるのがたのしくてたのしくてたのしくて発狂しそうにたのしくて仕方ない、追いつめて貶めてひとつ残らず希望を踏み躙ってくのがたのしくてたのしくてたのしくて勃起しそうにたのしくて仕方ない。タジマの顔はそう言ってる、タジマの目はそう言ってる、狂わんばかりの欲望の炎に燃え盛ってそう主張してる。
 タジマなら本気でやる、容赦なんかするはずがない。
 手足の先が冷えてゆくのは無機質に冷たい床のせいじゃない、体の芯まで凍えさせる絶望の温度だ。消毒瓶の破片が散乱した床の惨状に四肢を投げ出して仰向け、眼前に迫ったタジマの顔とその背後の蛍光灯とを見比べて口を動かす。
 「そんなもんねじこまれるくらいなら、」
 舌が、勝手に動く。
 たった今眼球が潰れてほしいと、眼球が潰れてなにも見えなくなればいいと狂わんばかりに希求して強く強く瞼を閉じる。発狂寸前の暗闇の静寂に自我を没して頭をからっぽにしようと努める、なにも考えるな感じるな思い出すな、お袋のことも俺が殺した連中のこともレイジのことも行為中になにも思い出すな思い浮かぶな全部忘れろ忘れろ忘れちまえー……
 
 仕方ないのか。
 もう、仕方ないのか。言うしかないのかよ。

 ―「そんなもんねじこまれるくらいなら、自分でヤッたほうがマシだ!!」―
 ああ、本当に。
 こんな台詞、だれが吐きたいもんか。だれが見せたいもんか。
 目の前のタジマが勝ち誇ったように笑う。
 床に四肢を投げ出してタジマを仰ぎながらからっぽになった頭で漠然と考える、ただそればかりを考える。
 なんで今、俺の手の中には手榴弾がないんだろう。
 今この手に手榴弾があれば、俺の上でザーメンくさい涎たれてさかってる短小包茎の畸形ブタを微塵の肉片に変える事ができたのに。
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